私の武装中立支持は誤りかも。政党海風なら支持得て政権与党になれると思う。コスタリカ式非武装永世中立で集団的自衛権を違法化しつつ自衛隊廃止サンダーバード化はありかもしれん。

集団的自衛権破棄なら日米安保破棄。
私の武装中立支持は誤りかも。政党海風なら支持得て政権与党になれると思う。コスタリカ式非武装永世中立で集団的自衛権を違法化しつつ自衛隊廃止サンダーバード化はありかもしれん。


http://www.doujidaisya.co.jp

屋良覚書の記事で軍事利用禁止の話した。Colaboの件でColabo守るのに私は日米安保破棄の日本共産党に1票投票せざる得なくなった。
結果、日本共産党の日米安保破棄→日米友好条約はありだと思える自衛隊廃止できそうな全部まとめた日本非武装案公開したれという考えに至りました。
実はNEVERまとめで熊本地震あたりの頃に自衛隊サンダーバード記事化まとめ作ってアカBANされた事あります。
私の武装中立支持は誤りかも。ただ性自認至上主義に反対し女性スペースを守り、かつ専守防衛の政党海風の政策なら戦争放棄の日本国民の国民性にあってると思うし政権与党になれると思う。コスタリカ式非武装永世中立で集団的自衛権を違法化しつつ自衛隊廃止サンダーバード化はありかもしれん。
政党海風が良いと思ったことは変わらず。
専守防衛かつ性自認至上主義にNOを突きつけている政党海風をメインに+社民党のコスタリカ式非武装永世中立論+無防備都市宣言+非核都市宣言+日本共産党の日米安保破棄案を組み合わせる。どれか1つだと武装論者に負けるから日本国憲法9条安保法廃止集団的自衛権廃止の専守防衛+コスタリカ式非武装永世中立論+無防備都市宣言+非核三原則+非核都市宣言+自衛隊廃止サンダーバード化+尖閣諸島を日中台で共有がありなら竹島(独島)を日韓朝鮮で共有もありですし北方領土(クリル諸島)を日本ロシアウクライナで共有可能じゃないか案等非武装で戦争防げそうな案をとりあえず全部組み合わせる。
どれか1つじゃなく性自認至上主義にNOを突きつけているNOセルフID系ですごくまともな政党海風の政策と社民党のリプロとれいわ新撰組の障害者政策を組み合わせると良いと思う。




人々が生きづらいと感じている問題を一つひとつ解決してゆくこと。これは政治の大きな役割だと思います。経済的な問題。出自の問題。環境の問題。その中の一つにジェンダーの問題があります。

昨今LGBTQ(呼称についての言及はここでは取り上げません)と一括りにされて語られることが多いと思われるこの問題ですが、内包しているのは個人の性自認と性的な指向ということに大きく分解されると考えています。

肉体と精神の乖離に苦しんでいる人々を救うことと、性的指向がその他大多数の方々と異なる人々を救うこと。この二つの問題は別々のアプローチで解決すべき問題です。

様々な政党や政治家がこの問題についての発言を重ねている中、私たち海風が危惧していること。それはこの問題は慎重に解決を模索しなければ新たな性被害者を生む危険を孕んでいるということです。「自らの性自認はメール一通で変更できるようにすべきだ」という女性議員がいます。性自認とは、それほど軽いものなのでしょうか。「試しに”女性”になってみるか」とメールで性転換できるようにして、それは誰にどのようなメリットをもたらすのでしょうか。

現在の日本では、公衆のトイレや入浴施設などは男性用と女性用に区分けされています。そしてこの生物学的な性差ではなく性自認によって、どちらのスペースを利用するかを自由に選択できるようにしようという動きがあります。性犯罪の多くは暴力を伴います。肉体的にパワーで勝る加害者と、非力な被害者という組合せが多いこと。男性から女性への加害。あるいは大人から子供への加害。非力な人物が自分よりも力のある相手に加害するケースは極めて珍しいと考えられます。

自分の肉体と精神の性自認が乖離しているという人々の苦悩については、当事者ではない人々には想像もつかないような問題なのだと考えます。これについては医学的、心理学的アプローチから、慎重に解決を模索しなければなりません。けれど「男性の肉体でありながら精神は女性である」という自己申告だけで、その人物が女性用トイレや女性用の入浴施設に自由に入れるようにすることは、果たしてトランスジェンダー問題の解決になるのでしょうか?性転換手術は気軽に受けられるものではありませんし、現状の肉体と精神の乖離に苦しむ方々に対して第三者が強要すべきものではありません。一方で、生物学的な男性が「心は女性だ」と申告した場合、それをどのように証明するのかという問題があります。精神の性差を科学的に証明することは、少なくとも現在の科学では不可能です。人間の性差は染色体でしか証明できません。

日本の多くの女性は、通勤や通学をはじめとした様々なシーンで性被害の経験があります。日常的に男性からの性的な加害、あるいはそれを受ける可能性に晒されているのが現状です。パーソナルスペースに男性が存在するだけで恐怖を感じるという女性も決して少なくはありません。もう一つ。女性の肉体で精神は男性だという人々が男性用のトイレを使いたいという声を上げないのは何故でしょう。

大変不謹慎な想像であることは承知した上で、敢えてこのような事を考えてみます。
とある男性がメールによる申告で女性に性転換したと仮定します。これで“彼”は“女性”になりました。女性なので、女性トイレ、女性用入浴施設の利用はルール上問題ありません。男性の肉体のまま、堂々と無防備な女性専用スペースに立ち入ることが可能です。
そして性自認と性的指向は別物なので、“女性”である“彼”が、女性専用スペースの中にいる女性に性的興奮を覚えても、それを咎めることは出来ません。

前述したように、多くの性犯罪は力の強い加害者が力の弱い被害者に対して行われます。もちろんケースバイケースではありますが、男性から女性への加害というケースが圧倒的多数なのです。

性自認が女性であれば肉体は男性のままでも女性スペースを利用できるように社会制度を変えること。これは問題の根本解決どころか、新たな問題を生み、事態を後退させる動きであると考えます。安心して利用出来るスペースを女性から奪うことは、問題を女性だけに押しつけることに他なりません。男性の肉体でありながら精神が女性である人々が安心して利用出来るスペースを早急に整えること。大切なのはこちらであって、現状の女性スペースを開放することではありません。私たちはそのように考えています。

追記
代表の相原宛に、当該ポストとそのツリーの中で用いている「嗜好」は「志向」の間違いではないかというご指摘をいただきました。今回のポストで「嗜好」という単語を用いている箇所は性自認と肉体の乖離に苦しむ人々に対して言及している部分ではなく、あくまでも性行為についての好みについてのみです。ここで「志向」を用いると、意識の持つ特性にまで言葉の範囲が拡大されてしまいます。LGBTQの問題を解決するために二つの問題として分解しようというポストでスタートしている話題ですので、「志向」を用いて話題の分母を拡張することを避けています。ご理解のほどよろしくお願いいたします。(2022.08.16)

追記
ポスト内で用いた「嗜好」という単語について複数の方からご指摘をいただいております。「『志向』とするべき」というご意見、「『指向』が正しい」というご意見。様々なご意見をいただく中で、「『嗜好』はトランスに対する貶めである」というご意見をいただきました。海風としてこの問題を取り上げるにあたってトランスジェンダーの方々を貶める意図は全くありませんし、それらを解決するためにどのようなアプローチが出来るのかを話し合っている最中です。「嗜好」という単語を用いたことでトランスジェンダーの方が貶められたと感じたという事実は真摯に受け止める必要があります。公式に謝罪し、上記記事中の「嗜好」は全て「指向」に訂正いたします。(2022.08.16)

追記
上記記事内、Twitterのポスト内の「人間の性差は染色体でしか証明できません」という記述に対して、性分化疾患についての配慮がないというご指摘をいただきました。染色体がXYであっても身体的、生得的に女性である方々、またその逆に染色体がXXであっても身体的に男性である方々への配慮を欠いた文章を掲載し、傷つける結果となってしまったことをこの場で謝罪いたします。申し訳ありませんでした。
日本性分化疾患患者家族会連絡会(https://twitter.com/nexdsdJAPAN?s=20&t=zXZLJJjIB2upLPgJ0gyZ8g)のTwitterアカウントから、これについては「DSDsに関して代替表現としては『出生時の性別』や『受精時点で女性・男性の性別は決まっている』で大丈夫です。」とのリプライをいただきました。(2022.08.18)

https://sea-breeze.gr.jp/?p=24
トランスジェンダーについて

2022.08.15

セルフIDの導入・LGBT法案に反対し、LGBとTをしっかりと分けて女児・女性の安全、生存権を守る議論をすることを強く求める海風宣言をMTFSRS手術済みGIDMTF専用戸籍として性別秀吉を作りMTFSRS手術済みGIDMTF専用スペース・MTFSRS手術済みGIDMTF専用枠を作る事を求めるものとして私は、支持します。
#MTFSRS手術済みGIDMTFの私は海風宣言を支持します



海風宣言

2022.08.12私たちは、現在の政治、とりわけ経済や国家財政がどうなっているのか、何が起きているのか余りにも不透明で不誠実極まりない現状を鑑み、政権、行政の不透明な部分を自ら国民と共に解明し、正していくことを目的として当会を発足するものである。
当会はこのような不透明なものを解明し広く国民に公開し、事実を共有し、行政に改善を求めていく。
日本経済は、一部の資本家・外資・企業・富裕層に優位に展開されたことで傾き、政治は信頼を失った。消費税や年金、劣化の一途を辿る福祉政策や拡大する格差などに対し、行政の怠慢ぶりは論を待たない。国民の力で改善を促し、停滞・劣化を糾すことは可能と考える。
経済不況を理由に働き方改革なるものを制定し、非正規雇用が常態化し、婚姻率は下がり、貯蓄ゼロ世帯が増加するなど雇用・生活不安が拡大している。その中で、経済を金儲けと考える権力者を否定し、「世を治め、民を済う」本来の正しい経済政策を求める。
実体経済の拡大、積極財政によるあらゆる安全保障の拡充を要求すると共に、国内産業保護の観点から自由貿易協定による主権放棄に反対を表明する。
人間の生命・生活を守る上で最も重要な基盤の一つである食糧インフラを維持・向上させ、安全性の高い食糧の供給を公的に保障する。
セルフIDの導入・LGBT法案に反対し、LGBとTをしっかりと分けて女児・女性の安全、生存権を守る議論をすることを強く求める。また、TやQやXなど、国民に周知せず同性婚と混同させて推進する姿勢には明確に異議を唱える。
老朽化したものを含め、安全保障の最たるインフラを整え、防災・減災・環境保全に逆行する乱開発に歯止めをかける。同時に避難所の環境をスフィア基準レベルまで引き上げ、避難時の健康・衛生・安全に配慮する取り組みを行う。また、環境省の指導に従い、家族の一員であるペットと共に身を寄せられる避難環境を整備する。
国民生活が不安定になる一方で、戦後民主主義の枠組みである憲法の改正が議論されているが、その内容や目的も不明瞭だ。憲法をただ守るために護憲と声をあげるのではなく、戦後民主主義の精神の継承と未来永劫平和を希求する精神を次世代に引き継いでいくことが憲法を守り活かすことである。
憲法改正を9条改正のみと錯覚させるような世論があるが、人権の後退や主権制限、とりわけ生存権や幸福追求権に大きく関わる財政健全法と緊急事態条項の危険性を特に国民と共有することに尽力する。
当会はこのような状況の中で、「主権者たる国民による真実の解明」を目指して発足する。つまり国民の権利として、国民自らが自分自身の権利に基づいて真実を知るための組織とし、現代の *三部会的な組織を目指すものである。
*フランス革命時の三部会をイメージしたもので、ここでは官僚・国会議員・国民を意味する

https://sea-breeze.gr.jp/?page_id=10
海風宣言




​人権・主権・平和を守る
●改憲阻止。9条ばかりに目を奪われず、人権・主権・平和主義の後退を赦さず、国民を貧しくする財政健全法を認めない。



​​●武装中立、専守防衛。自分の国は自分で守る。



●主権を放棄する自由貿易協定には断固反対する。

​労働法改善強化・賃上げ
●働く人のための労働法を整備し、運用を強化する。



●スピーディーな賃上げ、会社法是正、株主資本主義撤廃。



​●国際分業適正化、内需拡大をめざす。

​消費税減税→廃止へ
●大企業の法人税を見直し累進性を強化する。



●政教分離が虚偽である以上、宗教法人へ課税する。



●贅沢品にかかる物品税を復活を検討する。



​●金融資産への課税強化を検討する。



​●売上税の導入を検討する。



​★そもそも税は財源ではないという認識の共有に尽力する。

​食の安全を守る
●農薬の規制緩和撤廃を要求する。



●遺伝子組み換え食品の完全表示義務化を要求する。



●ゲノム編集食品の安全審査及び完全表示義務化を要求する。



​●原産地・加工地の表示義務化を要求する。



​★知る権利・選ぶ権利を取り戻す。

​いのちの水を守る
●水道民営化断固阻止。



●地方自治への圧力を許さない。



​★太陽と空気と水はタダでいい。

​災害大国の人権を守る
●スフィア基準遵守をめざし、避難所の改善を進める。



●避難施設、公共施設、学校などに太陽光発電システムによる非常用

 電源設置を義務付ける。



●ペットと同伴できる緊急避難所の整備を進める。​



​●ハザードマップの徹底見直し。

​くらしを守る年金制度を
●国が勝手に溶かした年金を徹底追及、きちんと支払う。



●物価に合わせ、誰もが当たり前の暮らしを守ることのできる金額をしっかりと保証する年金制度を設計する。​

​安全保証について
●国土強靭化。老朽化したインフラの更新。



●食料自給率を上げ、食の安全を確保する。



​●水源地と森林、水を守る。



●脆弱なサイバー対策にしっかりと投資する。



​●武器なき侵略に備え、外国人や外国企業の土地購入に規制を。



●帰化要件見直し、外国人参政権反対。



​●移民反対。

​親米調和そして自立
●日米合同委員会、日米地位協定、日米安保条約の徹底見直し。



●不公平を正し、真の主権国家となる。​​



●武装中立、自分の国は自分で守る。但し専守防衛。



​★憲法9条を活かし、世界平和のトップリーダーとなる。

​すべてのいのちをあとまわしにしない
●自殺率の高さや過労死を生む、生きづらさの抜本改革を。



●不安なく年老いていける社会保障の充実を・財政拡大。​​



●人への投資・財政拡大。



​●子どもに投資、未来に投資・財政拡大。



​●予算の使途は広く国民に意見を問い、ガラス張りに。



●犬猫殺処分ゼロ、動物愛護法を徹底的に改正する。



●アニマルウェルフェアの意識を高め実践する。



​★弱者や動物に優しい社会は、全ての人に優しい。

https://www.rinkoaihara.com/policy






性の多様性を尊重した日本社会では、これまで反対や異論で世論を二分するようなことはありませんでした。
 すべての日本国民は個人として尊重され、国民の自由と権利は公共の福祉として、そして私たち国民は法の下の平等によって差別をされないと定められています。
 ただし、憲法で保障されている平等とは、性別・年齢・能力などの違いを前提として、同一の事情と条件の下では均等に取り扱う「相対的平等」であり、全てを同じく取り扱うような絶対的平等ではありません。これにより「合理的な区別」は認められるということになります。この合理的な区別においては、男女の性別による身体の差異があります。

 このような認識の下、日本社会は様々な障壁を乗り越えて発展を遂げてきました。私たちそれぞれの分野の専門家は、男女の機会の平等から、さらに男女の格差を無くすための男女同権を目指していたはずです。それは各人の使命を全うするために公平公正な取り扱いをするうえでも必要な事柄だからです。

 しかるに、昨今の先進国に目を向けると男女の性別という生物学的な性差の区別がゆらぎはじめております。私たちはこれまで個人の性別としてのsexと、統計的・規範的な性差genderを分けて研究し、議論を進め社会を構築してきました。生殖機能の違いに基づき、生まれもった性差は生涯にわたり変化しないというのは、全人類共通の宿命であり、性別は、いわば社会のインフラのような役割をもたらした記号でもありました。
 しかしここに「性自認(gender identity)」という新たな概念が唐突に出現致しました。これは日本では定義もまだ明らかになっておらず、日本の行政機関では「性同一性障害(Gender Identity Disorder, GID)」とたびたび混同されて表現されております。
 先進諸国における「性自認(gender identity)」とは、生まれもった性別ではない性を認識することを法的に認めるというもので、「心の性別」という科学的に証明されていない概念を公認する国がでてきました。さらには、恣意的に解釈された「差別」に対して罰則が設けられたり、見た目や生理的構造で性別を判断することが禁止されたりするなど、あくまで本人の主観を尊重することを国民に求めるものとなっています。一般に、個人の属性について主観至上主義をとれば混乱が起こることは自明ですが、なぜか性別では主観至上主義が法的に保証されつつあるのです。
 この法制度で混乱したのは、男女で区別していたスペースの使用です。たとえばこれまで女性のスペースに男性は入ることは禁じられていたところ、見た目は男性でも心は女性(性自認が女性)ならば使用できるということになったのです。女性にとっては脅威であるだけではなく、性犯罪者が入り込む隙をみすみすつくってしまうことにもなりかねません。
実際にこのような法制度のバグが発生して、先進国では今までになかった種類の争いや訴訟を引き起こしていることが見えてきました。
 ここ日本の国会においても議員立法として「性的指向及び性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」が制定に進んでいます。この法案には「性自認(gender identity)」という用語があたかも確立した概念を表わすかのように採用されております。一般に馴染みのない用語である以上、法律の用語とするならば、説明としっかりした定義づけが必要だと考えます。稲田朋美氏の説明では、「性自認」は「性同一性」と同義だということですが、法案では「性自認」の説明に「性同一性」が使われる循環定義になっており、恣意的な解釈を防ぐことができません。

 この法案の制定は2021年に国会でまとまることなく一旦流れました。その時に私たちそれぞれの分野の専門家が「性自認(gender identity)」とは?という疑問を訴えたにもかかわらず、マスメディアのミスリードによって今日まで議論が封じられてしまいました。

 私たちは各々が培ってきた専門性という矜持をもち、「性自認(gender identity)」の法令化について慎重に進めるよう強く求めます。それぞれの分野で新たに「性自認(gender identity)」の研究と議論をしっかり行い、該当すると言われる当事者の方々との無益な対立を新たに作ることのない道を模索したいと主張いたします。 先行した諸外国の法制度と運用実態、混乱、事後の制度変更などもしっかりと調査し、国民的な議論に高めていくことを望みます。

あわせて、この「性別と性自認について考える協議会―対立から共存へ―」発足宣言に、
多くの分野の専門家のご賛同をいただけますよう、ここに求めます。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSckuj6_ZiK9Zk0xsrWUgfsmp1-2qLAUi7peYaUG8ffpXXOk5g/viewform

https://id-council.jp/index.html
「性別と性自認について考える協議会―対立から共存へ―」発足宣言


うちは社民党に批判的ですが社民党や沖縄平和運動センターの山城博治議長さんらの無防備都市宣言を条例や法律化して軍隊を置けないようにして戦場にさせられるのを防ぐ運動は悪くない良案って思ってます。


https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/k_jindo/pdfs/giteisho_01.pdf





無防備地域宣言について



【質問】

 本市において昭和46年以降34年ぶりという地方自治第74条第1項の規定に基づく条例の制定を求める市民の直接請求が行われました。これは、地方参政権有する者の50分の1以上の連署によって条例の制定を請求することができるというものです。西宮市に平和・無防備(戦争非協力)条例を実現する会という市民団体が、去る4月29日から5月28日までの1ヵ月間に規定の約7200筆の3倍近くに上る2万490筆の署名を集めて、6月2日に選挙管理委員会に提出しました。それを受けて、選挙管理委員会の皆様には大変御苦労だったと思いますが、21日に請求者名簿の審査作業を終了し、有効署名数2万8051筆が確定しました。無防備地域宣言とは、世界161ヵ国が批准しており、日本も昨年批准したジュネーブ条約の第1追加議定書の第59条で定められたものです。簡単に言いますと、戦争に協力しないことを日常的に示し、宣言することで、その地域への攻撃は一切禁止されるというものです。同様の市民からの直接請求は、昭和60年奈良県天理市、同63年東京都小平市でありました。この当時はジュネーブ条約が国会の承認を得ておらず、住民請求は議会で否決されています。さらに、条約の批准以降は、昨年の大阪市、枚方市、藤沢市、東京都荒川区での直接請求がありました。でも、しかしやっぱり議会で否決されています。どの場合も市長の意見は、一地方公共団体が無防備都市宣言を行うことができない、また、たとえ宣言したとしても効力を有しない、当宣言はその地区の防衛に責任を有する国においてのみ行われるべきものであるという国の見解を丸呑みにしたものばかりです。外務省は、1977年に作成されたジュネーブ条約の追加議定書を27年もたった去年に批准するに至った背景には、有事関連7法といった事態対処法制の整備がなされたことにあったと発言しています。もともとジュネーブ条約及び議定書は、国際人道法と総称される条約体系にあって、戦争の際の大量殺りくや捕虜の虐待、非戦闘員への攻撃禁止などのルールとして位置づけられており、戦時国際法というものです。ですから、こういった戦時国際法を批准するに至る日本の変化というものを敏感に感じ取っての各地での署名活動、直接請求の運動になっているのです。私は、これまで日本が憲法9条をしっかり守っていれば絶対にこのような動きには至ってないと考えます。外務省は、有事関連7法案を整備することにおいて国内的な法整備をひとまず終え、その上で国際人道法の的確な実施を確保するためにジュネーブ条約を批准したということです。そうであればこのような姿勢から感じ取れるのは、日本を戦争しない国から戦争する国に変えました、だからもしもの時のことを考えて戦時国際法も準備しました、これで安心して戦えますよと感じ取れるのですが、どうでしょうか。

 外務省がいう国際的な法整備の中、昨年6月成立、公布された国民保護法なのですが、これは、外部からの武力攻撃や大規模テロから国民を保護し、国民生活に与える影響を最小とするため、国や地方公共団体の責務、住民の避難や援護など、国民の保護に必要な事項について定めています。その国民保護法の第40条では市長を長とする市町村協議会の組織づくりについて、同第42条では、市長は国民の保護のための措置に関する事務または業務に従事する職員の配置及び服務の基準を定めなければならない、などなど、市町村長は云々という条文が数多く見受けられます。この国民保護法で位置づけられている地方公共団体の重要な役割を考えたとき、本当に一地方公共団体は防衛に責任が持てない組織なのでしょうか。外務省の見解では、有事関連法の成立、公布とジュネーブ条約の批准には密接な関係があると位置づけているわけですが、その中での地方公共団体の位置づけが前者と後者においては180度違っていないでしょうか。大きな矛盾を感じます。

 そこで質問ですが、市長は、国民保護法による組織づくりやその上での有事を想定した避難訓練など、どのように取り組もうと考えておられるのか、お聞かせください。

 そして、さきにも言いましたように、国民保護法で位置づけられた地方公共団体とジュネーブ条約で位置づけられた地方公共団体との違いについて、市長の意見をお聞かせください。

 さらに、昨年秋の市長選挙で市長が得た票数の約3分の1、平成15年度の市議会議員選挙での全員の獲得した票数の7分の1という2万票にも迫る署名の重みについてどうお考えかもお聞かせください。



【回答/総合企画局長】

 国民保護法は、万一我が国が武力攻撃などを受けた場合、国民の生命、身体、財産を保護し、国民生活や国民経済に及ぼす影響を最小限にとどめることを目的とした法律でございまして、昨年の6月に制定をされております。また、ジュネーブ条約の追加議定書につきましても、同時に承認をされております。

 お尋ねの国民保護法による組織づくりや避難訓練などについてでございますが、国民保護法により、地方公共団体は国民保護計画を定めなければならない、このようにされております。また、その際には、市長を長とする関係者から成る国民保護協議会に諮ることとなっております。今年の3月に示されました国の基本指針に基づき、現在、都道府県においてこの国民保護計画の策定が取り組まれております。平成18年度には、この都道府県の計画を受けまして、市町村が計画策定を行うこととなっております。したがいまして、現時点では、兵庫県は計画策定中でございまして、具体的な内容は示されておりませんので、本市の協議会の組織づくりや避難訓練などについて具体的な検討を行なう段階には至っておりません。

 2点目の地方公共団体の位置づけでございます。国民保護法での市の役割といたしましては、国や県の指示に基づく住民の避難や救援が中心でありました、地域の防衛に関してのものではございません。この法律では定めはないものの、武力攻撃などの対処は当然国において行われることになります。ジュネーブ条約第1追加議定書の無防備地域宣言は、この地域の防衛に責任を有する国において行うこととなっておりまして、いずれも我が国の防衛は国において行われることになり、矛盾はないと考えております。

 3点目の2万名に迫る署名についてでございます。本市は、昭和58年12月10日に、議会の賛同もいただき、兵庫県下でいち早く平和非核都市宣言を行い、平和の実現や非核三原則についての考え方を内外に明らかにし、さまざまな平和施策に取り組んできたところでございます。今回の条例制定の直接請求につきましては、6月2日に2万490名の署名が選挙管理委員会に提出され、審査を経まして1万8051名が有効署名と認定されていると伺っております。このように、国際平和を願う多くの市民の方々の熱意は真摯に受けとめねばならないと考えております。



【再質問】

 署名の重みは真摯に受け止める、しかし、国民保護計画については、市町村において来年度の策定ですから、今年度の県の計画を待ってから決めるということ、また質問が時期尚早というものでした。もう一つ、防衛は国の専管事項ということで、でも、無防備という防衛の一手段においては地方で判断できると思うのです。それと、もう1ヵ所、ジュネーブ条約第1追加議定書の無防備地域宣言はこの地域の防衛に責任を有する国において行うことになっておりという箇所、これ、かなり解釈が違います。いろいろあるんですけれどもね。これはまた委員会に譲ります。私も参加しますので。

 それでは真摯に受け止めていただいた署名のことですが、なぜこんなに多くの署名が集まったのかを考えます。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。日本国憲法前文の抜粋です。それと、日本国憲法9条ですね、国の交戦権はこれを一切認めない。この憲法の精神がしっかり守られていない、最近の日本は何か変だぞという気持ち、これが多くの人に広がっているからこそ多くの署名が集まったのだと思います。私も受任者として署名を集めてまいりましたが、人々の間に平和を望む声がかなり大きく、改めて驚かされました。この運動は自分でも思ってもいないような大きな広がりを見せました。特にお母さん方は、自分の子どもたちを絶対戦場に行かせたくないないという思いが強く、今の世相として抑止力としての憲法の拡大解釈に強い危機感を持っている人が多かったのです。でも、中には、自分の家に強盗が入ってきても何もしないのかとか、戦争になったら後ろを向いて逃げるのかとか言う人もいました。でも、それは違うのです。ここに流れている精神は、強盗が入るかもしれないから家にあらかじめピストルを保持するのではなくて、皆がピストルを持つのを止めて、ピストルはお巡りさん、国連だけが持ち、治安を維持するのです。戦争になったら逃げるのではなく、無防備は全世界から戦争をするための武器をなくすための、気が遠くなるほど長い道かもしれないけども、その道のりの第一歩なのです。抑止力、抑止力とか言い出したら行きつくところは際限なくなってしまいます。日本には世界に誇れる平和憲法があるのです。そして、「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないこと」という国家同士の戦争を禁じている国連憲章を保持する国連にももちろん加盟しているのです。さらに、広島、長崎においては、女性・子どもを含む非戦闘員の20万人以上の命が核爆弾によって一瞬のうちに失われ、現在に至っても被爆者手帳を持って原爆症と闘っている人が日本全国に27万人以上もいるのです。無防備都市宣言は、そんな唯一の被爆国であり、不戦の憲法を持つ日本だからこそできる平和への一歩だと思います。この直接請求のための署名活動は、京都や札幌など、どんどんと横に広がりをみせています。枚方市においては、再度署名を集めて直接請求を行うとまで言っています。そんな中で一地方都市の西宮市が一足早く無防備都市宣言をすることはものすごく意義のあることだと考えます。現在、いろんなところで憲法改正の声も聞かれるようになりましたが、市長におかれましては、この憲法改正問題と憲法の精神と無防備都市宣言の関係についてどのようにお考えか、見解をお聞かせください。



【回答/市長】

 憲法改正問題と無防備都市宣言についての再質問にお答えします。憲法の基本理念であります平和主義、そして国際協調主義の考え方につきましては、将来にわたって堅持すべきものと考えております。また、憲法問題、この問題につきましては、国民的な論議を充分に深めていくということが極めて重要なことであると考えております。

 次に無防備都市宣言についてでございますが、無防備都市条例制定の直接請求は、現在のところ市長として受理している段階ではございませんので、意見につきましては差し控えさせていただきたいと存じます。



【要望と質問】

 2003年3月20日、アメリカがイギリスと一緒にイラクを攻めました。これ、国連の安保理の承諾決議なしにせめていきました。8月1日に日本はすぐイラク特措法を公布して、その日のうちにすぐ施行するという、そういう形で自衛隊を派遣できるようにしました。人道的な派遣と言ってます。でも、丸腰で行っているわけじゃないんですよ。だんだんだんだん憲法解釈拡大してきて、おかしくなってきてるんです。そういうことに対して歯止めをかける運動だと思うんです。ある程度じわじわ行ってしまった、昔はPKOだけだった、それに対していろんなところに派遣するようになってします、そういうものに対する歯止めはかけようがないんですよ。ですから、こういう運動が起こってくるんです。今はまだちゃんと上程されていないから答弁できないとおっしゃったんですけども、最後に質問します。常任委員会にこれ付託されるわけですけども、市長はその総務常任委員会、審議に出てきていただけるんでしょうか、どうでしょうか。それだけ教えてください。



【回答/市長】

 委員会の出席につきましては、今後検討してまいります。



【要望】

 もう時間ないですけども、今、アメリカの軍事予算、2位から9位まで中国、ロシア、日本、イギリス、フランス、イタリア、サウジアラビア、ブラジル、その辺全部足してもアメリカの軍事予算の方が大きいんですよ。こういうアメリカ主導型の今の国際情勢、このまま日本、本当に追従していってどうするんや、アメリカは国連憲章ちゃんと守れよ、日本は9条をちゃんと守る国になろうよ、こういうことをやっぱりちゃんと考えていくべきだと思います。

http://hajime.org/sub8-3.htm

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E6%A0%B8%E5%B9%B3%E5%92%8C%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%AE%A3%E8%A8%80




「今こそ東アジアを不戦・平和地帯に」 西田勝


 年末、自民党が総選挙で勝利し、安倍政権が誕生して、にわかにきな臭くなってきた。憲法九条の見直しによる「国防軍」創設や集団自衛権の容認、防衛予算の増加や武器輸出三原則の「緩和」、さらには北朝鮮に対するより厳しい経済的制裁の開始など、そのタカ派的な主張や施策がマスメディアに溢れるようになっている。

 しかし、いったい、わが近隣地域のどこに、そんなことをしなくてはならないような危険が存在するというのだろうか。

 中国が脅威というが、たしかに中国はかつてベトナムやインドと戦火を交えたことがあるが、それは今や昔のことで、アメリカが万一、中国に侵攻するような事態が起これば、アメリカの軍事同盟国であり、沖縄をはじめ、多くの基地を置いている日本に対して攻撃を加えることがあるかもしれないが、中国にとって現在は、自国を富まし、高度の「諧和社会」に造り上げることが何より優先課題で、アメリカや日本と戦火を交えることなど、ほとんど考えられない。

 マスメディアは来る日も来る日も、中国の艦船がしきりに、いわゆる「尖閣諸島」に近づき、日本の「領海」や「領域」を犯し、明日にでも戦火が開かれるとばかりに、「中国の脅威」を煽っているが、これは日中間で「棚上げ」されてきた「尖閣諸島」の領有問題を、民主党政権が石原・元都知事の挑発に乗せられて、それらを改めて「日本の固有な領土」だと主張し、「国有化」したことに対して中国政府が反発、抗議行動を展開している以外ではない。

 2年ほど前、本欄(142号。「《尖閣諸島》はわが国「固有の領土」か」)にも書いたことだが、この世界には、「固有の領土」などというものは存在しない。狩猟社会には、「領土」はない。人類は農業社会に入って初めて「領土」なるものを経験するということは、少しでも歴史をひもとけば、すぐわかることだ。だから、日本政府が、「尖閣諸島」を、わが国固有の領土だ」と声明する度に、わたしは 日本政府の歴史への無知を恥ずかしく思うとともに、悲しくもなる。

もともと「尖閣諸島」は、日本の領土になるに前は、清国が自国のものと考えていた島々で、江戸時代に発行された日本の書物の中には、清国領とした地図が収められているものもある。それを、日本が日清戦争の最中、西欧列強が、あの大航海時代にアフリカや中南米やアジアで未開地域を、彼らの植民地にした手口に習って、「実効支配のない無主の地」であるとして、自分の領土としたものだ。したがって、中国にとっては当然、日本による釣魚諸島の領有は、屈辱的な案件となる。たしかに清国の領土を引き継いだ中華民国が、長い間、日本による同諸島への「実効支配」に対して抗議をしてこなかったのは落ち度だが、そうだからといって、日本政府が胸を張って、「わが国の領土」、ましてや「わが国固有の領土」といえるものではない。



  「尖閣諸島」は日中(台)共用の水域へ



 この地域は日中が隣り合わせている海域であり、そして遠い昔から大陸をはじめ琉球や台湾の漁民たちが漁を行ってきたところ。日中(台)共用の海域とするというのが、考えられる最良の解決策であり、そうなって行くに違いない。

現代の中国が、その政府の方針を虚心に読めば、日本だけではなく近隣諸国に求めているのは、共存・共栄であり、それはロシアとて同様だ。

中国が年々軍備を強化し、北朝鮮がミサイルや核兵器の技術の向上を止めないのは、公平に眺めれば、依然として東アジアにおいて「冷戦」が終焉していないからだろう。米日韓の軍事同盟と、その結果としての日本・韓国内の米軍基地や、それらを使用しての合同軍事演習の実施が、そうさせているわけだ。逆もまた真であるが、北朝鮮についていえば、同国の政府は、機会あるごとに、アメリカが同国への敵視政策を止め、休戦条約を恒久的な平和条約に変える意志があるなら、更なるミサイルや核実験を中止すると声明している。それなのに、どうしてアメリカは北朝鮮の要求に応えようとしないのだろうか。それよりも何よりもアメリカは、どうして日本や韓国での基地を閉鎖し、東アジアにおける「冷戦」を終わらせようとしないのか。

 東アジアの情勢を眺める時、現在、唯一戦争の可能性があるとすれば、アメリカが、北朝鮮からの挑発や攻撃を受けたとして、韓国軍とともに北朝鮮に侵攻する場合だが、これもほとんど不可能に近いといっていいだろう。自国も壊滅的な打撃を受けかねない選択に韓国がイエスというとは考えられないからだ。



  政治家よ動け



 とすれば、私たちにとっての選択肢は一つしかない。今こそ東アジアを不戦・平和地帯に変え、「冷戦」に終止符を打つことだ。それを可能にするのは、究極的には、東アジアの民衆の力、国境を超えた市民と自治体の連帯のうねり以外にはないだろう。そして、それによる果実は限りなく多い筈だ。関係諸国の膨大な軍事費がゼロになり、それが民生や福祉に投入されるだけではない。民族間の無意味な確執が消え、より活発で、限りなく自由な交流も始まるだろう。



*『非核ネットワーク通信』163号(2013年2月25日刊)

https://web.archive.org/web/20130718110406/http://homepage3.nifty.com/nishida-peace/




日本共産党の志位和夫委員長が、12日に開かれた全国革新懇の年次総会で行った記念講演を紹介します。






(写真)講演する志位和夫委員長=12日、東京都新宿区

 全国からお集まりの仲間のみなさん、こんにちは。

 今年は、日米安保条約発効60年の節目の年です。私たちの革新懇運動は、1980年の「社公合意」で、当時の社会党が、安保条約肯定・日本共産党排除の右転落をしたことを契機に、革新の大義にたつ政党・団体・個人の統一戦線運動として誕生しました。ですから、安保廃棄という課題は、革新懇運動にとって、文字通りの原点ともいうべき大問題だと思います。そこで今日は、「日米安保条約をなくしたらどういう展望が開かれるか」というテーマでお話をさせていただきたいと思います。

安保60年――「こんなアメリカいいなりの国でいいのか」の声が噴き出す

 まず強調したいのは、発効から60年を経て、この異常な対米従属の体制が、どの分野でも行き詰まりをいよいよ深刻なものとし、「こんなアメリカいいなりの国でいいのか」という声が、保守の人びとも含めて、広範な国民から噴き出しているということです。私は、そのことを四つほど話したいと思います。

沖縄米軍基地問題の矛盾は限界点を超えた

 一つは、沖縄米軍基地問題の矛盾が限界点を超えたということです。

 いま、日米両国政府は、沖縄県民の総意に逆らって、普天間基地の「辺野古移設」に固執しています。その一方で、普天間基地を改修し、垂直離着陸機オスプレイを配備するなど、固定化の動きも起こっています。「県内移設がいやなら固定化だ」という脅しであります。米軍基地と県民との矛盾はすでに限界点を超えました。

 そのもとで、沖縄県民のなかで、日米安保条約こそ沖縄の苦難の根源だという認識が広がっていることは重要だと思います。最近、琉球新報と毎日新聞が行った共同世論調査(5月5、6両日に実施)によりますと、「日米安保条約についてどう思うか」との問いにたいして、沖縄県民では、「維持すべきだ」と答えたのはわずか15・8%にとどまりました。「平和友好条約に改めるべきだ」が55・4%、「破棄すべきだ」が15・5%で、“軍事同盟をなくす”という立場が合計70・9%と圧倒的多数となりました。沖縄県民の怒りの矛先は、日米安保条約に向けられつつあるのです。



安保条約と日本国憲法が、いよいよ両立しえなくなった

 二つは、安保条約と日本国憲法がいよいよ両立しえなくなったということです。

 この間、日米軍事同盟の体制は、日米安保条約の枠組みさえ超えた、地球的規模の「日米同盟」への侵略的変質を強め、危険な事態が進展しています。

 5月1日の日米首脳会談でかわされた「日米共同声明」では、日米の「動的防衛協力」なるものを初めてうたいました。これは、米軍と自衛隊が、地球的規模で、海外に打って出て、共同の軍事行動を行うというものです。

 とりわけ、グアムとテニアンに、日米が共同使用する「訓練場」を建設し、共同訓練を行い、「多様な緊急事態に日米同盟が対応する能力をさらに高める」と「共同声明」で明記していることはきわめて重大であります。

 それは、「集団的自衛権」の行使にむけた重大な一歩を踏み出すものであり、日米安保条約は、憲法9条といよいよ両立しえなくなっています。21世紀の日本の羅針盤として、憲法9条を選ぶか、安保を選ぶかが、するどく問われているのであります。

日本の経済主権を根底から損なう危機に直面している

 三つ目は、日本の経済主権を根底から損なう危機に直面していることです。

 TPP(環太平洋連携協定)参加は、たんなる自由貿易協定ではありません。日本の主権を根底から損なう危険をもつものです。

 この間の「事前交渉」をつうじても、「関税ゼロ」にはコメを含めて例外がないことがすべての交渉国から念押しされました。「非関税障壁の撤廃」の名で、日本の経済と社会のあり方が、アメリカに都合のよいように「大改造」される危険が、食品安全、公共事業、保険、医療などで具体的に突きつけられています。しかも交渉内容を秘匿する合意をもつ秘密交渉であります。

 農協、医師会、建設業界など従来の保守の人びとを含む幅広い反対の共同が広がり、そのなかから、「日本は主権を失うかどうかの瀬戸際だ」、「こんなアメリカの横暴を許していいのか」という声が、広くわきおこっていることは重要であります。

国際政治における日本外交の地位が著しく低下し、存在感がなくなっている

 そして、四つ目は、国際政治における日本外交の地位が著しく低下し、存在感がなくなっているという問題です。

 私は、2010年にニューヨークの国連本部で行われたNPT(核不拡散条約)再検討会議に参加して、被爆国の政府にもかかわらず、日本政府の存在感がまったくないことに驚きました。「どこにいるのだかわからない」という声を、日本から参加された被爆者の方からも聞きました。日本政府は、核兵器禁止条約の国際交渉を求める国連決議に、16年連続で棄権という態度をとり、核兵器廃絶という国民的悲願に背を向け、まったく無力で情けない姿をさらけだしています。

 また、たとえば北朝鮮問題についても、「6カ国協議」に参加する他のすべての国が、北朝鮮との外交交渉のルートを持ち、それぞれの独自の外交戦略をもってのぞんでいるのに対して、日本だけは外交ルートも戦略もありません。

 世界でどんな大問題が起こっても、だれからも相談もされず、頼りにもされない。そういう国になってしまっている。この外交的無力は、外交面での対米従属を続けてきた結果にほかなりません。この現実にたいしても、多くの国民が、閉塞(へいそく)感を強めています。

国民世論の新しい変化――NHKの世論調査から

 興味深い世論調査を紹介したいと思います。「日米安保のいま」と題して発表された、NHKが2010年11月に行った世論調査です。

 その調査結果を見ますと、「日米安保は役立っているか」という問いに対しては、「役立っている」が31%、「どちらかといえば役立っている」が40%で、あわせると72%と多数になっています。

 ところが、「これからの安全保障体制」をどうするかという問いに対しては、「日米同盟を基軸に、日本の安全を守る」と答えたのはわずか19%です。それに対して、「アジアの多くの国々との関係を軸に、国際的な安全保障体制を築いていく」が55%、「いっさいの防衛力を持たないで、中立を保ち、外交によって安全を築いていく」が12%と、アジア諸国との外交によって安全保障をはかるべきだという立場が、合計で67%となっています。

 さらに、「中国の動きへの対応」をどうするかという問いに対しては、「アメリカの軍事的抑止力によって、対処していく」と答えたのはわずか12%です。それに対して、「アジアにおいて他の国々とともに、対処していく」が57%、「日中二国間の関係を深めることで、対処していく」が23%と、中国とも外交による対応で友好関係を築いていこうという立場が、合計で80%に達しています。

 他の党は、民主党も、自民党も、みんなの党も、「大阪維新の会」も、みんな当たり前のように、「日米同盟が基軸」、「軍事的抑止力が重要」と言います。しかし、国民世論は、なお多数が安保条約を肯定しつつも、単純な「日米同盟基軸」論、「軍事的抑止力」論を乗り越えつつあるのであります。

 これは、日本と東アジア諸国との人的交流、経済関係のめざましい発展を反映した、注目すべき変化だと思います。

日米安保条約の是非を根本から問う国民的議論をよびかける

 みなさん。直面する熱い問題で、一致点にもとづく共同をそれぞれ発展させながら、根源にある日米安保条約の是非を国民的に問うべき時期が来ているのではないでしょうか。

 私は、日米安保条約発効60年にあたって、「日米安保をこのまま続けていいのか」を問う国民的議論を起こすことを心からよびかけるものであります。

安保条約をなくしたらどういう展望が開けるか

 それでは、日米安保条約をなくしたらどういう展望が開かれるか。私は、少なくとも三つのことがいえると思います。

第一。米軍基地の重圧から日本国民が解放される

 第一に、米軍基地の重圧から日本国民が一挙に解放されるということです。

条約第10条の権利を行使し、通告で安保条約をなくす

 安保条約のもとでは、普天間基地一つを動かすにも日米合意が必要となります。しかし、安保条約をなくすのには、条約第10条の権利を行使して、一方が通告すれば可能となります。日本国民の意思がまとまり、通告の措置をとれば、1年後には安保条約は解消し、在日米軍もすべて撤退することになります。撤退の費用もアメリカにもってもらいます。

 絶え間ない事件・事故・犯罪を引き起こし、日米地位協定による治外法権的な特権をもち、かずかずの密約による“闇の特権”をもった、他に類のない米軍基地の異常な重圧から、日本国民が一挙に解放されることになります。

 私は、2009年に、沖縄県嘉手納町にうかがったさい、当時の宮城篤実町長から、こういう訴えを聞きました。「よく『普天間基地が世界一危険』といいますが、『嘉手納基地も世界一危険』なのです。日米安保条約の是非に関する新たな議論を国会のなかで巻き起こしてほしい」。こういう要請でありますが、私は、庁舎の横に広がる、4000メートル級滑走路を2本もつ、極東最大の空軍基地を見て、たしかにこの基地を動かそうと思ったら、日米安保をなくすのが早道ではないかということを、実感いたしました。

 それから、今年の5月3日の憲法記念日に行われた集会で、伊波洋一元宜野湾市長が、「日米安保を乗り越える時期に来ている」、「日米安保を見直すスタートの年にしよう」と訴えたことを、私は、たいへん印象深く聞きました。

 普天間基地、嘉手納基地という危険きわまりない米軍基地の重圧に苦しめられてきた自治体の首長をつとめてこられたお二人が、いまこそ安保の是非を考えなければいけないと提起していることは重いものがあると思います。

 すみやかな基地撤去を求めながら、日米安保をなくせばすべての基地をなくすことができるという展望を、大いに示していこうではありませんか。

アメリカの引き起こす戦争の根拠地から抜け出す

 日本から米軍基地をなくせば、日本は、アメリカの引き起こす戦争の根拠地から抜け出すことができます。

 在日米軍基地というのは、海兵隊と空母打撃群など、「日本防衛」とは無関係の、「殴り込み」部隊によって構成され、ベトナム戦争、アフガニスタン・イラク戦争など、つねに侵略と干渉の戦争の根拠地とされてきました。「日米同盟」の名で、憲法を踏み破り、米軍と自衛隊が海外で共同の軍事行動を行う動きも、エスカレートしてきました。

 在日米軍基地をなくすことは、それ自体が、世界とアジアの平和にとって巨大な前進となるということを、私は、強調したいと思います。

在日米軍のためにあてている血税と土地を、国民のために使う

 さらに、日本から米軍基地をなくせば、在日米軍のために充てていた血税と土地を、国民の暮らしのために使うことができます。

 在日米軍に対する駐留経費負担は、総額でいいますと、年間約7000億円に達しますが、その一切が不要になります。基地として使用されている総評価額14兆円ともいわれる土地のすべてが返還されます。

 新たな産業と雇用が生まれます。沖縄のすべての米軍基地が返還されれば、現時点の沖縄の経済力のもとでも、誘発される生産額は2・2倍、所得額は2・1倍、雇用者数は2・7倍となります(県議会事務局による)。

 みなさん。「基地のない沖縄」、「基地のない日本」を、安保条約をなくして実現しようではありませんか。

第二。アメリカの“戦争の根拠地”から、憲法9条を生かした“平和の発信地”に

 第二に、安保条約をなくせば、日本が、アメリカの“戦争の根拠地”から、憲法9条を生かした“平和の発信地″に大きく変わります。

軍縮への転換のイニシアチブを本格的に発揮する立場に立てる

 まず強調したいのは、安保条約をなくしてこそ、日本は、東アジア地域で、軍縮への転換のイニシアチブを本格的に発揮する立場に立つことができるということです。

 4万人から5万人の在日米軍が撤退することは、文字通りの「大軍縮」となります。自衛隊も、米軍を補完する部隊は不要となり、大幅軍縮が可能となります。

 いま進行している東アジア地域の緊張の根源は、米国が、イラク・アフガニスタン戦争の終結を見越して、「西太平洋及び東アジアからインド洋並びに南アジアまで広がる弧」に焦点をあて、「アジア太平洋地域に重点を移す」(米国防総省「世界における米国の指導性を維持‥ 21世紀の国防優先事項」・2012年1月5日)――覇権主義の戦略をすすめ、そのために米軍の再配置、軍事力の効率化、強化をはかっていることにあります。「米軍再編」の名で、在日米軍基地の強化、日米の軍事一体化、グアム、ハワイ、オーストラリアなどへの海兵隊の分散配置が計画されています。

 一方で、中国が、経済的に成長するもとで、軍事力を増大させ、2011年度の国防予算は円換算で7兆円をこえ(中国政府の発表による)、米国についで世界第2位となっているという問題があります。

 日米安保条約を解消し、この地域の軍事的緊張の最大の根源となっている在日米軍基地を撤去してこそ、日本は、中国や東アジアの国々にたいして、「ともに軍縮の道に転じよう」と、軍拡から軍縮への転換を提起する、憲法9条を生かした平和のイニシアチブを本格的に発揮する立場に立つことができます。

 それは、東アジア地域の平和と安定にとって、歴史的な転換点になりうるものだということを、私は確信をもって申し上げたいと思います。

日本と東アジアの安全保障――軍事に頼らない“平和的安全保障”を追求する

 それでは、安保条約を廃棄したあとの日本と東アジアの安全保障をどうするか。

 国民世論は、その方向を示しています。さきに紹介したNHK世論調査に示されたように、「アジアの多くの国々との関係を軸に、国際的な安全保障体制を築いていく」――この方向で知恵と力をつくすことが大切だと考えます。

 東アジア地域というのは、どういう地域でしょうか。社会体制を見ても、発達した資本主義国、発展途上国、社会主義をめざす探求を行っている国など、さまざまな国々が存在しています。文明という点から見ても、仏教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教など、異なる文明が存在しています。同時に、この地域は、全体として大きな経済的発展のなかにあり、経済的な交流と相互依存が、年を追うごとに緊密になりつつあります。それだけに、この地域での国と国との戦争は、もはやありえないし、また絶対に起こしてはならないということは、明らかだと思います。

 私は、この地域の安全保障で何よりも重要なことは、こうした現実に立って、“軍事依存の安全保障”から脱却し、異なる体制、発展段階、文明を、相互に尊重する対話と信頼醸成の努力をはかり、紛争の平和的解決に徹するなど、道理に立った外交で安全保障をはかる、“平和的安全保障”を追求することにあると考えるものです。

ASEANでつくられている重層的な平和と安全保障の仕組み

 これは理想論でしょうか。決してそうではありません。東南アジアに見習うべき先駆的実例があります。

 この地域には、かつて米国中心の軍事同盟――SEATO(東南アジア条約機構)がありました。東南アジアの一部の国は、アメリカの側に立ってベトナム侵略戦争に参戦しました。地域に深刻な分断が持ち込まれ、互いに傷つけあうことになりました。ベトナム戦争でのアメリカの敗北と撤退の後、軍事同盟によっては平和や安定は守れないとの反省から、SEATOは解消されました。

 軍事同盟が解消されるもとで、東南アジアの国々は、ASEAN(東南アジア諸国連合)を発展させることに力をそそぎました。私たちは、野党外交のなかで、その教訓をASEANの各国の政府から直接聞く機会がありましたが、いまASEANが平和と安全保障の枠組みとして重視しているものが四つあるとの説明でありました。

 第一は、TAC――東南アジア友好協力条約であります。1976年に締結されたTACは、武力行使の放棄と紛争の平和解決などを掲げ、まずASEAN域内の関係を律する行動規範となり、87年以降はこれを国際条約として域外に広げてきました。すでにTACは、ユーラシア大陸のほぼ全域とアメリカ大陸にまでおよぶ55カ国・地域に広がり、世界人口の7割が参加する巨大な流れに成長しています。

 第二は、東南アジア非核地帯条約であります。「核兵器のない世界」をつくるうえで、東南アジアが先駆的役割を発揮しようというものです。

 第三は、ARF――ASEAN地域フォーラムであります。27カ国が参加する機構に発展しているARFは、「対話と信頼醸成」のための機構と位置づけられ、「予防外交」「紛争の平和的解決」の機構に発展させるという展望をもって活動しています。注目すべきは、ARFには、韓国と北朝鮮の双方が加入しているということです。双方で紛争問題が起こったさいに、ARFは外交的解決に力を発揮してきました。

 第四は、「南シナ海行動宣言」です。ASEANと中国が締結しているもので、南シナ海の諸島の領有をめぐる紛争を、エスカレートさせず、平和的方法で解決をめざすものです。この「行動宣言」を、さらに、法的拘束力のある「行動規範」に発展させようと、交渉を続けているのが現状であります。

 これらの重層的な仕組みの全体をつらぬいている考え方は、軍事的手段・軍事的抑止力に依存した安全保障という考え方から脱却し、地域のすべての国を迎え入れ、対話と信頼醸成、紛争の平和的解決など、平和的なアプローチで安全保障を追求する――“平和的安全保障”という新しい考え方であります。

 最近、日本共産党の緒方靖夫副委員長(国際委員会責任者)が、ASEANの国の一つ、フィリピンを訪問し、政府・議会の要人と会談しました。フィリピンは、マルコス独裁政権を打倒した86年の「ピープル・パワー革命」の後の92年、アジアで最大級のスービック海軍基地とクラーク空軍基地という二つの米軍基地を閉鎖・返還させました。緒方さんが先方と話しますと、そのことによって「抑止力がなくなって心配」という声は一つもなかったとのことであります。政治的立場を問わず共通していたのは、「基地撤去で何も問題は起こらなかった」ということだったといいます。

 中国との関係も経済関係を強化し、領土をめぐる紛争問題をかかえていますが、紛争が起こっても拡大せずに、外交的に解決する関係をつくっています。

 米軍とフィリピン軍との共同訓練などが行われていますが、外国軍事基地の再設置は、「ピープル・パワー革命」以後に制定された憲法のもとでは、考えられないとのことでありました。

北東アジアに平和の地域共同体を広げる

 みなさん。こういう東南アジアで発展している平和の地域共同体を、北東アジアにも広げようというのが、私たちの提案であります。

 北東アジアに、平和の地域共同体を築く条件はあるでしょうか。

 この地域には、北朝鮮問題という難しい問題があります。北朝鮮の国際合意を無視した行動には、もとよりきびしい批判が必要です。同時に、「この地域で絶対に戦争をやってはならない」というのは、すべての国の共通の強い思いだと思います。それならば、平和的・外交的に解決することが最善かつ唯一の道ではないですか。困難はあっても、「6カ国協議」という枠組みを活用した外交的解決に力を傾注する必要があります。

 「6カ国協議」には、この地域に関連するすべての国々が参加しています。2005年9月の「共同声明」では、朝鮮半島の非核化とともに、この枠組みを北東アジアの平和と安定の枠組みに発展させていくという展望も明記されました。この「共同声明」に立ち返り、非核の朝鮮半島をつくり、核・拉致・ミサイル・過去の清算などの諸懸案の包括的解決をはかり、この枠組みを、北東アジアの平和の地域共同の枠組みに発展させる外交努力をつくすことこそ、何よりも大切ではないでしょうか。

 くわえて強調したいのは、「6カ国協議」に参加するすべての国が、TACとARFの参加国ともなっているということです。これらの機構を、北東アジアの平和と安定のためにも、積極的に活用していく外交努力も重要だと考えます。

 憲法9条を生かした平和外交、軍事に頼らない“平和的安全保障”という考え方にたって、日本と東アジアの安全保障をはかろうというのが、私たちの提案であります。

 憲法9条を生かした平和外交によって、世界平和に貢献する

  安保条約から抜け出した日本は、憲法9条を生かした平和外交の力によって、世界平和に貢献する新しい日本へと生まれ変わります。

 国連憲章に規定された平和の国際秩序をつくる、「核兵器のない世界」をつくる、異なる文明間の対話と共存の関係の確立をはかる――これらは世界の大多数の国々が追求している世界平和の大目標ですが、安保条約のもとでの日本は、米国の覇権主義の戦略に拘束され、それらの課題にまともに取り組むどころか、逆行する役割さえ果たしてきました。

 安保条約の廃棄は、この状況を一変させるでしょう。日本が、憲法9条を生かして世界平和に貢献する、すばらしい役割を発揮できるようになることは、間違いありません。

 核兵器廃絶の取り組みでも、安保条約をなくし、米国の「核の傘」から抜け出し、名実ともに「非核の日本」となってこそ、被爆国の政府にふさわしい、「核兵器のない世界」へのイニシアチブが発揮できることになるでしょう。ヒロシマ・ナガサキの惨禍を体験した日本が、そうしたイニシアチブを発揮すれば、この人類的課題の実現にむけて、どんなに大きな貢献となるかは、はかりしれません。

第三。日本の経済主権を確立するたしかな保障がつくられる

 第三の変化は、安保条約をなくせば、日本の経済主権を確立するたしかな保障がつくられるということです。

 経済の面でも、アメリカいいなりで、どれだけ日本経済がゆがめられてきたか。

 農業では、小麦から始まって、牛肉・オレンジ、そしてコメまでも輸入自由化の対象とされ、日本の食料自給率は約4割と、世界の主要国で他に類をみない異常な水準に落ち込んでいます。

 エネルギーでも、日本が「原発列島」にされた根源には、アメリカによる濃縮ウランと原子炉の押し付けがありました。

 金融自由化と超低金利政策の押し付けによって、日本国民から莫大(ばくだい)な富が吸い上げられてきました。

 労働でも、規制緩和の押し付けで派遣労働が自由化されるなど、「人間らしい労働」が破壊されています。

 「日米構造協議」、「年次改革要望書」など、経済的従属の異常な「制度化」も進みました。TPP参加は、これらの流れの総仕上げであり、日本の経済主権を根こそぎ奪うものにほかなりません。

 これらの根底には、日米安保条約第2条の「締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努める」という規定づけがあります。「くい違いを除け」と条文にうたわれている。このもとで、アメリカ型のルールの日本への押し付けが、横暴勝手に進められてきたのであります。

 安保条約をなくせば、日本経済をあらゆる面でゆがめ、国民を苦しめてきた経済の面での“アメリカいいなり”を根本から断ち切ることができます。日本経済は、従属の枷(かせ)から解放されて、自主的発展の道を進むことができるでしょう。

 そうしますと、たとえば地球環境の問題、投機マネーの規制の問題など、世界が直面する経済問題でも、日本が自主的イニシアチブを発揮し、民主的な国際経済秩序をつくるための貢献を果たすことができるようになると、私は考えるものであります。

日米友好条約の締結、非同盟諸国首脳会議への参加

 みなさん。日米安保条約をなくせば、これだけの素晴らしい展望が開けてきます。

 アメリカとの関係も、私たちが望むのは決して対立や敵対ではありません。日米安保条約に代えて日米友好条約を結ぶというのが、私たちの提案であります。支配・従属のもとでは真の友好は決してつくれない、対等・平等の関係になってこそ日米両国、両国民の真の友好を築くことができるというのが、私たちの確信であります。

 非同盟諸国首脳会議は、すでに138カ国、54億人が参加(オブザーバーを含む)し、非軍事同盟・中立、国連憲章にもとづく平和の国際秩序、核兵器の廃絶、公正で民主的な国際経済秩序をめざす巨大な潮流として発展しています。安保条約をなくした日本は、この世界史の本流と合流しようではないか、というのが私たちの提案です。それは、世界の進歩への巨大な貢献となることは疑いない、ここにこそ21世紀の日本が進むべき道はあると訴えたいのであります。

東アジアに平和的環境をつくる緊急の外交努力を

 最後にのべておきたいのは、日米安保条約の廃棄をめざす取り組みとともに、東アジアに平和的環境をつくる緊急の外交努力を、一貫して追求することが重要だということであります。4点ほどのべておきたいと思います。

軍事的対応の拡大と悪循環をきびしくしりぞける

 一つは、「軍事には軍事」という軍事的緊張の拡大と悪循環は、いかなる形であれきびしくしりぞけるということです。

 北朝鮮が、国際法や国際合意に違反する行動をとった場合に、日本の対応として、外交的解決の努力よりも軍事対応が突出する傾向が、しばしばみられますが、こうした態度はきびしく戒めることが必要であります。

 この問題は、今後も複雑な局面が予想されますが、どんな場合でも、国際社会が一致して、外交的解決に徹するという態度を堅持することが、北朝鮮に違法行為をやめさせ、国際社会の責任ある一員としていくうえで、何よりも重要であるということを、強調しておきたいと思います。

米中・日中関係――軍事力で対抗する思考から抜け出し、軍拡から軍縮に

 二つ目に、日中両国が「戦略的互恵関係」を確立し、米中両国も「戦略・経済対話」のしくみを制度化し、それぞれが経済関係、人的交流をいよいよ深化させるもとで、これらの国と国との戦争は決しておこしてはならないし、もはやおこせないことは誰の目にも明らかになっています。

 その現実に立って、双方が、軍事力で対抗するという思考から脱却し、軍拡から軍縮に転じることを、わが党は強く求めるものであります。

領土をめぐる紛争問題――歴史的事実と国際法にもとづく外交的解決に徹する

 三つ目に、この地域に存在する領土をめぐる紛争問題の解決にあたっては、歴史的事実と国際法にもとづく冷静な外交的解決に徹することが何よりも重要であります。

 日本政府にこの点での弱点があることが、紛争解決の障害となっていることを、私たちは率直に指摘し、道理に立った領土問題解決の提案を行ってきました。

 同時に、領土問題にかかわって、紛争当事国の一部から、一方的措置や武力行使容認論などが主張されていることは、相互不信を増幅するものとなっており、私は、是正する努力を求めたいと思います。

歴史問題の解決は、東アジアに平和的環境をつくる土台

 四つ目に、日本が過去に行った侵略戦争と植民地支配の反省は、東アジアに平和的環境をつくる土台になるということです。

 わが党は、「従軍慰安婦」問題など、未解決の問題をすみやかに解決するとともに、歴史を偽造する逆流の台頭を許さないことを、日本政府に強く求めます。

 過去を変えることはできませんが、過去を直視し、そこから反省と教訓を引き出し、未来に生かすことができます。そういう姿勢を貫いてこそ、日本は、東アジア諸国との本当の友情をつくることができるというのが、私たちの確信であります。

日米安保条約をなくす国民的多数派をつくろう

 みなさん。日米安保条約をなくすためには、それを求める国民的多数派をつくることが必要であります。そのためには平和を願う国民要求から出発して、日米軍事同盟の他に類のない異常を一つひとつただすたたかいを発展させるとともに、「安保をなくしたらどういう展望が開かれるか」を、広く国民のものにしていく取り組みが大切であります。

 沖縄をはじめとする米軍基地撤去、治外法権的な日米地位協定の改定、「米軍再編」の名での地球的規模での日米軍事共同をやめさせる、米軍への「思いやり予算」を廃止する、国民を欺く「核密約」など秘密取り決めを撤廃する、TPP参加を阻止するなど、国民の切実な要求にもとづくたたかいを、それぞれの一致点を大切にしながら、大きく発展させようではありませんか。

 そのなかで「安保をなくしたらどういう展望が開かれるか」を、広い国民のものにしていく努力を一貫して強めようではありませんか。

 日米安保条約廃棄を求める国民的多数派をつくることは、民主連合政府を樹立する大きな条件を開くことにもなります。

 みなさん。力をあわせて、本当の独立国といえる、平和・中立の新しい日本をつくりましょう。そのことを、最後に訴えて、私の話とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

https://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/05/post-453.html
全国革新懇総会 志位委員長の記念講演

2012年5月12日

https://www.jcp.or.jp/web_download/bira/2012/pdf_3/201205_shii_anpo.pdf







――コスタリカに学び、平和を手に入れるために、私たち市民はどのように行動すべきでしょうか?

マシュー 社会に不平等があると知ったら、まず、それを変えるように抵抗するべきでしょう。社会学者として、貧困、人種差別、格差問題などの社会的不平等こそが、平和を最も脅かす要因だと私は考えます。

 理想的なのは、指導者が市民を恐れるようになることです。市民の力を指導者に理解させ、市民を怒らせたらどうなるかを突きつける。そして、我々がどれだけ真剣に切実に平和を求めているかを訴え、市民の意見を尊重せねばと思わせることです。
アニメーション=『コスタリカの奇跡』より

 実は昨年、アメリカの平和活動家・ダニエル・エルスバーグが出版した本(※2)の中で、30年以上隠されてきた驚くべき事実が明らかになりました。それは1971年に当時のニクソン大統領が、ベトナム北部に核兵器を落とす計画を立てていたということです。

 でも、この計画は実行されなかった。というのも、ちょうどその週に国内で大規模な反戦デモが行われたからです。そのデモの規模と勢いを見て、ニクソン大統領は国内の反発を恐れ、計画を中止したのです。そのデモに参加した人たちは、世界の歴史に大きな影響力を及ぼしたことになりますよね。

マイケル 軍事主義というものは、人々に植え付けられる恐怖と人々の間の対立、そして秘密、この3つのもとに大きく育ちます。ベトナム戦争もイラク戦争も、もともと嘘や偽り、誤った情報から始まったものでした。

 現状が見えないと過去の記憶、戦争の痛手を忘れてしまいます。忘れてしまうとまた繰り返してしまう。だからこそ、我々には、自分たちが置かれている現状をしっかり見据える力が問われているのです。
―――日本でも、改憲への動きが目立つ今、国民一人一人が平和国家としてのあり方を考えるときが来ています。

マイケル この70年間、平和憲法を掲げる日本は、国際的な場所でも平和のリーダーとして率先して活動してきました。日本は憲法9条だけでなく、持続可能な社会環境モデル、先端技術などさまざまな面で世界から注目されています。

 この映画の原題『A BOLD PEACE(勇敢な平和)』にあるように、日本の人々が世界のリーダーとなって、勇敢に平和を求め続けることを期待します。

マシュー 日本のみなさんにぜひ伝えたいのは、憲法9条がどれほど世界的に注目されているか、称賛されているかということです。平和的な憲法を持つ日本こそが、コスタリカのような平和を求める国々と協力し合って国際的な平和システムを構築していくべきです。そうすれば私たちは、世界中にはびこる軍事産業の闇に立ち向かうことができるはずです。

マイケル ぜひ、これから、“日本の奇跡”を作っていきましょう。

※2:『The Doomsday Machine: Confessions of a Nuclear War Planner(「最終兵器:核戦争立案者の告白」)』(ダニエル・エルスバーグ著、未邦訳)
https://youtu.be/pnxGYapjZME

https://kokocara.pal-system.co.jp/2018/06/04/country-without-army-costa-rica/
「兵士よりも多くの教師を」 軍隊を持たないコスタリカは、なぜ「地球幸福度」ランキング1位なのか?
2018年06月04日 環境と平和






5月29日  ▼軍隊をなくした国~憲法9条と不思議の国コスタリカ~/早乙女勝元(作家)▼今回、水先案内人・早乙女勝元さんが紹介したのは、世界が注目する貴重な自然の宝庫、中米コスタリカ共和国。この国は、1949年の憲法により軍隊を廃止し、積極的な非装永世中立宣言を掲げた。クーデターや戦争の絶えない中南米でも稀な民主主義国家であり、日本と同じく平和憲法を持つ。
この講座では、日本の憲法9条の平和主義とコスタリカの徹底した非武装永世中立との比較をしながら、コスタリカの平和憲法について説明していただいた。



「世界に戦力不保持を憲法に明文化した国が2つありますが、さて、それはどことどこの国でしょうか?1つは日本。そしてもう1つは中米の国コスタリカです。コスタリカでは憲法により軍隊がありません。『兵士の数ほど教員を増やせ!』をスローガンにして、教育や福祉に力を注いでいます。社会的弱者、女性や子供に対する人権意識が非常に高く、絶対平和を子供達に送り届けるという教育のシステムで50余年が経ちました。コスタリカの元大統領アリアス・サンチェスに会って取材をしたとき、彼は『軍隊のない国でも「普通の国」としてやっていける。それを、21世紀に伝えていきたい。』と語っていました。
一方、日本では、新ガイドライン法の制定などにより、現実の動きが憲法9条から大きく離れていきつつあります。世界に誇るべき、なし崩し的に改定されようとしているのです。今の状況に憤りを感じ、この流れを止めていくのは、未来を担う若者の使命です。私達は沈黙してはいけません。沈黙は容認であり、共犯です。」
現在、早乙女さん企画の、コスタリカを舞台としたドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』が、今秋完成を目指して製作中だ。(相馬陶子)



朴保ライブ「Rowing a boat together」~朴保の魂~



「Rowing a boat together」と題して行われた朴保バンドのライブ。韓国民謡にレゲエ、ロック、ソウルをミックスさせた朴保バンドの歌には、 「Monju」「傷痍軍人の歌」などのタイトルが示す通り、社会への怒り、叫びが込められている。彼らのメッセージに酔いしれた夜――。→詳細はこちら



語り継ぐ東京大空襲~私は当時12才だった~/早乙女勝元(作家)▼戦争と平和について、数多くの著作をお持ちの早乙女勝元さんの最後の講座。3回目にあたる今回は「語り継ぐ東京大空襲」と題してその時、東京で何があったのか、当時12歳だった早乙女さんに映像を交えて話していただいた。早乙女さんは現在東京大空襲を伝える記念館建設にも取り組んでいる。



「今なぜ過去を振り返るのか。戦争を知らない世代が7割を超えた今、平和は空気のようにあって、当たり前のものになっています。しかし空気はなくなってからでは遅い。きな臭いにおいがすると思ったら声をあげなくてはいけません。歴史を知ることは現在を知ることであり、それは未来を知ることです。今こそ過去の事実をしっかり確認して自分の進む道を見つめるべきなのです。1945年3月10日、0時8分、東京は300機以上のB29による爆撃を受けました。北風の強い夜、木と土と紙でできた当時の家々はあっという間に炎に包まれ、たった2時間半の空襲で10万人に上る人々が亡くなりました。現代の戦争においては、女性や子供、非戦闘員も攻撃を受けるのです。その悲劇を繰り返してはいけない。冷戦後、世界の軍事費は3割削減されましたが、日本では逆に25%増えています。私たちは戦争の放棄をうたった初心に戻り、学び、考えて批判精神を持っていかなくてはいけません。」(北村美希子)

https://peaceboat.org/oldsite/cruise/report/33rd/may/0529/index.shtml
5月29日  ▼軍隊をなくした国~憲法9条と不思議の国コスタリカ~

/早乙女勝元(作家)






コスタリカ憲法12条(1949年)では、例外的に自国防衛のため再軍備が可能になっていますが、常備軍を保有しないことが原則であり、現実的にも戦車・戦闘機・軍艦といった通常の軍事力は保有していません。軍隊に代替するものとしては、哨戒艇、監視航空機、小火器類を保有する国境警備隊や航空監視員等の警察力が配置されています。非武装憲法制定の背景には、内戦や軍によるクーデタの防止、ミリタリズムによらない民主政治の実現、軍事費を経済発展や福祉に使用すること等が動機にありました。コスタリカの国家も多くの国民も、軍隊をもたないことが最大の防衛力と考えているようです。

非武装国の対外的安全保障としては、米州機構や米州相互援助条約に加盟していますが、軍事的協力は行わないことが了解されています。また、憲法では集団的自衛権は否定されていませんが、特に1983年の非武装永世中立宣言以降は、事実上集団的自衛権行使はできないことになっています。それは、コスタリカ政府がイラク戦争支持を表明したことに対し市民が起こした訴訟の最高裁憲法法廷(2004年)が下した違憲判決において、非武装永世中立や平和的生存権保障が、憲法的価値としての平和の理念になっていることが指摘されていることにも現れています。

上記の永世中立宣言は、当時の隣国ニカラグア内戦のコスタリカ領土への波及等を念頭に、軍事力によらない侵略への対処政策として出されたものですが、それにとどまらず、「積極的中立政策」による国際貢献も方針としています。コスタリカは米州人権裁判所や国連平和大学の所在地となっていますが、それは国際的な紛争を仲介や交渉を通じて非軍事的に、平和的に解決しようという精神に基づくものです。このような精神は、非武装永世中立に従った平和外交を推進して中米和平に貢献し、1987年にノーベル平和賞を受賞したアリアス大統領の行動に生かされています。

なお、コスタリカの非武装平和憲法とその経験は世界的にも注目されていますが、パナマはそれをモデルとして1994年にコスタリカと類似の憲法を制定しています。(澤野義一)



参考文献

竹村卓『非武装平和憲法と国際政治―コスタリカの場合』(三省堂、2001年)

澤野義一『永世中立と非武装平和憲法』(大阪経済法科大学出版部、2002年)

澤野義一『平和憲法と永世中立』(法律文化社、2012年)

https://www.psaj.org/100points84/

100の論点:84. 軍事力に依存しない安全保障の例として、コスタリカの経験について教えてください。



“Tsunami” 英語辞書にあるし、独語辞書にも男性名詞として載っている。この日本語が短期間に、世界中で知られるようになった。12月26日のスマトラ沖大地震で、タイの海岸でビデオ撮影していた男性のドイツ語の声の入った映像が、夕方のニュースで流れた。海の向こうから巨大な波が押し寄せてくる。男性は「あれは何だ」と叫ぶ。そして漁船が波に飲み込まれていく画面のところで、「ツーナミだ」の声。「後ろへ逃げろ、走れ!」と叫びながら画面は大きくブレる。海岸で家族を撮影していた映像が、一転して大惨事の記録となったわけである。迫真の映像に思わず息を呑んだ。
   タイはドイツ人(特に中年男性にとって!)が好む観光地の一つである。



ドイツの週刊誌『シュピーゲル』1月3日号の表紙は「死の波」のタイトルで、リゾート地を襲う津波の写真を大きく載せている。表紙が綴じ込みになっていて、そこを開けると椅子の写真が目に入ってくる。日光浴好きなドイツ人読者には、この椅子が日常をあらわし、巨大波との対比で恐怖感は増幅する。同誌はドイツ人観光客の犠牲者が特に多かったタオラック(タイ南部の新興リゾート地)を今回の大災害地域のなかで「〔ドイツ〕連邦共和国のグランド・ゼロ(「9.11」のニューヨーク・世界貿易センタービル跡)のようなもの」と特徴づけている(Der Spiegel vom 3.1.05)。
   一体どれだけの人が犠牲になったのか。正確な数字は未だ不明である。



津波翌日の新聞各紙一面トップは見事に分かれた。『東京新聞』の「5600超死亡」が最小で、『毎日新聞』の「8700人以上死亡」が最大だ。そのいずれも4桁で、実際の犠牲者はその2桁も上の数字に達していたのだ。どれだけの被害だったのかがわかるまで、しばらく時間がかかった。「9.11」の世界貿易センター崩落の時は、当初、日本の夕刊紙などに「一万人死亡」の大見出しを踊ったが、犠牲者数は不断の下方修正を受けて、最終的には2749人になった(2004年9月11日現在)。しかし、今回の津波災害者は、時間の経過とともに増えつづけ、15万人とも16万人とも言われている。
   被害の規模と内容、その影響の深さは、時間とともに明らかになってきた。日本のメディアからだけでは、当初、どれだけの惨状なのかがいま一つ見えてこなかった。遺体の写真や映像を抑制していることもある。例えば、一人のインド人女性が号泣するロイター配信の写真(『朝日新聞』12月29日付夕刊一面トップ)はいま一つインパクトを欠いたが、『シュピーゲル』誌の同じ写真を見て納得した。家族の遺体を探す人々の困難は、腐乱と死後硬直が進む遺体のダンボール詰め写真(同誌)を見れば明らかだろう
   この大災害をどう見るか。旧東独市民フォーラムの流れをくむ左派系週刊紙Freitag (金曜日)の論説「一つの世界、一つの自然」は、今回の「ツナミ災害」を「ヒロシマ」(原爆)と比較しながら、第二の自然たる人間の文化の災害との関係で論ずる。ドイツ人旅行者が大量に死んだことから、ドイツの外務大臣が「国民的大災害」と呼んだことも批判的に紹介しつつ、『シュピーゲル』誌がタイのリゾート地を「グランド・ゼロ」にあてこすったことを問題にしている(Freitag vom 07.01.05)。ドイツ人の最終的犠牲者数は3200人を超える可能性もある。ドイツ市民の62%が災害支援の寄附を行ったという(ARD委託世論調査, FR vom 8.1.05)。その一方で、被災地域への旅行者に対する批判的眼差しもある。帝国市民の貧しい国への旅行という批判から、ドイツ人観光客のある部分(中年男性のかなりの部分)のよろしくない目的(日本でいう「キーセン観光」)への批判までさまざまである。そうした論点をめぐって新聞紙上で意見の対立も見られた(die taz vom 3.1[D. Bartz]; 8.1[T. Stadler])。大津波災害を契機に、東南アジアへのツーリズムを批判的に検証するなど、当該地域でヨーロッパの旅行客が多数犠牲になったことの意味や背景を考える動きもある。さらに、多額の災害資金援助を行う場合でも、当該地域の政府が紛争地域を抱えている点に着目する必要がある。インドネシアのアチェ州、タイ南部、タミール人地域、カシミールなど、当該政府に対して援助を行った場合、そうした地域の復興支援に使われず、軍備強化にまわされるおそれはないかという危惧も出ている。災害復興における不平等の問題もある。「人道的帝国主義」(D. Johnson) という指摘も出ている(die taz vom 7.1.05)。もっとも、いまは被災者の救援が先決だと思うので、欧米メディアには興味深い論点や指摘があるが、ここでは以上の紹介にとどめておく。

  さて、大津波から2週間が過ぎた。国際社会の支援も本格化している。ただ、大災害のどさくさにまぎれて、さまざまな意図や不純な動機も交錯している。まず、災害発生当初のブッシュ政権の動きは、明らかに「9.11」以降の単独行動主義と「有志連合」型を狙ったものだった。ブッシュ大統領は、12月29日の段階で、国連中心の支援態勢ではなく、米国を軸として、日本、オーストラリアなど数か国による支援の「コア(中核)グループ」結成を提唱した。だが、1月6日にジャカルタで開かれた緊急首脳会議(26カ国+国際機関が参加)で、災害支援の国際的な調整の軸は国連事務総長特別代表が行うとの合意に達した。「コアグループ」は自然消滅した。この動きは、被災者に対して緊急に、あまねく援助の手を差し伸べるという観点からではなく、明らかに「筋のいい国」とそうでない国との区別や、その地域の経済・資源権益をにらんだ「不純な動機」が見え隠れする。だが、被害があまりに広範かつ大規模であったということもあって、米国はこの「有志連合」型に固執しなかった。さすがの日本政府も、今回は、米国の動きを積極的に推進する側には立たずに、国連とアジア諸国との協調を重視した。英国も今回は、「コア」に入らずに、欧州連合(EU)諸国と足並みを揃えた。「これだけの大災害の支援活動を調整できるのは国連しかない」という批判はヨーロッパに強かったという(『朝日新聞』1月6日夕刊)。ブッシュの思惑は、わずか一週間で頓挫した。

   どさくさまぎれのもう一つの動きは、自衛隊の海外出動の既成事実作りである。昨年12月の防衛計画大綱で海外任務の「本務化」の方向が打ち出されたとはいえ、最終的な法的整備はまだである。しかし、自衛隊の出動はきわめて早いテンポで進んだ。国際緊急援助隊法に基づく派遣だが、なぜ自衛隊の大部隊を派遣するのか。現地で最も求められている支援の中身の検証よりも、「まず自衛隊を派遣する」ことが先行した。
   当初は国際緊急援助隊の医療チームや救助チームの活動が注目されたが、いかんせん規模が小さい。それぞれの活動は貴重であり、現地でも評価されているが、政府がそうした緊急援助隊派遣に本腰を入れるよりも、自衛隊の大部隊を「目立つ」形で出すことに重点を置きはじめた。その動きを見ていると、まさに3自衛隊の統合運用の演練そのものである。この間、法律改正などで統合幕僚会議の強化が進んでいることもあり、1月6日の段階で統幕の幹部9人がタイとインドネシアに派遣された。タイのウタパオに現地連絡本部が立ち上がる。3自衛隊の統合運用と活動調整を統幕が現地本部で行うのは初めてのことである。この現地調整本部の活動は、国際緊急援助隊法に基づく派遣とせず、当面、「海外出張」扱いで行うという(『朝日新聞』1月7日付)。こうして、自衛隊派遣が、日本の災害支援の目玉になってしまったかのようである。
   一体、軍隊が災害派遣に本当に役立つのか、軍隊に現地の「ニーズ」に応じた活動ができるのかについての十分な検証も議論もないままに、「大津波災害の支援活動に反対する人はいない」(政府関係者,『朝日』1月8日)という理由で既成事実が積み重ねられていく。C-130Hや補給艦がいけば、それなりの輸送ができることは確かである。だが、平和憲法に基づく国際協力のあり方とは異なるという原則的批判だけでなく、費用対効果の観点からしても、自衛隊の大部隊の派遣が適切な方策なのかについては、NGOなどからも批判的意見は出てこよう。13年前にカンボジアに陸自の施設科部隊を出すのにあれだけの議論をしたことからすれば、隔世の感がある。戦後60年の今年、アジア・太平洋戦争に対する厳しい眼差しが存在するアジア地域で、自衛隊の統合運用の実績を積む絶好の機会として、この大災害は利用されたわけである。今回の被災地域は、ブッシュ政権が「先制攻撃戦略」に基づき、「不安定な弧」として重視する地域と重なる。そこで3自衛隊の統合運用を経験することは、仮に災害救援という名目と内容で行われたとしても、米軍とともにこの地域における軍事活動を展開する足掛かりとなることは明らかだろう。

  こうした方向ではなく、真に憲法の平和主義と国際協調主義の双方に適合的な国際協力の形がある。それが、NGOなどの活動を軸としつつ、国と自治体の活動が密接に連携をとる方向である。かつて海上保安庁レスキューの山口美嗣氏(第三管区海上保安本部特殊救難隊基地長)は、「〔救助の仕事の〕理想は各専門家がチームとして活躍する『サンダーバード』。飲むといつもその話」と述べたことがある(『週刊ポスト』1992年5月22日号。私が13年前に「サンダーバード」構想を打ち出したのも、こうした日本国内にある既存の能力を規模・内容ともに発展・充実させて、非軍事の「国際救助隊」を創設する方向こそ、日本国憲法に基づく真の国際協力であることを明確にしようとした
   その萌芽は、一般にはあまり知られていないが、1985年の南米コロンビア噴火災害をきっかけに、東京消防庁と政令指定都市のレスキュー隊を中心に組織された「国際消防救助隊」(IRT-JF)である。日本語愛称は「愛ある手」。そのマークは「サンダーバード」のそれに酷似している。これが組織された当時の自治大臣は、弱冠44歳の小沢一郎氏。当時彼は、IRT-JFの活動を「画期的かつ意義深い」と述べていた(「小沢一郎氏に聞く」『近代消防』1986年3月号)。IRT-JFは、国際緊急援助隊法成立により、国際救急医療チームとの連携をとりつつ、地道な活動を蓄積してきた(自治省消防庁救急救助課「国際消防救助隊について」『近代消防』1992年1月号、山越芳男『国際化と消防』〔全国加除法令出版、1988年〕。国際緊急援助隊医療チームについては、「出動!国際緊急援助隊」『ノーサイド』1993年11月号)。例えば、1991年のバングラデシュのサイクロン災害の際には、38名の隊員と2機の消防ヘリ(ドーファン2型)が派遣された。クーデタの頻発で迷彩色の軍用ヘリになれっこになったバングラデシュの民衆に、医療物資を運ぶ「真っ赤なヘリコプター」は大歓迎されたという。今回も大阪市消防局などのドーファン2が被災地に派遣された。この救助ヘリは軍用ヘリとは異なり、人の命を救うという観点から作られている。同じヘリでも作られた目的と運用思想の違いに注目すべきだろう。
   阪神淡路大震災を契機に、全国の消防レスキューなどを統合運用する「緊急消防援助隊」などの形で発展している。この点は、来週の「直言」で紹介する。国家中心の「国際貢献」ではなく、市民や自治体レヴェルでの国際協力の多彩で多様な形態が創造的に追求されていく必要があるとき、IRT-JFの活動は貴重な一歩といえよう。
   なお、13年前に前掲拙著を執筆した時、消防関係の方から激励の手紙を頂戴した。その方は、消防レスキューの予算や人員、輸送(飛行機)等の面で多くの困難を抱えていることを語り、政府の消極的な姿勢に怒っていた。自治大臣(当時)就任の3年後に自民党幹事長となった小沢氏は、湾岸危機の時、自衛隊による「国際貢献」を声高に唱え、IRT-JFの活動を意識的に黙殺した。「国際貢献は、『自己完結的能力』をもつ自衛隊しかない」という方向に世論を誘導するために。そして、1992年のPKO協力法と同時に成立した国際緊急援助隊法の改正法によって、海外での災害等の援助活動にも、自衛隊が乗り込んできたわけである。
   新潟県中越大震災でも、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の活動が注目された。拙著『武力なき平和』でも、この組織の活動を紹介し、これを発展・充実させて本格的な「国際救助隊」の形にすべきことを提言してきた。自衛隊を災害活動に転用するのではなく、この国のレスキュー、救急救命チーム、医療支援チームなどを軸にした、常設の「国際救助隊」を本気で設立するならば、平和憲法をもつ日本の国際協力の「目玉」となりうるだろう。
   次回は、阪神淡路大震災との関係で、ちょうど10年前に書いた災害救助組織論を転載することにする。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2005/0110.html
大津波災害支援になぜ自衛隊なのか  2005年1月10日



さて、3月20日はイラク戦争の開戦10周年だった。この戦争はもう忘れられてしまったのだろうか。イラクに派兵した英国やオランダでは独立調査委員会がつくられ、派兵の是非をめぐる検証作業が行われている。日本では、政府は何も語らず、国会でも目立った動きはなかった。そうしたなか、元内閣官房副長官補・柳澤協二氏の誠実な自己検証が光る。同氏著『検証・官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と自省』〔岩波書店、2013年〕)はいろいろな意味で興味深い。柳澤氏は、「大量破壊兵器の脅威から世界を救う道筋は戦争だけではないし、まして日米安保条約上の義務にない場所に自衛隊を派遣してアメリカを助けることでもない。その単純な事実が忘れられたとき、安全保障の手段であるべき同盟は、それ自体が目的に転化する」と指摘する。米国に「見捨てられる」ことを恐れ、イラクに強引に自衛隊を派遣した小泉政権。日米安保体制の維持が目的と化し、「米国を怒らせない」ことが安全保障利益となっている。この歪んだ思考は基地問題をはじめすべてに貫かれている。



 この写真は、『隊員必携』〔第3版〕(陸上幕僚監部)である。イラクに派遣された自衛隊員が全員携行したもので、中部方面隊のある隊員がイラクから持ちかえったものである。用済みの場合はすぐに焼却のところ、なぜか私の手元にある。肉筆の書き込みがリアルだ。このマニュアルには、駐屯地のサマーワの防備態勢が詳細に書かれてある。「復興支援群」は各方面隊2回ずつ、計10次隊まで送ったが、その活動はいたって地味で、もっぱらサマーワの宿営地で、自らを衛(まも)る隊に徹していた。

 10次隊まで「戦場」にいって、誰一人として死ななかった。サマーワに迫撃砲弾などが何度か着弾したが、なぜか人のいない場所ばかりに着弾した。最近、その謎が解けた。

 朝日新聞特派員がサマーワで、自衛隊駐留時のサドル師派の支部長を務めた人物にインタビューした(『朝日新聞』2013年3月17日付国際面)。見出しは「自衛隊を攻めない、内部で合意」。サマーワの自衛隊宿営地には13回の砲撃があり、反米強硬派のサドル師派がやったという見方もあったが、この元支部長は「〔自衛隊の〕駐留には反対していたが、武装部門による攻撃はしないことを当時、内部で合意していた」と特派員に語っている。

 サドル師派は「自衛隊は占領軍ではないように装っているが、米軍主導の多国籍軍に(組織上)加わっており、占領軍であることは明白」として、駐留に抵抗する立場をとった。武装闘争を主張する幹部もいたが「州での〔自衛隊の〕活動は我々に敵対的ではない」「(かつて米国と戦争した)日本とは共有すべきものがある」とする意見が大勢を占め、デモで反対はするが、武力攻撃はしないことで合意したという。この元支部長は「武装部門が組織的に攻撃していれば、自衛隊員に死者が出ていただろう」と語った。

 やはりそうだったのか。自衛隊は、組織、編成、装備、運用思想、訓練、精神教育に至るまで、実質的に軍隊といえ、「普通の軍隊」ではない。自衛隊を憲法上正当化するギリギリの線は、「自衛のための必要最小限度の実力」という1954年の政府解釈である。海外における武力行使は許されない。イラク特措法にも、武力の行使を禁止する条文が置かれていた。イラクでの活動も「復興支援」活動という中途半端なものになった。その奇妙な動き方と歴史的な経緯、そして日本が戦後、一度も海外で武力行使を行ってこなかったという事実(私は「憲法9条の貯金」という)が絡み合って、イラクの武装勢力が「日本兵を撃つ」ことへの心理的ハードルを高める結果になったのではないか。

 2012年4月の自民党憲法改正草案は、その9条で「国防軍」を設置し、軍刑法や軍事秘密保護法、軍法会議(国防軍審判所)まで明記した。もし、国防軍として海外派兵されることになれば、武装勢力は確実に国防軍兵士を狙ってくるだろう。その戦死者が羽田空港に日の丸を巻かれて帰ってくる…。そのようなことを許してはならない。

 改憲草案をいじって、国防軍だなどと言っている政治家たちに戦争体験者は一人もいない。戦争体験世代がますます少なくなっている(最近、俳優の三國連太郎さんが亡くなった)。今週の金曜(6月14日)、岩波書店から、拙著『戦争とたたかう―憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(岩波現代文庫)が出版される。私が33歳の時、当時の中曽根康弘首相の「戦後政治の総決算」路線への危機感を抱きながら、全力を傾注して書き上げた日本評論社の本が絶版となり、「戦後レジームからの転換」を叫ぶ安倍政権の時期に、リニュアルされて岩波現代文庫で若い読者も得ることができることに感謝しつつ、久田氏が命がけで主張した軍隊の本質と「平和的生活権」(後に平和的生存権)の意味について、多くの人に知ってほしいと願う。とりわけ、「国防軍」について饒舌に語る「戦争を知らない子どもたち」の安倍首相や橋下大阪市長、若い政治家たちに是非読んでもらいたいと思う。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2013/0610.html
イラクで死者ゼロの理由――国防軍でなかったからこそ(1)   


 



4月27日東京で、軍隊を持たない平和憲法の国コスタリカを紹介するドキュメンタリー映画『コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方』の上映会と監督来日公演シンポジウムが開かれました。その報告と感想をスタッフから。



 平和憲法と言えば日本の専売特許と思われがちだが、とんでもない。軍隊を持たないことを憲法に定め、それを70年守り続けている国がある。中米のコスタリカだ。人口およそ480万人、面積は九州と四国を合わせたほどの小国だが、この国の非武装は本物だ。国内の治安を守る警察官や国境警備隊はいるが、規模は数千人ほど、武器らしい武器は持たずほぼ丸腰といっていい。戦争放棄をうたいながら自衛隊という巨大な軍事力を持つ日本とは大違いだ。

 コスタリカが軍隊を放棄したのは、1948年の内戦で多くの人命が失われたことがきっかけだった。終結後に誕生したホセ・フィゲーレス・フェレール率いる新政府は「もう戦争はこりごりだ、そもそも軍隊があるから戦争が始まる、武器を捨てよう、軍隊はいらない」と、常備軍の解体を宣言したのである。子どもにも分かるシンプルな発想ではある。

 軍隊を放棄した小国はその後どうなったか。外国に侵略されて滅びた? それともやむなく再軍備した? 否。軍事予算をゼロにしたことで教育、医療の無料化を実現、さらには中南米の平和構築に貢献するなど、「地球幸福度指数」2016(環境持続可能性や人々の幸福度、健康を計る指標)のナンバーワンに輝く平和、福祉、環境先進国になったのである。

 そんな夢のような話があるのと、半信半疑で見たのがドキュメンタリー映画『コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方』である。映画は軍隊廃止の歴史的経緯、軍事費を福祉や教育に当てたことで、どのような社会が実現したか、冷戦時代の危機をどう乗り越えたか、軍事力に頼らない安全保障とはなど、積極的平和国家の作り方を、歴代の国の指導者、学者、ジャーナリスト、そして市民へのインタビューを通して描いている。

 この映画を作ったのは、環境運動や国際人権活動などに携わってきたアメリカ人社会学者マシュー・エディーさんとマイケル・ドレリングさん。ふたりが映画制作を思い立ったのは、イラン・イラク戦争を機にますます軍事大国化し、それに比例するように教育、医療格差が広がる母国への懸念からだった。力に依らない国家安全モデルはないだろうか。その答えを、アメリカとは正反対の道を進むコスタリカに求めたのである。「平和憲法を変えようという動きのある日本にとってもヒントがあるはず。ぜひこの映画を見てもらいたい」と両監督。

 映画は、軍事費をゼロにすると、人々の暮らしはどうなるのか、どんな社会が実現するのかをリアルに描いている。コスタリカは48年軍隊を解体したとき、「兵士の数だけ教師を」のスローガンのもと、当時の予算の3分の1を教育費に当てた。さらに憲法にはGDPの8%を教育費に使うと明記されている。コスタリカの学校では対話を重視する教育が行われ、憲法、平和、人権などについて、活発な論議が交わされる。その結果、憲法は自分たちのためにあるという共通認識が社会全体に浸透している。教育の機会均等、水準の向上により、さまざまな格差が縮小し、多様性を尊重する共生社会が生まれる。競争するよりみんなで助け合った方が暮らしやすい、幸せだということを、コスタリカの人々は身をもって実感しているのだ。

 映画に描かれるコスタリカの歴史は、「他の国が攻めてきたときにどうするの」という素朴な疑問にも答えてくれる。米ソの冷戦時代、中南米ではあちこちで内戦が起こり、そこにアメリカが介入しと混乱の極みにあった。コスタリカの平和主義も危機に直面した。そこで当時の大統領オスカル・アリアス・サンチェスがとったのは、平和憲法を自国だけでなく世界に輸出することだった。まずは自国の永世非武装積極的中立を宣言、そして国際社会、国際世論に訴えかけて、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの内戦を対話によって終わらせる道を開いた。その功績が評価され、アリアスは1987年ノーベル平和賞を受賞している。

 コスタリカが軍に変わる安全保障の拠り所としているのは、国際司法裁判所や国連などの国際機関、そして地域の集団安全保障体制である。ちなみにコスタリカは、南北アメリカ諸国が参加する集団安全保障体制である「米州相互援助条約」(通称リオ条約)に加盟、非軍事的協力を約束している。記憶に新しいところでは、昨年7月に調印された核兵器禁止条約。これは20年前にコスタリカが提案したもので、今回の会議の議長もコスタリカ人だった。こうして平和国家であることを実践的に証明し、不断の努力を内外に示し続けることが最大の抑止力になっているのだろう。

 「コスタリカは小さい国だからできるんだ」「麻薬とかいろいろな問題がある、ユートピアではない」など、いくらでも異論はあろう。だが、映画を観てつくづく思うのは、非武装中立は机上の理想論ではないと言うこと。コスタリカにとってそれは崇高なイデオロギーと言うより、現実的、合理的な選択だったのだ。経済力が限られる小国において、膨大な軍事予算を使うことがいかに非合理か、それより教育や福祉に回す方が国民の幸せ、国の発展につながるというある意味「その方が得」という賢明な判断だったのだと思う。いまどき日本では「非武装中立」などというと、カビの生えた夢物語と冷笑されそうだが、コスタリカの現実を、非武装中立のリアルを見よ! お花畑なんかじゃないことが、よくわかるはずだ。

(田端 薫

https://maga9.jp/180509-3/
非武装中立は“お花畑”ではない コスタリカのリアル(田端 薫)

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マガジン9編集部

2018年5月9日



東京新聞2006年5月4日 コラム「筆洗」



「『オッカムのカミソリ』と呼ばれる論理学の命題がある。それ…

「『オッカムのカミソリ』と呼ばれる論理学の命題がある。それは『必要がないものをふやしてはならない』ということで、実に幅広く応用がきく」

▼憲法記念日の三日、立花隆さんの近刊『滅びゆく国家 日本はどこへ向かうのか』(日経BP社)を読んでいたら、こんなくだりにぶつかった。ウィリアム・オッカム(一二八五-一三四九)は唯名論を唱えたイギリスのスコラ哲学者

▼憲法論争はつまるところ、九条二項の必要性の当否に尽きるという立花さんは、解釈改憲で足りるとの立場だ。オーストラリアが大統領制提案を否決して英女王を国家元首のままとした保守派のスローガン「壊れていない車は修理するな」をひきあいに出す

▼自衛隊に先制攻撃力を持たせようとする改憲論が、環境権やプライバシー権、知る権利などを盛り込もうとするのは「過剰なめくらまし」で、「オッカムのカミソリ」で切り落とせばすむという

▼自衛隊を非軍事化して国際救助隊とする「サンダーバード構想」で、高次の現実主義を提唱する水島朝穂早稲田大教授は『憲法「私」論』(小学館)で、英語で「憲法」と同じ「コンスティテューション」を使う日米「構造」協議の流れとともに進んできた米軍再編と改憲論議の相似に注目する

▼「憲法を尊重し擁護する義務」を定めた九九条が、国民ではなく公務員の行動規範であることに憲法の本質をみる飯室勝彦中京大教授は、近著『敗れる前に目覚めよ』(花伝社)で、戦艦大和・臼淵磐大尉の最後の言葉を歴史の教訓として受け継いでいる。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2006/tokyoshinbun20060504.html
東京新聞2006年5月4日 コラム「筆洗」



「『オッカムのカミソリ』と呼ばれる論理学の命題がある。それ…





「96条先行改正」から「96条潜行改正」へ。参議院選挙を目前にして、安倍首相は、96条改正を前面に出すことを意識的に控えている。3月から4月下旬頃までと大違いである。どの世論調査でも、96条改正反対の方が多く、「96条の会」の発足もあって、メディアのなかでも「96条先行」への懸念が生まれてきたことが背景にあろう。だが、自民党の参院選公約には96条改正が入っており、おりをみて前面に押し出してくるだろう。油断は禁物である。

 さて、今回の直言は、21年前の1992年11月に仲間と出版した拙編著『きみはサンダーバードを知っているか―もう一つの地球のまもり方』(日本評論社、1992年)について書くことにしよう。というのも、このところ、あちこちで「サンダーバード」と出会ったからである。

 私は「メガネのパリミキ」を愛用している。今年に入り、調整をしてもらいに馴染みの店に立ち寄ると、店内に聞いたことのある音楽が流れていた。英国の特撮人形劇『サンダーバード』のテーマ音楽である。見慣れたキャラクターが壁に掲げられており、店内のパソコン画面には「サンダーバード発進」のシーンが流れる。思わず、「おっ、サンダーバードですね」と言うと、お世話になっている女性店員が、「ご存じですか?」と聞いてきた。「21年前にこれを使った本を出したことがあるのですよ」と私。自分でも口にしてみて、21年という数字に驚いた。そんなに経っていたのか、と。



 パリミキの次は、防衛省・自衛隊である。これには驚いた。本当に驚いた。防衛省が隊員募集用ポスターのキャラクターに、何と「サンダーバード」を使い始めたからである。『産経新聞』2013年3月16日付が、自衛隊と「サンダーバード」のコラボレーションポスターについて最初に報じた。『産経』によれば、ポスターは自衛隊の「国際平和協力活動」「災害救助活動」「自衛官募集・救護」の広報啓発促進を目的としたもので、5パターン、各3000枚が製作され、計1万5000枚が全国の公共交通機関、教育関連機関、基地・駐屯地に掲示されている。私自身、旭川市の陸上自衛隊駐屯地内の「北鎮記念館」1階で、現物を確認した(携帯のカメラで撮ったが、ピンボケになってしまった)。

 40、50代の方は「サンダーバード」と言えば、テーマ音楽とともに頭に蘇ってくるのではないか。放送開始は、1966年4月10日(日曜)夜、NHKで初放映された。私は当時13歳、中学1年生だった。毎回、興奮してみた記憶がある。その後、民放でも繰り返し放映された(ちなみに、世界98カ国で放映)。

 「サンダーバード」は最新のメカを駆使して世界各地に派遣される、民間の国際救助隊のことである。国家の組織ではない点が重要である。超音速で災害現場に急行する移動指令室の1号。各種救助メカを現場に運ぶ超音速輸送機の2号。宇宙空間の災害に対処する単段式宇宙ロケットの3号。水中での救助活動に従事する小型潜行艇の4号。世界中どこからの救助要請でもキャッチする情報収集用静止軌道衛星の5号等々。ハイテクとメカを駆使して、油田火災、原子炉事故、高層ビル火災等々、人類が直面するさまざまな災害・危機に対処する非軍事の民間組織である。いかなる国家にも所属せず、また援助を受けない独立採算の組織で、世界のどこへでも、分け隔てなく救助に向かう。隊員が一つの家族というのも、国家間の対立をこえるメッセージを含む。どこからともなくやってきて、めざましい働きをして、どこへともなく去っていく、謙虚なボランティア精神。ここに「サンダーバード」の志の大きさがある…(拙編著より)。

 拙編著は、「国際貢献は自衛隊に」という動きに抗して、非軍事の国際救助隊を「対案」として提起するものだった。出版されるとすぐ、『朝日新聞』1992年11月10日付社会面トップで大きく紹介された(執筆は若き森北喜久馬記者)。見出しは「『サンダーバード』が理想像」「国際貢献 若手憲法学者が『救助組織』論を出版」。『中国新聞』11月10日付夕刊も「非軍事・中立の貢献策『サンダーバード』に学べ」と社会面トップにもってきた。出版の翌年には、「国際貢献はサンダーバードのように」というタイトルで、増田れい子元・毎日新聞論説委員〔2012年12月逝去〕と私との対談も出ている(『法学セミナー』1993年6月号)。翌々年の全国憲法研究会の憲法記念講演会(東京・中野区)でも触れ、『東京新聞』2006年5月4日付コラム「筆洗」でも言及されたことがある。

 私がこの本を出したのは、1985年の南米コロンビアの噴火災害をきっかけに、東京消防庁と政令指定都市のレスキュー隊を中心に組織された「国際消防救助隊」(IRT-JF)に注目したからである。その日本語愛称は「愛ある手」。そのマークは「サンダーバード」のそれに酷似している。IRT-JFは、国際緊急援助隊法成立により、国際救急医療チームと連携をとりつつ、地道に活動を蓄積してきた。例えば、1991年のバングラデシュのサイクロン災害の際には、38名の隊員と2 機の消防ヘリ(ドーファン2型)が派遣された。クーデタの頻発で迷彩色の軍用ヘリになれっこになったバングラデシュの民衆に、医療物資を運ぶ「真っ赤なヘリコプター」は大歓迎された。軍用ヘリと救助ヘリ。同じヘリでも、作られた目的と運用思想の違いを強調した。そして、国家中心の「国際貢献」ではなく(成り立ちからして東京消防庁と政令指定都市のレスキュー隊)、市民や自治体レヴェルでの国際協力の多彩で多様な形態を提唱した。

 また、阪神淡路大震災を契機に、全国の消防レスキューなどを統合運用する「緊急消防援助隊」ができた。自己完結的な組織形態をとり、救助、消防、救急、後方支援の各部隊が統合運用されている。東京消防庁は96年に消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)を発足させた。

 「海猿」で知られる第三管区海上保安本部特殊救難隊基地長も、「〔救助の仕事の〕理想は各専門家がチームとして活躍する『サンダーバード』。飲むといつもその話」と述べたことがある。拙編著は、こうした日本国内にある既存の能力を規模・内容ともに発展・充実させて、非軍事の「国際救助隊」の創設を提言したものである

 阪神淡路大震災以後、自衛隊は普通科連隊に「人命救助システム」を備える部隊を常設するなど、災害派遣の能力を強化するようになる。防衛〔国防〕予算で消防レスキューと同じ「人命救助システム」を装備するような国は世界にほかにない。東日本大震災では、このシステムが活用された(直言(4.18)災害派遣の本務化へ―大震災と自衛隊(1) )。
「国防軍でなかったからこそ」、イラク復興支援群は死者を出さなかった。イラクの武装勢力が自衛隊を攻撃しない合意があったことはすでに取り上げた(直言「国防軍でなかったからこそ(1) 」)。



 では、今年の3 月から防衛省が隊員募集などに「サンダーバード」を使うようになったことをどう考えたらいいか。家族が運営し、軍事ではなく非軍事で(一部武装しているといって私を貶す向きもあるが、そんなことは言われなくても重々折り込み済である)、国家の論理を超えた、人命救助優先の思想の「サンダーバード」に、自衛隊は本気でなろうとしているのか。

 言うまでもなく、現存の自衛隊はそのままで「サンダーバード」になれるはずもない。なぜなら、自衛隊は国家の武装組織である。憲法9条に違反する戦力である。人命救助システムをもち、どんなに災害派遣を重視しても、それは「防衛」の本務に対しては「余技」である。人命救助専門の消防レスキューとは運用思想が異なる。

 では、なぜ、この時期、このタイミンクで「自衛隊=サンダーバード」のような紛らわしいポスターが登場したのだろうか。私は二つの可能性を見いだす。一つは、東日本大震災における自衛隊の活動に注目して入隊してくる若者が増えていることである。隊員募集効果をあげるための、イメージ作戦である。もう一つは、自民党改憲草案が「国防軍」を打ち出したことに対する屈折した想いが微妙に投影している可能性もある。自衛隊は「国防軍」にはならず、「サンダーバード」に近づけていく。これは私がこの21年間主張していることだが、募集キャラに使ったということは、国防軍路線に対する予防線を張ろうとしたというのは穿ちすぎだろうか。

 「『国防軍』に若者は来るか」という『東京新聞』6月5日付コラムを読んだ。筆者は防衛問題に詳しい半田滋論説委員である。中学を卒業した960人が学ぶ陸上自衛隊工科学校(神奈川県横須賀市)。近年の倍率は15倍という隠れた難関校という。半田記者が1 年から3年までの生徒10人に取材したところ、志望動機は8 人が災害派遣、2人が国連の平和維持活動(PKO) だった。「国防の意識は後からついて来るようだ」と半田氏。自衛隊は「国防軍」になって、良質な若者が集まるだろうか、と結ぶ。

 実態から見れば、自衛隊=「サンダーバード」ではないが、自衛隊は広報に「サンダーバード」を正式に採用した以上、「国防軍」にしてはならないだろう。将来的に「サンダーバード」を目指すというなら、日本国憲法9条を変えないことが重要である。

 ちなみに、今年は、フジテレビなどの主催、自衛隊・防衛省・海保などの協力、文科省などの後援で、「サンダーバード博」も開かれる

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2013/0624.html
自衛隊と「サンダーバード」――国防軍でなかったからこそ(2)              2013年6月24日