真珠湾での戦死から81年、米兵の遺骨はふるさとに…「悲しいだけ」と語った遺族の思い2023年2月13日 16時00分 死ぬ前に祖国へ…祐天寺に眠る朝鮮人遺骨の返還を市民団体が要請 終戦直後の「浮島丸事件」遺族が切望2022年12月19日 19時10分 東京の寺に眠る父、韓国に帰る日は…終戦直後に輸送船沈没 いまだ返還実現しない275人の遺骨2022年8月21日 06時00分 東京新聞PDF魚拓

真珠湾での戦死から81年、米兵の遺骨はふるさとに…「悲しいだけ」と語った遺族の思い2023年2月13日 16時00分 死ぬ前に祖国へ…祐天寺に眠る朝鮮人遺骨の返還を市民団体が要請 終戦直後の「浮島丸事件」遺族が切望2022年12月19日 19時10分 東京の寺に眠る父、韓国に帰る日は…終戦直後に輸送船沈没 いまだ返還実現しない275人の遺骨2022年8月21日 06時00分 東京新聞PDF魚拓
帰る場所のない私と違って帰る場所がある戦没者ご遺骨を戦没者遺族のところに返還したほうが良いと思うよって記事だよ。



旧日本軍による米ハワイ・真珠湾攻撃で犠牲になり、身元の分からなかった米兵の遺骨が、米軍によるDNA鑑定で米西部カリフォルニア州ベンチュラのクロード・ガルシアさん=当時(25)=と判明し、昨年12月、81年ぶりに故郷に戻った。遺骨を受け取ったクロードさんの姉の孫、リック・ラフィネリさん(74)は「時間はかかったが、家族の元に戻ってきてくれて本当にうれしい」と感慨深げに語る。(アメリカ総局・浅井俊典)

◆半信半疑だった。でも心が震えた

 「最初に連絡が来たときは半信半疑だった。でも、米軍がこれほど長期間にわたって遺骨を家族の元に帰す努力をしていたと知り、心が震えた」。2021年夏に国防総省の「戦争捕虜・戦中行方不明者捜索統合司令部」(DPAA)から連絡を受けたときのことを、ラフィネリさんはこう振り返る。



米ハワイの真珠湾で旧日本軍の攻撃を受けて炎上する戦艦ウェストバージニア=米国立公文書館所蔵

 1941年12月8日(現地時間7日)、旧日本軍がハワイ・オアフ島の真珠湾にある米軍基地を奇襲攻撃し、米側は戦艦アリゾナなど4隻が沈没、民間人を含む約2400人が死亡した。海軍の技師だったクロードさんは、沈没した戦艦ウェストバージニアに乗っていた。攻撃の後、家族に戦死が知らされた。

 4人きょうだいの次男としてベンチュラで生まれ育ったクロードさんは、高校卒業後に海軍に入隊。兄のロバートさんも海兵で、2人は真珠湾攻撃の前夜にロバートさんの兵舎で一緒にトランプをしていた。翌朝、旧日本軍の攻撃を受け、助けに向かったロバートさんはクロードさんの乗る戦艦に爆弾が直撃するのを目の前で見たという。

◆「全ての兵士を家族の元に帰す」



地図

 戦後、ロバートさんは「クロードは真珠湾で死んだんだ。家にも帰って来られなかったし、結婚して家庭を持つこともかなわなかった」と残念がったという。

 米軍の資料によると、真珠湾攻撃の後に引き揚げられたウェストバージニアからは、66人の遺体が見つかった。このうちクロードさんら身元が分からなかった35人は、ハワイ・ホノルルにある米国立太平洋記念墓地に埋葬された。2017年からDPAAが身元不明の35人を再調査していた。

 DPAAは、第2次世界大戦以降の戦争で身元確認できなかった米兵の遺骨を発掘して持ち帰り、DNA鑑定などをして遺族に引き渡す任務を負う。「全ての兵士を家族の元に帰す」が合言葉だ。ラフィネリさんが妹とともにDNAのサンプルをDPAAに送ると、クロードさんと同じDNA型が検出された。クロードさんの遺骨は手や足の一部を除き、ほとんどの骨が残されていたという。

◆退役軍人や消防士も棺を見送った



真珠湾攻撃で戦死したクロード・ガルシアさん=リック・ラフィネリさん提供

 遺骨が納められた棺(ひつぎ)がベンチュラに戻ったのは昨年12月6日。家族の眠る墓地に車で運ばれる間、沿道には星条旗が掲げられ、軍関係者や退役軍人、消防士らが見守った。ラフィネリさんは棺に向かって声を掛けた。「お帰りなさい、クロード」

 クロードさんの墓は母親の隣に設けられ、墓地の敷地内には姉や兄も眠る。ラフィネリさんは「クロードは故郷のベンチュラが大好きだったと聞いていた。彼がいま、母親やきょうだいと一緒にいられるのは本当に大切なことだ」と話す。

 真珠湾攻撃をきっかけに米国は日本との戦争に突入したが、「日本人を恨んではいない」という。「あの戦争では、米国人の家族と同じように親や子を亡くした日本人家族も大勢いる。戦争に参加した人間を責めるつもりはない。私たちが戦争をしなければならなかったことが悲しいだけだ」と静かに語った。

【関連記事】死ぬ前に祖国へ…祐天寺に眠る朝鮮人遺骨の返還を市民団体が要請 終戦直後の「浮島丸事件」遺族が切望

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真珠湾での戦死から81年、米兵の遺骨はふるさとに…「悲しいだけ」と語った遺族の思い

2023年2月13日 16時00分



終戦直後に京都府舞鶴沖で多数の朝鮮人が命を落とした「浮島丸事件」を巡り、東京と舞鶴、青森の市民団体が19日、厚生労働省を訪れ、東京都目黒区の祐天寺に保管されている犠牲者280人分の遺骨を韓国や北朝鮮に返還するよう求める要請書を提出した。

 青森県から帰郷する朝鮮人労働者ら数千人を乗せた輸送船浮島丸は1945年8月24日、原因不明の爆発で沈没した。祐天寺には現在、韓国の275人、北朝鮮の5人の遺骨が保管されている。長年、それぞれ追悼行事を続けてきた3団体は、8月の本紙報道で韓国の遺族が遺骨返還を望んでいると知って連絡を取り合い、初めて合同での要請を決めた。

 要請書は「死ぬ前に遺骨を祖国に迎えたい」という本紙が報じた遺族団体代表韓永龍(ハンヨンヨン)さん(79)の言葉を引用し、遺骨返還の早期実現を求めた。市民団体側によると、厚労省は「問題解決のため最大限の努力をしたい」と応じたという。

 要請書提出後に記者会見した舞鶴の「浮島丸殉難者を追悼する会」の品田茂会長は「政府間の話し合いが進むことを強く願う」と訴え、約10年前に中断した日韓当局間の遺骨返還協議の再開を求めた。

 会見には、遺族代表として韓さんと金栄彩(キムヨンチェ)さん(78)が韓国からオンラインで参加。ともに父親が動員され、青森県大湊の海軍施設で働いたといい、韓さんは「戦後77年でも、異国の地に遺骨があるのは残念だ」と話した。遺族の大部分は政府による真相究明や謝罪を求めてきたが、現在は高齢化もあり、遺骨返還の早期実現を希望している。

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死ぬ前に祖国へ…祐天寺に眠る朝鮮人遺骨の返還を市民団体が要請 終戦直後の「浮島丸事件」遺族が切望

2022年12月19日 19時10分



 終戦直後の1945年8月24日、朝鮮半島に帰郷する労働者ら数千人を乗せた輸送船浮島丸が、京都府舞鶴沖で爆発、沈没した。命を落とした朝鮮半島出身者のうち275人の遺骨が、東京都目黒区の祐天寺に残されている。戦後77年を経ても、韓国の遺族が願う遺骨返還は実現していない。(ソウル・木下大資)

 浮島丸事件 朝鮮半島から徴用などで動員され、帰還しようとする朝鮮人ら数千人を乗せて青森県大湊港から現在の韓国・釜山へ向かっていた日本海軍の輸送船浮島丸(4730トン)が1945年8月24日、京都府の舞鶴湾内で爆発、沈没した。当時の日本側の発表では朝鮮人524人と乗組員25人が死亡した。

◆父の名が記された箱

 韓国南西部全州(チョンジュ)に住む全承烈(チョンスンヨル)さん(80)は2006年に祐天寺を訪れ、父の名が記された箱に入った遺骨と対面した。内袋を開け、硬い骨の感触も確かめた。「日本に連れていかれた父を故郷に埋めてやりたい」との思いがこみあげた。



2006年、東京都目黒区の祐天寺で、父の名が記された遺骨の箱を抱える全承烈さん。遺骨は今も同寺にある=本人提供

 全州で酒造会社を営んでいた父は戦時中に動員され、青森県大湊の海軍施設で働かされた。終戦で帰郷しようと浮島丸に乗り、事件に巻き込まれた。

 しかし全さんが対面した遺骨は、父のものではない可能性がある。浮島丸沈没後、海中から一部の遺体を引き揚げ、まとめて火葬したためだ。遺骨は誰のものか特定されないまま箱に分けられた。爆発原因についても、米軍が敷設した機雷に接触した説などがあるが、韓国では生存者の証言などから日本側が故意に爆破したとみられている。

 日本に対する強い不信感を背景に、韓国の遺族は長年、日本政府の再調査や謝罪がなければ、個別の遺骨の返還は受け入れないとの立場だった。しかし時の流れとともに、高齢化した遺族に感情の変化が見える。

◆「謝罪がほしかった」しかし…

 全さんは、父の顔を知らない。父は戦時中、1歳くらいだった全さんを抱いた妻に「しっかり育ててくれ」と告げ、日本人警察官に連れていかれた。日本のために働かされ、二度と郷里には戻れなかった。



韓国・全州で7月29日、祐天寺を訪問した際の写真を見る全承烈さん=木下大資撮影

 「日本政府の謝罪がほしかった」。そう語る全さんら遺族は1992年、日本政府の謝罪や損害賠償などを求めて京都地裁に提訴した。一審は日本政府に賠償を命じたが、大阪高裁は原告の要求をすべて退け、最高裁も高裁判決を支持して確定している。

 高裁判決当時の新聞は、全さんが会見で日本への激しい怒りをぶちまける様子を伝えた。しかし全さんは「今となっては、あの時の怒りの感情を表現することはできない」と話す。

 浮島丸事件の遺族団体代表の韓永龍(ハンヨンヨン)さん(78)=慶尚南道(キョンサンナムド)居昌(コチャン)=も「遺族たちは高齢になった。親に顔向けできるよう、死ぬ前に遺骨を祖国に迎えたい」との意向を語る。

 日本側が524人とする朝鮮人死者数は韓国では数千人と考えられており、祐天寺にある遺骨箱に親の名前がない遺族もいる。韓さんには、舞鶴沖の海底に残されているであろう遺体を捜し、DNA鑑定で遺骨の身元を突き止めてほしいという思いは今もある。しかしまずは返還を優先させたいという考えに傾く。

◆日韓関係が冷え込んだ10年

 日本政府は、国内で収集した朝鮮半島出身の軍人・軍属らの遺骨を祐天寺に委託して保管してきた。2008〜10年には日韓政府間の協議の末、祐天寺にあった423人の遺骨が4回にわけて韓国に返還された。戦後77年の今も残るのは、日本と国交のない現在の北朝鮮出身者425人分と、浮島丸関係の遺骨だけになった。

 日韓関係が冷え込んだこの10年間、返還をめぐる協議は止まっている。遺族らの焦燥感は強い。昨年4月には韓国大統領府や在韓日本大使館に対し、遺骨を安置して追悼できる公園を韓国内に整備した上で、遺骨の返還を実現してほしいと要請した。

 全さんは「ともに遺骨を迎える場があれば、遺族は親の遺骨のかけらでも入っているという気持ちで訪れるでしょう」と意義を訴える。韓さんも「日韓の仲が悪くても、両政府は遺骨問題に人道的次元で取り組んでほしい」と語る。



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東京の寺に眠る父、韓国に帰る日は…終戦直後に輸送船沈没 いまだ返還実現しない275人の遺骨

2022年8月21日 06時00分