拉致被害者、横田めぐみさんの弟拓也さんの言葉は重く、痛烈である。
「かつて、日本人拉致なんかあるわけがないと言っていた人たちがいた」「彼らは北朝鮮が拉致を認めた瞬間、逃げるかのように口を閉ざした」。先日、「姉を帰せ!」と題して開かれた講演会(福岡市主催)の一場面である。
確かに日本の政党や論壇は、2002年の日朝首脳会談で金正日(キムジョンイル)国防委員長(朝鮮労働党総書記)が拉致を認めるまで、北朝鮮に甘かった。
例えばその頃まで、本紙をはじめメディアは国名を「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」とフル表記し異例の扱いをした。私も1997年の訪朝取材の際、初出部分はそう書いた。思考停止である。 日本の大勢は及び腰だった。背景には朝鮮半島を統治した歴史への過剰な贖罪(しょくざい)意識がある。しかし一方で80年代までの韓国軍政には強硬だった。決して「大韓民国(韓国)」と呼ぶ者はいなかった。
今なら考えられないが、北朝鮮に優しく韓国に厳しかった。この姿勢は、北朝鮮など社会主義体制に強い幻想が残っていたことも影響した。
政党で最たるものは、近く分裂する社民党の前身、社会党である。作家、保阪正康氏の新刊「対立軸の昭和史 社会党はなぜ消滅したのか」(河出新書)は興味深い。党内左派が「社会主義国家にはハエがいない」と東欧ルポで評したことを「まさにお笑い」と書いている。
社会党は朝鮮労働党と「唯一の友党」だと標榜した。めぐみさん拉致疑惑を否定する党機関紙の論文を、拉致が事実だと判明した後もすぐには取り消さなかった。
企業の利潤追求を原理とする資本主義が、公害病など深刻な社会問題を生んだのは人類史上、猛省の材料である。そうだったとしても、資本主義の否定から生まれた社会主義は絶対で、北朝鮮は「地上の楽園」であるとの喧伝(けんでん)を信じる勢力がいたことは、歴史の検証に値する。
市民運動家でもあった作家の小田実(まこと)氏は訪朝して金日成(キムイルソン)主席と会談し「朝鮮の革命の根本原理である主体思想を私も偉大な思想であると考える」と称賛した。77年8月刊の「私と朝鮮」に収録されたやりとりだが、めぐみさん拉致はその3カ月後。「時代の空気」というにはむごすぎる。
「拉致問題はイデオロギーに関係なく取り組むべき重大な人権侵害事件です」。拓也さんの主張に全面的に同感だ。「観念形態」とも訳されるイデオロギーは、時に事実をも見えなくしてしまう。
(特別論説委員)