自殺は思考の記号化、殺人は他人の記号化。

Hagexさんの事件について、情報量によって殺人や自殺が起こることについて話したら色々反響があったのでついでにnoteでも。

記号化、たとえば言語化すると情報量はぐっと少なくすることができる。様々な生物も「哺乳類です」といったように一言で概念化できる。

逆にコンテンツは情報量を増やすための演出方法だ。次の記事がわかりやすい。

同じ4秒の動画が流され、一つはバスケットボールのドリブルのスローモーション、もう一方は早回ししたドリブルの映像が流される。前者の方が4秒より時間を短く感じるのに対し、後者だと4秒より長く感じる。

物理的には同じ時間でも、私たちの心的な時間は、認識される出来事が多いと長くなり、少ないと短くなるんです!

良いコンテンツは後者で、時間単位あたりの情報量が多く、見るものを驚かせる。人間や生物を究極に記号化すると周囲の情報に対応する「情報処理マシーン」であり、通常の情報処理量を超えるモノに出会うと感情が動く仕組みを応用する。

なので情報量のコントロールはコンテンツを作っている人ならほとんどがしているし、特にアニメなど情報量をコントロールしやすい分野では、わかっていない人はいないだろう。

たとえば幼児に好かれる絵本は、情報量を極端に減らした表現だ。実写だと情報量が多すぎて処理できない。

反対に映像作家など映像関係の人は、映像で思考する癖がついている。スポーツ選手にも多いが、言葉で考えていると間に合わなくなってくるからだ。

しかし映像のままだと相手とコミュニケーションできないので、記号化、言葉によって情報量を落とすことで会話をする。

ここで問題なのは、言葉のコミュニケーションに慣れた結果、思考まで言語化されると情報量が落ちることだ。情報処理量が落ちてバカになっている状態だが、やっかいなことに、言葉は認識しやすいので情報を処理している実感は湧きやすい。

その実感を得てさらに言葉を使うと、どんどんバカになっていく。実態としては扱える情報量が減っている。こうなると時間もどんどん短く、あっという間に過ぎるようになってしまう。情報量と心理的時間の長さは比例するからだ。

ここまで脳が記号化、言語化されてバカになってしまうと、他人への認識も記号化してしまう。一人の人間は壮大な情報体なのに、単に「敵」「異教徒」「異国人」などにしまう。

人はそのままでは人を殺せない。他人の情報量を極端に減らした結果、はじめて人を人と思わなくなって殺すようになる。

同じように、自分の価値も記号化していくと、自分を無価値だと思ってしまう可能性があり、自殺につながってしまう。自分への情報量を減らした結果、自分なのに人とは思えなくなってしまう。

コンテンツは、思考の記号化によってバカになってしまった人を、少しでも情報処理量をあげるサポートになれば良いと思う。どうすればそうできるのか、、、一つのヒントは、心が静かな状態になった方が情報処理量が増える、という心理と情報処理量の関係だ。

この辺の話はディープなので興味ある方のみで。

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