シュケムの町がシンボルのシメオン族は、ユダ族の地域に割り当てられたが放浪の立場でエチオピアに追放された説とイスラエル政府公式の十士族がエチオピア.ナイジェリア.アフガニスタン.インドに行ったとの見解。 

シメオン族は、シュケム虐殺でユダ族領に割り当てられたユダ王国の非主流の民族.イスラエル部族のカナン(現在のパレスチナ)征服後に、カナン南西に割り当てられたとされるが、歴代史から
メニウムの土地での先住民虐殺して土地奪った歴史やセイル山でのアマレク人虐殺の歴史があり、かなり早い段階でユダ族に吸収されたとされる。
ミドラーシュによると他のイスラエル族の多くの家族は、シメオン族の夫失くした寡婦の子孫とされる。
ヨシュア記にシメオン族の領地割り当てされた事明記されているが、町のいくつかはユダ族のものとされる。
シメオン族は、砂漠を放浪。つまりシメオン族にヨシュア記で割り当てされた土地は、ユダ族領土でユダ族に吸収されておりシメオン族は、自身の土地持たず砂漠放浪のホームレスの民族の可能性高いよね。シメオン族先人の先住民等虐殺加害の罪は、消えないでしょうけど。
シメオン族は、民数記記載第一回人口調査で出エジプトの頃、軍む可能な成人男性の人口数3番目に、多かったが第2回人口調査で軍む可能な成人男性数が最下位に。
シメオン族とレビ族は、シュケムの虐殺による神の罰受けた扱いでユダ王国の頃に、シメオン族もバビロン捕囚にあった。
ミドラーシュの外典によるとバビロニア(現在のイラク南部、バグダード周辺からペルシャ湾、ザクロス山脈からシリア砂漠やアラビヤ砂漠、旧約聖書シュメールからアッカドの地)からアクスム王国(過去のエチオピア東北部、エリトリア地域、ソロモン朝)のthedarkmountainsの背後に追放されたと主張している。
シメオン族は、砂漠放浪の記述からイラクでは、東西ルートであるザクロス山脈からシリア砂漠やアラビア砂漠通った可能性高いよね、シメオン族がエチオピアのthedarkmountainsの背後に追放された主張との記述から山に住む民族でアニメハンターハンターの冨樫義博さんが、クラピカちゃんをシメオン族のユダヤ教徒を参考に、クルタ族の物語創作された可能性はあり得ると私は思いました。


アクスム王国に来た非キリスト教徒又はユダヤ教徒のクシ系アガウ族クディットかイエメンにあたる南アラビアから紅海越えてきたアクスム王国建国に貢献したセム系サバ族が、ユダヤ教徒であるしシメオン族と関係ある可能性高いよね。



ソロモン朝のあった現在のエチオピアは、ユダヤ教と原始キリスト教、7世紀からイスラーム教とプロテスタントの共存する宗教多様性の国なのだそうです。シュケム虐殺で神の罰受けたとされるシメオン族は、多様な宗教が共存共生できるエチオピアに追放されて良かったかもしれないで終わらずに、エチオピアの宗教専門家、考古学者、政教分離世俗主義政策の専門家、奴隷解放の憲法学者、生物学的女性や性的少数者の人権尊重の専門家呼んで、イスラエル国とパレスチナ国の戦争終わらせてエチオピアのような宗教多様性を実現する聖書解釈クアルーン解釈できるような非暴力非核反戦の宗教平和会談の場作るとかどうですか、イスラエル国のユダヤ教徒は、嘆きの壁や神殿入りや神殿建設巡ってイスラーム教徒に石投げられるインティファーダされる問題解決しないとパレスチナ国からイスラエル国に武力行使するハマスも無くならない気がします。 
私は良心的徴兵拒否支持派なので、インティファーダでハマスが生まれたのはイスラエル国の占領政策が原因に一理あると思いますし、イスラエルのシャロンリクード党首・外相(後に首相)が1,000名の武装した側近と共にアル・アクサモスクに入場や第三神殿建設主張、トランプ米共和党政権のパレスチナのエルサレムにイスラエル国の首都移転の悪手、PLOとオスロ合意2国家共存のイスラエル国にPLOが抑え込まれたのもパレスチナのイスラム教徒を怒らせるインティーファーダの原因となりハマス創設の1つになっていたか、やはりインティファーダーやめさせるには2024年米大統領選でトランプ前大統領再選阻止し米民主党系等パレスチナ入植とガザジェノサイドを国際法違反と認めかつ停戦求める米大統領でイスラエル国のエルサレム移転をやめさせる人が米大統領になる必要がある、現在のバイデン民主党政権はパレスチナ入植とガザジェノサイドを国際法違反というだけにとどまっていて停戦のメッセージがなく弱い、イスラエル国に対する武器輸出を停止させガザ即時停戦と人道支援を言える米民主党候補出してトランプ前大統領に勝って頂かないと、全米ライフル協会が支援団体で銃規制緩和派の米共和党トランプ前大統領が煽るヘイトによる暴力の連鎖に反対してる銃規制強化派の米民主党カマラハリス副大統領が米大統領選2024に立候補しパレスチナ入植とガザジェノサイドを国際法違反と認める内容の継続、イスラエルへの武器輸出停止、銃規制緩和する全米ライフル協会をテロ組織認定、リクード党ネタニヤフ政権が再選できなくなって、ガザ即時停戦と人道支援、米大使館がエルサレム首都移転を遅らせてくれているのだからエルサレム首都移転は誤りと認めイスラエル国の首都は移転前のテルアビブのままとする声明出してイスラエル国での良心的徴兵拒否を認めさせイスラエル国建国のシオニズムの原因となったイギリスのバルフォア宣言等3宣言の無効化と国連でイスラエル分割決議は誤りだったと認めオスロ合意ではなくイスラエル国防軍廃止イスラエル国廃止しパレスチナから入植者の撤退とパレスチナのアラブ人に帰還権認める事とユダヤ教徒が再びディスボアラにならないで済むようにパレスチナにユダヤ教徒の国ではないHomeとしての居住地用意するとして反戦反核イスラエル国のユダヤ正統派超正統派がいうパレスチナ国に入植した土地返還イスラエル国を実現してインティファーダの原因取り除いてパレスチナ国1国終戦案によるパレスチナのアラブ人(イスラム教徒)とユダヤ教徒の共生を実現する米軍基地は置かないが奴隷解放の憲法は見習い奴隷解放の憲法でコスタリカ憲法の常備軍設置しない非武装永世中立でイスラム帝国的な部分とユダヤ教徒的な部分が共存する宗教多様性がある国に、インティファーダーの原因から暴力の原因を取り除く和平案でいくしかないように思えました。インティファーダー調べてみて。
つまりアメリカ合衆国内及びイスラエル国とパレスチナ国の憎悪の連鎖阻止には米大統領選2024でのパレスチナでのガザジェノサイドや入植を国際法違反と認めようとすらしないシオニストのトランプ前大統領再選阻止が大前提であるように思います。



インティファーダ(اِنْتِفَاضَة, ʾintifāḍa(h))とは、アラビア語の動詞(派生形第8形)اِنْتَفَضَ(ʾintafaḍa、インタファダ、(物や人が)震える・(木などが)揺れ(て上にある物が落ち)る、目覚める・体を起こす、蜂起する・反乱を起こす)の動名詞に関連する名詞で、「揺れ、震え」「覚醒、目覚め」「蜂起、反乱」の意[1]。現代では主に民衆蜂起の意味で用いられている。英字表記はIntifada, Intefadah, Intifadahなど。

アラブ世界でインティファーダと呼ばれるものは複数ある[2]が、日本においては通常パレスチナで発生したものだけを意味する。

パレスチナのインティファーダ

パレスチナのインティファーダは、「イスラエルによるパレスチナの軍事占領に対する民衆蜂起(あるいは抵抗活動)」に対する呼称として一般的に使用される。イスラエル強硬派からは「国際社会を反イスラエルに向けようとするテロ作戦の一環」とみなされ、「蜂起を名目とした不均衡な戦争非対称戦争)」として主張されることもある。イスラエルの一部では、インティファーダとそれに対する弾圧等を通じて「強硬な対パレスチナ占領政策」の誤りに気付き、良心的兵役拒否や和平支持等の運動が広がる契機となった。

2020年末までに、パレスチナのインティファーダは2度発生している。第1次インティファーダ1987年に発生。同年12月9日ガザ地区においてイスラエル人トラックパレスチナ人バン衝突事故を起こし、4人の死亡者を出したことがきっかけであった。暴力行為は1991年頃に下火となり、1993年8月のオスロ合意およびパレスチナ自治政府の設立に伴い沈静化した。パレスチナ人の死者は1000人以上、逮捕者は数万人で多くは子供や若者だったと言われている[3]
第2次インティファーダ(アル=アクサ・インティファーダ):2000年に発生。同年9月28日にイスラエルのシャロンリクード党首・外相(後に首相)が1,000名の武装した側近と共にアル・アクサモスクに入場したのがきっかけであった。暴力行為はヤーセル・アラファートが死去した2004年11月頃から下火となり、一般的には2005年中に沈静化したと見られている。


2000年代半ば以降、パレスチナでインティファーダと称される活動は発生していない。2017年12月6日にはトランプアメリカ大統領がパレスチナ側の主張に反するエルサレムのイスラエル首都宣言を発表したものの、一般パレスチナ人の間から大規模かつ長期に展開しそうな抗議運動は見られなかった。

この背景にはパレスチナ自治政府に対する不信感やイスラエル経済への依存の高まりがあり、テルアビブ大学安全保障問題研究所のコビ・ミハイル上席研究員は「パレスチナは過去2回のインティファーダで大きな代償を払ったにもかかわらず、何も得るものがなかった。自治政府に対する不満は強く、自らの生活を投げ出してまで蜂起しようという人は少ないはずだ」と指摘している[4]

2018年3月2日には、ガザ地区を支配するイスラム原理主義組織ハマスが「アメリカがエルサレムをイスラエルの首都と認めたりすれば、『インティファーダ』と呼ばれる民衆蜂起をパレスチナの人たちに呼びかける」と警告したが[5]、最終的には『インティファーダ』と呼ばれるような出来事は起きなかった。

なお、インターネット上には、インターネットを通じてパレスチナの現状とパレスチナ問題に対する国際世論の関心を高めることを目的とした「エレクトロニック・インティファーダ(Electronic Intifada)」という名称のパレスチナの抵抗運動サイトも作られている[6]

パレスチナ以外のインティファーダ

イラク

1991年湾岸戦争直後の3月、イラクの南部でシーア派が、北部ではクルド人がサッダーム・フセイン政権に反発して大規模な反乱を起こした。これは反乱が起こった年から、1991年インティファーダ1991 uprisings in Iraq)と呼ばれた。

湾岸戦争の際、クウェート駐留のイラク軍が湾岸戦争の敗退でイラク国内に敗走、その過程で反戦・反フセイン意識がイラク軍内に高揚したことから、一将校がバスラのサッダームの肖像を攻撃したことをきっかけに、急速に国内に反乱が広がった。全国に拡大した反乱勢力は米軍の協力を期待したが、米軍は静観したため兵力を温存したイラク政府軍が3月後半には鎮圧に成功、反乱側は10万人近くが虐殺されたとされる。

2003年のイラク戦争の後、ムクタダー・サドルイラクアメリカ軍による軍事占領の終了を目指し「イラク・インティファーダ(Iraqi Intifada)[7]」と呼ばれる暴動を指揮した。

脚注^المعاني - انتفض”. 2023年6月17日閲覧。
^ 英語版ウィキペディア「インティファーダ」曖昧さ回避
^ 『ぼくの村は壁で囲まれた - パレスチナに生きる子どもたち』株式会社 現代書館、2017年4月20日、69頁。
^ トランプ宣言にパレスチナ無反応のわけ
^ インティファーダとは? イスラム原理主義組織「ハマス」が警告
^ ei:The Electronic Intifada
^ Iraq Imam Muqtada al-Sadr launches Iraqi Intifada - Asia News


関連項目ハマース
パレスチナ問題
イラク戦争
湾岸戦争
中東戦争


外部リンクThe Intifada and Nonviolent Struggle, Arabic(PDF)(Gene Sharp, Albert Einstein Institution)

インティファーダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



アメリカのトランプ大統領が、12月6日にもエルサレムをイスラエルの「首都」と認める方針だと、アメリカの複数のメディアが報じた。これに対し、パレスチナ側が「再び民衆蜂起を呼びかける」と警告するなど、反発を強めている。

■これまでの経緯は?

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地とされており、この地をめぐる問題は、世界で最も解決が困難だとされている

イスラエルはこの都市を首都と定めているが、国際的には承認されていない。パレスチナもエルサレムを将来の独立国家の首都だと主張している。

アメリカの歴代政権や国際社会は、エルサレムについて、「イスラエルとパレスチナの和平交渉で決めるべきだ」としており、日米を含む多くの国はテルアビブに大使館を置いている

ところが、トランプ氏は大統領選でイスラエル寄りの姿勢を鮮明に打ち出し、米大使館をエルサレムに移転すると、公約に掲げていた

しかし、トランプ氏は大使館移転を先延ばしにしてきた。

大統領に就任した翌月の2017年2月、トランプ氏は大使館のエルサレム移転について、まだ決め兼ねているしている状態だとコメント。6月には、移転を半年、先送りすると決定した。理由については、イスラエルとパレスチナの和平交渉を、「成功させる機会を最大限にするため」と説明した

■トランプ氏がエルサレムを首都と認める意向だと報じられる

12月1日、ロイター通信など複数メディアが、トランプ氏がエルサレムを首都と認める一方、大使館の移転は、決定を先送りする見通しだと報じた。

これに対し、パレスチナのパレスチナのアッバス議長は報道官を通じ、「これまでの和平プロセスが崩壊する。大使館移転と同レベルの危険をはらんでおり、地域を不安定にさせる」とコメント。「世界が代償を払うことになる」などと懸念を示した

また、ガザ地区を支配するイスラム原理主義組織ハマスは2日、アメリカがエルサレムをイスラエルの首都と認めたりすれば、「インティファーダ」と呼ばれる民衆蜂起を、パレスチナの人たちに呼びかけると警告した

インティファーダとはイスラエルの占領地においてパレスチナ住民により組織的に展開された占領支配に抵抗する運動。1987年(第1次)と2000年の2回(第2次)に起きている

第1次インティファーダでは、ガザでイスラエル人の乗ったトラックがパレスチナ人労働者の乗ったバンと衝突し、4人の死者を出したのをきっかけとして広がった。

パレスチナ側は子供から大人まで、主に投石や道路遮断などでイスラエルへの抵抗を示したのに対し、イスラエル側は武力的な鎮圧を強行。死者は 1500人,逮捕者は延べ 5万人をこえ,国際的にも大きな反響を呼んだ。

第2次インティファーダはイスラエル右派によるエルサレム聖域への強行立ち入りに反発したパレスチナ市民の間から起きた。迫撃砲や手製のロケット弾などが使われた他、自爆テロなどにより激しい暴力の応酬に発展。ニューズウィークによると、パレスチナ側5000人以上、イスラエル側に1000人以上の死者が出た

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「ガザ停戦は、ただ"人が死なない"状態になっただけ。餓えないが自由はない、残酷な平和」藤原亮司さん

インティファーダとは? イスラム原理主義組織「ハマス」が警告

過去には6000人以上の死者も。エルサレムをイスラエルの"首都"と認めようとするアメリカの動きを牽制



和田千才

2017年12月03日 15時29分 JST

トランプ前大統領のイスラエル国のエルサレム首都移転は問題ありと米大使館がストップかける、米大使館の対応良いです。

https://www.reuters.com/article/us-usa-trump-israel/trump-weighs-recognizing-jerusalem-as-israels-capital-officials-idUSKBN1DU34J/


https://drive.google.com/file/d/1A3MFZrSu8LXNFFc2q1jQRFcQlwuFhvM4/view?usp=sharing

パレスチナ政府側とハマス側からトランプ共和党政権のイスラエル国のエルサレム首都移転に和平妨げると抗議声明。

https://www.timesofisrael.com/palestinians-warn-of-violence-if-trump-recognizes-jerusalem-as-israels-capital/


https://www.timesofisrael.com/palestinians-to-kushner-peace-process-ends-if-trump-backs-israel-on-jerusalem/







問題解決の為にPLOとイスラエル国政府が2国家共存のオスロ合意してもパレスチナ国のアラブ系住民側はイスラエル国入植で約30年土地を奪われるままであったからパレスチナ政府側はオスロ合意は無効だと。
ハマスの人質拉致は犯罪であるが、戦争継続するネタニヤフリクード党政権のイスラエル国政府に対し恒久停戦を求めてる要求には一理あるしテロ組織扱いせずイスラエル国政府は入植やめて入植者撤退します恒久停戦し人道支援を受け入れしますオスロ合意無効認めイスラエル国廃止しパレスチナ1国終戦案明文で条約化するからハマスさんは人質解放してとイスラエル国政府側は恒久停戦交渉するしかないと思うのですよね。



終わりの見えないイスラエル軍のガザ地区への攻撃。悪化する人道状況。

そもそも、イスラム組織「ハマス」ってどんな組織? 狙いは何?
今回の攻撃をパレスチナの人たちは支持しているの?

そんな「そもそも」を、パレスチナ情勢に詳しい東京大学の鈴木啓之 特任准教授に解説してもらいました。

(国際部記者 松本弦)

話を聞いたのは東京大学の鈴木啓之 特任准教授

鈴木氏は、東京大学中東地域研究センターの特任准教授です。

専門は中東の近現代史、特にパレスチナ問題です。自身も2018年から2019年までエルサレムに留学経験があり、多くのパレスチナ問題に関する論文のほか、著書を発表しています。
東京大学 中東地域研究センター 鈴木啓之 特任准教授

(以下、鈴木特任准教授の話)

ハマスとは? どう生まれた?

ハマスが設立されたのは1987年12月です。それまでガザ地区を中心として、社会福祉活動を行っていた団体が、第1次インティファーダ(イスラエルに対するパレスチナ住民の大規模な蜂起)の発生を受けて、実力行使部隊を伴って形成されました。これがハマスです。つまり、政治運動としての姿を現したのが1987年12月というわけです。
パレスチナ住民による蜂起(パレスチナ ヨルダン川西岸 1987年)

その後、ハマスは1990年代半ばから2000年代初め頃にかけて、パレスチナ政治の中で、PLO=パレスチナ解放機構が主導する政治方針、それはイスラエルとの和解であるとかイスラエルと共存した形でのパレスチナ国家の樹立といったことに、批判を向けまして、そして、自らの直接行動ということに乗り出していきます。
PLO=パレスチナ解放機構の指導者 アラファト議長(1999年)

その中で編み出されていくのが「自爆攻撃」です。1990年代に最初に行われ、その後、2000年代、第2次インティファーダまたはアルアクサインティファーダと呼ばれる時期に、ハマスは多くの自爆攻撃を実行しました。これによって、ハマスはテロ集団、テロ組織であるということでイスラエルによって強く非難をされていたわけです。
パレスチナ人による自爆攻撃(エルサレム 2003年)

一方で、2000年代の中頃から、ハマスの中で、政治部門の主導が強くなり、選挙に参加をする、選挙を通して自分たちの支持を獲得するという動きを見せていきました。2006年1月、パレスチナの自治政府で2回目の選挙が行われます。この選挙にハマスは参加を表明し、ハマスの政党が過半数の議席を取りました。

この段階で、ハマスには「3つの顔」ができたと言っていいと思います。
①政党としての姿
②福祉団体としての元々の姿
③実力行使部隊としての軍事部門、軍事組織としての姿です。

全ての面がハマスを構成しているわけですけれども、この3つのどの面が出てくるのか、どの面から見るかによって、ハマスのイメージというのは大きく変わってきます。

なぜハマスがガザ地区を実効支配?

ハマスは2006年の選挙で勝利しましたが、このあとイスラエルだけではなく国際社会から「ハマスが参加するパレスチナ自治政府に対しては支援を与えることができない、承認することができない」という声が上がりました。これは、アメリカ、EU、国連、ロシアが形成する中東和平カルテットと呼ばれたグループからも発せられました。

これに乗じる形で、選挙でハマスに負けた「ファタハ」というPLOの主力勢力が、ハマスの追い出し、追い落としを図ります。この結果、パレスチナのヨルダン川西岸地区ではハマスが追い出されるわけですけれども、一方で、ガザ地区では逆にハマスが「ファタハ」の勢力を追い出す形で実効支配を始めました。これが2007年6月のことです。
「ファタハ」を支持するパレスチナの人々(ヨルダン川西岸地区 2022年)

これ以降、イスラエルは、ガザ地区はハマスが管理、実効支配をしている地域であるということで、ガザ地区全体を封鎖下に置く、封じ込めるという政策を取ってきました。この封鎖が15年間続いていて、いまのガザ地区の環境につながっています。
2006年のハマス選挙戦勝利の経緯は?

ハマスの選挙戦略が優れていたということに尽きると思います。ハマスもファタハも同じぐらい住民からの支持を得ているということです。2006年のパレスチナの選挙では当時、132議席のうち半分を比例選挙、比例区で争い、もう半分は大選挙区で争いました。比例区ではハマスとファタハの獲得議席はほぼ拮抗しました。ということは、この2つに対して人々が向ける支持というのは、そこまで大差が開いているものではありませんでした。

一方で、議席の獲得で大差が開いてしまったのは、大選挙区のほうでした。この時、ハマスは候補者を絞って、戦略的に候補者を立て、組織としてよく調整して選挙に臨んだといっていいと思います。一方でファタハは、ベテラン指導部と若手のメンバーたちの間で、意思統一が十分になされないままに選挙戦に突入しました。それぞれが候補者を立ててしまい、候補者の乱立という事態を招き、結果としてファタハに対する支持票が割れ、ハマスが大選挙区で圧勝したのです。それが、選挙全体でのハマスの勝利ということにつながりました。
選挙でのハマスの勝利を喜ぶ人々(パレスチナ ガザ地区 2006年)

ハマスの構成員の規模は?キーマンは?

ハマスの構成人員の数については諸説あるところではあります。ただ、ハマスの軍事部門に関していえば、1万5000人から2万人ほどがいるのではないかということが言われています。基本的には全員パレスチナ人と考えていいと思います。組織としては「シューラー会議」という議会のような、寄り合いのような諮問の場があります。そこで政治局のメンバーが選出され、組織としての意思決定をしていくということです。

何かこう、最高指導者のような、絶対的な指導者がいる、そういうタイプの組織ではありません。そのなかでも政治局局長のイスマイル・ハニーヤ氏が国際的には特に有名だと思います。
ハマスの政治局局長 イスマイル・ハニーヤ氏

またハニーヤ氏の前にやはり政治局の局長を務めていたマシャル氏などもよく知られたハマスの幹部といえます。

今回の攻撃の意思決定は?

ハマスの中でどれほど集団的に意思決定がなされていたのかについて、慎重に判断をすべきではないかと思います。武装部門、カッサム旅団による非常に戦闘的なメッセージと、政治部局が出すガザへの人道的介入を求めるといったようなメッセージの間には明らかに温度差があると私自身は読み取っています。
ハマスの軍事部門 カッサム旅団の軍事パレード(2015年)

この温度差は、国際社会に対して弁明をしなければならない政治指導部と、実際に戦闘に参加している軍事部門というだけのものなのか、それとも、少なくとも2つのハマスの部局の中で、調整が難しくなっている、または調整が取れていないような事態に陥っているのか。今後、出てくる情報を注意して見ていきたいと考えています。

当然、ハマスの幹部の中で、対イスラエルとの関係、また対ファタハとの関係において、政策の思考にグラデーションがあると考えていいと思います。だからこそ、集団合議によって組織としての意思決定を行うということをしていますし、1人の指導者が全ての意思決定を行わないという形にしてきたわけです。

ある意味で、この集団合意による意思決定というのは、ハマスがたどってきた組織的な歴史を反映しています。ハマスは設立後、幹部を大量摘発されたり、2000年代に入ると、「標的暗殺」というイスラエル軍による特殊作戦によって暗殺を受けたりすることもありました。

1人の幹部、または1人の指導者のもとに権力を集中させない、たとえメンバーが欠けたとしても、組織としての運営をなしていく。そのためにこの集団合議制が編み出されたということです。

ガザ地区をどう支配?

2007年6月、ハマスがガザ地区をファタハから奪取して掌握するということが起きて以降、ハマスはガザ地区内部で政府として振る舞うということをしています。それは、国際的またはイスラエルなどが認めない動きではあったわけですけれども、実際に市民サービスなども含めて、ハマスが運営する政府が担っているという状態になっています。

具体的には市役所での窓口業務など、私たちが想像するような業務ですね。例えば市役所に相談に行くであるとか、保健施設に健康上の話で相談に行くというときに、ハマスの公務員、またはハマスのメンバーがいて、日常的に目にするわけです。場合によっては、そうした人が窓口を担当してるということも当然あります。ハマスといっても、日常生活の中でその姿を目にする存在です。
ガザ地区(2023年10月)

ガザ地区の大きな問題は飲料水の確保と食料の安全です。ガザ地区に対して提供される電力はガザ全体の電力を賄うほどの量にはなっていません。その中で、汚水を処理するための浄化槽に回っていないということが、たびたび指摘されています。

そうなると、生活用水はどこに行くのかということなんですけれども、住宅地の少し離れた場所に大きなため池を作って汚水をためる、または海に直接流すということが行われてきました。しかし、これによって水源の汚染が起きてしまったと言われています。

このためガザ地区には安全に飲むことができる井戸水がほとんどないとされていて、ガザは人が住めなくなる土地になってしまうということを言っていたわけです。

また、ガザ地区における貧困状態、または失業状態というのは非常に深刻です。去年(2022年)の段階ですが、ガザ地区の失業率は47パーセントに達しています。若者だけに限れば、失業率は64パーセントとも言われているわけです。

また、貧困ライン以下で生活をする人口はガザ地区住民の65パーセントであると言われていまして、ガザの住民には、かなりの多くのパレスチナ難民、難民家庭が含まれるんですが、この難民家庭に絞って言えば、ガザでの貧困率は80パーセントを超えています。

非常に貧しい、生活が苦しい地区を反映するもう一つのデータが、ガザ地区の住民のうち人道支援に頼っている人の割合です。住民の80パーセントが何らかの人道的支援に頼って生活をしています。食料支援かもしれないし、医療的な支援かもしれません。支援がなければ生活が成り立たない人たちが80パーセントいる、これがガザ地区の現実です。
ガザ地区の難民キャンプ(2018年)

限界はもうすでに数年前から超えているというふうに言えると思います。だからこそ、今回、ハマスやイスラム聖戦など武装勢力によって壁が打ち破られた時に示された強烈な怒り、憎しみといった感情が生まれてくる背景というところにもつながってくると私は思います。

ガザ地区の住民は今回のハマスの攻撃を支持?

現在のガザの住民にとってですが、ハマスによる行為を評価するという余裕があるのかというのは疑問です。現在、大規模な軍事作戦がとられるのではないかと、命の危険に思いをはせている、それで精一杯だというふうに言っていいのだろうと思います。
ガザ住民というのは全員がハマス支持者ではないし、ハマスはガザの人々全員ではないということは、常に言われていることです。ガザの人々の中にもハマスの構成員もいるけれども、ハマスに対して非常に批判的な人物もいますし、場合によってはハマスによって拘束をされる、捕らえられるという経験をした方もいます。

ガザ地区には多くの民間人、住民が暮らしていて、その数は200万人を超えています。そうした人々の命がいま危機にさらされていることに私たちは思いをはせる、理解をしていく必要があります。
ガザ地区北部から避難する人々(2023年10月)

これは決してガザだけに当てはめられることではないです。イスラエル領内で犠牲になった人は1200人または1300人とも言われています。前代未聞の人命が奪われたわけですが、これもやはり許し難い行為であるということです。

国際社会の1つの声として、日本からも、私たちは特に民間人の命、生活が脅かされる事態を認められないという姿勢は示しておく必要があるのではないでしょうか。

そもそもパレスチナ問題はなぜ起きた?

パレスチナという土地はもともとオスマン帝国領の一部でした。しかし、第1次世界大戦後にイギリスとフランスによって委任統治領に切り分けられました。いわゆる植民地という位置づけになりました。こうした植民地は当時、パレスチナだけに限らず世界各地にあったわけです。

特にアフリカ、アジア、中東といった場所に多かったわけですが、これらの国は第2次世界大戦後に植民地支配を脱して独立をしていきます。その際には、その現地の人々を主体とした国家が誕生するというのが基本的な流れでした。

ところが、パレスチナで起きたのは、その直前まで、約半世紀から30年ほどの間に大量に流入していたユダヤ人による国家が建設をされるということが国連の決議によって採択をされました。パレスチナ全土ではなくて、パレスチナという土地を割って、分割をしてユダヤ人の国を作るということはもちろん決められたわけですけれども、現地に、長らく暮らしてきたアラブ人にとってみれば、自分たちが植民地支配から脱したにもかかわらず、または脱する機会であったにもかかわらず、別の国家主体、自分たちの民族ではない国家主体が地域に誕生してしまうことでした。

これは認められないということで、ユダヤ人とアラブ人の間での民族的な対立というものがパレスチナの地で深まっていきます。

これに周辺のアラブ人を主体とするアラブ諸国が加勢する形で始まっていくのが、1948年の「第1次中東戦争」です。第1次中東戦争の結果、新たにできたユダヤ人国家、イスラエルは領土を確定させ、その領土の中にかつて住んでいたアラブ人たちが難民になるということで、戦争の結末を迎えたわけです。
「第1次中東戦争」(1949年)

この難民たちはパレスチナ出身のアラブ人でしたが、だんだん呼び方が変わっていって、パレスチナ人と自称するようになっていきました。当初はこのイスラエルの建国に対して、周辺のアラブ諸国が何度か争いを仕掛ける、挑みかかっていくということになりました。

1956年の「第2次中東戦争」、1967年の「第3次中東戦争」、そして1973年の「第4次中東戦争」と、国家同士の争いが続いていきます。しかし徐々に周辺のアラブ諸国というのは、イスラエルとの敵対関係というものを実動レベル、行動レベルでは示さなくなっていきます。

それは、イスラエルという国家が軍事的に非常に強固であること、また1979年にはエジプトがアメリカの強い仲介姿勢によってイスラエルと単独和平を結び、アラブ諸国の中での足並みが乱れてしまったという事情がありました。

この頃から、パレスチナ人が自ら政治組織を率いてイスラエルに対して闘争を挑むという時代が訪れます。その時に中心になったのは、パレスチナ人の代表組織PLOです。当初はヨルダンを拠点にしていましたが、1970年、ヨルダン政府がこのパレスチナ人の勢力が国内で活動することによって、国内情勢が悪化するということを理由に国外に追い出すということがありました。これは「ヨルダン内戦」と言われています。

それから1982年までの間、PLOはイスラエルの北にあるレバノンを拠点にしながら、イスラエルに対してゲリラ兵士の潜入であるとか、越境攻撃などを行っていたわけです。そして1982年、イスラエルはレバノンに部隊を派遣し、「レバノン戦争」と呼ばれるものが起きます。
「レバノン戦争」(1982年)

この時にイスラエル軍は、首都ベイルートを包囲し、PLO部隊に対して同国からの退去を要求しました。このあとPLOの部隊は、イエメンやチュニジアなど、中東各地に散らばっていくことになります。結果として、パレスチナ人が続けてきた対イスラエル闘争というのは、大きな打撃をここで受けることになったわけです。

ところが当初想定していなかったことが起きます。イスラエルが第3次中東戦争で占領した地域である「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」に住んでいたパレスチナ人の市民たちによる大規模な大衆蜂起=インティファーダというものが イスラエルに対して起こされたのです。ハマスが設立を宣言するのもこのタイミングです。人々が武器ではなくて、石などで、イスラエルの重火器を持った兵士に対して、戦いを挑んでいく事態にイスラエルは直面をしていきます。

これを解決する方法として編み出されていくのが、パレスチナ人に対して自治を認め、そこにある自治区と、自治区が将来的にパレスチナ国家になっていったとして、イスラエルと共存する政治体というものを近くに作るというものでした。これが公の形で宣言をされたのが1993年の「オスロ合意」でした。
「オスロ合意」(1993年)

この「オスロ合意」によって、PLOは、パレスチナ人の代表としてイスラエルを承認し、イスラエルもそれまでテロリスト集団であると言っていたPLOを政治的なパートナーとして承認し、今後は武力ではなくて、話し合いによって問題を解決していこうということが決定づけられました。

話し合いの期間は5年間と決められ、パレスチナ暫定自治がここから始まっていきます。ところが、この暫定自治を脱することができないまま、現在を迎えているというのが実際のところです。

将来的にパレスチナという国家ができるということを期待した人も多くいました。ところが、ヨルダン川西岸地区の中にはイスラエルの入植地が残ったままになります。

つまり、領土的な統一感というものが得られないまま現在まで来ているのです。オスロ合意が結ばれた段階で、東エルサレムを除くヨルダン川西岸地区にはイスラエル人の入植者がおよそ11万人いたと言われています。その人数は現在は50万人を超えたと言われています。

パレスチナの自治というものが行われている間も、イスラエル人の入植者は増え続け、入植地の建設が続けられていたわけです。これは逆にいえば、パレスチナ人にとっては明らかに土地を奪われていく、そうした30年間だったわけです。
ヨルダン川西岸地区のイスラエルの入植地(2014年)

ハマスとイランの関係は?

ハマスにとっての外交的な展開というのは、諸外国を拠点としながらハマスの正当性というのを国際的に高めようとする活動になると思います。イランとの関係に関していえば、イスラエルとハマス、イスラエルとイランの関係を抜きにしては考えられない、考えてはならないものだと思います。

イランとイスラエルは敵対関係です。そして、ハマスとイスラエルも敵対関係ということになります。ある意味で『同じ敵』を持っている、共通の敵を抱いているこの2つの主体というのは、同じ陣営に属しているという認識になります。だからこそ、イランとしてはハマスの行動に対して支援する、支持するというふうな言い方になりますし、ハマスとしてもイランの政府関係者と面会をすることができる。つまり対イスラエル関係でどういった協力があり得るのかといった点などについて、イラン政府の高官と、ハマスの幹部が会談を持つことができる、そうした関係にあります。
ただ、これはあくまでイスラエルとの対抗という点での関係性です。イランがハマスを使ってイスラエルを攻撃するとか、イランが自らの駒としてハマスの行動を指示するといったような関係性ではありません。あくまでハマスはイスラエル・パレスチナの文脈の中で行動していますし、イランもハマスという組織が自分たちの陣営の側にいるとは意識しつつも、やはりイスラエルとの関係では国家同士の関係のところに注力をせざるをえません。

その時にはアメリカという要素が関わってくるので、政治的にレベルを上げた政策が取られてくるということになります。この点は、意識しておくべきだと思います。

北から攻撃するレバノンのシーア派組織「ヒズボラ」との関係は

これもイランとの関係と類似して考えた方がいいと思います。ヒズボラはイスラエルがレバノンに対して侵攻してきた時代に誕生した組織です。つまりレバノンにやってくる、イスラエルにやはり抵抗する組織であるということになります。抵抗という面でイスラエルは共通の敵で、両派の間での共通性を生んでいるんです。
ただ、ヒズボラとしては、イスラエル軍がレバノンの領内に入ってくるような行動がない限り、大きな形での軍事行動ということは基本的には取らないところです。このため、この2つの組織が同じ指示系統の中にあるのかというと別です。

ヒズボラはレバノンの抵抗運動組織として、ハマスはパレスチナの政治組織として、それぞれ行動しています。だからこそ、今回のガザ地区に対してのこれからイスラエルによる軍事侵攻が起きるかもしれないという段階でも、ヒズボラとしては、若干関わろうとする姿勢は示すわけですけれども、自分たちの組織の命運をかけてでもイスラエルに挑もうといった動きは今のところ見せていないのです。
ヒズボラの戦闘員(レバノン 2019年)

今後の展開は? 今、伝えたいことは?

今後の予測は難しいところではありますけれども、過去の事例を見る限り1~2か月ほどでイスラエル側の軍事作戦は完了する可能性が高いです。その後、散発的な戦闘が続き、停戦に至るという形が考えられます。

ただ、イスラエルとパレスチナの衝突のなかで、命の危険・尊厳に対する脅威を抱えているのはそこに住んでいる人々です。それはイスラエル人かパレスチナ人かということにかかわらず、そこに暮らしている人達の命が、そして生活が脅かされています。

このことをやはり私たちは真剣に考えなければならないと思います。それに対して、日本社会、国際社会としてどういった対応をするべきなのか。どういったアプローチができるのか。これを模索する努力を忘れてはならないと思います。
(10月13日 ニュースウォッチ9などで放送)

最新パレスチナ情勢 なぜイスラエルと衝突?ハマスって?解説

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/52390/files/A34205_summary.pdf



イスラエル政府公式情報の失われた十士族公式ルート。カナン(現在のパレスチナでパレスチナ分割決議とイスラエル独立.パレスチナ国独立.PLOとイスラエル政府のオスロ合意で2国家共存とされる)からエジプト通ってイラク→エチオピアの通りだとするとシメオン族の移動ルートと一致する

イスラエル政府公式情報確認されているKyoKannazuki21氏のnote情報でも日ユ同祖論は信用出来ない。