冨樫義博さん作品レベルEの記事で脱原発の必要性が指摘されている件とナショナルジオグラフィクさんがアメリカのエリア51取材してた件。

冨樫義博さん作品レベルEの記事で脱原発の必要性が指摘されている件とナショナルジオグラフィクさんがアメリカのエリア51取材してた件。
フラットアース説を真と仮定するならば地球という惑星そのものが、素敵な宇宙船地球号なんて事もありえると思える件。あくまで仮定の話。
宇宙人を信じるかどうかは置いておいて、テスラのイーロンマスク氏やライブドアのホリエモンさんZOZOTOWNの前澤さんなど大企業経営系系の地球の大富豪で宇宙に行きたがる人はいますね。
うち個人の経験としては、コロナ前に恐竜の展示とロボットの展示がある人が一人も居ない博物館にコロナ前迷い込んだ事ある。分かられてる館移動する通路っぽいの見た記憶あり。
どうやって入ったんやろうか、人がいない博物館って、今考えても怖いしどうやって脱出したのか、出たとこと入ったことの記憶が無いんだよね。とりあえず人が1人もいない謎の博物館無事脱出出来て、いま無事で良かったと思う。
恐竜展じゃないよ、恐竜展なら子供さんと引率の大人の人沢山いる多めの楽し観光コースだしお店もあるし、なんか雰囲気が何というか説明しずらいんだけど本当に人がいなくて怖い感じした場所だった。
宇宙系のイベントでは修学旅行などのコースになる星や星座について説明してくれる近くにお店有りの学生向けのプラネタリウムのイベント行く方が楽しくて良いと思う。
北朝鮮政府の核ミサイル実験などによってロケット偽装して戦争に使用される人殺すミサイルが使用された事例の問題があるから軍事利用されるロケットは苦手です。



「うちは少年誌だしさ これじゃテーマ暗いよねぇ」「もっと明るくまとめてさ 設定はもっと単純でいいと思うよ 例えば悪い宇宙人と戦う地球人とか」(第5話「Crime of nature…!」より)」

 このセリフどおりの漫画が『レベルE』だ。1995年、月一連載として始まった本作は、掲載誌である週刊少年ジャンプが掲げる「少年漫画」像とは一線を画していた。1995年、大ヒット作『幽☆遊☆白書』を終わらせた30歳間近の冨樫義博が王道な次回作(つまり『HUNTER×HUNTER』)の制作を約束した上で通った、自分の「好きなもの」を詰め込むオムニバスSF、それこそ『レベルE』だったのである。当時アシスタントを勤めた味野くにおによるエッセイコミック『先生白書』によると、編集交代によって途中からジャンプ的な「固定主人公制」を強いられた結果、上記で引用したシーンが急遽追加されるなど、不服の事態もあったようだ。それでも、後年、作者当人より「他の作品と比べて居心地はそんな悪くない。比較的好き勝手に描けたから」と言わしめたのが、この奇妙でダークなSF漫画である。

 単行本全3巻からなる『レベルE』は、作者の予想に反して、大きく長期的な人気を築いた。漫画ファンによる「コンパクトに終わる名作」談義には必ずと言っていいほど登場するし、連載から15年以上経った2011年にアニメ化も果たした。「想定(予想)の少し斜め上」といった言い回しの普及にも貢献しただろう。なにより、エイリアンの頭文字「E」を冠するこのSF作品(※“Alien”の“A”でないのは単純な間違い)は、2020年の今読むと尚スリリングな、先見性あるテーマに満ちている。特に際立つのは、学生時代より「表面に見えている美しいものより、裏側の汚い部分を見ること」に魅力を感じてきた冨樫義博の作家性、言い換えれば、ときに残酷で皮肉にもなる多面的視点だ。その「王道」らしからぬ創作姿勢は、冒頭で引用したシーンでも明瞭になっている。「もっと明るい勧善懲悪な内容にせよ」という指示を受けたキャラクターは、このように応える。

「でも それじゃ地球人に本当の異星人の姿が伝わりませんよ いちがいに地球の善悪だけじゃくくれないって事実が」 

 『レベルE』の主たる舞台は作者の故郷である山形県だ。「現在 地球には数百種類の異星人が行き交い生活している 気づいていないのは地球人だけなのだ……」。このオープニング通りの世界観となっていて、物語としては、一応の主人公たる頭脳明晰で人騒がせなドグラ星のバカ王子が地球にやってきたところから始まる。とは言っても、ストーリーは章によってかなり異なる。たとえば「原色戦隊カラーレンジャー編」はバカ王子に戦隊ヒーローの役目を押しつけられる男子小学生たちが主役だ。王子のつくったRPGゲームの中に迷い込んでしまう設定のため、『HUNTER×HUNTER』の「グリードアイランド編」の片鱗も伺える。加えて、ゲーム世界で巻き起こる「王子自ら創造した人工知能が予想以上の進化を遂げてしまう」ハプニングは、AI技術発達による雇用減少危機が現実味を帯びてきた今日のほうがスリリングに感じられるかもしれない。

 「マクバク族サキ王女・ムコ探し編」も、90年代当時と今では受ける印象が異なるかもしれない。あらすじとしては、交配した雄の生態系まるごと根絶してしまうマクバク族の王女が地球に婿探しにやって来るものの、そこで彼女が一目惚れした相手は「なんで自分の体は女なんだろう」と疑問を抱えて生きる幹久今日子だった。のちに様々な設定が加えられるものの、トランスジェンダー男性に近い存在として描かれている。

 王女と幹久の恋路は成就するのか。ともなれば、地球人は絶滅してしまうのか……この二軸によって展開する「ムコ探し編」だが、後者に関する描写も興味深い。作中、王女を地球から追い出したいドグラ星のクラフト隊長は、地球人についてこのように解説する。

「(地球人の)性格は攻撃的で独善に満ちあふれ差別意識の強さは他に類を見ません 地位・見た目 金・肌の色・個性 ありとあらゆるもので同族を差別し生命を奪うことも珍しくありません 自分達の首をしめるのも好きですね 自然にとって過剰な森林伐採 有害汚染物質のたれ流し フロンガス・CO2の大量排出 未整備な原子力施設 廃物不法投棄etc 基本的に出したクソは他人まかせです」

 なりゆき上、ネガティブなイメージに寄った説明ではあるが、このセリフこそ、地球人の命運がかかったラブストーリーのテーマと言えそうだ。本編の終わりには、グロテスクに変形した魚のイメージが突如挿入されるとともに、以下のような言葉が流れる。

「現在 地球の遺伝子は様々なものによって傷つけられている 宇宙からくる放射線 過度の紫外線 ダイオキシン 放射性廃棄物 遺伝子実験廃棄物 家電製品による電磁波非熱効果 確実に生まれ続ける道のウィルス・細菌 etc… 全て我々の身近に存在し これから身を守る方法は 将来にわたり皆無である」

 環境汚染への問題視は明らかだ。「ムコ探し編」では、地球の遺伝子を傷つける因子として異星人の王女が登場するわけだが、そのSF的存在が無くとも「出したクソは他人まかせ」な地球人が自らの首をしめつづけるのだ、と突きつけるように現実とつながる問題が提起されている。

 自然環境への視点、それを損なわせる人類への疑念は、冨樫義博の作家性とも言える。『レベルE』の初期にあたる「食人鬼編」では食の倫理まで揺さぶっているし、『HUNTER×HUNTER』の「キメラ=アント編」では、人類は果たして外来生物の侵略から護られるべき存在か、壮大な問いかけが垣間見られる。元々、山形県新庄市で育った冨樫義博は、川や洞窟で遊ぶアウトドアな子ども時代を過ごしたという。『UZEN』におけるインタビューでは、建設省への意見も求められた際、故郷の思い出の中心は自然だからこそ、なるべく自然環境や昔ながらの佇まいを残しつつ整備していってほしい、とコメントしている。彼の価値観の基盤を形成する「裏側の汚い部分」への着目にしても、ドブのそばに咲いた紫陽花をスケッチしていた中学生時代が根底にあるようだ。『レベルE』が連載を終えた1997年には、ちょうど気候変動枠組条約である京都議定書が採択されているが、それから20余年経った2020年、環境にまつわる問題は拡大しつづけている。

 「少年漫画」らしからぬ『レベルE』だが、ある種ポジティブな学びも与えてくれる。地球と違って宇宙外交が進んでいるドグラ星の軍隊員は、当然のように「さまざまな星人の生態」に詳しい。しかしながら、いざ対面してみると「本で読むのと実際見るのは大違い」だと発覚するパターンが散見され、「ムコ探し編」でも「(そういうことは)宇宙生物学ではよくあることです」と語られる。これこそ、皮肉として機能しつつ、読者をワクワクさせもする魅力的な部分だ。ゆえに、非なる王道として始まった『レベルE』は、「探究のロマンチシズム」を与える面において「少年漫画」の王道たる一面も持っているのではないか。もちろん、作中その心意気が発揮されることによって、地球人自体を滅ぼす純愛が成立してしまうのなら、不条理でしかないのだが……。

■辰巳JUNK
平成生まれ。おもにアメリカ周辺の音楽、映画、ドラマ、セレブレティを扱うポップカルチャー・ウォッチャー。著書に『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)
note:https://note.com/ttmjunk
Twitter:https://twitter.com/ttmjun

https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_7f62ea6f-d0db-4a35-b2de-92e3ad1a77d7.html
冨樫義博『レベルE』なぜ少年漫画らしからぬ作風に? 奇妙でダークなSF漫画の先見性

リアルサウンド

20/9/15(火) 8:00




アメリカ合衆国はロズウェル事件のあった国として有名。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%BA%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6










https://drive.google.com/file/d/1cd5nCbflxmSbU9iojts0oouATfsAgV1K/view?usp=sharing







NASAを持つアメリカ合衆国政府が宇宙人と通じていて地球外のテクノロジーを持っていたとしてもおかしくはないよね。
エリア51機密解除してナショナルジオグラフィクさんに公開するところはアメリカらしい情報公開の精神があるよね。
アメリカは映画インディペンデンスディ作る国だから、対宇宙であってもアメリカ独立宣言の奴隷解放の精神と合衆国憲法を大事にする国だと思われる。



奴隷シミュレーターは奴隷解放の側に立つことも可能、奴隷制について考ええるゲームである。Google側に配信停止圧力をかけることはゲームを通じて奴隷制について考える機会を奪うことにつながりかねないと私は考える。
したがって、私は奴隷シミュレーター再配信を求めたい。

https://drive.google.com/file/d/1Kuqv1N4oku0Hj0cJDzN3qmcb1NHDtBOQ/view?usp=sharing


南米ブラジルで、奴隷主の主人公を操って奴隷売買をするスマホゲームが、IT大手グーグルのアプリストア上で配信されていたことが分かった。グーグルは24日に配信を停止したが、事前のアプリの審査が適切ではなかったとして、グーグルへの批判も噴出している。 【写真】日本のチョコは奴隷労働の産物なのか オランダ発「トニーズ」の衝撃  アプリは「奴隷シミュレーター」というタイトルで、4月20日に配信された。ゲーム開始時に「暴君」か「解放者」のどちらかを選び、暴君であれば奴隷の逃走や反乱を防いで裕福な奴隷主になることを目指す。解放者は、奴隷制度の廃止に向けて行動する仕組みだ。奴隷主を操るプレーヤーは、ゲーム内で奴隷を売買したり交換したりすることが可能となる。  地元メディアによると、ゲームは1千件以上ダウンロードされ、五つ星が最高点の評価欄では四つ星を獲得。利用者からは「とても面白いゲームだ」などと好意的な意見が並んだ。開発元のマグナス社はアプリ内で「このゲームは娯楽目的のみで作られた。我々はいかなる形であれ、奴隷制度を非難する」と記した。

「奴隷ゲーム」アプリが配信停止、グーグル事前審査に批判 ブラジル

5/27(土) 10:00配信





エイブラハム・リンカーン

南北戦争の激烈な戦いが3年目に突入したとき、エイブラハム・リンカーン大統領は連邦軍の兵士たちに新たな戦争を意味する決定を下した。1863年1月1日、リンカーンは奴隷解放宣言に署名、それは合衆国に公然と反旗を翻している州の奴隷たちを解放する効果があった。南北戦争は急速に、連邦を保持する闘いのみならず、すべての米国人に自由を浸透させるための大義となった。直近に開放された奴隷たちの多くが連邦軍や海軍に加わり、他の奴隷達のために勇敢に闘った。

 奴隷解放宣言はボストン、ニューヨーク、ワシントンDCをはじめ各地で大歓迎された。しかし宣言が現実のものとなるには、さらに多くの戦闘を必要とした。1865年に南北戦争が終結するまでに、ほぼ20万人にのぼるアフリカ系米国人が連邦軍の戦闘に連なった。同年12月、米国憲法が修正され、米国のあらゆる地域に暮らすすべての奴隷が自由の身となった。合衆国憲法修正13条は、奴隷解放宣言が端緒となったその作業を完結させ、米国のすべての奴隷制度は終焉を遂げた。


奴隷解放宣言

アメリカ合衆国大統領による

布告

西暦1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領より、特に以下の事項を含む宣言が発せられた。

「西暦1863年1月1日の時点で、その人民が合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州もしくは州の指定された地域において、奴隷とされている すべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。陸海軍当局を含む合衆国の行政府は、かかる人々の自由を認め、これを維持する。そして、かかる人々が、あるいはそのうちの誰かが、真の自由を得るために..行ういかなる活動についても、これを弾圧する行為を一切行わない。

行政府は、前記1月1日に、宣言によって、人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域を指定する。また、同日時点で、州またはその人民が、その州の有権者の過半数が参加する選挙で選出した議員を、誠意を持って合衆国議会に送っている場合には、これを否定する強力な証言がない限り、それをもってその州およびその人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にないことを示す確実な証拠とみなされる」

これにより今、私、合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、合衆国の権威ならびに政府に対する武力による反逆が実際に起きたときの合衆国陸海軍の最高司令官として私に与えられた権限に基づいて、またかかる反逆を制圧するための適切かつ必要な戦争手段の1つとして、前記の日付から丸100日間の全期間にわたり、そうすることを公式に宣言してきたことに伴い、本日1863年1月1日、本日時点でその人民が合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域は、以下の通りであることを定め、明示する。

アーカンソー、テキサス、ルイジアナ(セントバーナード、プラクマインズ、ジェファソン、セントジョン、セントチャールズ、セントジェームズ、アセンシオン、アサンプション、テレボーン、ラフォーシュ、セントメリー、セントマーチン、ニューオーリンズ市を含むオーリンズの各教会区を除く)、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア(ウェストバージニアと指定された48の郡と、バークレー、アッコマック、モーハンプトン、エリザベスシティ、ヨーク、プリンセスアン、ノーフォークおよびプリマス両市を含むノーフォークの各郡を除く)。そして例外とされた地域は、差し当たり、本布告の対象外とする。

前述の権限に基づき、また前述の目的のために、かかる指定された州および州の地域内で奴隷とされている者はすべて自由の身であり、今後も自由であることを、そして陸海軍当局を含む合衆国行政府が、かかる人々の自由を認め、これを維持することを私は命令し、宣言する。

そして私はここに、今自由であると宣言した人々に対し、自衛上必要でない限り、いかなる暴力も慎むよう申し渡す。また、あらゆる労働の機会において、正当な賃金を得るために誠意を持って働くことを推奨する。

さらに、適切な健康状態にある者は、要塞、陣地、駐屯地、その他の場所を守備するために、あるいは種類を問わず軍隊の船舶に乗り組むために、合衆国軍隊に受け入れられることを宣言し、周知させる。

そして軍事上の必要性に関して憲法で保障された正しい行為であると、心から信じているこの行為に対して、私は、人類の思慮深い判断と、全能の神の寛大なご加護を祈念する。


出典:Featured Documents, National Archives & Records Management
*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
1863

"By the President of the United States of America:

A PROCLAMATION

Whereas on the 22nd day of September, A.D. 1862, a proclamation was issued by the President of the United States, containing, among other things, the following, to wit:

"That on the 1st day of January, A.D. 1863, all persons held as slaves within any State or designated part of a State the people whereof shall then be in rebellion against the United States shall be then, thenceforward, and forever free; and the executive government of the United States, including the military and naval authority thereof, will recognize and maintain the freedom of such persons and will do no act or acts to repress such persons, or any of them, in any efforts they may make for their actual freedom.

"That the executive will on the 1st day of January aforesaid, by proclamation, designate the States and parts of States, if any, in which the people thereof, respectively, shall then be in rebellion against the United States; and the fact that any State or the people thereof shall on that day be in good faith represented in the Congress of the United States by members chosen thereto at elections wherein a majority of the qualified voters of such States shall have participated shall, in the absence of strong countervailing testimony, be deemed conclusive evidence that such State and the people thereof are not then in rebellion against the United States."

Now, therefore, I, Abraham Lincoln, President of the United States, by virtue of the power in me vested as Commander-In-Chief of the Army and Navy of the United States in time of actual armed rebellion against the authority and government of the United States, and as a fit and necessary war measure for supressing said rebellion, do, on this 1st day of January, A.D. 1863, and in accordance with my purpose so to do, publicly proclaimed for the full period of one hundred days from the first day above mentioned, order and designate as the States and parts of States wherein the people thereof, respectively, are this day in rebellion against the United States the following, to wit:

Arkansas, Texas, Louisiana (except the parishes of St. Bernard, Palquemines, Jefferson, St. John, St. Charles, St. James, Ascension, Assumption, Terrebone, Lafourche, St. Mary, St. Martin, and Orleans, including the city of New Orleans), Mississippi, Alabama, Florida, Georgia, South Carolina, North Carolina, and Virginia (except the forty-eight counties designated as West Virginia, and also the counties of Berkeley, Accomac, Morthhampton, Elizabeth City, York, Princess Anne, and Norfolk, including the cities of Norfolk and Portsmouth), and which excepted parts are for the present left precisely as if this proclamation were not issued.

And by virtue of the power and for the purpose aforesaid, I do order and declare that all persons held as slaves within said designated States and parts of States are, and henceforward shall be, free; and that the Executive Government of the United States, including the military and naval authorities thereof, will recognize and maintain the freedom of said persons.

And I hereby enjoin upon the people so declared to be free to abstain from all violence, unless in necessary self-defence; and I recommend to them that, in all case when allowed, they labor faithfully for reasonable wages.

And I further declare and make known that such persons of suitable condition will be received into the armed service of the United States to garrison forts, positions, stations, and other places, and to man vessels of all sorts in said service.

And upon this act, sincerely believed to be an act of justice, warranted by the Constitution upon military necessity, I invoke the considerate judgment of mankind and the gracious favor of Almighty God.





Source: Featured Documents, National Archives & Records Management

https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2389/
米国の歴史と民主主義の基本文書大統領演説

https://www.jstage.jst.go.jp/article/elsjregional/14/0/14_51/_pdf



https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview1967/1976/10/1976_10_1/_pdf/-char/ja





https://www.samhsa.gov/data/sites/default/files/NSDUH-DetTabs-2015/NSDUH-DetTabs-2015/NSDUH-DetTabs-2015.pdf



https://www.aclu.org/files/assets/1114413-mj-report-rfs-rel1.pdf


 






https://www.charlotteobserver.com/news/local/crime/article103009432.html





アメリカのジョー・バイデン大統領は17日、同国の奴隷制度が廃止された6月19日を連邦祝日とする「ジューンティーンス独立記念日法案」に署名した。1865年6月19日はテキサス州で奴隷解放宣言が読み上げられた日で、「ジューンティーンス」と呼ばれている。

バイデン大統領は、「大統領になってまだ数カ月しかたっていないが、私にとってこれは、大統領としての最大の栄誉の一つとして語り継がれることになると思う」と、法案に署名する際に述べた。

では、「ジューンティーンス」とは一体どんなもので、どのような経緯で祝日になったのだろうか。そして、人々はその日をどうやって祝うのだろうか。

ジューンティーンスの起源とは

奴隷制をめぐる南北戦争で、北部の州が南部連合を破ってから数カ月後の1865年6月19日、テキサス州ガルヴェストンで奴隷状態にあったアフリカ系アメリカ人は、もう自由の身だと告げられた。

この6月19日、つまり「June nineteenth」が「Juneteenth」と呼ばれるようになった。

テキサス州の奴隷が解放されたのは、1863年のエイブラハム・リンカーン大統領(当時)による「奴隷解放宣言​」から2年半以上がたった頃だった。この宣言は、反乱を起こした南部の州のすべての奴隷を解放するというもので、テキサス州は奴隷解放を受け入れた最後の州だった。

北軍のゴードン・​グレンジャー将軍が奴隷解放宣言をテキサス州で発効すると宣言したことで、奴隷がまだ残っていた最後の州でも、ついに奴隷制が終わったと認識されている。



動画説明,アメリカの奴隷解放を祝う「ジューンティーンス」、数百万人が参加(2020年6月)

<関連記事>反人種差別を歌った12歳少年、米レコード大手と契約
【解説】 なぜアメリカで大勢が怒っているのか 人種に関する3つのデータ


ジューンティースを祝日とする連邦法成立

49の州とコロンビア特別区(首都ワシントン)はすでに、ジューンティーンスを州の記念日または式典を行う記念日として正式に認めている。サウスダコタ州は唯一認めていない。

バラク・オバマ元大統領はイリノイ州選出の上院議員時代、ジューンティーンスを国民の祝日とする法案を共同提案したが、自身が大統領になった後も法案は成立しなかった。



画像提供,GETTY IMAGES

画像説明,「ジューンティーンス独立記念日法案」の議会通過を受け、ジューンティーンスの公式の旗を掲げる議員

今年になって、米スポーツ用品大手ナイキや配車サービスのウーバー、ツイッターをはじめ多くの企業が、ジューンティーンスに従業員に有給休暇を与えると発表した。

また、ニューヨーク州やヴァージニア州など一部の州知事は、この日を州職員の休日にすると宣言している。

米上院で全会一致で法案が承認された翌日の16日、下院は415対14で法案を支持。バイデン大統領の署名をもって成立した。

しかし、共和党下院議員14人はこの法案に反対票を投じた。モンタナ州選出の議員は、これは「アイデンティティー・ポリティクス」(人種、民族、性的指向、ジェンダーなどの特定のアイデンティティーを持つ集団の利益を代弁して行う政治的活動)だと批判。ケンタッキー州選出の議員は、同法案の制定は「混乱を招き、人種的なアイデンティティー次第で、2つある独立記念日のどちらかを選ぶよう仕向ける」ことになるとした。

新たな連邦祝日が制定されたのは、1960年代の米公民権運動を象徴的するマーティン・ルーサー・キング牧師を称える「キング牧師記念日」が1983年に制定されて以降で初めて。



画像提供,GETTY IMAGES

画像説明,ミネソタ州ミネアポリスのジョージ・フロイド記念館で行われたジューンティーンスの記念行事の様子

ジューンティーンスを連邦祝日にするための取り組みは、何十年も前から行われていた。

2016年には、当時89歳だったオーパル・リーさんが、祝日の制定を目指す議員を励ますために、テキサス州からワシントンまで徒歩で移動した。テキサス州では1980年からジューンティーンスが州の記念日となっている。

リーさんは毎日2.5マイル(4キロ)ずつ歩いた。これは、テキサス州の奴隷が解放されたことを知るまでにかかった2年半を表している。

連邦議会がジューンティーンスを祝日とする法案を承認した後、リーさんは「私にはさまざまな感情が渦巻いている」、「何と呼べばいいのかわかりませんが、ジューンティーンスの日が突然できたことを知り、とても嬉しく思っている」と語った。

「これはテキサスの人や黒人の祝日ではない。アメリカ人のものだ」

今年は何が違う?

奴隷制が廃止されても人種差別はなくならなかった。南北戦争終結から数年後には、黒人を白人社会から引き離して公民権を制限する、いわゆるジム・クロウ法が制定された。

こうした法律の負の遺産をなくす取り組みは現在も続いている。

米ミネソタ州のジョージ・フロイドさんやケンタッキー州のブリオナ・テイラーさんなど、複数のアフリカ系アメリカ人が警察に殺害されたことをきっかけに、Black Lives Matter運動の支持者たちによる抗議活動が巻き起こった。

民主党員の中には、最近の共和党優勢の州での選挙改革で投票が難しくなっているのは、民主党を支持する傾向にあるマイノリティー有権者の選挙権を奪うためだと主張する人もいる。

昨年には、ドナルド・トランプ前大統領が全米規模の反人種差別抗議デモで批判にさらされ、6月19日に予定していた選挙集会を延期したこともあった。

奴隷制の歴史やアメリカの学校での教育方針をめぐり、激しい議論が続く中で、ジューンティーンスの祝日が制定された。共和党優勢の一部の州は、トランプ氏が好んだ「愛国教育」を行うよう求めており、アメリカ建国に奴隷制が果たした重要性を見直そうとする教育カリキュラムを制限あるいは禁止している。



画像提供,GETTY IMAGES

画像説明,ジューンティーンスのTシャツを着た男性

どのように祝うのか

ジューンティーンスの祝い方や伝統は、アメリカ国内でも様々だ。パレードを行う州もあれば、人々が集まって食事やゲームを楽しむ州もある。

ほかにも朗読会や合唱、ピクニック、教会での礼拝のほか、ロデオ(牛乗り)やコンテスト、コンサートなどがある。

食事も重要な役割を果たしており、家族や友人と一緒にこの日を祝う上で最も人気な方法の1つがバーベキューだ。

1番有名な食べ物は、黒人活動家にちなんで名付けられた「マーカス・ガーヴィー・サラダ」で、小豆やさや豆、黒豆が入っている。

(英語記事 Juneteenth: What is the newest US holiday?

https://www.bbc.com/japanese/57522450
米奴隷解放記念日の6月19日、連邦祝日に制定 バイデン大統領が法案に署名

2021年6月18日



https://drive.google.com/file/d/1Y3d0m0kS-LM3KVrTqWTT_e_9XrKsT84I/view?usp=sharing


ローレン・モンセン

アメリカでは毎年6月19日、奴隷解放を祝います。この日はジューンティーンスと呼ばれ、奴隷制が終焉した日にあたります。

1865年のこの日、テキサスで奴隷制が終わりを告げました。リンカーン大統領が1862年9月22日に奴隷解放宣言を出してからおよそ3年後のことです。

南北戦争当時、アメリカ南部連合国の一員であったテキサスは、長きにわたりリンカーン大統領の奴隷解放宣言を無視していました。そこでゴードン・グレンジャー将軍は、テキサスの人たちに通達するため、2000人の連邦軍部隊を率いてテキサス・ガルベストンに入りました。



ゴードン・グレンジャー将軍。彫刻家ジョン・バター作。1866年頃 (© Peter Righteous/Alamy Stock Photo)

1865年6月19日、グレンジャー将軍はガルベストンのアシュトン・ヴィラのバルコニーに立ち、「一般命令第3号」を読み上げ、冒頭次のように宣言しました。「テキサスの人民に告げる。アメリカ合衆国行政府の宣言に基づき全ての奴隷は自由の身となった」

ガルベストンで奴隷として働いていた人々は路上で歓喜しました。

翌年からテキサスでは、ジューンティーンスのお祝いが始まりました。「最初の頃は家族が集まる日として意味合いがありましたが、今では黒人たちが集まり、思いをはせる日となっています」。歴史家のヘンリー・ルイ・ゲーツJrはShareAmericaとのインタビューでこのように語りました。

グレンジャーの命令はテキサスに住むかつての奴隷たちの生活を直ぐに変えたわけではありません。「奴隷所有者は、この知らせの発表をできるだけ先延ばしにしていました。最後の収穫作業が残っていたからです」とゲーツ氏は言います。解放民局(南北戦争後に奴隷であった多くのアフリカ系アメリカ人を支援するため設置された連邦機関)の担当者がテキサスに到着したのは9月のことで、グレンジャーの命令公布から既に数カ月がたっていました。

「プランテーションを去ると決意した元奴隷は、たびたび罰としてせっかんを受け、中には殺されたものもいました。このような暴力的な報復は、テキサスの白人は黒人の自由を決して容認しないことを示し、さらなる弾圧の予兆になりました」とゲーツ氏は言います。

テキサスでこのような抑圧や暴行があったなかでも、自由の身となった奴隷たちは6月19日を不正への勝利の日として祝う毎年恒例の儀式へと変えていきました。

進化した祝日

1866年、初めてのジューンティーンス記念を祝おうと計画していたヒューストンの元奴隷たちは、市が導入したさまざまな人種隔離法により、公園の使用が認められませんでした。しかし1870年代までに、800ドルを互いに出し合い、10エーカーの土地を購入、そこをエマンシペーション・パーク(解放公園)と名付けました。



テキサス州ヒューストンのエマンシペーション・パークで遊ぶ子どもたち。2017年3400万ドルをかけて改修された (© Michael Stravato/The New York Times)

近年、エマンシペーション・パークはヒューストン市議会により歴史的建造物に指定されました。2019年、改修を終えた公園はユネスコの「奴隷ルート」プロジェクトに選ばれ、奴隷制の影響に光を当てる役割を果たしています。エマンシペーション・パークは今でもジューンティーンスのお祝いやさまざまな目的で使われています。

ジューンティーンスには家族や住民が集まったり、奴隷解放宣言を読んだり、教会で説教を聞いたり、宗教的な歌を歌ったりして過ごします。



ウィスコンシン州ミルウォーキー。ジューンティーンスのパレードを楽しむ参加者。2019年 (© Dylan Buell/VIBE/Getty Images)

「ジューンティーンスは、草の根運動が自らの歴史に責任を持ち、それを通して恩恵を生み出すことができる素晴らしい例。奴隷制から私たちはどれくらい前進したのか。あるいは前進できなかったのか。子どもや孫といった次世代に自分たちの歴史の大切さをどう伝えるか。完璧ではないにせよ、私たちの今の暮らしを可能にしてくれた、信じられないような不遇を乗り越えてきた先人たちをどうたたえるか。ジューンティーンスは過去を振り返り、未来を考える機会を与えてくれます」とゲーツ氏は言います。

バナーイメージ:テキサス州オースティンにあるアフリカ系アメリカ人歴史碑。ジューンティーンスを含む1500年代から現在までのアフリカ系アメリカ人がたどった歴史を表している (© Acritely_Photo/Alamy Stock Photo)

https://amview.japan.usembassy.gov/juneteenth-remembering-the-end-of-slavery/
ジューンティーンス ― 奴隷制の終わりに思いをはせる


MIBといいウィルスミスさんとトミーリージョーンズさんは宇宙に関係する映画主演される事多いですね。
トミーリージョーンズさんはMIB主演された影響か、缶コーヒー会社のBOSSのCMで地球を調査されている宇宙人役を演じられてますね。

アメリカ政府がエリア51機密解除されているからDABJAPANさんが取材されたエリア51にあるとされている地球外テクノロジー反重力リアクターやエレメント115などの話されている博士の話ネットにUPしても問題ないでしょ。

https://dabjapan.com/area51



国連旗がフラットアースだという事で話題。




地球平面説フラットアース説派がいうフラットアースの証拠。

http://nakamurakozo.tv/200.pdf


地球平面協会なんてあるのか。



概要[編集]

1956年、イギリス人であるサミュエル・シェーントンが国際ゼテティク(Zetetic、真理を究明すること)協会を復活させる形で立ち上げた[3]。後にチャールズ・ジョンソンがカリフォルニア州ランカスターの自宅に本部を置き、指導者となった。彼が2001年に亡くなって以来、協会は休止状態にあったが、最近になってダニエル・シェーントンが新たな会長として組織を復活させた[4]

主張する地球のモデル[編集]



国際連合旗地球は球ではなく円盤型をしている
北極が円盤の中心にあり、円盤の外周は45mの高い氷の壁で囲まれている。
太陽と月の直径はいずれも52km程度である。


国際連合旗の意匠は上記のモデルに類似しており、このモデルの根拠のひとつとされている。

起源[編集]

地球が平面であるという考えは、古代から存在する宇宙論の典型の一つだった。地球が球体である、あるいは少なくとも丸い形をしているという考え方がギリシャの哲学者によって示されるのは紀元前4世紀を待たねばならない。中世の初めごろまでには、地球が球体だという知識はヨーロッパ中に広がっていた。

現代の平らな地球説はイギリス人であるサミュエル・ロウボトム (1816-1884) の考えが元になっている。聖書にある語句を自己流に解釈したものを下敷きに、彼は16ページからなるパンフレットを出版した。後にそれは「地球は球体ではない」という題がつけられ、分量は430ページにまで膨れ上がった。ロウボトムの考え方によれば(彼はそれを「ゼテティク天文学」と呼んだ)、地球は北極を中心にした平らな円盤なのであり、氷の壁(南極大陸)によってその南端に沿ってとりまかれている。

ロウボトムとその支持者たちは、有名な博物学者であるアルフレッド・ウォレスをはじめ時代を代表する科学者たちと論争したことで注目を集めた。ロウボトムはイギリスだけでなくアメリカにもゼテティク協会を設立し、千部の「ゼテティク天文学」のパンフレットを送りつけている。

彼の死後、エリザベス・ブラントという女性が国際ゼテティク協会を設立し、「地球は球体ではない」という雑誌を出版している。『地球』は、彼女を編集者として1901年から04まで発行された平面地球派の新聞である。1901年、彼女はロウボトムによるベッドフォード川での測量実験を再現し、その結果を写真に残したが、当時の科学雑誌には複数の角度からそれを否定する記事が載っている。20世紀初頭まで勢いは失われなかったが、第一次世界大戦後、こうした運動はゆっくりと下降線をたどっていった。

地球平面協会の設立[編集]

1956年、サミュエル・シェーントンが国際地球平面協会を設立し、国際ゼテティク協会の後釜と位置づけて、イギリスにある自宅で「運営事務局長」として活動した。彼が既存の科学やかわる新たな科学に関心を持っていたことから、宗教的な主張はあまりされなくなった。折しも最初の人工衛星が打ち上げられる直前のことであり、すぐに平面ではなく球体の形をした地球の姿を宇宙から明らかにされたのだが、協会はくじけなかった。シェーントンは、「訓練されていない目を写真が騙すことがいかに容易いかがよくわかる」と述べている。

だが、有人宇宙飛行の時代が到来したことではじめて、シェーントンは幅広い関心を集めることに成功した。1964年1月と6月に、ニューヨーク・タイムズで特集が組まれる。彼につけられた「平面地球人」なる異名が、イギリス議会を表すスラングになっていた。

1969年にシェーントンはポリテクニックの講師であったエリス・ヒルマンを説き伏せ、地球平面協会の会長に任命した。しかしシェーントンの死後、その蔵書のほとんどがヒルマン自らも設立に関わったサイエンス・フィクション協会の書庫に(しかもヒルマンの手によって)入れられたことがわかっている。

シェーントンが1971年に亡くなり、チャールズ・ジョンソンが後継者となった。彼はシェーントンの妻から蔵書を引き継ぎ、アメリカ国際地球平面研究会をカリフォルニアに設立して、初代会長に就任した。彼のリーダーシップのもと、創設期の僅かなメンバーは30年間で3000人前後にまで膨れ上がった。ジョンソンは、会報やパンフレット、地図などの宣伝材料を配り、彼の妻やおなじく平面地球人であった多くの人々に入会を促した。その中でも最も有名な会報は、4ページからなる季刊のタブロイド新聞である「フラット・アース・ニューズ」である。

以下は70年代と80年代の「フラット・アース・ニューズ」の代表的ヘッドラインである[5]。「オーストラリアは逆さまではない」(78年5月)
「NASAの父、ニキータ・フルシチョフ」(80年3月)
「科学は知性に有害である」(80年9月)
「地球は球体ではない。重力は存在しない」(81年5月)


地球平面協会が普及させた新たなモデルによれば、北極を中心にして外側を氷の壁 (45m) に囲まれた円盤の上に人類はいる。そうして描かれる地図は国連のシンボルと似通っているということを、ジョンソンは自分の意見を補強する証拠として用いていた[6]

地球平面協会はアメリカ合衆国政府やその機関(とりわけNASA)を攻撃することで会員を集めていた。しかし初期の協会の文章のほとんどが、聖書の地球が平面であることを意味する箇所を字義通りに解釈するものであり、そこに科学的な説明や証拠を与えようとしていた。

協会はチャールズ・ジョンソンのもとで最盛期には2000人を越える組織にまで成長した。だがその頃には、地球が球体であるということは科学的に立証され広く知られた知識になっており、「平面地球人」は、間違っていたり廃れてしまった考え方に固執する人間のことを指す言葉として一般に用いられるようになっていた。

協会は1990年代には縮小傾向をみせる。さらにジョンソン宅で火災が発生したために、会員の情報が焼失し交流が絶たれてしまったことも大きかった。管理を手伝っていたジョンソンの妻は、その後まもなく亡くなっている。チャールズ・ジョンソンは2001年5月19日に亡くなった。

カナダ地球平面協会[編集]

カナダ地球平面協会はセントトーマス大学の哲学科教授であったレオ・フェラーリを中心として1970年に創設され、84年頃まで活発な動きをみせた。彼らの目的は他の地球平面協会のものと全く異なる。「新たな技術の時代に蔓延っているのは、『盲目的な信仰のもとで自分たちの常識的な声を拒否』しようとする人々の意思」だと彼らは信じていたのだ[7]

彼らもニューズレター「オフィシャル・クロニクル」を発行し、テレビや出版物を通じて自分たちの思想をより広く伝えようとした。その目的は、「天球という人を惑わす偶像と戦う」ことであり「知覚したものの正当性への自信を回復させる」こと、「人々の形而上学と幾何学の檻からの脱出の尖兵となる」ことだという。

地球平面協会の今日[編集]

2009年9月現在、インターネットを主体に議論を行うフォーラムが2つ存在する。地球平面協会はTwitterやFacebookなどでも活動している。平面地球への純粋な信仰を表明する投稿も現れ、FAQも利用可能である。2009年、地球平面協会は再興され、2010年5月までに60名の会員を擁している。しかし、現在の協会員達はかつての理論に代わる中心的なモデルを持っているわけではなく、個々のメンバーにはそれぞれ独自の地球の構造がある。ある者は地球は完全に平らだと主張し、一方で別の人間は円盤構造だと主張している。ダニエル・シェーントンは地球平面協会を復活させた人物である。ガーディアン紙上で、シェーントンは60名の会員を勧誘したと語っている。記事は、協会の会報である1970年代と80年代の「フラット・アース・ニューズ」の影響を受けたサイトを彼が運営していると伝えている[4]

脚注[編集]

[脚注の使い方]^How can one prove that the world is round?”. www.physlink.com. 2023年4月15日閲覧。
^Why is the Earth round?”. 2010年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月15日閲覧。
^HowStuffWorks "Flat Earth Society"”. Science.howstuffworks.com. 2009年6月15日閲覧。
^ a b David Adam, The Guardian, The Earth is flat? What planet is he on?, February 23, 2010
^Flat Earth Society Library” (n.d.). 2014年4月23日閲覧。
^ Johnson, Charles K. (1978年12月). “News of the World's Children”. 'Flat Earth News'. Lancaster, CA: International Flat Earth Research Society. p. 2. 2010年5月21日閲覧。
^UNB Archives”. 2010年8月1日閲覧。[リンク切れ]


関連項目[編集]地球平面説
地球空洞説


外部リンク[編集]References to the Flat Earth Society
The Flat Earth Society

地球平面協会出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アニメでは宇宙より遠い場所という女の子たちが昭和基地のある南極大陸目指すアニメがうつ症状和らげるのに良いと評判らしいですね。