性暴力被害に関する初歩の初歩の知識が欠けている。被害に遭ったことを否認する、平常通りの振舞い・行動を取る、加害者に対して何もなかったかのように接する…被害直後によく見られることであって、それをもって加害事実が否定されるものではない。
やはり、「察しろ」「分かっていただろ」という類の被害者非難が出てきている。仮に察していた、分かっていたとしても、いかなる性的行為にも予め同意したことにはならないし、拒絶権を放棄したことはならないのは当然。被害者側に警戒・防御の義務を課す、不当な話のすり替え。
要は、「男の部屋に行ったのはそういうことだろ」という古典的な、今なお根強い加害者側の、加害者目線の認知の歪みでしかない。さらに言えば、性風俗従事者、売春者は拒絶権を放棄している、予めいかなる性的行為にも同意しているというバイアスとも重なる。
松本人志の性加害に関する噂話はいろいろとあったのだろうと思うし、繰り返される性差別言動からは日常場面含め全くないことはあり得ないと思う。ただ、松本や吉本を敵に回して報じるだけの裏取りができなかったり握りつぶされたりもあったのかもしれない。確かな証言者が出てきての記事と思える。
被害者へのバッシングが激しい中でも、芸能界を含め性暴力の告発が増えてきて、被害者が一定のサポートを得られる状況もできつつあるという背景があっての告発、記事掲載というように思うし、数々の事件や刑法改正等の議論を通じて「被害だった」「訴えていい」との気づきが得られたのかもしれない。
何で今さらというのは典型的な無知。「自分も悪かった」と合理化して封印したり、むしろ自分を責め続けたり、そもそも「被害はなかった」ことにしたり、被害の認識はあっても「訴え出ても無駄だろう」という無力感があったり、捜査や裁判への不安や不信があったり、思い出し続けたくなかったり。
性暴力被害者は「その体験」「その記憶」とどう折り合いをつけ日常生活を送れるようにするか、人生を歩んでいくか、意識的あるいは無意識的に葛藤する。それでうまく処理できる場合もあるが、被害として長く苦しみ続けたり、被害の記憶と意識的には結びつかない症状に悩まされたりする。
性暴力被害に「決着」をつけないと前に進めない、心身の不調が被害によるものだと気づく、被害に遭ったことを思い出す、被害だったのだと気づく…きっかけは様々だが、ただその時に心身の状態、仕事や生活の状況、サポートの有無等々条件が整っていなければやはりアクションを起こすことはできない。
むしろ性暴力被害だったと気づくことで心身に不調をきたすことや、安心できる環境があるが故にフラッシュバックや症状として前景化することなどもある。訴え出ると決めたらまた新たな不安や恐怖にも襲われる。そういう様々な段階、プロセスを経て、懸念をクリアしながらやっと動き出すことができる。
それで、じゃあ警察に行けばいいのか、弁護士を立てて相手側と交渉すればいいのか、提訴すればいいのか。それらはむしろ傷を深めたり、長く被害の記憶と向き合うことになったりするリスクがあり、しかも結果はわからないし、適切な対応、判断がなされる保証がないのが現実だ。
もちろん、マスコミに頼ることでバッシングに晒されたり身元特定を図られたりするリスクはもちろんある。ただ、表に出すことで、衆人環視の下で相手側に対応をさせることができるかもしれない。被害者が必要とする「決着」も処罰、賠償、謝罪、加害と認め責任を認めることなど一様ではない。
一方で、高級ホテルでの「VIP」との飲み会がただの「飲み会」であるはずがなく察するのが当たり前とかわかってて行ったのだろうといった典型的な非難も目立つ。仮に分かっていた、察していたとしても、それは具体的な性的行為に予め同意したことにはならないし、拒絶権を放棄したことにもならない。
そもそも、性的目的で予め仕組まれた飲み会で、松本人志の参加が伏せられ、現場でも携帯が回収される等計画的、策略的に運ばれたのであったとしたら、女性側の「落ち度」などを云々する遥か以前に、松本側の行動が問題化されるべきであるのに、その行動は所与のものとされて女性側が非難される。
「芸人はそんなもの」「男はそんなもの」というのが誤った認知であり、それを前提としてはならないのだが、そこはすっ飛ばされる。古典的な「男の部屋に行ったのだから」「風俗嬢だから」「売春しているから」「AV女優だから」何をされても文句は言えない、女性側の落ち度、責任だという歪みと同じ。
高級ホテルでの豪華な飲み会が性的行為の対価であるかに言う者もいるが、参加に同意したからと言って上に書いた通り性的同意には当然ならない。仮に対価だと示されていたのであればそれこそ違法なものである買売春であるし、飲み会を設定した者は周旋罪に該当し得る話になる。