朝鮮学校の無償化を妨げる金日成個人崇拝教育と北朝鮮拉致問題。金日成個人崇拝独裁礼賛と北朝鮮拉致に加担した公明党解党と社民党解党を求めます。


朝鮮学校の無償化を妨げる金日成個人崇拝教育と北朝鮮拉致問題。金日成個人崇拝独裁礼賛と北朝鮮拉致に加担した公明党解党と社民党解党を求めます。
示現舎さんのソースはColabo叩き、アップデート大阪叩きの離婚後共同親権推進ありきと判明した為、削除。
生コン労組に暴力団対策主張の辛坊さんのニッポン放送記事は関連で統一教会が推進するスパイ防止法を支持する内容が含まれていた為、不適切と判断して削除。
日本第一党もソースとして不適切と考えられるため、削除。

阪神教育事件は朝鮮学校での民族教育を守った事件らしい。



阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)[1][2][3] は、GHQの指令を受けた日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府兵庫県で発生した在日韓国・朝鮮人[注釈 1]日本共産党による暴動及び拉致監禁事件。民族教育闘争という見方[4] もある。戦後の日本国憲法下で非常事態宣言が布告された唯一の事例である。朝鮮人学校事件[5]、大阪での事件は大阪朝鮮人騒擾事件[6]、また神戸での騒乱事件は神戸朝鮮人学校事件[7] とも呼ばれる(その他の呼称については本項で記す)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6
阪神教育事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


https://drive.google.com/file/d/1ERC4gn-OQ3OPIVG7eGAFORgTwlQYkwYM/view?usp=share_link


48年、神戸大久保刑務所に収監され、釈放直後に亡くなった朴柱範さん


 1948年4月、朝鮮人学校平閉鎖令に反対して闘った阪神教育闘争から今年で58周年を迎える。2年後の60周年に向けて民族教育を守りぬいた記念碑を設立しようと、23日に在日と日本人有志による実行委員が発足する。

 「4・24阪神教育闘争記念碑を建てる会」は、家正治・姫路獨協大学教授を代表に、孫敏男・兵庫在日外国人人権協会代表、徐根植・兵庫朝鮮関係研究会代表、高龍秀・甲南大学教授ら在日の学者、歴史研究者、日本側から飛田雄一・神戸学生青年センター館長、馬場功・神戸女子大学教授、水野雄二・神戸YMCA総主事などの学者、宗教家ら22人の賛同者、それに兵庫朝鮮研究会会員の金慶海氏ら6人が事務局を務め、合計28人で発足する。

 阪神教育闘争は、1948年にGHQ(日本占領連合国軍総司令部)の指令の下、日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、民族教育を守ろうと起こった戦い。神戸市では朝鮮人と県・市側の交渉の末、4月24日に撤回された。

 記念碑はその闘争の中心地となった長田区の西神戸朝鮮学校跡を第1希望にしているが、同校は事件当時、日本の学校内に設置されており、現在も日本の学校が建っているため、別の候補地を探している。事件と関わり深い地を数件検討中で、近日中に最終候補地を決めたいとしている。建設費は数百万円を見込んでおり、募金活動で集める計画だ。会の発足後、建てる会入会と建設費募金を広く呼びかけていく。

 碑の内容は、闘争の犠牲者を偲ぶと共に、民族教育を守った誇り、そして在日コリアンと日本人有志で闘ったことを記念し、日本人と在日、日本と韓半島との友好の願いを表現したものとなる予定だ。

 阪神教育闘争では、4月26日に大阪で金太一少年が警官隊の発砲で死去。また当時の朝連兵庫県本部委員長だった朴柱範さんが軍事法廷で有罪判決を受け、神戸刑務所に服役。朴さんは49年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが、そのわずか4時間後に亡くなり、事実上の「獄死」を遂げている。8年前の50周年には記念行事として、韓国内に住む朴さんの遺族を日本に招く行事も行われている。

◆各地の民族学校設立の契機に 金慶海さんの話◆

 「事件当時小学校4年生だったが、兵庫県庁の周りを囲んだ在日の人たちが『勝った!勝った!』と叫んでいたのを、いまもよく覚えている。この闘争に勝利したことが、その後の日本各地における民族学校設立につながっている。在日にとっては民族教育を守り通した大切な記念日だ。これまで強制連行犠牲者の慰霊碑は各地に建てられたのに、阪神教育闘争の記念碑がなかったことは残念に思っていた。記念碑の設立が多民族共生教育の発展につながればと思う。多くの在日、日本人の協力を呼びかけたい」


◆阪神教育闘争◆

 1948年1月24日、文部省通達〈朝鮮人設立学校取扱について〉による朝鮮人学校の閉鎖・弾圧に対する大阪、神戸を中心とした在日朝鮮人の民族教育をまもる闘い。朝鮮人学校は47年10月現在、578校、生徒6万余人に達し、体系的な民族教育を実施していた。

 しかしGHQ民間情報局長の指示によったこの通達で朝鮮人学校は全面的に日本の学校教育法、教育基本法に従うことを強いられ、朝鮮人学校がそれに応じないとして48年4月、全面的に学校閉鎖令が指示された。神戸、大阪では4月23日から26日にかけて民族教育を守ろうとする朝鮮人父兄の抗議闘争に対し、武装警官の実力行使による大弾圧があった。神戸ではいったん閉鎖令が撤回されたが、GHQの非常事態宣言で取り消され、大阪と合わせて日本人若干名を含め3000人以上が逮捕され、うち178人が起訴され、軍事裁判によって重刑をうけた。

 ※朝鮮を知る事典(平凡社)より。

http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2006/58.php
2006/04/21

<在日社会>阪神教育闘争58周年・民族教育守った記念碑を

外国人登録令のみなすという言葉、性同一性障害者特例法でもみたことあるよ。


外国人登録令(がいこくじんとうろくれい、昭和22年5月2日勅令第207号)は、1947年昭和22年)5月2日(ちなみに日本国憲法施行の前日)に公布、一部以外が即日施行され、1952年(昭和27年)4月28日日本国との平和条約が発効し、日本の占領が解かれた日)に廃止された日本の勅令大日本帝国憲法下で公布された最後の勅令(ポツダム勅令)であり、外国人登録法の前身的法令である。

同令では、「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」とされ、1952年4月28日に平和条約国籍離脱者となった。日本国憲法の施行に備えてその前日に制定され、GHQ施政下の日本国内における在留外国人政策の根拠法令として運用された後、講和の発効・占領解除に伴い、廃止された(外国人登録法附則第2項)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E7%99%BB%E9%8C%B2%E4%BB%A4
外国人登録令出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



外国人登録法(がいこくじんとうろくほう、昭和27年4月28日法律第125号)は、廃止された日本法律の一つである。日本に在留する外国人(この法律における定義は第2条第1項に規定)の居住関係や身分関係の明確化、政府による適正な管理のための諸制度(外国人登録制度等)について規定していた。それまでの旧・外国人登録令(いわゆるポツダム勅令の一つ)に代わるものとして、日本国との平和条約の発効に合わせて制定された。

2009年(平成21年)、第171回国会で「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等の法律」(平成21年7月15日法律第79号)が成立した。この法律の施行により、2012年(平成24年)7月9日、外国人登録法は廃止された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E7%99%BB%E9%8C%B2%E6%B3%95
外国人登録法出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




●日本政府が最初に拉致を認めた梶山答弁

 一般国民の多くが拉致を知ったのは1997年、横田めぐみさんの拉致がマスコミで報じられた時以降だろう。2002年、小泉首相の訪朝で金正日が拉致を認めたときから、洪水のような報道があり、拉致に関する認知度は最高潮となる。横田めぐみさんのご両親などは、町を歩いていても知らない人から次々に声をかけられるほど有名になった。

 少し、知識と関心がある人は1987年の大韓航空機事件、翌88年の金賢姫の記者会見を思い出すかもしれない。そのとき金賢姫は、李恩恵と呼ばれていた拉致被害者の女性から日本人化教育を受けたと証言した。彼女の証言を受けて88年3月26日、参議院の予算委員会で梶山静六国家公安委員長が、「李恩恵」だけでなく蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、市川修一さん・増本るみ子さんたち3組6人のアベック失踪事件について「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚だ」という歴史的答弁を行った。

〈昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、おそらくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深い同情を申し上げる次第であります〉

 日本政府が最初に拉致を認めたのがこの梶山答弁だ。しかし、本書を読んでいる読者の多くは梶山答弁すら知らないのではないか。というのは、この歴史的答弁をマスコミが無視したのだ。朝日、読売、毎日、NHKは全く報じなかった。かろうじて産経と日経がベタ記事で報じただけだったからだ。
●大物政治家による捜査妨害があった……


 梶山答弁を黙殺し、日朝国交に進もうとしたのはマスコミだけではない。政治家も主犯だった。金丸信という自民党の大物政治家が、拉致犯人への警察の捜査を妨害したという証言が警視庁関係者から出ている。

 最初にこの問題を書いたのは、「文藝春秋」1998年6月号の加賀孝英氏と文藝春秋取材班の共同論文「拉致問題追及で重大疑惑――笹川陽平日本財団理事長 金正日への衝撃密書」だ。その中で、こういう記述がある。

〈事件はこの金丸訪朝に関連して起こった。それは李恩恵の件である。韓国側からの情報提供を得、警察庁では警備局の審議官をトップに十数名からなる「李恩恵身元割出調査班」を設置。警視庁でも、通称「ウネ・チーム」を置き、各都道府県警にも同様の操作チームを置いて大々的にこの拉致問題に取り組んだ。そんな中、捜査に光を投じたのは、「Xという男が以前、連れていた女性が李恩恵に似ている。金と呼ばれていた」という情報だった。そしてそこから捜査当局は李恩恵拉致に関わったと見られる国内の、X率いるY、Z、3人のグループの存在を掴んだ。Xは北朝鮮貿易のドンとも言える男。朝鮮総連の幹部だった。YとZも実業家だった。今私の手元には、その時の計7枚の捜査関係資料がある。彼らがどんな男たちだったか、「秘」と文字のうたれた資料は告げている〉

 この資料というのは実は関係者に出回っていた「むかごリスト」という物で、私もコピーを持っている。文春論文の引用を続ける。

〈まずX-毎年、金日成の誕生日の誕生祝賀会に出席し、北朝鮮にいった際は国賓待遇を受ける。北朝鮮に高額の献金をしており、勲章を数回受章。Y-捜査の端緒は、昭和62年12月7日、大韓航空機爆破事件の関係者宮本明と係わっている不審外国人を知っているとの情報を入手したことによる。そこでYの名前が出た。Yは昭和61年6月13日、国籍を北朝鮮籍から韓国籍に変更。自宅には不審なアンテナがあり、情報によると大型無線機がある。深夜、ビーンという無線機発信音がしてマンション内の住民が騒いだことがある。会社の天井裏はカーペットを敷いて寝泊りできるようになっていて、会社の書棚に日本国旅券十数冊余りが入っているのを内装工事人が目撃。Yは怒って黒いナイロン袋で書棚を隠蔽した。そしてZ。沿岸徘徊人。沿岸徘徊人とは、北朝鮮の工作員が日本の海岸に潜入、あるいは脱出する時に海岸で補助する役目を持つ〉

 このX、Y、Zを李恩恵拉致に関係しているとして調べていた。

 そして、「平成2年」、金丸訪朝の年、1990年だ。〈5月初め、警視庁に警察庁、検察庁、警視庁外事など関係各所の幹部約150名が集められた。そこで、5月10日付のX及び朝鮮総連の家宅捜索令状と、5月14日付のYの逮捕令状が用意された〉。

 Xというのが総連の大幹部だ。Yが無線をやり、日本のパスポート10冊余を持っていた朝鮮人だ。Xの家の家宅捜索令状だけでなく、朝鮮総連本部の、あとで聞くと朝鮮大学校も家宅捜索令状に入っていた。そしてYの逮捕令状が用意された。

〈朝鮮総連の家宅捜索の際には、機動隊の動員がかけられ、総勢450名の捜査体制になることが告げられた。ところが、家宅捜索に入る前日の9日、突然警視庁に捜査官らは呼び出された。ある警視庁幹部が重い口を開いて、こう言う〉

〈……その時、幹部が言ったことは、「いろいろあって詳しいことは言えないが、この件の捜査は本日を持って打ち切りとする」。そんな言葉だった。つい2、3日前、捜査方針の説明を受けて、「やるぞ」と言っていただけに、えっ!という顔を全員がしていた。この件については緘口令が敷かれた。別の警視庁関係者はこう言う。「金丸訪朝でつぶされた。そう聞いている」〉
朝鮮総連〈在日本朝鮮人総聯合会〉(東京都千代田区)



●訪朝のためにつぶされた

 これはまだ金丸氏が生きていた時に書かれたものだが、名誉毀損等で訴えられていない。

 同じことについて「産経新聞」が、2001年12月16日に書いている。「文藝春秋」は98年だから3年後だ。「朝鮮総連元幹部の外国人登録法違反――故金丸氏捜査に圧力」という見出しの記事だ。この時はもう金丸氏は死んでいた。

〈平成2年5月に警視庁公安部が摘発した朝鮮総連の元幹部らによる外国人登録法違反事件の捜査過程で、日朝関係への影響を懸念した自民党の金丸信元副総裁が捜査を朝鮮総連などに拡大しないよう、捜査当局に圧力をかけていたことが明らかになった。警視庁による朝鮮総連中央本部や朝鮮大学校への家宅捜索は行われず、捜査当局内部からも捜査が不十分だと疑問の声が上がっていた。金丸氏は同年9月に訪朝した〉

 産経の記事では、拉致との関係は書いてなくて、外国人登録法違反とだけ書いてあるが、外国人登録法違反を入口にして調べるということはあるわけだ。5月に朝鮮総連中央本部まで家宅捜索をしようとしていた。

 ここでも名前は出てこないのだが、このXというのは朝鮮総連の元副議長で東海商事という朝鮮総連が持っていた貿易会社の会長をやっていた人だ。

 土地ブローカーみたいなことをやっていて、帝国ホテルに部屋を持っていた。バブルの時大変もうけていた。平壌にX通りというのがある。当時50億円とも30億円ともいわれる巨額の献金をしたので、通りに彼の名前がついた。しかしその時の彼の日本におさめた税金はゼロだったと言われている。北朝鮮で国賓待遇を受けるというのも多額の献金の結果だった。

 朝鮮総連の大幹部が八重子さん拉致に関係していたのかどうか。そして、金丸という政治家が捜査を妨害したのか、という疑惑が浮上してくる。

 ただ、これは90年の段階の捜査だ。その後警察は、帰国した地村富貴恵さんたちからかなりのことを聞き取っている。

 Xが本当に関係していたのか、金丸氏が捜査を妨害したとすれば、本当に国賊だと思う。
●日朝2国による茶番劇で「なかったこと」に

 梶山答弁の2年後、90年9月その金丸氏が田辺元・社会党元委員長とともに訪朝し、金日成と会談した。当時の海部首相は金丸氏に金日成宛の親書を託していた。しかし、北朝鮮の最高権力者に拉致被害者救出を交渉できる絶好の機会を日本側が自らつぶした。金丸・田辺両氏は拉致問題を一切持ち出さなかった。海部首相の親書にも、戦前の朝鮮統治に対する謝罪の言葉はあるが、拉致に関する記述は一言も入っていなかったからだ。国会で治安の最高責任者が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と国名まで特定して答弁していたのに、その国を訪問した与野党の大物政治家が「なかったこと」にしてしまった。

 金丸訪朝の後、8回、日朝国交正常化交渉が行われた。外務省もその席で拉致問題を「なかったこと」にした。警察の必死の捜査で李恩恵と呼ばれていた被害者が田口八重子さんだと判明した。その事実を公表した埼玉県警は金丸事務所から「たかがキャバレーの女1人で外交を邪魔するのか」という圧力を受けたともいう(当時、関係者が話していた逸話だが、事実確認はできていない)。その結果、外務省は第3回交渉で田口八重子さんの所在に関する調査を北朝鮮に依頼した。すると彼らは「インポと結婚して子どもができるか」(意味がないことを続けられないという俗語)という暴言を吐きながら会談場を退席した。

 その後、外務省は裏交渉で、本会談の席では田口さんの問題を取り上げない、ただし、本会談休憩中に首席代表である大使が席を外しているときに実務協議と称して日本側が調査の結果をたずね、北朝鮮側は黙って聞いているという妥協案をまとめた。この妥協案に従い4回から8回までの交渉が事実上、拉致問題を棚上げにしたまま行われた。日本側は拉致問題を会談に出したと国内に説明し、北朝鮮側は出なかったと上部に報告する茶番劇がつづいた。梶山答弁で拉致が認められた蓮池さん夫婦、地村さん夫婦、市川さん・増元さんについては8回の交渉で外務省は一度たりとも出さず、「なかったこと」にされた。

 私は金丸訪朝の直後である1991年1月に月刊「諸君!」に日本人が拉致されているという論文を寄稿した。学者として日本で初めて拉致について書いた論文だった。まわりから身の危険はないかと何回も質問され、匿名の脅迫状をもらった。

(この項続く)



(令和3年4月8日)

https://www.moralogy.jp/salon210408-1/
西岡 力 – 道徳と研究17 誰が拉致を隠したのか

西岡力

モラロジー道徳教育財団教授

麗澤大学客員教授



対外関係[編集]

中華人民共和国[編集]

中国による尖閣漁船衝突事件への姿勢[編集]

尖閣諸島で中国漁船が衝突事件を起こした際に、「尖閣諸島は、歴史的にみて明らかに日本の領土であり、沖縄県石垣市に属するである。領海内で他国の漁船が操業することは、特段の取り決めがない限り断じて認められないことであり、海上保安庁が取り締まることは当然である。」との談話を発した。この事件について中華人民共和国が日本側に謝罪と賠償を求めたが、これは全く論拠がなく認められない主張であるとして社民党は、中華人民共和国に謝罪と賠償の要求を直ちに取り下げるように求めた[186]

中国共産党建党100周年での祝辞[編集]

2021年7月1日に行われた中国共産党建党100周年にて社民党は福島代表名義で「中国共産党が、習近平氏による新時代の中国の特色ある社会主義思想の指導の下、中華民族の偉大な復興を実現する道を、引き続き突き進まれることをお祈りする」との祝辞を発表した[187]

朝鮮民主主義人民共和国[編集]

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは、日本社会党時代から長きに渡り引き続き良好な関係を保っていたが、2002年日朝首脳会談金正日が拉致を認めた後、社民党の朝鮮労働党宛質問状に返答がなかったためと称して、「労働党との関係凍結についてはもう少し慎重に検討すべき」(宇賀神文雄幹事長(栃木))などの反対意見を封殺して、「多角的な議論の上で」(福島幹事長)同年12月関係を凍結すると発表する一方、在日本朝鮮人総聯合会に対して、従来通り友好関係を維持(福島幹事長)するとしている[188]

また、一部の地方組織では、北朝鮮と引き続き関係を保っているところもある[189][190]

北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢[編集]

社民党は、社会党時代の1963年に第一次訪朝団を派遣して以来、朝鮮労働党との交流を積み上げ、「朝鮮労働党唯一の友党」を標榜してきた。

一方で、党の拉致事件への対応について、日本社会党時代から朝鮮統一問題に取り組んできた田英夫は「『ご説ごもっとも。友好第一』で、本当の友人として批判する態度ではなかった」[191]、「拉致を信じていなかった。だまされた」と述べている[192]

1990年に、自民党の金丸信と訪朝した田邊誠元社会党委員長は、当時拉致問題に関しては全く知らなかったと釈明し、「家族からの陳情も私には届いていなかった。行方不明者がいるという話を小耳にはさみ、訪朝前に外務省警察庁に聞いたが確認できなかった」[194]と主張した。

社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、社会科学研究所「月刊日韓分析」編集員の北川広和の論文「食糧支援拒否する日本政府」[195]が掲載され、次のような記載がなされた。「拉致疑惑の根拠とされているのは、つい最近、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである」「産経新聞に掲載された元工作員の証言内容に不自然な点がある」。従って「拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」。「20年前に少女が行方不明になったのは、紛れもない事実である。しかし、それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。……拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出された事件なのである」[193]2001年日本人拉致事件が明るみに出て以降も、同論文は同党の公式ウェブサイトに掲載され続けた。

2002年9月17日小泉純一郎金正日との日朝首脳会談以降、「これまで朝鮮労働党は、社民党が参加してきた森団長、村山団長の2度にわたる訪朝団との会談で『拉致は存在しない』『行方不明者として調査する』と対応してきた。社民党も同会議の席上、拉致・行方不明者の生存確認の追及を厳しく求めてきた。」[196]との立場を取りつつも、上記論文について、2002年10月3日の常任幹事会後の記者会見で、保坂展人総合企画室長(当時)は、「党の見解と同一かを確認したことはないが、なるべく早い時期に見解を出したい」と述べ、当面は掲載を続ける考えを示した[197]

しかし、既に当該論文の内容や社民党における取り扱いなどが、マスメディアによって周知されており、この党の対応に対しては、党員からも抗議が殺到、保坂展人総合企画室長(当時)は「論文が拉致がなかったという内容で、家族の気持ちを思うと不適当だと判断した。今日、執筆者と連絡が取れ、削ってもいいという了解をもらった」 として、論文の削除を行った[198]

2002年10月7日、所属する田嶋陽子が、一連の対応を「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判のうえ、離党を表明する事態に陥ると、福島瑞穂幹事長(当時)は、本来、党の政治的見解等の広報を担う機関誌に掲載した論文であるにもかかわらず「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子党首(当時)は田嶋陽子の離党に関する記者会見において、「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。被害者の家族には申し訳ありませんと、お詫びしたい」と発言している[199]

安倍晋三内閣官房副長官(当時)は、そのような党の姿勢について、「いかにも(自分が)昔から取り組んでいたかのように、小泉純一郎首相の決断を批判するのは、ちゃんちゃらおかしい。まずは反省するべきだ」「警察も外務省も対応が冷たく、新聞もどこも報道しなかった。それどころか社民、民主の議員は『いいかげんなことを言うな』とわめいていた」等と批判した[200]

拉致被害者の有本恵子は、土井たか子の選挙地盤であった西宮市の出身であり、有本夫妻は当初、北朝鮮にパイプを持つ土井に拉致問題の調査を依頼したものの、拉致の存在を信じていなかった土井は、積極的に取り組まず、土井や社民党に失望した有本夫妻は、土井の対抗馬であり、民社党兵庫県議会議員時代から、日本人拉致事件に取り組んできた自由民主党大前繁雄2003年の総選挙において応援。その結果、土井たか子は党首であるにも関わらず、兵庫県第7区で落選を喫し、近畿ブロック比例区で復活当選した。

2003年11月2日放送の『報道2001』では、司会の「かつて社民党は拉致は『でっち上げ』ということをおっしゃっていましたよね」との質問に対し、土井たか子は「そんなことを党として言った事はないですよ、それはおかしい報道ですね。それは事実と違います」と発言した[201][出典無効]。

ソ連・ロシア[編集]

ウクライナ侵略への姿勢

2022年のロシアによるウクライナ侵略について、2022年2月18日に社民党(社会民主党)は機関紙の社会新報オンライン版(2022年2月23日号)掲載記事「ウクライナを戦場にするな~米ロ両国は冷静な対話で緊張緩和を~[202]」において、ロシアを支持していると受け取れる記事を掲載した。2月21日午前10時頃には社会新報Web記事削除され、社会新報公式Twitterアカウントにおける記事紹介投稿[203]も削除された。ロシア軍がウクライナ侵攻開始で全面戦争となった2月24日22時30分頃には、 CMSの操作ミスにより記事を再掲してしまい[204]、2月25日午前5時頃には再び削除された[205]。同25日に「【談話】ロシアのウクライナ軍事侵攻に抗議する」でロシア批判声明が出された[206]。また、社民党は社会新報3月9日号[207]に掲載された「本紙記事でのおわび」により、当該記事について謝罪と説明をしており、それによると該当記事の校了日は2月16日で、ロシア軍の軍事侵攻開始(24日)の8日以上前に執筆されたものであったため、情勢認識を誤ってしまった、とのことであった。おわび記事によると当該記事の趣旨は、米露両国が冷静な対話を尽くし、ウクライナの主権を守るため緊張緩和を図るべきだと訴えるものであり、ロシアの軍事侵攻を正当化する意図ではなかったとしている。

支援団体[編集]



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出典検索?: "社会民主党" 日本 1996-ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年12月)

ここで挙げた団体は必ずしも社民党のみを支援するとは限らず、場合によっては立憲民主党日本共産党新社会党緑の党グリーンズジャパンなど他党を支援することもある。

カテゴリー団体労働組合・労働に関する団体全国労働組合連絡協議会(特に国労全国一般などの加盟組合)
日本労働組合総連合会(特に自治労日教組といった旧総評系の一部地方組織など)
全日本建設運輸連帯労働組合[208][209]
中小労組政策ネットワーク
NPO法人官製ワーキングプア研究会


大衆組織、市民団体オール沖縄
九条の会
フォーラム平和・人権・環境
沖縄平和運動センター
I女性会議
ふぇみん婦人民主クラブ
日本社会主義青年同盟
日本音楽協議会
部落解放同盟
共同テーブル
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
SEALDs琉球
総がかり行動実行委員会
安全保障関連法に反対する学者の会
立憲デモクラシーの会
安保関連法に反対するママの会


農民団体全日本農民組合連合会


反核団体原水爆禁止日本国民会議
首都圏反原発連合


共闘関係にある地方議会に議席を持つ政党新社会党
沖縄社会大衆党
全国市民政治ネットワーク
緑の党グリーンズジャパン
県民クラブ (大分)


その他の団体財団法人社会文化会館
社会文化法律センター

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC_1996-)#%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%8B%89%E8%87%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%A7%BF%E5%8B%A2
社会民主党 (日本 1996-)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』





公明党の山口那津男代表は1日、創建100年を迎えた中国共産党について「一つの政党で100年を迎えること自体、なかなかないことだ。なお一層、世界の平和と発展、安定のために力を尽くしていただきたい」と述べた。都内で記者団に語った。同党関係者によると、中国共産党側からの要請により、山口氏の名義で祝意のメッセージも出した。

一方、日本共産党は中国共産党創建100年について祝意のメッセージなどは出さなかった。自民党は中国側の依頼を受け、二階俊博幹事長名で「電報」を送ったが、日本共産党広報部は「中国側から祝電依頼は来ていない」としている。

日本共産党は昨年1月、志位和夫委員長が「中国の党は、『社会主義』『共産党』を名乗っているが、その大国主義・覇権主義、人権侵害の行動は、『社会主義』とは無縁で、『共産党』の名に値しない」と断じていた。中国側が日本共産党からの祝意表明は難しいと判断した可能性がある。

社民党の福島瑞穂党首は中国側の依頼を踏まえメッセージを送った。中国メディアの6月下旬の報道によれば、「中国共産党が、習近平氏による新時代の中国の特色ある社会主義思想の指導の下、中華民族の偉大な復興を実現する道を、引き続き突き進まれることをお祈りする」との内容だった。

https://www.sankei.com/article/20210701-ZXJRMHQTQNM4PAN6YGRNMUA67I/
公明祝意 共産対応せず 中国共産党創建100年

2021/7/1 16:14




https://archive.md/20130905021429/http://www.47news.jp/CN/200210/CN2002101901000189.html



「いかにも(自分が)昔から取り組んでいたかのように、小泉(純一郎)首相の決断を批判するのは、ちゃんちゃらおかしい。まずは反省するべきだ」。安倍晋三官房副長官は19日、広島市内で開かれたシンポジウムで、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件をめぐる民主、社民両党議員の過去の対応を厳しく批判した。  特に、原敕晁さん拉致事件に関与したとされる辛光洙元北朝鮮工作員の無罪放免を韓国当局に求めたことがあるとして、土井たか子社民党党首と菅直人民主党前幹事長を「極めて間抜けな議員」と酷評。日朝平壌宣言署名の経緯や北朝鮮の核開発問題をめぐり、臨時国会で攻勢を強めるとみられる野党側を強くけん制した。  安倍氏は1997年に国会で拉致事件を取り上げた際のことを回想し「警察も外務省も対応が冷たく、新聞もどこも報道しなかった。それどころか社民、民主の議員は『いいかげんなことを言うな』とわめいていた」と指摘した。

https://archive.md/20130905021429/http://www.47news.jp/CN/200210/CN2002101901000189.html#selection-2799.2-2799.408



社民党は11日、朝鮮半島問題を考える「日本コリア委員会」(委員長・福島幹事長)を約1年半ぶりに再開し、北朝鮮との関係の総括に着手した。また、北朝鮮による日本人拉致事件に関して、友党である朝鮮労働党に抗議文を送付した。

 拉致事件に関する抗議文は10日に国際郵便で直接、朝鮮労働党あてに送った。「大きな衝撃と憤りを持った。信じがたいもので、許しがたい犯罪行為。厳重に抗議をする」としたうえで、拉致事件の全貌(ぜんぼう)を明らかにするよう求めている。福島幹事長が11日の会見で明らかにしたが、朝鮮労働党との友党関係の見直しについては、「今後検討する」と述べるにとどまった。

 この日の日本コリア委員会では、過去に約10回訪朝したという田英夫・元参院議員が講演した。冒頭、拉致事件について「何であんなバカなことをしたのか全く理解できない」と触れたものの、2時間20分にわたる講演は、日本の植民地時代から現在に至る「解説とエピソード」に終始した。

 田氏は終了後、自らの訪朝時に1度も拉致事件を取り上げなかったことについて、記者団に「拉致を信じていなかった。だまされた」と釈明した。

 同委員会は党所属国会議員24人全員がメンバーだが、出席したのは土井党首、福島氏ら8人だけ。拉致に関する質疑はなく、今後の日程も決まっておらず、過去の交流の検証、今後のあり方を議論するとしているが、初会合から腰が引けている印象を与えた。

 実際、参加した議員からは、「相手に『拉致はない』と言われたらそれまで。民間外交の限界だ」(重野安正衆院議員)といった声が出ていた。党内では「90年代の議員外交をリードしたのはむしろ自民党。社民党だけ責められるのはおかしい」(党幹部)とのぼやきも聞かれる。

 これに対し、超党派の拉致議連からは、「社民党はだまされたと弁解するが、北朝鮮のお先棒を担いでいたことを認めるべきだ」との批判が出ている。

 国民の目も厳しく、党本部や地方支部には連日、北朝鮮に対する対応・姿勢の甘さを批判する電話やメールが相次いでおり、明確に総括しない限り、批判は続きそうだ。

(10月12日02:20)


https://web.archive.org/web/20021021053814/http://www.yomiuri.co.jp/01/20021011i213.htm






武力による威嚇または武力の行使は、行ってはならないのです。行使だけでなく威嚇も駄目なのです。「力による現状変更」は認められません。



 さて、社民党の機関紙「社会新報」はどうしてロシア支持の記事を削除したのでしょうか? 削除した理由の説明を行っていないのは何故でしょうか? 同時期の他の記事は残っているので、古い記事を削除したという理由ではなさそうです。



 社民党は政党として説明を行う義務があります。それとも機関紙に書かれたことは政党としての主張ではないと言うならば、その旨を説明すべきだと考えます。

追記3:戦争が始まったその日に記事が一時的に復活していた理由を説明してください。

追記4:後日、「操作ミス」との説明がありました。

https://news.yahoo.co.jp/byline/obiekt/20220221-00283080
社民党の機関紙がウクライナ危機でロシアを支持する記事を削除→戦争が始まった日に記事が一時的に復活



JSF軍事/生き物ライター

2022/2/21(月) 11:41




https://archive.md/20220219130123/https://twitter.com/shakaishimpou/status/1494491541062426625


















mold
@lautream
「拉致はないと主張してたマスコミや政治家達」は確かに小泉訪朝以降はほとんどなかったが、社民党がそれまで北朝鮮の言い分を鵜呑みにして拉致問題を追及してこなかった。そのことは社民党自身が認めている。1980年代から拉致問題を追及してきた共産党とは対照的である。
http://www5.sdp.or.jp/comment/2002/10/17/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%83%BB%E6%8B%89%E8%87%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

mold
@lautream
社民党は機関誌「月刊社会民主」1997年7月号において、「根拠のない拉致疑惑事件」と北朝鮮による拉致の疑いを否定している。

mold
@lautream
一方、日本共産党の橋本敦参院議員は1988年3月26日の質疑で政府から初めて「北朝鮮の関与」という答弁を引き出した。この質疑で橋本敦は一貫して拉致を北朝鮮の犯行であるという前提で質問している。

mold
@lautream
そもそも社民党は社会党時代から北朝鮮のテロ行為に対して明覚な態度を示さなかった。共産党はこの社会党をスルドク批判してきた。

大韓航空機爆破事件・ラングーン爆破事件と日本社会党の態度 。
態度表明できない社会党。無責任な北朝鮮迎合。

mold
@lautream
大韓航空機爆破事件・ラングーン爆破事件と日本社会党の態度 抜粋。

社会党幹部の発言が載っている。

mold
@lautream
社会党・社民党のこうした態度が日本の左翼に対するネガティヴ・キャンペーンに利用されたことは明白である。
午前4:38 · 2020年6月15日

mold
@lautream
誤字
明覚→明確
スルドク→鋭く
午前4:54 · 2020年6月15日

https://twitter.com/lautream/status/1272247004668682240







第一条
この法律は、性同一性障害者に関する法令上の性別の取扱いの特例について定めるものとする。



(定義)第二条
この法律において「性同一性障害者」とは、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。



(性別の取扱いの変更の審判)第三条
家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。

二十歳以上であること。

現に婚姻をしていないこと。

現に子がいないこと。

生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。

その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
2 前項の請求をするには、同項の性同一性障害者に係る前条の診断の結果並びに治療の経過及び結果その他の厚生労働省令で定める事項が記載された医師の診断書を提出しなければならない。



(性別の取扱いの変更の審判を受けた者に関する法令上の取扱い)第四条
性別の取扱いの変更の審判を受けた者は、民法(明治二十九年法律第八十九号)その他の法令の規定の適用については、法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす。
2 前項の規定は、法律に別段の定めがある場合を除き、性別の取扱いの変更の審判前に生じた身分関係及び権利義務に影響を及ぼすものではない。



(家事審判法の適用)第五条
性別の取扱いの変更の審判は、家事審判法(昭和二十二年法律第百五十二号)の適用については、同法第九条第一項甲類に掲げる事項とみなす。

https://cellbank.nibiohn.go.jp/legacy/information/ethics/refhoshino/hoshino0091.htm
「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(法律第一一一号・平成一五年七月一六日公布)


うち朝鮮学校のドキュメンタリーの支援者やったの忘れてた。



朝鮮学校は子どもたちに豊かな民族教育をほどこし、多数の人材を輩出してきました。しかし近年、朝鮮学校生に対するいわれなき差別が極度に激しくなっています。一人でも多くの方に差別の実態を知っていただき、待遇の改善に貢献したく、本映画の制作を決意しました。ぜひ映画の制作費(最低金額)120万円のご支援をお願いいたします。





☆朝鮮学校の状況や誤解について

 私、高賛侑はノンフィクション作家として、長年、朝鮮学校や韓国学校、民族学級、および他の外国人学校や国際学校の取材を行ってきましたが(著書『国際化時代の民族教育』参照。東方出版)、改めてドキュメンタリー映画として、現在の教育制度の在り方に対する問題提起をしたいと思います。

 このテーマは、朝鮮学校だけでなく、すべての在日外国人の子どもの教育問題に共通するものです。ぜひ映画の制作費(最低の目標金額)120万円のご支援をお願いいたします。

「子どもに民族的アイデンティティーを育んであげたい」ーそんな素朴な思いが、いま踏みにじられようとしています。皆さんは、日本に多くの朝鮮学校が存在することをご存知でしょうか。

 在日韓国・朝鮮人は戦後間もないころから民族教育活動を日本全国で展開し、幼稚園から大学校に至る民族教育体系を築いてきました。異国に居住する民族がこれほどの教育機関を設立・運営してきたのは世界的にも例のないことです。

 しかし朝鮮学校は日本の教育制度の下で様々な差別を受けてきました。特に2010年に高校無償化制度が開始された際には、文科省によって朝鮮学校のみが対象外にされました。さらにそれを契機に、これまで独自に補助金を拠出してきた地方自治体の中でも、東京都、大阪府・大阪市、千葉県、宮城県など補助金までカットするケースが現れています。

 こうした事態の背景には、一般社会において朝鮮学校に対する認知度が低く、誤解や偏見も少なくないという実情があります。

 かつてない事態に対処するため、五つの朝鮮高級学校が2013年に裁判を起こしました。広範な在日韓国・朝鮮人や日本人が差別の是正を求めて懸命の努力を重ねています。とりわけ朝鮮高級学校の生徒たち自身が裁判所に行ったり、道行く人々にビラを配ったりする姿には胸が痛くなります。

 今回のドキュメンタリー映画は、朝鮮学校の歴史や現状を詳細に描き出すことによって真実を浮き彫りにしようとするものです。

 これまでにも朝鮮学校の児童生徒たちの姿を描いた数本の秀作が制作されましたが、歴史や現状の全体を描く作品は今回が初めての試みといえるでしょう。そのため朝鮮学校問題に携わっている人たちからは大きな励ましをいただいています。また長年映像界やマスコミ界で活躍されてきたベテランたちがスタッフに加わって下さっているほか、いろんな形の協力者の輪が広がりつつあります。

 朝鮮学校が直面している問題は、他の全ての外国人学校・国際学校が直面している問題でもあります。この作品を通じて、多民族、多文化が共生する時代にふさわしい教育の在り方について問題提起をしたいと思い、映画の制作を決心しました。



☆作品の主な構成


Ⅰ 朝鮮学校の現状

◇ 朝鮮学校の光景

 日本全国に六十余校が存在します。学校では、文科省検定済教科書の内容に準じたテキストを朝鮮語で作成して使用するほか、朝鮮語や歴史、地理などの民族科目にも力を入れています。

 子どもたちは入学後、半年ほどで朝鮮語をマスターし、その後は主に朝鮮語で授業が行われます。クラブ活動も盛んです。文化芸術分野では、特に舞踊部、民族器楽部、吹奏楽部が高い評価を受けており、国籍の違いを超えて各地で公演に招かれています。スポーツ分野ではインターハイをはじめ各種大会で優勝などの好成績を挙げています。

◎例)大阪朝鮮高級学校の実績(一部)
 ・サッカー部:2005年全国高等学校サッカー選手権大会Best8
 ・ラグビー部:2010年全国高等学校選抜ラグビー大会準優勝。2014年全国高等学校ラグビー大会Best8
 ・ボクシング部:全国高等学校選抜ボクシング大会優勝多数。インターハイ優勝多数。国民体育大会優勝3回。女子日本選手権大会優勝多数。

◇卒業生たちの活躍について

 卒業生たちは勤労者、企業家のほか、スポーツ、芸術、法律等、国内外のあらゆる分野で活躍しています。
 ー大学進学:朝鮮大学校、東大、京大、阪大等の国立大学、大阪府立大学等の公立大学、同志社大学等の私立大学ほか

 ースポーツ選手:洪昌守(元ボクシング世界チャンピオン)、安英学・鄭大世・梁勇基(元・現Jリーガー)ほか

 ー文化芸術界:李鳳宇(映画プロデューサー)、金洪才(指揮者)、金守珍(俳優)、ソニン(女優・歌手)ほか

 ーその他、朝鮮学校教師、医師、弁護士、ジャーナリスト、ファッションデザイナー、企業家、公共機関職員等




※2016年9月25日。運動会で伝統的な民族舞踊を踊る子どもたち。東大阪朝鮮初級学校で撮影


Ⅱ 朝鮮学校の歴史

 朝鮮人は終戦直後から日本全国で民族教育を開始しました。当時の激しい民族差別や貧困のなか、なけなしのお金を寄せ合って学校を設立しました。

 しかしGHQと日本政府は朝鮮学校の存在を認めず、1948年に閉鎖令を強行しました(4・24阪神教育闘争)。大阪では4月26日、大阪府庁前の公園での抗議集会に参加した人々に対し消防隊が放水、警官隊が発砲を行い、わずか16歳の金太一少年が射殺されました。1949年にも閉鎖令が出され、ほとんどの学校が消滅してしまいました。

 1950年代以後、学校再建運動が繰り広げられました。しかし「各種学校」の資格しか得られなかったため、様々な差別状態が続きました。文部省からの助成金が皆無であるだけでなく、子どもたちに対してインターハイへの出場権、JR通学定期券の学割、国立大学の受験資格なども認められなかったのです。

 1990年代に入り、「子どもを教育問題で差別するな」という世論が大きく高まった結果、部分的な改善措置は取られるようになりましたが、本質的な差別は変わらない状況が続きました。

 さらに2000年代になると、在日韓国・朝鮮人や朝鮮学校に対するヘイトスピーチが激化しました。

 特に2009年に入り、京都朝鮮第一初級学校に対して激しいヘイトスピーチが行われた時には、子どもたちが大きなショックを受けたため、保護者たちが訴訟を起し、最高裁で勝利を勝ち取りました。しかし在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチはいまだに続いています。

※4・24阪神教育闘争当時の貴重な映像はすでに入手しており、現場に参加された在日一世、
3名の証言も撮影しました。その他、学校建設、差別反対運動などに直接参加した多様な人々の取材を行います。






※写真左:1951年2月、東京。警官隊が都立朝鮮中高等学校を強制調査した時の写真。
※写真右:1948年4月、大阪。警官隊の発砲により死亡した金太一少年の写真。



Ⅲ 高校の無償化問題と現状

 2010年に民主党政権は高校の無償化制度を開始しました。当初は「外国人学校も含む」という方針を出していたものの、後に、朝鮮学校だけが保留とされました。

 朝鮮学校差別問題では、国連の人種差別撤廃委員会などでも繰り返し「差別を是正せよ」という勧告が出されていますが、結局、その後の第二次安倍政権は文科省令まで改めて、朝鮮学校の排除を決定しました。

 これに対し、各地で「朝鮮学校を支援する会」が結成され、五つの都府県にある朝鮮学校が国を相手に訴訟を起こしました。そして2017年に行われた地裁判決において、朝鮮学校側は広島で敗訴、大阪で勝訴、東京で敗訴となりました。

 朝鮮学校関係者や支援する人々は、朝鮮学校の運命を左右すると言っても過言ではない裁判の行方を固唾をのんで注視しています。

※朝鮮学校がいま直面している状況を直視しつつ、朝鮮学校を守るために懸命に努力する保護者や日本人の思いを描き出します。
https://youtu.be/XhJ3SYk8p9E
☆想定されるチャレンジ

 高校無償化裁判は最高裁まで進むのが確実であり、今後の進行を予想するのはむずかしいですが、2018年が4・24阪神教育闘争70周年であることも考慮してできるだけ早い時期に完成したいと思っています。

 スタッフには長年テレビ等の映像制作に携わってきた方々をはじめ、有能な人たちが協力して下さいます。

 しかし組織的なバックアップがあるわけではないので、多大な困難が立ちはだかることでしょう。

 特に資金面においては、一旦最低限の120万円のご支援金を目標としていますが、実際はそれだけでは映画の制作には相当な限界があると思います。

 もし最低目標金額よりも多くのご支援を受けることができれば、取材の範囲や密度においても、整音などの技術面においてもより完成度の高い作品に仕上げることができるでしょう。

 また今回の作品は国際的な意義があると思いますので、ぜひ韓国語版と英語版も作成し、韓国、米国、および国連の場などで活用したいという構想も抱いています。

 今回の作品の意義をご理解いただき、一人でも多くの方々がご支援くださいますようお願いいたします。



☆支援者の方に対するリスク

 資金が予定通り集まらなかった場合でも、必ず映画は完成させますが、想定よりも映画の完成までに時間がかかり、映画招待券など各種リターンにつきましては当初の予定の2018年12月よりもお待たせをするリスクがございます。

 そのような事態にならないよう、このクラウド・ファンディングに全力を注ぎますが、上記のリスクがあることを予めご了承いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。





■【リターンについて】


・1,000円...支援者限定活動報告

・3,000円...支援者限定活動報告+映画招待券2枚+朝鮮中高級学校生による詩と散文の冊子進呈

・5,000円...支援者限定活動報告+エンドロールにお名前を掲載+映画招待券3枚+朝鮮中高級学校生による詩と散文の冊子+絵はがき16枚セット進呈

・10,000円...支援者限定活動報告+エンドロールにお名前を掲載+映画招待券4枚+朝鮮中高級学校生による詩と散文の冊子+絵はがき16枚セット+DVD1枚進呈

・20,000円... 支援者限定活動報告+エンドロールにお名前を掲載+映画招待券5枚+朝鮮中高級学校生による詩と散文の冊子+絵はがき16枚セット+DVD2枚進呈

・30,000円... 支援者限定活動報告+エンドロールにお名前を掲載+映画招待券6枚+朝鮮中高級学校生による詩と散文の冊子+絵はがき16枚セット+DVD3枚進呈。

・50,000円...支援者限定活動報告+エンドロールにお名前を掲載+映画招待券7枚+朝鮮中高級学校生による詩と散文冊子+絵はがき16枚セット+DVD4枚(上映権付)進呈。その他、上映権、イベント企画などのご希望に応じます。

※詳細は、サイト内メールにてご希望をお伺いいたします。


・100,000円...支援者限定活動報告+エンドロールにお名前を掲載+映画招待券8枚+朝鮮中高級学校生による詩と散文冊子+絵はがき16枚セット+DVD5枚(上映権付)進呈。 出張上映会(交通費・宿泊費等の実費はご負担下さい)。

※詳細は、サイト内メールにてご希望をお伺いいたします。

※朝鮮中高級学校生による詩と散文冊子:朝鮮学校無償化問題について、朝鮮学校中高級学校生たちが書いた詩と散文を収録した20ページの冊子であり、胸を打たれます。

※絵はがき:東日本大震災で大被害を受けた東北朝鮮初中級学校支援として、在日女性画家が描いた心温まる絵を16枚セットにしたものです。

※エンドロールにお名前の掲載のリターンをご支援下さった方には、A-portのサイト内メールで個別にご希望の掲載名をお伺いさせていただきます。但し、公序良俗に反するお名前は、掲載をお断りさせていただくケースもございますのであらかじめご承知おきいただけますよう、お願いいたします。




■監督からのメッセージ


 第二次世界大戦後、在日韓国・朝鮮人は、子どもたちの民族的アイデンティティーを育みたい一心で民族教育を開始しました。
 ところが1948年に朝鮮学校は強制的に閉鎖されました。2018年は、今も語り継がれる「4・24阪神教育闘争」から70周年を迎える年です。
 その後、在日一世・二世が力を合わせて学校を再建し、子どもたちが元気に巣立ってきた歳月には多くの涙を誘う話と感動の物語が秘められています。
 また広範な日本人有志が朝鮮学校を支援してきた過程には深い感銘を禁じえません。 
 しかし21世紀以降も、かつてなかったほどの差別と偏見が激化しています。

 こういった朝鮮学校に対する差別制度は、他の外国人学校や国際学校に通う子どもたちの心にもいやしがたい苦痛をもたらしています。

 この作品は、朝鮮学校をはじめ、日本社会で様々な学校に通う子どもたちの夢を守り、多民族、多文化共生時代に相応した教育制度の創造について考える一助とすることを目指すものです。

 国籍を問わず、子どもの夢を尊ぶ、ひとりでも多くの方々からのご支援を頂けますようよろしくお願いいたします。

https://a-port.asahi.com/projects/kochanyu/
阪神教育闘争70周年!朝鮮学校の歴史と現状を描くドキュメンタリー映画を制作します


https://core.ac.uk/download/pdf/144446072.pdf


朝鮮学校の将軍様独裁礼賛教育に問題ありなのと北朝鮮拉致問題で北朝鮮は制裁対象だから学校無償化で朝鮮学校は対象外指摘に関しては、日本国民側のほうが理があると思えるね。北朝鮮からのミサイルや先軍政治も問題だからね。

https://www.sankei.com/article/20170729-KK4NRF345ZKN7KE2N2LSTV4UNI/
「敬愛する金正日将軍様を…」独裁礼賛の教育に「自主性」あるか 2017/7/29 08:40



https://www.sankei.com/article/20170729-KK4NRF345ZKN7KE2N2LSTV4UNI/
「敬愛する金正日将軍様を…」独裁礼賛の教育に「自主性」あるか 2017/7/29 08:40

 「敬愛する金正日将軍様を、国防委員長として高く仰ぎお仕えしていることは、わが祖国と人民の大きな栄光であり幸福である」。こうした教科書を用いてきた朝鮮学校の教育に、どこまで「自主性」があるのだろうか。教師や生徒に体制批判の自由はあるのか-。朝鮮学校が高校無償化制度の対象かが争われた訴訟で、大阪朝鮮学園側の請求を全て認め、北朝鮮の独裁体制を礼賛するような歴史教育が行われていても、本国による教育への「不当な支配」はないとした28日の大阪地裁判決には疑問を抱かざるを得ない。

 最近では、園児に「安倍首相がんばれ」と宣誓させた「森友学園」の教育方針が、強いバッシングにさらされた。「教育に政治を持ち込むな」という文脈のもとで、今回の判決は政府与党が主導した朝鮮学校の無償化除外を違法と断じた。その同じ指摘がなぜ、「北朝鮮の国家理念を賛美する教育」には当てはまらないのだろう。これこそ、教育の政治的中立を求める教育基本法の趣旨を逸脱するのではないか。
 母国語や母国の文化を学ぶ民族教育であれば、それは当然に尊重されなければならない。ただ高校は義務教育ではない。もとより高校無償化制度は教育行政の上で絶対に必要なものというより、時の政権による積極的な政策判断として始まったものだ。

 そういう意味でも、無償化の問題は立法府の判断や国民世論と無関係ではあり得ない。朝鮮学校無償化をめぐる訴訟は全国5カ所で起こされ、最初の広島と2例目の大阪で結論は二分した。後に続く地裁レベル、さらには上級審の司法判断を待つしかない。(西岡瑞穂)

https://www.sankei.com/article/20170729-KK4NRF345ZKN7KE2N2LSTV4UNI/
「敬愛する金正日将軍様を…」独裁礼賛の教育に「自主性」あるか 2017/7/29 08:40






奥村委員長 これより会議を開きます。



 北朝鮮による拉致問題等に関する件について調査を進めます。



 本日は、参考人として、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表飯塚繁雄君、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会前代表横田滋君、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長増元照明君、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長西岡力君及び特定失踪者問題調査会代表荒木和博君、以上五名の方々に御出席をいただいております。



 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。



 本日は、御多用中こうして御出席をいただきまして、本当にありがとうございます。参考人の皆さんにおかれましては、日々、拉致問題等に本当に親身にわたる行動をしていただいておりますこと、厚く御礼を申し上げる次第でございます。



 当委員会におきましても、過去にはいろいろなことで調査してまいったわけでございますが、今回、このように皆さん方においでをいただいて、そして、時間的な問題もあります、特に、私は風化させてはならないという思いで、この委員会を、各委員の皆様方に御理解をいただき、一日も早く委員会を開催したいということで、きょうの運びになったところでございます。



 それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜りますようにお願いを申し上げる次第でございます。どうぞよろしくお願いいたします。



 次に、議事の順序について申し上げます。



 まず、飯塚参考人、横田参考人、増元参考人、西岡参考人、荒木参考人の順に、お一人五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。



 御発言は着席のままで結構でございます。



 念のため申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対して質疑をすることはできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。



 それでは、まず、飯塚参考人、お願いいたします。



飯塚参考人 私たちは、被害者家族会としていろいろな活動を続けておりますけれども、それぞれ被害者を抱えながら、いろいろな全国的な活動に奔走しております。



 安倍総理のときに対策本部ができまして、そしてまた、きょうのような、国会の中に特別委員会が設置され、数ある論議をされてまいりましたけれども、政権がかわる、あるいは総理大臣が交代が激しい、そういった中で、実際には、救出のためのはっきりとした具体的な動きが見えないというのが私たちの率直な感想でございます。



 若干不安を感じる点、二、三申し上げますと、今まで北朝鮮とどういう交渉をしてきたのか。また、福田内閣のときの相手が、調査委員会を設けて調査し、その報告をするというようなことが今多分継続になっていると思いますけれども、この辺もどうなっているのか。また、これらを含めて、既にボールは投げてある、ボールが返ってくるまで待っているんだというようなことがいつも言われますけれども、これはあくまで受動的であって、戦略的ではないと思います。しからば、いつまで待てばいいのかということが疑問視されるところでございます。



 また、被害者の情報収集はどの程度まで行って結果が出ているのか、その辺についても、我々家族としては、一人一人に詳しい情報は伝えられておりません。この辺については、逐一、家族だけでもその経過を知らせてくれればありがたいというふうに感じておるところでございます。この辺については、毎日、日常不安を抱えながら、どうなっているんだろうという思いで過ごしておるところでございます。



 したがって、この辺を含めた戦略的な手段は何なのかということを我々もはっきりと心に刻みながら、活動を並行して進めたいというふうにも考えております。



 この問題は、いわゆる人権そのものの問題であって、日本国民が拉致をされているという実態からすれば、当然、日本の最重要課題というふうに位置づけてしかるべきだと思いますけれども、実際にはそういった最優先の動きが見えないので、本当に被害者を取り戻す気があるのかという率直な疑問も持っているところでございます。



 お願いとしては、先日ちょっと韓国へも参ってまいりましたけれども、いわゆる対策本部の中の組織の一つとして、被害者の情報収集を徹底的にやるということを約束されておりますけれども、その辺についても、さらなる情報収集を有効的に進めるためには、やはり韓国の政府と十分な連携をとってほしい。韓国には、被害者もたくさんおりますし、脱北者もいます。そういった点も含めて、政府と政府がこの辺を能動的に動いていただいて、ぜひ情報をきちっととらまえて次の動きに役立ててほしいというふうに考えております。



 今こういう状況の中でも、被害者の人たちは帰国を今か今かと待っているところでございますし、また冬が来て厳寒な生活状況を乗り越えられるかどうかというときに、我々あるいは日本国全体がそのことを思って、一刻も早く国を挙げて救出をしていただきたいというのが強い願いでございます。



 以上です。



奥村委員長 ありがとうございました。



 次に、横田参考人、お願いいたします。



横田参考人 私の長女めぐみは、昭和五十二年の十一月十五日、新潟市で失踪いたしまして、それから二十年後の平成九年二月に、北朝鮮による拉致と判明いたしました。当時十三歳になったばかりだったんですが、先月の十月五日で四十六歳になり、それから、今月の十五日では北朝鮮に拉致されてから三十三年になります。ですから、実に人生の七割以上を北朝鮮に拘束されていたことになります。



 拉致は、人権問題ではありますが、同時に我が国の主権侵害の問題で、最近ですと、尖閣列島付近で海上保安庁の船に衝突してきた漁船船長の処遇とか、それから高圧的な中国の対応に、日本はそれに対して、弱腰とは言われますけれども、抗議をしております。また、ロシアの大統領が国後訪問をして実効支配を強化するような動きも見えますけれども、駐ロ大使を召還する等、それに対して対応しておりますが、拉致問題については特に動きが見えません。



 先ほどの飯塚さんの話とちょっとダブりますが、福田内閣のときに、生存者を見つけて帰国させるための調査をするということになったんですが、辞意を表明されたことから先延ばしになりまして、麻生内閣の時代から菅内閣に至るまで、日朝交渉というのは全く行われておりません。そして、やはりこれは外交交渉なしに解決するということは難しいと思います。



 北朝鮮は、拉致問題は、生きている人はすべて帰した、残りの人は死亡または未入国だから、解決済みというふうに主張しておりますが、北のこの死亡説というのは全く根拠がありません。



 例えば、平成十六年の十一月十五日、日朝会談がありましたときに、めぐみの遺骨が提供されました。しかし、DNA鑑定の結果、十二月八日にその結果が出ましたが、五つの検体のうち四つから同一人のDNAが、もう一片から別のDNAが検出されましたのですが、いずれもめぐみのものではありませんでした。



 それから、他の拉致被害者につきましても、死亡と言われている人は、ほとんどが不自然な事故死で、かつ、若いときに亡くなっていますので、とても信頼できるものではありません。



 それから最後に、めぐみの子供のヘギョンさんの扱いということになりますが、よくいろいろな人から、北朝鮮に行った方がいい、北朝鮮が死亡と言っているんだから、もう死亡なんだから、行ってお孫さんに会ったらいいなんと言う人がいますけれども、やはり死亡は確認されておりませんし、それから、今行くことによって、ヘギョンさんが出てきて、お母さんは死にました、詳しいことは四歳か五歳だからわかりませんと言って、それをまたこっちがわかりましたと言えば死んだことを了承することになりますし、また、あなたはうそつきだと言ってしまうと彼女の立場が悪くなりますので、我々は、訪朝ということは当面考えておりません。



 以上でございます。



奥村委員長 ありがとうございました。



 次に、増元参考人、お願いいたします。



増元参考人 このような場で発言をさせていただくことを感謝申し上げます。



 私は、一九七八年、五十三年に、市川修一さんとともに北朝鮮に拉致された増元るみ子の弟です。



 一連の、七月、蓮池さん御夫妻、それから地村さん御夫妻、そして八月に私の姉と修一さん、カップルで連続して失踪した中の一件の被害者です。二組の被害者は帰ってきておりますけれども、私の姉と修一さんは帰ってきていない現状です。



 私たちは、二〇〇二年九月以前に情報を入手しておりました。これは余り確証のないものですけれども、二つのその以前にいただいていた情報では、姉には子供がいるということです。これは、張龍雲という元北朝鮮工作員が兵本達吉さんにそのように話をされております。男の子二人という具体的な人数を承知しています。



 さらに、これは未確認の情報で、拉致被害者の名前が羅列された中に、姉と修一さんの間には子供ありという羅列がありました。そこには、蓮池さんの御夫妻、それから地村さんの御夫妻、田中実さんのことも書いてありまして、これも未確認ですけれども、これに関しては荒木代表の方が詳しいと思います。



 さらに、二〇〇二年九月以降、祐木子さんが帰国されて、祐木子さんが北朝鮮にいる当時、彼女の世話をしてきたオモニから、あなたを知る日本女性に子供が生まれたということを聞いた、私を知る日本女性というのは、るみ子さんしかいないので、必ずるみ子さんには子供がいると。



 つまり、三方から同じ、姉には子供がいるという情報が流れています。しかるに、北朝鮮は二〇〇二年の九月に、私の姉は一九八一年八月十七日に死亡、その以前、一九七九年九月四日に市川さんは死亡、したがって、子供はいないという情報というか、いないという報告をしてきました。



 しかし、私たち家族には、そのことは、死亡日付も全く知らされないまま、二日ほどたって朝日新聞のリークによって北朝鮮からもたらされたその死亡情報、それが私たちが事前に聞いていた市川修一さんの安否情報と大きく食い違うことによって、この北朝鮮の発表はおかしい、必ずこれには何かの策略がある。そして私たちは、すべての拉致被害者は生きているという前提で政府に交渉をしていただきたいし、生きている家族を早く取り戻していただきたいという要請をしております。



 あれから八年、その間、八人に関する情報を、恐らく明確な情報をとっていないというのは、これは一つの国家としてありなのかと私は個人的に思っています。国民の命を守るのが国家であれば、その国民の命に関する情報をすべて、どのような手段をとってもとるべきであろうと思っておりますが、いまだに確かな情報も来ていないということです。



 この十一月一日、私の姉が五十七歳の誕生日を迎えました。二十四歳で拉致されて、三十三年に近い長い人生を北朝鮮で送らざるを得ない状況です。姉の人生が何のためにあったのか、それはやはり、二〇〇二年九月、姉たちの被害が公になって、北朝鮮人民の苦労とそして日本の国家のおかしさを、日本の国民の中に、世界に広げる役割があったのだろうと私は思っています。



 その点でも、この拉致問題を通して、この国が本当にまともな国なのかということを国民の皆さんに考えていただきたい。そして、それを糧に、この国をまともな国にしてもらうために彼らの犠牲があったのだ、そう強く私は思っています。



 その点で、今回、朝鮮高校の無償化に関して、なぜ私たちの国が、この朝鮮高校というか、朝鮮総連の下部組織、関連組織である高校に無償化を実施し、国民の税金を支払わなければならないのか。



 ましてや、その朝鮮高校の「現代朝鮮歴史」には、お手元に配付されている資料にあるように、「二〇〇二年九月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は「拉致問題」を極大化し、反共和国・反総連・反朝鮮人騒動を大々的にくり広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されていった。」



 すなわち、我が国で制定された北朝鮮人権法も、そして十二月に開催される北朝鮮人権週間、これをもすべて否定している高校に、我が国が決めたことをすべて否定している高校に、なぜ国民の税金が使われなければならないのか、これが本当に姉たちの犠牲によってなされている国のあり方なのか、それを私は非常に疑問に思っております。



 ぜひ、今回の高校無償化の件も含めて、この国はどのようになすべきなのか、姉たちの犠牲は何だったのかということを皆さんに真剣に考え、そして議論をしていただき、正しい方向に持っていっていただきたいと思っております。



 ありがとうございました。



奥村委員長 ありがとうございました。



 次に、西岡参考人、お願いいたします。



西岡参考人 西岡でございます。



 五分ですので、ちょっとあいさつは省略して中身に入ります。



 私たちは、救出の戦略を考えております。救出の戦略は、制裁と国際連携の圧力で北朝鮮を拉致問題での対話に引き出す、制裁と国際連携の圧力で北朝鮮を拉致問題の対話に引き出すということです。



 このことについて、なぜそれが必要なのか、そのための方法論二点を申し上げます。



 そして、もう一つの救出の戦略があります。これと並行して、金正日政権崩壊時の混乱事態にも備えなきゃならない。混乱事態への備えをしなくちゃいけないということで、五点申し上げます。



 まず第一の、制裁と国際連携の圧力で引き出すということですが、北朝鮮は、圧力があって初めて譲歩します。二〇〇二年から二〇一〇年、今まで八年間膠着状態です。しかし、これを分析しますと、二〇〇六年までは圧力をかけていません。制裁を、拉致を理由にしてはかけていませんでした。そして、二〇〇六年に、拉致も明示してかけました。



 そうしたらば、二〇〇八年に、制裁の一部を解除してくれと言って、拉致問題などの交渉が起きました。そのとき、アメリカも実は金融制裁をかけていた。それで、国際連携と日本の制裁がきいて、福田政権の末期に話が整ったんです。しかし、アメリカが、金融制裁等テロ国家指定を解除してしまった。金正日が倒れたなどのことがあって、制裁が緩んだらまた、国際制裁が緩んだら交渉がストップしてしまった。



 この八年間を分析すると、四年間はなくて、制裁をかけて二年たったら少し動きが出たけれども、アメリカの制裁が緩んだらまた膠着したという、まず経験則があります。



 もう一つ、北朝鮮は、拉致したのは十三人だけで、五人帰して残り八人は死んだというふうに言っています。日本政府は十七人拉致したと言っていますから、四人違いがあります。八人死亡も根拠がないわけです。



 しかし、なぜ彼らが八人死亡と言わなくちゃいけなかったのか。端的に言って、金正日の責任を認められないからです。独裁国家は、独裁者の責任を認めることは本人の了承なしにはできない。今でも、田口さんの拉致を認めておきながら、大韓機爆破事件はでっち上げだと言っておるんです。朝鮮総連の教科書にも、お配りしたとおり、そう書いてあります。



 なぜそうせざるを得ないか。金賢姫は、大韓機事件は金正日の命令だったと言っているんです。田口さんと金賢姫が会ったら、金賢姫がテロリストだということが証明されてしまうと彼らは恐れているから、生きている人を死んだと言った。その生きている人を死んだと言ったうそを認めさせるためには、強い圧力をかける以外ないということで、圧力が必要だということであります。



 そして、彼らが、全員帰さなくても日本から支援の来る可能性がある、制裁は解除する可能性があると考えている間は、膠着状態は続きます。これが三点目です。



 実は、ことしの三月三十日に、村山富市元首相は、ある席で、拉致問題に対する北朝鮮の姿勢は理解できる、日本の一方的な要求によって交渉が決裂したが、交渉というのは相手の言い分をよく聞くことが重要だ、確かに主権侵害だが、現状において拉致の解決は困難であり、双方が納得のいく決着をつけることが最良の解決策である、日本にとって北朝鮮は隣国であり、国交がないのは不自然であるとおっしゃっています。



 また、和田春樹東大名誉教授は、日本は、北朝鮮の説明、五人生存、八人死亡に涙を流して妥協し、双方が平和的問題を築き上げていかなきゃならないと言っています。



 こういう人が国内にいる限り、彼らは、今のうそが維持できると思ってしまうわけです。国内がちゃんとまとまっていないと、昔のように日本が拉致問題への関心が下がると彼らが誤解している間は、解決しないと思います。



 もう一つ、急変事態等のことについては、御質問で申し上げたいと思います。



 以上です。



奥村委員長 ありがとうございました。



 次に、荒木参考人、お願いいたします。



荒木参考人 ありがとうございます。



 特定失踪者問題調査会と申します、日本政府が認定をしていない拉致の可能性のある失踪者について調査をし、そしてその救出を目指すという団体の代表でございます。



 お手元にお配りいただきましたこのポスターは、私どもの会でつくったものでございまして、この中に、特定失踪者、可能性のある失踪者約四百七十人のうちの公開されている二百七十人余り、それから政府認定の拉致被害者等々が入っているポスターでございます。



 この中には拉致でない方もおられて、その方はポスターをつくり直すたびに抜けていきますが、また新しく拉致の可能性があるということで入ってこられる方がおられます。



 現在、政府の認定している拉致被害者は十七人ですが、私どもは、それをはるかに超えた人数の日本人が拉致をされているというふうに認識しております。



 一体どこに問題があるのかということで、お手元にお配りいたしました「国内問題としての拉致問題」ということで、時間の限りがございますので、ポイントだけ申し上げておきます。



 まず、この拉致問題は、基本的には国内の問題が解決されれば大幅に進展をするということでございます。



 その証拠を幾つか申し上げます。



 一つは、辛光洙、原敕晁さんを拉致した工作員ですが、この釈放署名。この件については皆様御存じだと思いますが、残念ながら、菅直人現総理、そして今名前が出ました村山元総理などを初めといたしまして、百三十三人の国会議員が、当時、工作員であったことが事実上わかっていたにもかかわらず、その釈放の署名をしている。そして、これに限らず、北に近い人たちがさまざまな形で、この国会の中も含めて、拉致問題の解決を妨害してきたという事実がございます。



 そして、二番の、参議院内閣委員会で、これは細田博之官房長官の答弁でございます。どうやって拉致被害者を取り返すのかという質問に対しまして、結局、要は、この領土の中においては北朝鮮がその権利を持っているということで、かいつまんで言えば、北朝鮮に連れていかれたら、煮て食おうと焼いて食おうと北朝鮮の好きなようにするしかないという答弁を官房長官がされたということでございまして、これは本来であれば、この答弁一つで内閣が吹っ飛んでもおかしくない答弁であったと私は理解しております。



 三番の飯倉公館事件。これは、先ほど増元さんの話なんかにもちょっと出ておりましたが、要は、九・一七の小泉訪朝の折、家族会の方々に対して伝えられた情報の中に、死亡というふうに北朝鮮が言ってきた情報が入っていなかったということでございます。



 資料の五ページ目、六ページ目に、これは北朝鮮側から出てきた資料そのままのもののコピーでございますが、あります。丸印で囲んであるところが死亡という日付です。



 一目見ればこれは明らかに、北朝鮮が言ってきたもので、うそだということがわかるんですが、これを隠して家族会の方々に伝えられました。なぜかというと、これが明らかになれば、北朝鮮が言っていることがうそだということがわかり、日朝国交正常化にブレーキがかかるということでございます。



 四番目、田原総一朗さんの裁判における陳述書。これは有本恵子さんの御両親が田原さんを訴えているものですが、この中に、外務省の幹部が田原さんに対して、死亡と言われている八人以外に複数の日本人が北朝鮮にいるということを北朝鮮の宋日昊日朝国交担当大使が話した、これは外務省も聞いているけれども、それが帰ってきても世論が好転することはないと判断したので、その話はなかったことにしたというふうに言っていると。これは裁判の陳述書でございますので、恐らく間違いはないであろうというふうに思います。



 それから、山本美保さんにかかわるDNAデータ偽造疑惑事件。これは、特定失踪者で、私ども拉致の可能性が高いと思っております山本美保さんに関しまして、山梨県警が突然発表して、DNAデータの鑑定の結果、双子の妹さんと、失踪十七日後に山形で見つかった身元不明遺体が一緒である、つまり、この遺体が山本美保さんであるということで、事実上拉致を打ち消す発表をいたしました。



 しかし、後で調べていったところ、資料の七ページ目にちょっと簡単なポスター、プリントしたものがございますが、どう考えても全く同一人物とは思えないということで、逆に言えば、DNAのデータの書類を日本政府の力によって偽造したというふうに思わざるを得ない事件でございます。



 これらのようなことが実際に行われている。この問題が解決されれば、私はこれだけでも拉致問題は進展するのではないだろうかというふうに思っております。



 時間の関係がございますので、あと、最後の五のところはまた御質問があれば御説明いたしますが、ともかく、現在のやり方をとっていてもそれだけでは問題は解決しない、新しいやり方をぜひとも進めていただきたいと思っております。



 以上でございます。



奥村委員長 ありがとうございました。



 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。



    ―――――――――――――



奥村委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。



 参考人に対する質疑は、理事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次質疑を行い、その後、各委員が自由に質疑を行うことといたします。



 なお、御発言は着席のままで結構でございます。



 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。鷲尾英一郎君。



鷲尾委員 参考人の皆様におかれましては、きょうは御足労をいただきましてありがとうございました。衆議院の鷲尾でございます。



 きょう皆様に御質問申し上げたいのは、一点、みずからの反省の意味も込めまして、皆様から意見を述べていただきたいという思いがございますので、これから質問させていただきたいと思います。



 それは何かと申しますと、実は、民主党が政権交代後に、政府と党の一元化というお題目の中で、野党時代にはありました拉致対策本部というのが、政権交代後、なくなってしまいました。その後、拉致対策本部がいまだ設置されていない状況にあります。



 党内でこの拉致対策本部をつくろうという動きは、当然有志の議員でしているわけですけれども、その過程において、先ほど増元さんから御意見がございましたけれども、民主党のマニフェストにございました高校の無償化に係りまして、外国人学校にも支援金を支給するという問題がございました。その件につきまして、なかなか皆様の御意見を伺う機会がなかったというのが、私の反省の意味も込めて、皆様に率直に申し上げさせていただきたいと思います。



 その中において、ぜひきょうおられます参考人の皆様方から、実は、まだ支給すると決まったわけではございません、外国人学校に支援金を支給する基準を、政府がつくってきた基準を党として了とするというところまでが今の現段階でございます。



 まだ、政府としてこれからどの学校を指定するかという段階が残っておりますので、ぜひ、この機会を皆様からの意見陳述の場としていただいて、それがこういった国会の場で話されたということをもって、政府に私もまた継続して申し入れをさせていただきたいというふうに思っている次第です。



 そういう観点から、参考人の皆様におかれまして、民主党の高校の無償化について、外国人学校の指定の問題について御意見をお聞かせいただきたいと思います。



飯塚参考人 当然、無償化の問題については、我々は専門家ではないんですけれども、明らかに言えるのは、今、国が北朝鮮に対して、拉致問題を大きく打ち出している中で、制裁をかけ、北朝鮮の不誠実な対応を直すべく要求しているその中で、やはりそれに反する、矛盾する行為だというふうに私は感じております。



 これは、当然、生徒が憎いわけではなくて、今、日本国が日本国のためにいろいろ頑張っている中で、日本国のためにならない、そういった教育関係組織、考え方、これについては当然ながら我々としては非常に憂慮するべき事態であって、やはりこれが、もし無償化が通れば、北朝鮮に対して間違ったメッセージを送ることになる、日本は、制裁、制裁といいながらも、こうやってちゃんと支援してくれるじゃないかと。



 北朝鮮については、当局は、この事態を踏まえ、実態を見て、また勝ったというメッセージあるいは向こうの誤解につながるということがありますので、これはもう絶対にその辺まで含めた判断をお願いします。



横田参考人 私は、この朝鮮学校というのは各種学校であって、学校教育法で決めた学校でないので、対象外だと思います。



 それで、先日、都道府県に県会議員のレベルでの拉致議連がありますので、その集まりがありましたときにも、家族会、救う会連名で、こういったところに支援するのは不適当であるということでお願いをいたしまして、各県でもそれを抑える方向でやるというふうに了承をいただきました。



増元参考人 代表、前代表が言われたことが家族の気持ちです。



 さらに、私も、在日の方それから北朝鮮の人権問題を扱っているNGOの方々、皆さんにお聞きしました。その方々は皆さん反対です。なぜならば、朝鮮学校で教えている事実、お手元にもありますようにKAL機事件に関しては南朝鮮のでっち上げだと教えている。これは正しい歴史を学ぶ権利を奪っている状況です。



 多くの方たちが生徒の学ぶ権利とおっしゃいますが、間違った教育を施される、これを是正する、正しい教育を学ぶ権利を奪う必要はない。その点で、今回の無償化問題を契機に、朝鮮総連のあり方、そして朝鮮学校の教育のあり方、そこで学ぶ子供たちの正しい方向性をこの国として責任を持ってやっていくべきだと思っておりますので、ただ単にお金を渡せばいいという問題ではない。この問題を契機に、本当に真摯な議論をしていただきたいと思っております。



西岡参考人 私も反対です。



 教育基本法の第二条に、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」というのが教育の目的と書いてあるんですね。ここでお配りしたこの記述は、これに明確に違反していると私は思います。



 そして、北朝鮮人権法の第二条で、国は、北朝鮮当局の国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題を解決するために最大限の努力をするものとする、政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るものとすると書いてあるんですね。そういうことをすると、この記述で、民族排他主義的な雰囲気をつくったと言われているんです。



 この法律を否定する内容の教育をされているときに、国庫のお金を入れる。学校をつぶせと言っているんじゃないんです。国庫のお金を入れるということは、法律の趣旨を政府みずからが否定することにならないのか。



 そういう点で、鷲尾先生おっしゃいましたけれども、文教部会じゃなくて、拉致対策本部があって、この教育基本法と北朝鮮人権法も含めて検討していただきたかったなと思いますし、今後もぜひそういう方向で検討していただきたいと強く思います。



荒木参考人 私も同様、反対でございます。



 朝鮮学校を舞台にしまして、さまざまな犯罪行為あるいは工作活動が行われております。これに対して、朝鮮学校あるいは朝鮮総連側では一切弁明もしていないし、謝罪もしていない。この状態で金を出すということは、そこで学ぶ子供たちにとっての人権侵害以外の何物でもないというふうに思っております。



 以上でございます。



鷲尾委員 私の持ち時間が以上でございまして、これで終わらせていただきますが、党の方でも対策本部を含めまして今整備中でございますので、その暁には、また皆様から御意見等をしっかりと承りたいというふうに思っております。



 きょうはどうもありがとうございました。



奥村委員長 次に、向山好一君。



向山委員 民主党の向山好一でございます。



 時間がございませんので、早速質問をさせていただきます。



 私の地元は神戸です。神戸は、御存じのとおり、有本恵子さん、あるいは田中実さん、そして寺越外雄さんという拉致被害者がいらっしゃいます。加えて、特定失踪者もたくさんいらっしゃるところでございますけれども、特に、私、神戸市長田区は選挙区で、有本恵子さんのおうちがあるところです。



 そして、彼女は昭和三十五年生まれの現在五十歳、私とほとんど同年代でして、恵子さんの友人というのを私はよく知っています。ですから、以前から、私は、有本さんの御両親の明弘さんと嘉代子さんとはコンタクトをし、いろいろ話し合いもし、あるいは署名活動を一緒にやってきました。ですから、有本さんの御両親から、政府のいいかげんな対応ということを、本当に生々しいお話をいろいろ私は聞いてきています。



 そのことをきょう議論するつもりはございませんけれども、長年有本さんと一緒に活動をさせていただくと、つくづく感じるのは、だんだんお年をとられて、これは時間との闘いだなということを本当に痛切に感じます。



 しかし、一方、この七、八年、全く拉致問題というのは進展がないということも事実でございまして、その原因を、今荒木さんの方から、これは国内問題にもあると、「国内問題としての拉致問題」という資料をいただきました。



 そこの四番にも、今申しました有本さんのことが書いてございまして、この有名なジャーナリストを相手に今訴訟を起こしておりまして、そこの陳述書に、八人以外の複数の日本人が帰国しても、北朝鮮に対する世論が好転することはないと判断したため、その話はなかったことにしたと話したということが書いてあります。



 これは、真実は別にして、この発言自体は事実でございまして、有本さんがよくおっしゃるのが、本当に日本の政府というのは救出するつもりはあるのか、なかったことにしようとしているんではないのかということをよくおっしゃるんですけれども、この発言自体も本当にそういうふうに感じます。



 五番の方に山本美保さんのことが書いています。このDNA鑑定というのは、足利事件でも同じように、今、信憑性はなくなっているにもかかわらず、これを盾に、警察までもこれを隠ぺいしようとしているとしか言いようがないような矛盾を私も感じています。



 そこで、荒木さんに、この山本さんのDNA鑑定のことと、プラス、今最後におっしゃった、拉致問題を解決するためには新しいやり方が何か必要ではないかというお話がありましたけれども、その新しいやり方について何か示唆になるようなお話が聞けたらと思いますので、御質問をさせていただきます。



 以上です。



荒木参考人 この五番の山本美保さんに関する事件に関しては、DNAの鑑定自体に私どもは特に疑義を挟むものではなくて、双子だということで全く同じものが出たということで、これをすべて処理してしまったことが問題であろうと思います。ですから、もう明らかに別人だとわかるということはさまざまな証拠で明らかなわけで、だれか、どこかで書類をつくった人物がこれをやったんだというふうに考えざるを得ない。



 もう現在の山梨県警の担当者はすべてかわっておりまして、今聞いても、昔の書類を、しかも偽造されたと思われる書類を使って回答してくるので、そうではなくて、当時発表いたしました責任者であります山梨県警の警備一課長丸山潤という人がいるんですが、現在、バンコクの大使館に一等書記官として勤務しているというふうに聞いております。この人を東京に召還して事情を聞いていただくということが私は極めて必要な問題ではないかというふうに思っております。



 それから、どのようにやるかということの問題で、要は、その五番のところにありますA、B、C、Dというこの流れが、結局、これで今までやってきたことがうまくいっていない。これをやめろというふうには申しませんが、ともかく外国にいる人たちを助け出すわけですから、すべてのことをやる必要があるという意味で、今までは、基本的に警察と外務省ということが中心となっておりましたけれども、これまで全く使っていない自衛隊、それから機能とか人材がまだ十分に使われていないと思われる海上保安庁とか公安調査庁など、そういう情報機関をもっと活用することによって、そして、政府自体が、帰ってくるようにしむけるではなくて、救出をするということを明確にすることによって、事態を前に進めることが可能であるというふうに理解しています。



 以上です。



向山委員 時間が参りましたので質問はいたしませんけれども、丸山潤さんという今お話もございましたし、せっかく政権が交代して、新しい政権になったわけですから、本当にこの拉致救出の戦術というものも変えられるように、党側からもいろいろ提言もさせていただきたいな、このように思っていますので、またいろいろと御指導いただけたらと思います。



 きょうはありがとうございました。以上で終わります。



奥村委員長 次に、古屋圭司君。



古屋(圭)委員 家族会、救う会、特定失踪者の代表者、いつも私も一緒に活動しておりますが、本当に御苦労さまです。ありがとうございます。



 先日、韓国に一緒に行ってまいりました。私は、過去の金大中あるいは盧武鉉政権のときには、この拉致の問題はもう全く向こうに行ってもナシのつぶてでしたけれども、李明博になって、朝鮮戦争の拉致被害者に対する人権の回復のための法案を発効したりとか、チャンスが出てきた。そこで、我々はしっかり連携しようと。



 今、飯塚さんからもお話がありましたように、韓国との連携というのはすごい大切だと思います。



 特に、北朝鮮と中国が今異常接近していますよね。中国の義勇軍の朝鮮戦争参加六十周年に金正日親子が行って献花したりとか、あるいは自由貿易特区を広げようだとか、それから、韓国にはあえて習近平が刺激的な朝鮮戦争に対する歴史観を押しつけたりとか、こういうことをしていますね。



 だからこそ、やはりこれは、今、日本と韓国が本当に連携することが極めて大切だと思います。あのヒル国務次官補は、北朝鮮にあめをなめさせたのは大失敗と今ごろになって言っているんですね。



 だから、ぜひ、きょうは参考人の皆さんから御要望をちょうだいして、そして、次の政府質疑のときにしっかり生かしていきたいと思いますので、実際、韓国との連携の強化のために何をすべきかといったことを、西岡さんあるいは増元さんからお話をいただければというふうに思います。



西岡参考人 ここにいらっしゃる与野党両方の先生方に一緒に行っていただきまして、感謝申し上げます。



 韓国との連携のために何をすべきかということですが、一つは、やはり制裁で足並みをそろえるということだと思います。



 韓国は、哨戒艦撃沈事件で今制裁をしています。そして、その直後に、韓国の外務大臣が、日本の制裁も効果がある、北朝鮮は原爆をつくったりあるいはぜいたくな暮らしをするためには輸入をしなくちゃいけない、そのためには外貨が必要だ、それを閉ざすことは意味がある、日本と韓国が連携して制裁することが意味があるというふうに、初めて韓国側からそういう発言が出たのが李明博政権であります。



 先ほど言いましたように、八年間の中で四年間は制裁はなかった。しかし、二年制裁をしたら、少し動きが見えた。しかし、アメリカが緩んだのでとまってしまったというときに、今度は韓国がこちらに来た。そして、アメリカがまた今金融制裁を始めました。制裁と国際連携の圧力で金正日政権を対話に引き出すという状況が今整いつつある。



 そういう点では、韓国と足並みをそろえて、韓国にも被害者がいるわけですから、助けてくださいじゃなくて、一緒に助けましょうという姿勢で制裁をともに行っていくことが大切だと思います。



 もう一つ、先ほど余り申し述べられなかったんですけれども、金正日が急死した場合に大混乱が起きる可能性もありまして、そのときに、米軍と韓国軍がどう動くのか、被害者救出のために韓国と協力することも必要だと思います。



増元参考人 私たちは、二〇〇二年九月からずっと、アメリカに対しても、韓国に対しても、日本政府に対しても、情報収集をお願いしたいということを申し上げておりました。



 皆さん御存じかと思いますけれども、横田めぐみさんの事案が浮き上がったのも、韓国にいる脱北者の話です。これは、安明進が前面に出ていますけれども、実は、一九九七年以前に、安明進と別の人、西岡先生はよく御存じだと思いますけれども、そういう方が横田めぐみさんの拉致事案を話し、そして日本の方に伝わってきたという事実があります。これから考えると、韓国に亡命している北朝鮮の工作の中枢にいた方がもっと何らかの情報を得ている可能性が高い。



 ただ、日韓が今このような状況で、国情院がまだ目覚めていない状況では、日本に対してその情報を開示するかというと、それはなかなか難しいのではないかというふうに私たちは聞かされております。



 しかし、李明博大統領は、日本人拉致問題に関しては、全面的に協力するというふうにおっしゃっておられますので、この点でも、国情院が抱えている工作員からの情報収集、これがなければ、幾ら北朝鮮と交渉をやっても前に進まない、常に北朝鮮の言い分だけを聞いて、そこでとどまってしまう状況にあると思っています。



 交渉は、私たちも必要だと思っています。それには、やはり圧力のある交渉をしていかなければならないし、こちらも多くの情報を得た上での交渉をしなければ解決につながらないと思いますので、その点で日韓の御協力をお願いしたいと思っております。



古屋(圭)委員 ありがとうございます。



 私どもは、同じ考えですけれども、これはやはり政府に対してしっかりこの意思を強く伝えて、そういう方向に持っていくという努力をしなくてはいけないと思います。



 現地に行ったときに、ある有力な韓国の国会議員から、やはり、たとえそれが中断しても、うまく進展しなくても、原理原則を貫くことが結果として成功に結びつくんだということを言っていました。まさしく韓国もそういう状況になってきたということだと思いますので、ぜひ、私たちも皆さんの意を受けて、この委員会で今後政府にしっかり要請をしていきたいというふうに思います。



 それと、救う会、家族会の皆さんは、毎年運動方針を決めています。今度、十月三日に決めましたね。この中で、基本的にやはり、先ほど西岡さんからも指摘があったように、圧力があって初めて譲歩する、だからもう徹底的に圧力をかけろということであります。



 そこで、私も何度もこの委員会でも指摘しておりますけれども、やはりこの皆様方の要望、改めて圧力に対して簡潔にお聞きしたいと思います。ぜひ、ここでしっかり皆さんの要望を訴えていただきたいと思います。



 では、家族会の増元さんから。



増元参考人 救う会、家族会では、去年の秋でしたか、全面制裁をお願いしたいと。



 すなわち、二〇〇八年の八月に日朝合意がありました。このときに、北朝鮮は調査委員会を立ち上げる、その交換条件として、我が国は特定船舶の入港禁止と、それからもう一つ、チャーター便の開放を約束したといいます。



 それでは私たちが本当に求めてきた北朝鮮との交渉における重要な圧力をどんどん失ってしまう。もし、今後、北朝鮮からの譲歩を引き出すためには、こちらが多少緩める必要はあるのかもしれない、でも、そのときに、カードを全部なくしてしまっては交渉にも何もなりはしないんだ、その後の交渉がない。ですから、カードを多く持って、それから交渉をし、北朝鮮にカードを何枚かずつ切っていって、有利に、日本のペースで交渉をしていく方法をとっていただきたいという思いで、今回の全面制裁をお願いしている状況です。



古屋(圭)委員 ありがとうございます。



 参議院の十月二十日の特別委員会でも、柳田大臣が、私たちが主張していた、例えば三基本方針、六対応方針、これについては復活させるというような趣旨の答弁がありました。



 今、正式に政府は拉致問題に取り組むということで、六月の十八日に決まったのが正式な方針です。これはもう、いわゆる実行犯の引き渡しとか、対話と圧力とか、制裁実施と追加制裁、朝鮮総連に対するさらなる制裁、あるいは厳格な法適用、特定失踪者を含む対策というのがみんな抜け落ちているんですよ。



 だから、これはやはり皆さんとしても、今のお話は、しっかりこういうものを政府としての基本方針の中に入れるべし、こういうふうに解釈をさせていただきましたけれども、そういうことでよろしいんですね。



西岡参考人 家族会、救う会で十月に実施しました会議の中の運動方針に、そのことを入れてくださいということを要請するということを決めました。ぜひ、そのためにも、民主党で対策本部をつくっていただきたいなと強く願っております。



古屋(圭)委員 ありがとうございます。



 それでは、この中で一つ、今、西岡さんからも御指摘がありましたように、金正日体制が今後崩壊をしていく可能性があるという中にあって、やはり救出のための具体的なアクションプランをつくるべきだということで、私たちは実際に、今の現行の憲法の範囲内でやれる、許される範囲内での自衛隊法の改正というものを提案しています。残念ながら、今は衆議院でつるされたまま、ほとんど審議もされていません。



 ぜひ、この点についての御意見を伺いたいことと、それからもう一点、皆さんが要望の中で、いわゆる日本版のテロ国家指定制度の拡充強化を求めるということが書いてありますけれども、具体的にはどういったことを要望しているんでしょうか。



西岡参考人 まず、急変事態の対応ですけれども、先ほどちょっと時間がなくて私が言えなかった二点目の戦略です。



 つまり、交渉相手がいるときは圧力をかけて交渉に引き出すんですけれども、大混乱になった場合は交渉相手がいなくなってしまうということですので、その場合に、米韓軍は既に、大混乱になったときに北進するという作戦計画、五〇二九作戦計画というのを準備しています。



 ことしの十月にワシントンで開かれた韓米安保協議では、米韓軍は、北朝鮮の侵略に対応するだけじゃなくて、混乱事態にも対応するということを共同声明にはっきり書きました。準備をしているわけです。そして、中国もさまざまな準備をしているという情報があります。



 日本はどうなんでしょうか。大混乱になったときに、今生きている人がそこで不幸な目に遭ったとしたら、悔やんでも悔やみ切れない。



 安全保障というのは備えですから、使うかどうかはそのときの政府の判断だと思いますが、できるように法的な整備をしていただきたいということは、民主党の先生方にぜひお願いしたいことでありますし、議論をしていただきたいということを強くお願いします。自民党は、自衛隊法の改正案、案を出しています。民主党の方でもぜひ議論してください。それが一点です。



 それから、二点目は何でしたっけ……(古屋(圭)委員「日本版テロ」と呼ぶ)はい、わかりました。



 テロ国家指定は、北朝鮮人権法が既にあって、国家犯罪と書き込まれてありますけれども、しかし、アメリカのテロ国家指定の場合は、テロ国家指定されていると、アメリカは、制裁するだけじゃなくて、国際機関が援助するのに反対しなくちゃいけないと書いてあるんですね。指定されたら、世界銀行やアジア開発銀行が北朝鮮に融資するときに、アメリカが自動的に反対するんです。



 実は、ここで議論していただいて、人権法が改正になって、国際金融機関にも適切な対応をしなければならないとは書き込まれたんですが、もう少し明確に、拉致問題が解決しない限り、制裁は解除しないだけではなくて、国際金融機関の融資にも反対しなければならないというような義務規定を、アメリカのテロ国家指定を参考にしながら、もう少し強い表現にしていただくということをぜひしていただきたいと思います。



 もう一つは、やはり先ほど古屋先生がおっしゃった政府方針です。明確にやはり紙で、対話と圧力をするんだとか制裁をするんだとか、御答弁ではやっていますとおっしゃるんですが、紙でなくなっているというのは心配です。



古屋(圭)委員 ありがとうございます。



 やはり答弁だけではなくて、大臣がかわったらまた違う答弁になるかもしれないので、しっかりそれは文書としてはっきり、高らかにうたうというのは当然のことだと思います。私たちも強くそれは求めていきたいというふうに思います。



 もう時間がありませんので、一つ、荒木さんにお伺いします。



 例の「しおかぜ」について、きょうの資料でもいただいております。その効果と、参議院の方でも、国会の答弁で、年間三百万円の支援について増額も政府として検討してもいいという趣旨の答弁があったというふうに記憶していますけれども、これについての、「しおかぜ」の運営、そして支援についてのお考えをお知らせください。



荒木参考人 資料の一番最後に大体概要については書いてございますが、二〇〇五年から北朝鮮向けの短波放送を行っております。



 これはモニタリングをしておりまして、北朝鮮の中に届いていることは間違いなく、なおかつ、妨害電波を北朝鮮側から、現在、こちらの周波数を変えるのに合わせて出しているということで、それは、逆に言えば、それなりの効果が上がっているということの証拠であろうというふうに理解をいたしております。



 先日、参議院の拉致特の方で、大臣の方から、これに対する援助の増額等々について御答弁をいただきまして、大変感謝しておりますが、現状で、私どもとしては、もし増額をしていただけるのであれば、これを何とかして放送時間の延長に使わせていただきたい。



 ただ、公共事業方式で、こっちも出して政府も出すというやり方というのは、我々全く余裕がございませんので、出していただいた分を何とかして少しでも時間を延ばして、聞こえる可能性を高めてまいりたいというふうに思っております。



 また、先ほど西岡さんが言われたような、いざ緊急事態となった場合には、この放送は緊急放送で使うための放送でもございますので、そういうときに有効に活用するということも考えて、運営をいたしているところでございます。



古屋(圭)委員 ありがとうございます。



 朝鮮高校への支援については、私たち自由民主党、拉致特別委員会あるいは文部科学委員会でも、もう既に三月に、絶対反対、これは全く筋が通らない話でございますので、結論を出させていただいておりますが、きょうは同僚議員からも多分この話が、質問が出ると思いますので、その同僚議員の質問に譲りたいと思います。



 以上で終わります。



奥村委員長 次に、竹内譲君。



竹内委員 公明党の竹内でございます。



 参考人の皆様、本当にきょうはありがとうございます。



 先ほど飯塚代表の方から、二〇〇八年八月以来、この再調査が、ボールが投げられたままで返ってこない、それを待っているだけではだめだ、こういう率直な御意見をいただきまして、私どもも全く同感だというふうに思っております。



 もう一つ、きょう、飯塚代表にお聞きしたいのは、亡くなられましたファン・ジャンヨプさんや、金賢姫さんの招聘がこの間ございましたけれども、これに対しましてどういう評価をされているかという点をまずお聞きしたいと思うんですが、いかがでしょうか。



飯塚参考人 この金賢姫の訪日に対しては、政府並びに関係者の非常な御尽力によって実現できたわけですけれども、いろいろ賛否両論ある中で、私たちは、先ほど西岡会長が言ったように、北朝鮮がうそをついている、大韓航空機の事件は捏造だという話に対して、はっきりと内外ともに、これは真実だということを広く訴え、それを確認ができたという大きな結果が出ております。



 そしてまた、今後、彼女との連携ができれば、直接情報交換、情報収集のためにつなげていけるきっかけをつくったというふうに評価しています。



竹内委員 今回もたらされた情報等につきましては、どのような感想をお持ちでいらっしゃいますか。



飯塚参考人 特に、田口八重子に関する情報の中では、前からも言っておったんですが、はっきりと、田口八重子は生きているというふうに何回もおっしゃっていました。これは多分、いろいろな情報がある中で、彼女自身もそれに関する確信を持てる情報を持っているのではないかというふうに判断しました。



 したがって、これのフォローですか、例えばDNA鑑定ができるような状態にしていただくとか、そういった具体的なお願いもこれからしていくところでございます。



竹内委員 ありがとうございます。



 次に、西岡先生にお伺いしたいんですが、「正論」ことしの十一月号、「金正日政権の崩壊が始まった」という論文も読ませていただきまして、大変参考になりました。



 この中で、北朝鮮内部の変化と、これを拉致被害者救出にどのように活用していくのかということについて、大変鋭い御指摘をいただいておるわけでございますけれども、せっかくの機会でございますので、その要点をちょっとこの場で御教示願えればありがたいと思います。



西岡参考人 北朝鮮は、簡単に言いますと、金正日本人が自分の寿命が短いという自覚を始めた、これが以前と大きな違いです。そして、彼が今考えているのは、死んだ後の自分の名誉を守ることです。スターリンも毛沢東も、死んだ後、墓を暴かれるようなことをされたわけですね。金日成は、それが嫌だから金正日に、息子にしたわけです。



 では、正恩で安定するのかどうかということですが、二十代の若者が突然大将になる。妹も大将になる。軍歴がないわけです。そして、崔竜海という彼の幼なじみも突然大将になりましたが、軍歴がないんです。そういう人を突然大将にせざるを得ないぐらい焦っているんですね。という点では、何が起きるかわからない。



 金正日は、自分の路線を否定されたくない。しかし、労働党の大部分の人たちは中国式改革・開放がいいと思っている。中国式改革・開放をやろうとすると、彼がやってきた先軍政治が一部否定される。それは嫌だから、息子にしようと思っている、息子と妹に頼んでいる。



 そして、大多数の住民は、十年前から配給がなくなりまして、商売をして自分で食べているんです。やみで食べているんです。やみで食べる中で、南の情報がどんどん入ってきている。中国のように人民公社を解体してほしい、商売を自由化してほしいと思っているわけです。



 そういう中で、何が起きるかわからない状況を、先ほど申し上げたように、既にワシントンで米韓は公式に言ったということであります。



竹内委員 ありがとうございます。



 それと、先ほどもお話が少し出ましたが、韓国との連携というのは非常に重要だと私どもも考えております。



 圧力と対話ということですが、まず圧力だ、この点につきましても、私どもも同感でございます。



 最近、北朝鮮の朝鮮赤十字会が、先月の二十七日まで開城で開かれた韓国赤十字社との会談で、米五十万トンと肥料三十万トンの支援を要請しているわけでございまして、李明博政権に対しまして公式にこのような支援を求めたのは初めてだというふうに思っております。



 北朝鮮では、百三十万トン前後の食糧が不足しておりまして、軍糧米も放出されたと聞いておるわけでございます。そういう意味では、こういう角度での連携というのはやはり非常に重要だと思うんですけれども、この点につきましても、西岡先生の御見解をいただきたいと思います。



西岡参考人 まさに、先ほど古屋先生の御質問にお答えしたとおり、日韓の連携で第一のポイントは、日米韓が制裁で足並みをそろえることであります。



 つまり、二〇〇八年のとき、そうなりかけたのに、ヒルさんがちょっと引いちゃった。そして、韓国はそのときは参加をしていなかったんです。今度は、哨戒艦事件があったので、韓国が来ているんです。



 日本は拉致で頑張っている、アメリカも金融制裁をした、中国以外、助けるところはないけれども、彼は中国の改革・開放は拒否しているという四面楚歌に置かれながら、自分の寿命の限界を感じているというところですから、それぞれの国益があるでしょうけれども、日本にとっては、拉致と核とミサイルは絶対に譲れないわけですから、韓国にとっては哨戒艦を認めさせることも絶対に譲れないわけですよね。



 そういうことについてきちんと連携して、今の制裁の穴をつくらないようにする。彼らは絶対、日米韓の足並みを乱そう、乱そうとしてきますから、それをしないように、やはり国会議員のレベルでももっと交流をどんどんしていただき、政府でもやっていただいて、与野党でもやっていただいて、国益が一致するんですから、韓国の拉致被害者もいるんですから、ぜひ交流をもっとして戦略的対話をしていただきたいというふうに思っております。



竹内委員 それから、次に進みますが、これは増元事務局長さんにお尋ねしたいと思うんです。



 三男の金正恩への後継体制が進んでいる中で、長男の金正男氏が、最近、父が病気なのになぜ平壌に戻らないのかというふうに聞かれて、それに対して、バトンタッチは嫌だ、滅びるのに、長くもつだろうかというふうに答えたという情報がございます。



 こういう権力継承への混乱がさまざまな統治システムの混乱を招いて、これがひょっとすれば拉致被害者救出の糸口になるのではないかなというふうに思っておるわけでございますけれども、この三代の世襲に違和感を持って、北朝鮮内外の人々に、世襲体制が続いて、このままでは制裁解除も支援も受けられないということを強く印象づける広報活動はさらに必要だと思います。



 先ほど「しおかぜ」のお話もございましたけれども、いろいろ調査してみますと、北朝鮮としては、一つは、空からいろいろなビラが降ってくるのは非常に困るというふうに言っておりますし、それから、拡声機放送もやめてくれということをかなり言っていますよね。



 結構、この風船散布とか、こういう活動も私は有効ではないかなと思うんですけれども、こういうことにつきましても、もちろん我々が先頭に立ってやらなければならないんですが、この辺の、ラジオ放送以外のこういう活動も必要だと思うんですが、御意見をいただきたいと思います。



増元参考人 ことし春の天安艦の事件を機に、韓国国内で風船ビラを大々的にやろうという話がありまして、我々、救う会、家族会にもその話が来ました。そして、その中で、私たちもその企画に参加しようということで、協力をさせていただいております。あと、調査会の方では既にそれを一昨年から始めておりました。



 我々も、いろいろな日本の情報を北に直接やるのが一番有効だろうと思って、先日も韓国に行った際、自由北韓放送で家族の声を述べました。



 その中で、私が一番強調したかったのは、あの放送を聞いている軍幹部それから労働党の幹部に、拉致被害者を傷つけるな、もし傷つけるようなことがあれば、私たち日本人は決して北朝鮮に支援をすることはない、必ず彼らの安全を確保し、そして日本に帰すよう努力しろということをメッセージとして送りました。



 しかし、日本の「ふるさとの風」、この中では、北朝鮮に対するメッセージとして、我々日本政府は関心があるというふうにしか言っていない。この厳しい私たちの日本の国の怒りを直接北朝鮮に放送として流すのであれば、もっと明確にしていただきたかったし、先ほど、北朝鮮ビラのことでもそうなんですけれども、「ふるさとの風」では日本国政府は情報の収集のために情報収集場所を公表しているにもかかわらず、民間がやる北朝鮮ビラに日本政府の情報収集場所を明記することに対して非常に苦情が来たんですね。



 では、何のために我が国政府は情報収集をしたいという放送をしているのか。民間であれどういう場所であれ、日本政府が情報収集しようとするのであれば、やはり、どういうところにも明記して、来る情報をいっぱい間口を広げた方がいいのではないかと思うんですけれども、この辺が私は不思議なんです。だから、「ふるさとの風」という政府がやっている放送はアリバイ的にやっているのではないかという非常に不満を持っております。



 とにかく、あらゆる方法を講じて、私たちは、北にいる私たちの家族に生の声を、そして日本の情勢を伝えていきたいというふうに思っておりますので、ぜひ御協力をいただければと思っております。



 ありがとうございます。



竹内委員 ありがとうございます。



 時間がだんだん迫ってまいりましたが、最後に一つだけ荒木先生にお伺いしたいんですが、これも「正論」十月号、荒木先生の論文を読ませていただきまして、大変勉強にといいますか、非常に教えられるところがたくさんございました。



 この表題は刺激的な表題で、「拉致被害者救出は政府には任せられない」というふうに書かれてあるわけでございますけれども、時間もございませんので、先生の方から、この論文を踏まえて、特定失踪者問題からのメッセージをぜひいただきたいと思います。



荒木参考人 ありがとうございます。



 ここに書いたことは、基本的には、先ほど申し上げましたこと、この資料の内容と沿うものでございまして、現在政府が認定している十七人、それと我々が推定する人数、これはもうはっきりわかりませんが、少なくとも百人以上は何らかの形で連れていかれているであろう。この差がどうしてできているのかということがやはり最大の問題でございまして、政府が認定するかどうかということと、向こうに拉致されているかということは、全然別の問題でございます。



 我々は、このままほっておけば、向こうにいる方々はみんな死んでしまうし、御家族はもう、我々がかかわっておりますこのポスターの中にある方々の御両親世代というのは、本当に一年に何人も亡くなっておりますので、やはり、今までの対処方針を変えていただかなければ絶対前へ進まない。



 政府認定者は、九・一七の後、曽我ミヨシさんたちが認定されて以降、この八年間で二人しか認定されておりませんので、認定しても帰ってきているわけではないということから考えますと、やはりこれまでの道筋を見直していただく必要があるのではないかと思っております。



竹内委員 ありがとうございました。終わります。



奥村委員長 次に、笠井亮君。



笠井委員 日本共産党の笠井亮です。



 きょうは、飯塚参考人、横田参考人、増元参考人、西岡参考人、そして荒木参考人、本当にありがとうございました。



 先ほど来の意見を伺いながら、三十年以上も一日千秋のお気持ちで頑張ってこられた拉致被害者、そして特定失踪者の家族の皆さんの思いを改めてしっかりと受けとめたいと思ったところでございます。



 そこで、まず横田参考人に伺いたいんですけれども、私、昨日、横浜市で始まった横田さんの写真展、「めぐみちゃんと家族のメッセージ」、それから「記事でたどる拉致問題」ということで、我が党の穀田議員と一緒に伺って拝見してまいりました。



 写真を見ながら、二〇〇六年の十一月なんですけれども、当委員会から福井と新潟に現地調査に行ったときのことを思い起こしまして、新潟では、横田めぐみさんの拉致現場を視察して、めぐみさんの足取りをたどりながら、県警からもいろいろ説明を受けてきたわけでありますが、私の父は新潟で、そして祖父母が佐渡で生まれているものですから、こんなに身近なところで拉致されたということで、本当に怒りが沸き起こったことを思い起こしました。



 その調査からももう四年たちますし、それから、私自身も、この五年来、当委員会で、数えてみますと十七回だったんですけれども、発言もする機会があって、そして昨日も改めて写真展、記事を拝見しながら、やはりこの間の拉致被害者家族の皆さん御自身の、そして関係者の皆さんの訴える行動が、拉致は許せない、全被害者をすぐ帰しなさいということで、全世界に強いメッセージを発信する大きな力になったという確信を持つことができました。



 今まさに、拉致被害者の早期救出を願って、私たちは何をすべきかという問いかけを正面から受けとめて、やはり一刻も早い解決のために政治がやらなきゃいけない役割は本当に重いということを痛感するんですけれども、そこで、横田参考人、写真展をことしもああいう形で開催されて、どういう反響だったか、あるいは、御感想、思いについてお話しいただければと思うんですが、いかがでしょうか。



横田参考人 あの写真展は、講演会なんかのときにロビーで小規模にやるのはもう何回か数え切れませんけれども、大きいのは三十四回目ぐらいで、その間には、ジュネーブとか、それからワシントンでもやったことがあるそうです。あれは、あさがおの会といって、私たちの居住しておりますマンションの方が拉致問題を解決するためにつくったグループです。



 それで、初めのころは、行列があって入場制限したこともありましたが、最近は、同じものをやっているせいもありまして、少し少なくなっていますけれども、しかし、きのうでも、三日から始めたわけなんですけれども、開場前からたくさんの方が並んでくださいました。



 それで、年配の方ですと、自分の娘がこのぐらいで、孫がこのぐらいだというような形で、それぞれ自分の立場に置きかえてくださって、本なんかで読んだのではよくわからなかったけれども、非常によく理解ができて、一日も早く帰ってほしいというようなことをおっしゃる方が大勢いらっしゃいました。



 ですから、このところ、拉致問題に動きがないものですから、新聞等に報道されることが少なくなりましたけれども、やはり一般の方の関心というのは非常に高いと思います。



 そして、いろいろな地域に参りますけれども、中には、官邸あてのはがき、それと、裏には一つの例文みたいなものを書いて、文章はそれぞれの人で違うわけですけれども、これと同じようなものを送ってほしいなんという運動もしておりますが、この問題は政府に解決していただくしかありませんので、政府の方には、この間のときは、例えば福島の場合ですと、菅総理大臣に金賢姫さんを招聘してくださいましてありがとうございましたというような感謝の手紙もたくさん行ったようですけれども、やはり一日も早い救出をという意見が圧倒的でございます。



笠井委員 ありがとうございました。



 拉致問題では、安否不明者の再調査などの問題で、やはり日本にとって納得できる解決が図られなきゃいけないと思います。先ほど来お話があったと思うので、若干敷衍しながら伺っていきたいと思うんですけれども、飯塚参考人と横田参考人と増元参考人に一言ずつお願いしたいのです。



 お話がありました二〇〇八年八月の日朝の実務者協議というところで、あそこでは合意事項が三点あったと思うんですね。一つは、拉致問題の解決に向けた具体的行動をとるために、すなわち生存者を発見し帰国させるための、拉致被害者に関する全面的な調査となること。二つ目に、調査の対象には、政府が認定した被害者やその他に提起された行方不明者等が含まれ、すなわち、すべての拉致被害者が対象となること。そして第三に、その調査は、権限が与えられた北朝鮮の調査委員会によって迅速に行われ、可能な限りということで、秋にはと。二〇〇八年だったわけですが、秋には終了するということについて合意したということがあるわけです。



 そこで、お三方に伺いたいんですけれども、北朝鮮に対して、何だかんだ言ってもこの合意事項があるわけですから、この合意事項を早期に履行するように迫っていくというためにも日本政府には主体的な外交戦略が要るということで、それに基づく努力が強く必要だと思うんですけれども、あれからもう二年たちますので、現状を打開する、そういう上で、日本政府に対して、もっとこの点はとか、これがないんじゃないかとかという点について、どういう御要望、御意見があるかということで、家族連絡会のお三方に伺いたいと思うんですが、いかがでしょうか。



飯塚参考人 当初は、北朝鮮当局の調査委員会というのは、我々は否定したんですね。要するに、北朝鮮当局はすべてわかっている、調査しなくてもわかっているということをまず私たちは考え、でも、しからば、調査するのならば、はっきりと名前と、もちろん生存情報、場合によっては死亡情報もあるかもしれませんけれども、その報告を聞けば、またその次へ進むきっかけになったはずなんですが、北朝鮮いわく、日本の責任者がだれだかわからないというような感じで、いわゆる総理が交代したという場面が何回かありましたので、それについては、その後、一応ほごになったような形になっています。



 私たちは、その件については、まだ生きているということで、調査を要求してほしいという気持ちですね。



横田参考人 調査を秋までにというのは、秋になったらやめるという意味でなくて、秋までに早くするという意味でついたわけです。



 それで、あれが例えばだれかの個人的な合意でしたら、人がかわってしまえばそれはほごになるのかもしれませんけれども、国と国との約束ですから、当然あれは有効だと私は思います。



 しかし、北朝鮮側からすれば、そのときの総理によってというか政府によって対北朝鮮政策をどういうふうにとるかということは変わってくるだろうから、やはりだれかを見きわめてしたいということで、初めはちょっと先送りにすると言ったんですけれども、麻生内閣が誕生したときに、大抵の方は解散・総選挙をするだろうというようなうわさが世間ではありましたので、それで北朝鮮側とすれば、その次の、解散・総選挙の後の方がどんな北朝鮮政策をとるかということで、結局、事実上、調査をやめてしまったわけです。



 それで、民主党の内閣が誕生したときに、これは非常に大きなきっかけで、鳩山総理はアジア外交を重視しておりましたので期待したわけなんですが、やはり政治資金等の話が出て、北朝鮮側は日朝交渉というのを鳩山内閣のときも一度も行われなかったわけなんです。



 ですから、これはもう政府間の合意ですから、早く実行するようにということを強く要望していただきたいと思っております。



増元参考人 先ほども少し申しましたけれども、二〇〇八年の日朝合意というか、先生がおっしゃったこの基本方針三つは、あの当時の中山首相補佐官が、この調査委員会は生存している拉致被害者の帰国に必ずつながるものでなければならないということを強く私たちに説明されて、やっていただきました。



 ただ、今、横田前代表がおっしゃったように、日本の政権が安定していたからではなくて、あの年の八月十四日に金正日が倒れてしまって、決定する権利を有する人が倒れて何の決定もない状況では、調査委員会が立ち上がらない。だから、こちらの政治状況を盾に北朝鮮が調査委員会を立ち上げなかったということだと私は思っております。ただ、合意違反をしているのが確実なわけですから、それに対して我が国政府は何らかのメッセージをしなければならないと思うのです。



 二〇〇四年、横田めぐみさんの骨と称するものが我が国にもたらされました。それがにせものと判明して、当時の細田官房長官がこの事態に非常に怒り、そして北朝鮮の不誠実な対応に我が国は何らかの制裁を科す必要もあるやのような発言もされました。すなわち、我が国は北朝鮮の姿勢を崩すためには何らかのメッセージを常に発信しなきゃいけないと思っていますし、北朝鮮にボールを投げてあるのではなくて、北朝鮮がボールを返すようにしなければならない。そういうことを続けていかなければならないというのが私の思いです。



 我が国は拉致問題を最優先課題というふうに常に政府は私たちに説明していただきましたけれども、本当に最優先課題なのか。それでは、なぜボールが返ってくるように次から次にいろいろな政策を施していかないのか、なぜ北朝鮮に対して圧力をかけてでも北朝鮮を動かすような政策をとっていただけないのか、何で最優先課題と言いながら北朝鮮のボールを待っているのか、非常に不満を持っております。



 中国が犯罪者を取り戻すのにあれだけ圧力をかけて国民に納得をしてもらう、あれが最優先課題としての見せ方じゃないでしょうか。



 私は、日本がスマートにこの問題を解決したいのだという思いはあるでしょうけれども、なりふり構わず国民の命を守るのだという姿勢を国内外に示してこそ、日本国民の政府に対する信頼を得ることができるのではないでしょうか。それがないから、今このような状況になっているのだと私は思っております。



 ありがとうございます。



笠井委員 ありがとうございます。



 では、あと一問だけ、飯塚参考人に伺いたいんですが、この間、ハノイでも東アジア・サミットがありまして、その議長声明の中でも、朝鮮半島の完全で検証可能な非核化を支持して、関係国が適切な道筋で六カ国協議に復帰するよう促すとともに、国際社会の人道上の懸念に対処する重要性を強調するということで、拉致問題に間接的に言及していると受けとめているんですけれども、皆さんの粘り強い努力が国際的な理解と支援を広げる大きな力になってきていると思うんです。



 そこで、飯塚参考人に端的に伺いたいのは、先日、十一月一日のソウルでの国際大会での御発言も伺ったんですけれども、拉致問題への国際的理解と支援をさらに広げる上で、日本政府に端的に求めたいことは何でしょうか。



飯塚参考人 もちろん、この問題については主体的には日本政府がやるべきことでありますけれども、取り巻く問題としては非常に複雑で、内外に広がっている問題がたくさんあります。そういうことでは、やはりアメリカと韓国が中心になると思いますけれども、北朝鮮に対しての圧力というか、非道さを人権という考え方で訂正させるためには、やはり国際世論、国際社会に訴えていかなきゃいけないというふうに思います。



 そして、国連の安保理を含めて北朝鮮に対して圧力をかける、さらに周辺各国が共同してそれに乗るということが大切であると思っております。



笠井委員 ありがとうございました。終わります。



奥村委員長 次に、中島隆利君。



中島(隆)委員 社会民主党の中島隆利でございます。



 本日は、大変お忙しい中、参考人の五名の皆さん方、貴重な御意見をいただきまして、まず感謝を申し上げたいと思います。



 これまでの質問で若干重複する部分があるかと思いますが、三点についてそれぞれお尋ねしたいと思います。



 先ほど、家族会の飯塚さん、横田さん、増元さんからそれぞれお訴えがございました。飯塚さんは田口八重子さん、そしてめぐみさん、それからるみ子さん、三十二年から三十三年という長きにわたって今の経過を踏まれている。その苦しさ、悩みについて、本当に察するに余りあるものがあると思います。



 私も、今政府が行っております、毎週放送されている北朝鮮へのラジオ放送を聞かせていただきました。家族の皆さん方の悩みを訴えて、北朝鮮の皆さん、あるいは北朝鮮に拉致されている家族の皆さん方に切々に訴えられていること、本当に心が痛む思いであります。



 先ほど来、ラジオ放送の予算あるいは事業についてもっと拡大してほしい、こういうお声もありましたし、それから、今までの質問の中で、もう少しこの拉致問題を、国民の世論として支援を広げるのか、これをもっと国民に広げてほしい、こういう御意見もございました。特に横田さん御夫婦は、もう千回以上にわたって全国を駆け回って講演で訴えておられる、こういう活動をされているわけでありますが、改めて家族会の三名の方に、この拉致支援に対する具体的な政府に対する要望、これが一つ。



 もう一つは、先ほど来、対話と圧力という形で、基本は一日も早く拉致家族を帰国させるというのが目的でありますが、先ほど横田さんからもございました、あるいは飯塚さんからもございました、情報収集をもっと徹底的にやってほしい、あるいは、韓国と十分な情報連携をしながら北朝鮮との交渉をやるべきだと。特に横田さんからは、外交交渉なくして前進しない、こういうお言葉もありました。そして、増元さんからは、やはり圧力の上に交渉をしながらどう引き出すか、こういういろいろな交渉のあり方も御提言がありました。



 そこで改めて、この拉致問題に対する、国民に対する支援、世論のつくり方、あるいはこれに対する要望と、それから対話と圧力のあり方、政府と政治に対する、どういうふうにお考えか、家族会の三名の方にそれぞれ率直にまたお考えをお聞かせいただきたいと思います。



飯塚参考人 国民世論に対しては、我々、長い間をかけてかなりの高揚を図ってきたわけです。それが啓発として今維持しているわけですけれども、やはり国民世論が高まるということは、北朝鮮に対して国民が怒っているぞというメッセージ、それともう一つは、言葉は悪いですけれども、政府に対する圧力、これなくして政府が一〇〇%動いてくれないのではないかという判断から、かなり国民世論を高めてまいりましたが、これは言ってみれば、我々の家族会あるいはボランティアの組織、たくさんありますけれども、そういったところからの効果が出てきているのではないか。



 もちろん、政府もこういった世論の啓発をやってくださいますけれども、私としては、政府、国会あるいは議員の方々は、しからばどうやって解決していこうというところの方に力を注いでいただきたい。



 一般の国民に対しては、確かに我々のことを気の毒な、かわいそうだという意識の中から、頑張ってください、応援しますという話が出ていましたけれども、最近に至っては、政府は何をしようとしているのか、どうやったら助け出せるのか、ちっともやってくれないという怒りに変わってきているんですね。



 もちろん、我々もそういう気持ちは当然ありますが、今いわゆるセンチメンタル的なことを語っていても前へ進まない。具体的にどうやって解決するんだという、そっちの方向へベクトルを合わせた動きが必要ではないかというふうに感じます。



横田参考人 以前に政府の方から、やはり国内世論が高まらないとだめだということで、そういった世論を背景にして交渉するために、国民の方が同胞を救わなければという気持ちを持っていただかないと、政府としては強く動けないというようなことをおっしゃってくださいましたので、そういった点では、家族会としてできることは、講演等を行って、そこで実態を聞いていただくと、テレビとか何かですと、どうしても短いところ、さわりのところだけしか聞きませんけれども、全体の話を聞くと、皆さん非常によく理解してくださいます。



 それから、北朝鮮というのは、日本のものをどういったところから得るのか、朝鮮総連からかもしれませんけれども、ニュースをよく知っていまして、初めのころなんかですと、例えば小浜で集会をしましたときに、天気も悪かったので、そんなに人は多く来てくださらなかったんですけれども、それでも、ありもしない拉致のことで小浜で集会をしてけしからぬというようなことも聞いたことがあります。



 それから、もう数年前になりますけれども、交渉のときに、日本の世論というのを非常に気にしていて、例えば、新潟の百貨店でめぐみの写真展をやったときに、新潟なんかは地域的に非常に関心が高いんですけれども、そこでは何か二千人ぐらいしか来なかったそうですねとかというようなことを向こうが言ったそうです。



 それで、こちらの行った団長の方が、いや、私もその展示会に行ったけれども、満員だったですよ、だれがそんなでたらめの報告をするのか知らないけれども、実際は二万五千人来たんですよというふうに言ったそうです。



 ですから、それは二万五千人とわかっても、次に上に報告するときは、我々の力で世論を鎮静化させたというふうにどんどん少なくなって、最終的にはもう一割程度の数字しか報告していなかったということもわかりますけれども、やはり日本の世論を非常に気にしていると思います。



 新聞なんかにも、どこかで集会をすると、どのぐらいの人が集まったなどと報道されますので、家族会としてできることは、そういったところで世論を高めることしかできませんし、これからもやっていこうと思っております。



増元参考人 政府に対する要望ということですけれども、今、拉致問題対策本部の予算の中でやっていることを先ほど言いましたけれども、「ふるさとの風」、これに関しては、もっと、拉致被害者の安全を確保するために、正しく北朝鮮の政府高官に厳しく言っていただきたいというのは一つあります。



 そして、私たちもブルーリボンの推進をやっていますけれども、これは、二〇〇六年の二月に日朝交渉をやった際に、北朝鮮の実務者と話し合った中で、北朝鮮が何を一番気にしているか。これは、一つが日本の国内世論です、拉致問題に関する関心度。二つ目は、拉致問題が国際社会に広がること。この二つを、北朝鮮が非常に関心を持って、嫌がっているということを伺いました。



 ですから、私たちは、家族会として、この拉致問題を、国内世論を絶対に鎮静化させないためにあらゆることをやっておりますけれども、ことしの金賢姫さんの件でもわかるように、何か事あれば、我が国国民は、拉致問題の解決に関して大きな関心を持っていること自体は確かです。ですから、この関心を持続させるために、政府の対策本部の予算の中でやっていただきたいと思います。



 国際社会の連携のためには、自民党政権下で一回提唱されたんですけれども、在外公館の外交官全員にブルーリボンバッジをつけていただく。そして、つけていただくことによって、日本政府が拉致問題を重要視しているということを全世界の国々に発信していただく。ブルーリボンバッジを皆さんがつけていくことによって、これは何だという関心を生むことにもなりますし、その中で拉致の問題を他国の外交官同士で話すこともできるというようなこともあります。



 ですから、北朝鮮の嫌がっている日本の国内世論の関心、そして国際世論への広がり、これを政府として推進していっていただきたいと思っております。



中島(隆)委員 ありがとうございます。



 やはり、世論づくり、それから北朝鮮との交渉の前進、今御指摘がありましたように、政府なり我々政治家の努力、もっともっと力を入れるべきだというふうに感じました。



 そういう面で、あと、北朝鮮をめぐる最近の情勢について西岡参考人にお尋ねをいたします。



 最近の動きで、特に韓国の哨戒艦沈没事件、あるいは北朝鮮の核の開発の問題で六カ国協議も途絶えております。しかも、先ほど指摘がありましたように、調査の約束もほごにされているという状況がございます。



 しかし、最近の動きで、金正恩氏を後継者に任じているという段階にもございますし、最近は金正日氏が訪中して六カ国協議の開催に強い姿勢を示している、こういう動きもあるわけでありますが、こういう状況の中で、今後の動きをどういうふうにお考えか、ちょっとお尋ねしたいと思います。



西岡参考人 先ほども申し上げましたが、金正日氏個人が大変困っている、追い込まれて、追い込まれつつあるというふうに思っています。一つは健康ですけれども、もう一つはやはり制裁がきいてきたということであります。



 特に、アメリカが最近行いました金融制裁は大変な効果があります。この金融制裁でアメリカが対象にしたのは、党の三十九号室とそれから人民軍の偵察局、つまり、労働党の正式な機関です。それから、軍の機関がテロに関係しているといって、そことつき合っている世界じゅうの銀行に対して、そことつき合ったらテロに加担したことになるから、バンコ・デルタ・アジアのようにアメリカが取引をやめることもあり得ますよということを言ったんですね。



 これは、労働党という政党にテロ機関がある、犯罪機関がある、人民軍にテロ機関があると公開的にアメリカが言っていることでありますし、特に三十九号室というのは、実は金正日の個人資金を扱っているところで、過去には朝鮮総連からの秘密送金がそこに入っていましたし、金大中氏が訪朝したときの裏金四億五千万ドルもそこに入りましたし、犯罪資金もそこに入っているわけですから、それが使えなくなるということは独裁政権の維持のために大変苦しくなってきている。頼るところは中国しかない。しかし、中国の言うように改革・開放はしたくない。核開発を優先する、軍隊を優先するという先軍政治と改革・開放は合わないわけです。



 追い込まれているということで、アメリカが一度下がってきたのが、もう一度戻ってきたということです。日本は、拉致と核、ミサイルできちんと制裁をしています。アメリカは戻ってきた。韓国も天安艦事件で足並みがそろっている。中国共産党がどう出るかというのが変数ではありますけれども、困ってきているということの中で、いろいろな、まずは彼らはごまかしをしようとすると思います。天安艦事件を認めないで六者協議に戻る、八人が死んだということのまま日朝をしようとすると思いますが、こちらが毅然たる対応を保っていれば、向こうがもっと困ってくれば、小泉訪朝のときのようなことさえも起こり得るし、あるいは金正日が死んだときの後継政権で、安定的に移譲があれば次のステップが起こり得ると十分思っていますが、しかし、混乱になる可能性もあり得るので、その準備もしておかなくてはいけないと思います。



中島(隆)委員 質問の時間も来たようですので、最後に荒木参考人にお尋ねしたいと思います。



 特定失踪者の調査活動についてですけれども、これについて大変な御苦労もされていると思います。四百七十名という数の多い方々からの依頼もあると思うんですが、政府と関係機関にどのように今後協力のお願いを希望されているのか、その点だけ最後に一点、お尋ねしたいと思います。



荒木参考人 私ども、政府との立場は、基本的には建設的緊張関係ということを前提といたしております。それは、迎合するわけでもなく、あるいは、いたずらに対立するわけでもないということですが、問題として、先ほどお話ししてまいりましたように、国内の問題が非常に多いわけでございまして、この面については、やはり厳しく対処して、真相を究明して、そして事実関係を明らかにして、改善していただくように求めていくということを続けながら、あるいは、情報収集等々で、一緒にできるところは可能な限り一緒にやるようにというふうにしておりますので、その両面で政府の方に御理解をいただければというふうに思っております。



中島(隆)委員 時間が来ましたので、質問を終わらせていただきます。



 今まで家族会の厳しい、苦しいお訴えを受けまして、今後とも我々も頑張ってまいりたいというふうに思います。ありがとうございました。



奥村委員長 以上で各会派を代表する委員の質疑は終了いたしました。



 これより自由質疑を行います。



 この際、委員各位に申し上げます。



 質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て発言されるようお願いいたします。また、発言の際は、着席のまま、所属会派及び氏名を述べた上、お答えいただく参考人を御指名いただくようお願いいたします。



 なお、理事会の協議によりまして、一回の発言時間は二分以内となっておりますので、委員各位の御協力をお願い申し上げます。



 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。



長尾委員 民主党の長尾敬でございます。



 ソウルの大会で御一緒させていただきまして、ありがとうございました。



 先ほど、朝鮮学校の問題が出てまいりましたから、これをさらに掘り下げてまいりたいと思っております。



 民主党の文科並びに拉致特の三回目の合同部門会議の中で、この基準に関しては、発言者の八割近くが慎重論であったというような部分の中で、おおむね了とする、ただ付記という部分でとどまっておることに私も非常にこれではよろしくないと思っている一人でございます。



 公安調査庁の次長の委員会発言の中に、朝鮮学校は財務的にも人事的にも朝鮮総連の影響を受けているという旨の発言がございました。



 西岡先生にお尋ねしたいのですが、この関係について、どのように人事的、財政的関係があるのかということをぜひ教えていただければと思っております。



 と申しますのは、先ほど来、圧力という言葉があるにもかかわらず、ここで朝鮮学校に対する支援をすれば、ともすれば朝鮮総連に対する資金援助というふうにもとられかねない、当然間違ったメッセージにもなりかねないというふうに思っておりますので、ぜひそのところ、先生の知り得る限り教えていただければと思います。



 以上です。



西岡参考人 公安調査庁の見解と私も専門家として全く同じ見解を持っております。



 何点か申し上げます。そして、朝鮮総連を指導しているのは、実は拉致を行った北朝鮮の工作機関の一つである統一戦線部であります。私は、最近、元統一戦線部の幹部と韓国でインタビューをいたしました。その幹部によると、朝鮮学校のこの教科書は、小平の朝鮮学校が原稿を書くけれども、統一戦線部に持っていってチェックを受けて、統一戦線部が検閲をしてオーケーになって、北で印刷して持ってくる。そして、統一戦線部の玄関にはこの教科書が飾ってあるということを元統一戦線部の幹部に聞きました。そういう関係であるということであります。



 そしてもう一つ、校長の人事も朝鮮総連がやっております。ですから、別途ではありません。



 それから、生徒さんたちも、実は学校の生徒さんたちでありながら政治運動に動員されるんです。在日朝鮮青年同盟というのがあります。これは、共産党で言うと民青のような組織なんですが、済みません、ちょっと言い方を間違えまして、つまり、労働党の青年組織という意味です。別に、自民党にも青年組織があると思いますけれども、そういう意味で政治活動をしているということです。学校と党は別ですね。そういう党の青年同盟に小学校四年生から入るんです。強制的に入ります。



 そして、そこに入っていた元生徒から聞いたんですが、課外授業、放課後に朝鮮総連本部から来て政治学習をする。例えば、大韓機事件がテレビに出たときは、あれはでっち上げだというふうに習う。そして、抗議しなさいと言われたら抗議電話をかけるということを学校の中でやっている、そういう一体性もあるわけです。朝鮮総連のホームページを見ますと、もともと朝鮮学校は自分たちの組織だとも言っています。



 もう一点。朝銀信用組合が破綻しまして一兆四千億円の公的資金が入りましたが、そのうち二千億円がRCC、整理回収機構に行って、回収しているんですね。回収をしようとしたら、朝鮮学校が担保に入っていた。それに対して、朝鮮総連に対して二千億円を返せというふうにRCCがやっているんですが、北九州にある朝鮮学校と愛知県の朝鮮学校が担保に入っているんですね。学校ですから差し押さえをしたらまずいというので、仮差し押さえをしている。



 RCCとそういう関係になっていて、では、この朝銀信用組合の不良債権が本当に金融的なことでできた善意の不良債権なのか、北に送金されたのか、強い疑惑があるわけですが、そのときの担保として朝鮮学校の土地が使われていて、仮差し押さえまでされているような一体の関係があるということをぜひ御理解いただきたいと思いますし、だから、真の学校になりなさいということを強く言いたいと思います。



 もう一点だけ。実は、昭和四十年十二月に文部省は通達を出していまして、「朝鮮人のみを収容する教育施設の取扱いについて」ということで、朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮学校は、我が国の社会にとって、各種学校としての地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認めるべきではないというのが当時の文部省の見解だったんです。しかし、各種学校の認可の権限は知事が持っていまして、美濃部都知事などが文部省の見解に反して認可をしていたという経緯があります。そういうようなこともぜひ参考にしていただきたいと思います。



永岡委員 自民党の永岡桂子でございます。



 きょうは、参考人の皆様方、お忙しいところ、本当に貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。



 ただいま西岡先生からもお話しいただきました高等学校の無償化についてなんですけれども、総連の下部組織である朝鮮学校という認識があるわけですね。省令で、文部科学省は支援金を出すことに、条件が整えば出すということはもう明らかになっているわけですね。その中で、その要件の中に、反日教育など教育の内容は要件に入れていないということなんですけれども、ただいまは五人の参考人の皆様方に御意見を伺いましたところ、すべての参考人の方が朝鮮学校の高等学校の無償化反対というお話をいただきまして、私も、これが日本人の意見の総意であるというふうに改めて受けとめさせていただきまして、うれしい感じがいたしました。皆様方の意見は、民主党の方また政府の方にしっかりと受けとめていただきますことを、どうぞよろしくお願いしたいと思います。これは質問ではございません。



 それから、自民党の前政権では拉致問題の対策本部というのがありました。これはもう御承知のとおり、官邸の、官房長官がトップとして担当していまして、拉致担当を兼任していました。ところが、民主党政権になりましてからは、今は担当大臣が法務大臣であります。その前は、これは国家公安委員長でした。大分形が変わっていまして、官邸の中に以前はありましたような拉致問題の補佐官という方もいらっしゃいません。これはもう閣議で変わってしまったわけなんです。



 私は、官邸、つまり総理大臣がやはりこの拉致問題に対しては一番のトップの責任者であらなければいけないわけですから、その仕組みが形的にもあらわれていなければいけないという気がいたしますが、このことにつきまして西岡先生また荒木先生にちょっとお話を伺いたいと思います。



西岡参考人 民主党政権になって、従来の拉致対策本部は解散になって、別の、全閣僚が入らない、首相と官房長官と外務大臣と担当大臣という形になりまして、しかし、首相が本部長だという形は変わっておりませんので、組織の点ではどちらがいいかを私は評価する立場にはありません。



 ただ、不安なのは、先ほども出ましたけれども、自民党時代は拉致問題についての方針というのがあって、かなり、紙一枚にじっくり書き込まれていて、いろいろなことが書いてありました。対話と圧力の方針、それから厳格な法執行の問題、特定失踪者という言葉もそこに入っていました。そして、追加制裁を考えるということも書いてありました。しかし、その方針というのが、鳩山政権は前の方針を廃止して新しい方針は出さないということで、なくなってしまいました。



 そして、菅政権になって、当面の対応についてという三項目のものが出ました。これは方針とは違うという御説明ですが、しかし、三項目しかなくなってしまって、制裁にかかわる部分や特定失踪者にかかわる部分が入っていないんですね。



 御説明では、優先事項を書いただけである、過去のこともやるとおっしゃっていましたけれども、その点について不安を覚えておりますし、もう一度、先ほど鷲尾先生も御自分でおっしゃいましたが、党の中の、野党時代はあった対策本部が今はなくなってしまっているということも含めて、民主党のあるいは政権の今の取り組みについて若干心配な部分もありますということを申し上げます。



荒木参考人 対策本部の体制に関しましては、十三年前に家族会がスタートし、救出運動が始まったときには、政府の中に対策本部が設けられるということは全く想像もできませんでした。それが安倍政権のときに対策本部になっていくということを考えると、本当にこれは大変な進歩であったと思います。そしてまた、中山大臣が担当大臣ということで決まるということも、これも大変大きな進歩であったというふうに思っています。



 ただ、中山大臣の当時であれば、大臣自身の権限がほとんど持たされていなかった。ですから、外務省に対しても警察に対しても指示をすることは全くできないという形で、御本人にどれだけやる気があっても、実際にできたことの範囲は非常に制限をされていたというふうに思っております。



 前の中井大臣になりまして、国家公安委員長との兼務ということで、少なくとも実行部隊をある程度指揮できる体制になったというのはこれまた前進でございまして、今回、法務大臣ということですが、もちろんこれも拉致に関係しておりますし、公安調査庁も傘下にございますので、そういう意味でいえば、これは政権のいかんを別にいたしまして、この十三年間にそれぞれの政権の御努力でやはり前進してきたということが言えるのではないだろうかというふうに私は理解しております。



熊谷委員 民主党の熊谷でございます。



 先ほど来、我が党の委員の方からも、拉致問題と教科書問題、これを絡めて皆さんの御意見を聴取したわけでございます。



 実は私、昨年来、文部科学委員でございまして、高校の教科書実質無償化ということで随分議論を重ねてまいりました。



 朝鮮学校の問題につきましては、これは非常に懸案であるということは事実でございますが、基本的には在日朝鮮人の十八歳、高校生に相当する年齢の子弟、彼らの学びを支援する、これは、日本人と全く同じ条件でもって日本で学び日本で働いていく、日本人と国籍が違ったとしても、そういうものとして支援をしていこう、原則的にはすべての各種学校も含め無償化する、こういう理念でやっております。議論もありましたが、拉致問題というものには絡めない、あるいは外交問題にも絡めないということを私は主張してまいりましたし、文部科学部会の方でも、大体そういう方針でいこうということで了承されたわけです。



 実は、これは非常に、すぐに判断しますと、皆さんのお気持ちもよくわかりますし、この拉致の問題のある中で、朝鮮総連との関係も非常に深い朝鮮学校にこういう支援をするということ、学校に支援するのではなくて子弟に支援をする、市民の子供に支援をするわけでございますが、これが北朝鮮に何らかのメッセージを、弱腰であるというようなメッセージを送る、こういう御意見だと思うんですが、これは私は、全く制裁、国家としてやるべきことをやらずして、こういう問題で極めてお手軽な嫌がらせをするということは、逆に拉致問題の本質的な解決、国の強い姿勢、これを阻害するような要因だと。



 堂々とやればいいわけですよ。国はもっと、制裁も含めて、拉致問題の本質的な解決に前向きに進むべき、私はそれを希望して実はこの委員会の委員になったわけでございます。新たにさせていただいたんです。



 その点につきまして、再度、西岡先生に御意見をお伺いしたい。



西岡参考人 拉致問題の観点から、家族の方、我々は申し上げておりまして、その条件の中に、教育内容を問わないということを問題視しているんです。差別をしろと言っているわけではありません。



 つまり、民主党政権でも、外国人学校には出すということを決められながら、しかし朝鮮学校は別にして、朝鮮学校だけに適用する基準を専門家委員会をつくってつくられたんですね。ほかの外国人学校にはもう既に出しているんです、四月の時点で。つまり、朝鮮学校は別に検討すべきだということについては、民主党政権も考えられたわけです。



 ところが、その専門家委員会の中に朝鮮総連の専門家が入っていなかったわけです。つまり、それ以外の、アメリカの学校とか中国の学校というのは国交があるところですから、教育内容についてもそれなりに国交があってわかっているから大丈夫だということだったわけですけれども、北朝鮮は国交がないから、専門家委員会で基準をつくりますと言って基準をつくられて、それが今民主党で了承という議論になっていると私は理解しております。



 そういう中で、少なくとも、先ほど言った教育基本法の二条に反するような教育が行われている、北朝鮮人権法に反するような記述があるということを問題にしない基準でいいんでしょうか。朝鮮学校をやめろと言っているんじゃないんですよ。各種学校の認可を取り消せと言っているのでもありません。最低限、教育内容をぜひ基準に入れていただきたい。日本の学習指導要領に従えと言っているのでもありません。



 しかし、これをちょっと見てください。これを見ますと、拉致問題について、「日本当局は」と言って、日本当局が主語になっているんです。今でいえば、民主党政権はということですよ。「「拉致問題」を極大化し、反共和国・反総連・反朝鮮人騒動を大々的にくり広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されていった。」これしか書いていないんです。拉致も認めました、こういうこともありましたじゃないんです。拉致についての記述はこれだけなんです。



 ということは、日本当局が民族排他主義的な雰囲気をつくっているということで、こういう委員会を持っていること、拉致特別委員会を国会の中で持っていること、あるいは、民主党が対策本部をつくっていること、北朝鮮人権週間を持っていて、政府が啓発行事をしていることも民族排他主義的な雰囲気だというふうに子供たちに今も教えているんです。



 このことについて議論をしない基準でいいんでしょうか。議論をした上でこれでもいいというなら、それは一つの考え方だと思いますけれども、余りにもひどいじゃないか。政府のことをこんなことを言っているんですよというふうに思っているということで、大変意見の違いがあると思いました。



増元参考人 これは、嫌がらせというふうにおっしゃいましたけれども、国として、先ほどおっしゃいました朝鮮学校に通っている生徒が将来的に日本国で共生していくための人材をつくるために日本国がお金を出す。しかし、このような反日教育、今そこにもある、うその教育をもって果たして今後日本の中で日本国民と同じように拉致問題の解決を一緒に願っていける人材をつくっていけるのか、それが問題だというふうに私たちは思っております。



 一九七四年の文世光事件、彼が最後に残した言葉、もし自分が韓国で育っていたらこのようなことは起こしていなかった。それはすなわち、日本国内で行われた反日教育そして反韓国教育、さらに朝鮮総連、その上の上層部からきた教育によって、韓国はひどい国である、だからこそ朴正熙大統領を暗殺しなければならない、それをうのみにしてしまったということですよ。



 こういう教育をなされているところに我が国の税金を投入して、もしかしたらテロ工作員をつくる可能性もあるということを、皆さんはどうやって責任をとられるのかということですよね。そういう責任をとる覚悟でやはりこの問題も論議しなければいけないし、この文世光の言葉というのは非常に我が国に対して問題提起をした言葉ではないかと私は思っております。



坂本委員 自民党の坂本哲志でございます。



 五人の参考人の方々の前政権あるいは現政権に対するいろいろな不満、不信、本当によく理解できますし、私たちはそれを重く受けとめなければいけないと思います。そして、ともに行動していかなければいけないと思いますし、やはり世論をさらに喚起するためには、地方でのいろいろな報告会、シンポジウム、こういったものをさらに開催していくべきであると思っております。



 そういう中で、この前、九月四日、熊本で拉致被害者を救おう熊本報告会というのが行われました。増元事務局長に来ていただきまして、少し気になる発言がありましたので、そのとき時間があれば聞けばよかったんですけれども、その発言も含めて、増元さんにお伺いをいたしたいと思います。



 報告会は、私が国会の状況ということでまず報告をいたしまして、ちょうど金賢姫が来日した後でございましたので、私はそれに批判的な意見を述べさせていただきました。どれだけ税金がかかったかわからない中で、ああいう来日をなぜやらなければいけなかったのか、国賓並みとの報道もありましたけれども、遊覧飛行も含めて、なぜあそこまでしなければいけなかったのか、その中から果たして何が生まれたのか、どういう新しい情報が生まれたのか、結局生まれなかったのではないかというような、批判的な、私なりの報告をさせていただきました。



 それに対して、増元事務局長が私の報告に反論する形でいろいろなことをおっしゃいましたけれども、その中で、金賢姫は恩人であると。我々にとってだったのか、日本にとってだったのか、事件にとってだったのか、そこの主語はちょっと忘れましたけれども、恩人であるという言葉を言われまして、会場に少し戸惑いのざわめきが起きました。



 増元さんが言われるのは、あのとき、蜂谷真由美、金賢姫が服毒自殺を図って、そしてそのまま死んでいたら、あれは南朝鮮のでっち上げであるという北朝鮮のプロパガンダがそのまま通用していたであろう、そこで生き残って、そして真実あるいは事実を報告してくれたので、そういう意味で恩人であるというようなことでございましたので、ある面、聴衆の方も納得されたような気もいたしましたけれども、やはり言葉の使い方、いろいろな発言、言い回し、これは非常にデリケートな問題でありますので注意をした方がいい。



 少なくとも、恩人であるとか、金賢姫に対して非常に好意を寄せる、好感を抱くような発言とか、こういったものに対してはやはり反感もありますし、私は、家族会と国民の間の微妙な感情のずれを生じさせるものではなかろうかなというふうに心配をいたしましたので、その点について増元さんにもう一度お伺いいたしたいと思います。



 それから、今回の金賢姫の来日がこれからどういうふうに役に立つのか、どういう位置づけで方向性を決めていくのか。先ほど、飯塚さん、情報交換をこれからさらに密に連携してやっていったらいいというふうなことも言われましたけれども、果たしてこれ以上の情報が金賢姫から得られるのかどうかということを思うと、この前の来日が何だったのかなというふうに思いますので、よろしくお願いします。



増元参考人 その節はお世話になりました。ありがとうございます。



 あの当時、自民党の総裁が、金賢姫の来日をもって、日本の国内法に反してテロ実行犯を入れていいのか、それが果たして法治国家としていいのかという発言がありまして、私たち家族としては、この金賢姫のことを政争の具にしてほしくないという思いから、そのように申し上げたんです。



 あの当時、金賢姫が死んでいた場合、日本のパスポートだけが残って、もしかしたら日本人が大韓航空機爆破事件に関与していたのではないかという、韓国の中での大きな反日運動が起こったと思われます。



 これは文世光事件のときもそうですけれども、在日の人が朴正熙をねらって朴正熙の奥さんを殺害してしまった。これに対する日本の報道もあったんでしょうけれども、それに対して、韓国国内で大きな反日運動が、反日騒動が起こったわけです。



 このことからも、もしあのまま金賢姫さんが死んでいたらば、何の証拠もない状況で日本のパスポートだけが残ってしまう。韓国国内でそうした日本に対する反日運動、そして、その翌年に起こるソウル・オリンピックへの参加ももしかしたらできなかった可能性もあることを考えると、私は、ある程度、金賢姫の存在というのは日本にとって大きな存在なのであろうと思っております。



 それからもう一つ。金賢姫自身、彼女が百十五人の韓国の労働者を大韓航空機とともに葬ったのは事実ですが、先日お会いしました、普通の女性です。あの方がそういうむごい実行犯にならざるを得なかった北朝鮮の体制をこそ我々は問題視すべきであって、金賢姫の罪をとがめて、その背景にあるものを全く考えないというのであれば、これはよくないと思っております。



 ですからこそ、私は、金賢姫の正しい姿を国民に示していくべきであるし、その後ろにいる金正日体制というものを私たちは打破しなければならない、考えていかなければならないという問題提起をする上で、今回の金賢姫の来日は非常に大きな意味があったと思います。



 副産物として、北朝鮮の外交官が、大韓航空機爆破事件、金賢姫の存在を公の場でカメラを通して認めてしまった、これは大きなことです。



 なぜ北朝鮮が田口八重子さんを死亡としたか。それは大韓航空機爆破事件を認めたくなかったから。これを認めたということは、今後、北朝鮮の政策を転換しなければならないし、そこで、隠される意味のない田口八重子さんを帰す可能性が出てくる。



 もう一つ。金賢姫さんを我が国が超法規的な措置で受け入れたということを、韓国社会にいる脱北者に対して大きなインパクトを与えることによって、いろいろな情報が出てくる可能性がある。日本はいかなることがあってもこの拉致問題は重要なんだ、日本国は絶対にこの拉致問題を解決するまで引かないという姿勢を見せることによって、金賢姫さえ受け入れた、そして金賢姫さえ許している、そういう日本の姿勢が脱北者に伝わることによって、自分も情報を出してもいいのではないかという環境をつくっていけるのではないか。



 私は、その点で、今回の金賢姫さんの来日、それを許可した日本政府のやり方というのを非常に評価している点です。



 ありがとうございました。



坂本委員 よくわかります。



 私が言っているのは、恩人という言葉の使い方とかそういうものについては、非常にデリケートな問題を含んでいるので、撤回するなり、やはり使わない方がいいというようなことです。



増元参考人 わかりました。御忠告に沿うように、その恩人という言葉はなるべく、極力控えます。



谷田川委員 民主党の谷田川元でございます。



 きょうはありがとうございます。



 きょうは、皆さんからお聞きして、やはり韓国や国際社会と連携して制裁を強めるということが北朝鮮を動かす唯一の方法だということはよくわかりました。



 あと、これは荒木参考人にお伺いしたいんですが、「正論」の十月号に中井大臣のことに関しての記述がありまして、我々民主党政権になりまして対策本部の情報関係予算を大幅に増額した。それに対して、何のために情報を集めるかという基本がない。それで、やはり目的を救出にしない限り、結果的には何も変わらないんだという記述がございますけれども、では、具体的に情報収集のあり方、もっとこうすれば救出につながるんだという具体的な提言を言っていただければありがたいと思います。



荒木参考人 情報の収集は、まずともかく、北朝鮮のどこに何があるのかということについての情報は、今、北朝鮮から逃げてきて日本に入っている脱北者、元在日朝鮮人とか、あるいは日本人妻とかその家族、それだけでも二百人おります。その人たちから、例えば事情聴取するだけでも、北朝鮮のいろいろな場所も、どこに何があるかというのはかなりわかります。



 それから、今はもうグーグルアースで見ただけでも、北朝鮮のどこに何があるかというのはかなりわかる状況ですので、そういうものを集積していって、入ってくるいろいろな情報と突き合わせていけば、かなり精密な北朝鮮の地図といいますか、その状況がわかるものができてくるんですね。



 そこで、一体どうやって取り返せるか、そこにアクセスするにはどうすればいいか。例えば、そこに入っていく在日朝鮮人などを使うとか、いろいろな形のことは考えられると思うんです。そういう形の、救出を前提とした情報収集をやらないと、個別の情報を集めてきてとっておくだけでは、それを生かすことができないということで、そこをやっていただきたい。



 我々も、実際に北朝鮮の人権関係の各NGOと連携しながら、さまざまな情報をとっております。そういうものを何とか集積する場所、自分たちでもやらなければいけないんですが、なかなか民間ではそれが十分にならない。やはりそこを国としてやっていけば、恐らく、今の時点のある情報だけでも相当なものが見えてくると思います。



 なおかつ、今現在、警察、公安調査庁、海上保安庁、自衛隊等々、情報がばらばらになっておりますので、それを可能な限り集めてクロスチェックができれば、今、日本にある情報機関の能力だけでも相当のことがわかると私は思っております。



江藤委員 自由民主党の江藤拓と申します。



 きょうは、参考人の皆様方、本当にありがとうございます。自分の不勉強であることを非常に自覚いたしました。



 初当選以来、安倍先生のもとで、古屋先生の御指導をいただいて、この拉致の問題は取り組んできたつもりでありましたけれども、きょうの委員会で参考人の方々からいただいた率直な御意見、私は正直言って、かなり我慢をして、抑えて物事をおっしゃっているんじゃないか。特に、前代表の横田さんにおかれましては、お孫さんの顔も本当はごらんになりたいと思います。私も三人の息子がおりますけれども、まだ孫はおりませんが、その心情を思えば、もうそれは、思いやるにはかり知れないものがあります。



 そしてまた、寿命を自覚しているのだ、ある意味で北朝鮮では何が起こるかわからないんだということであれば、今が新たな、八年間停滞していたこの状況を打開する一つのチャンスであるというふうに我々は考えて、自覚してよろしいのかどうか、これが質問でありますが、そのためにはこの委員会のメンバーは、高校無償化でもいろいろ御意見はあるかと思いますけれども、しかし、やれることはすべてやるのだということで我々はやるべきだということを私は非常に確信を持ちました。



 私は、ぜひ横田さんにもう一度、今回の長い闘いの中での思いを私たち委員に御披瀝いただきたいのと、あと西岡先生に、北朝鮮がこういう状況にあれば今こそチャンスであるというようなことを、もし補足するようなことがあれば教えていただければと思います。



横田参考人 例えば、我々が北朝鮮に行けば事態が進展するというようなことを言われる方もあります。ですから、やはり大局的に見てそうした方がいいという専門家の方の判断があれば、それに従いますけれども、今までの状況では、やはり行くことによってのマイナスの方が大きいんじゃないかということを考えて、それはこれまでも、前の中山参与とか、いろいろな方にお話を伺っています。でも、今のところ、ちょっと決めかねておりますが、やはり行くことによって何か全体の動きが出てくるというのであれば、また家内とも相談してみて、行くという方向で検討することも考えてみなければと思います。



西岡参考人 一つだけつけ加えるとすると、北朝鮮も苦しいんです、拉致問題だけでも。彼らの工作機関の対日パートは、二〇〇二年に、五人だけ帰せば日朝国交正常化になってお金が取れますよと言って、金正日の決裁をもらったんです。そして、にせの遺骨も準備してあります、死亡診断書も準備してあります、これでだませますよと言って決裁をもらったわけです。それなのに、人質を解放したのに、身の代金が取れない犯人なんです。向こうも苦しいんです。



 もちろん、こちらも、家族の方たちがどんどん年をとられている。苦しい思いが重なっている。向こうにいる人たちが一番苦しいんですが、しかし、向こうが弱気になって、こちらに交渉しようと言ってこない限り、向こうがついたうそを変えなくちゃいけないんですから、死んだと一度言っちゃったんですから、こちらが毅然として、向こうも苦しい、こちらも苦しい中で、日本国民全体が一致して、北朝鮮の言っていることはうそだ、死亡の証拠はない、十三人よりもっといるんだということを、きょうはすべての会派の方々がそのことについてそう言ってくださいましたから、オール・ジャパンでこのことは取り組むんだという姿勢を崩さなくて、先ほど言った国際情勢も、金正日の健康も、向こうが困っているということも含めて、今の、苦しいけれども胸突き八丁を頑張るしかないと私は思っております。



村上(史)委員 民主党の村上史好と申します。



 きょうは、長時間にわたりまして、本当にありがとうございます。時間もございませんので、簡単に御質問させていただきたいと思います。



 先ほど来、対話と圧力という言葉が再三出ております。残念ながら、現状はまだ進展していない。こういう状況の中で、新たな制裁というものを何かお考えなのか。それと、対話の方で、例えば、いわゆる超党派の議員外交というものも組織していいのではないかなと個人的には考えているんですけれども、その辺の御見解を西岡先生にお伺いします。



西岡参考人 民主党は、野党時代に対策本部がありまして、党として全面制裁案をまとめてくださっています。その案の中で、まだ実施されていない部分ですね。



 まず、送金の全面停止が残っています。今、送金の限度額が、チェックの限度額が下がっているだけで、停止はされていませんが、改正外為法によって停止することができる法的根拠はあります。



 もう一つ、民主党の案に入っているのは人です。今は、朝鮮総連の幹部六人についてだけ自由往来を停止しています。しかし、民主党の案では、日本人も在日朝鮮人も全部含めて停止するということも、案には入っています。日本人も、昔は日本のパスポートで、ノースコリアを除くとなっていたんです。それも今の憲法下でできたんです。北に行くときは、外務省に別途申請をするという体制をつくることはできるんです。



 六人について再入国許可を出さないということを今やっているわけですから、今の法律の中でできることはできるわけです。日本は、出国の自由は認めますが、再入国を認めないということができるカードはあるし、民主党は案をお持ちだということで、私は、彼らが二〇〇八年に約束を守らなかったんですから、守らなかったことに対して何らかの制裁をすべきだと。彼らがサラミ戦術でくるなら、こちらも向こうが一つひどいことをしたら一つ積み上げておく。今度、もう一回二〇〇八年の約束に戻ってきたら、その分だけ削ってあげればいいわけで、そうするとイーブンになるわけで、今彼らが戻ってきたら、昔のところからこちらを削らなくちゃいけない交渉になってしまう。外務省のポケットをふやすべきだ。そのためにも制裁を、案をつくってくださっているんですから、実行していただきたいということです。



奥村委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。



 この際、一言ごあいさつを申し上げます。



 参考人の各位におかれましては、貴重な御意見をきょうはお述べいただきました。忌憚のない委員からのまた御質問もありましたが、的確にお答えをいただいたものだ、このように思い、厚く御礼を申し上げたいというように思います。



 きょう、この委員会を開かせていただきまして、いろいろまた理事会等、委員会等で検討いたしまして、今後またこういう機会をできるだけつくっていきたいというように思っておりますので、またどうぞ御協力のほど、よろしくお願いをいたしたいと思います。



 きょうを、またある意味ではスタートとして、我々もしっかりこの八年間のブランクを何とかこの委員会で取り戻して、そして、一日も早く解決ができますように努力をしていくことをお約束申し上げて、ごあいさつとさせていただきます。



 ありがとうございました。



 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。



    午後五時五十六分散会

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/014217620101104003.htm
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北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 >
第176回国会 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号(平成22年11月4日(木曜日))





鳩山由紀夫首相は25日、4月から実施予定の高校無償化で、中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校を対象から外すよう求めていることについて、「ひとつの案だ。そういう方向性になりそうだと聞いている」と述べ、除外する方向で最終調整していることを明らかにした。国会内で記者団の質問に答えた。

 首相は、在日朝鮮人の子弟らが通う朝鮮学校について「指導内容、どういうことを教えているかということが、必ずしも見えない」と指摘した。政権内では、朝鮮学校が高校相当の教育機関と認められるかなどについて、外交関係のない北朝鮮当局に確認できないことなどを除外理由とすることが検討されている。

 高校の無償化法案はこの日、衆院本会議で審議入りした。4月から公立高校の授業料を無料にし、私立高校生には年約12万円を助成する。専修学校や外国人学校など「各種学校」について、どの学校を対象とするかは、文部科学省が省令で定める。

 川端達夫文部科学相は本会議で、朝鮮学校の扱いについて「一定要件を満たすものを指定することを検討している。今後の国会における審議も踏まえて適正に判断する」とだけ答弁した。

 中井氏は昨年12月、川端氏に「(日本政府が)北朝鮮に制裁を行っていることを十分考えて欲しい」と、除外を要請。川端氏は「外交上の配慮、教育の中身が判断の材料になるのではない」と答えていた。文科省は朝鮮学校も支給対象とすることを想定した予算を組んでいる。

http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201002250528.html
高校無償化 「朝鮮学校は除外の方向」首相が示唆




「反省」すべきは公明党ではないのか



 北朝鮮による拉致事件という重大問題を利用した、公明党の党略的な反共攻撃にたいしては、本紙10月19日付の見開き特集で、事実にそくして反論しました。これにたいして、公明新聞10月29日付が「なぜ日本共産党は過去の過ちを認めないのか 拉致、帰国事業などで見苦しい自己弁護」と題する見開き特集をのせています。そこで、「過去」の北朝鮮との関係で真に「反省」すべきはどちらの党か、あらためて事実に照らして検証しておきます。(肩書はいずれも当時)



問題は、北朝鮮が国際的な無法行為をすすめた時期にどういう立場をとったか、にある

 今回の公明新聞特集は、本紙の特集が一九七〇年代以降の公明党と北朝鮮との関係を問題にしたのにたいして、六〇年代の日本共産党と朝鮮労働党との友好関係を問題にすることで相打ちにしようとしています。

 しかし、問われているのは、それぞれの党と朝鮮労働党との友好関係がどういう時期におこなわれたかです。北朝鮮が国際的に問題になっている無法行為を犯したときに、その問題には抗議せず、「友好関係」を続けていたとすれば、それは無法への「迎合」にほかなりません。

日本共産党--

道理があれば共同に努力
無法行為はきびしく批判

 日本共産党についていえば、北朝鮮との関係は、一九五九年二月の日本共産党代表団(宮本顕治書記長)の初訪朝以来一九六〇年代後半まで、友好関係が続いていました。この時期は、問題になるような北朝鮮による国際的無法行為があらわれていなかった時期です。朝鮮労働党も国際活動の分野では、比較的まともな態度をとっていました。

 本紙十月十九日付特集でも明らかにしたように、朝鮮労働党は、ソ連が一九六〇年代前半、日本共産党を破壊するために、ソ連追従の志賀一派を手先として乱暴な干渉をおこなったときには、この干渉に公然と反対する立場を鮮明にした数少ない党の一つでした。六六年、日本共産党の代表団が、中国、ベトナム、北朝鮮の三カ国を訪問したときも、アメリカのベトナム侵略反対の国際統一戦線を推進する点で、共通の立場を確認しました。六七年、中国で毛沢東派が「文化大革命」をとなえ、当時、北京にいた二人の日本共産党員に暴行を加えたとき、両氏の帰国のさい、迎え入れて援助したのも、朝鮮労働党でした。

 ところが北朝鮮は、六七年の終わりごろ、北から南に武力介入する「南進」のくわだてを露骨にし、六八年一月には韓国の大統領官邸のある青瓦台を「武装遊撃隊」に襲撃させました。こうした下で日本共産党は、自主独立の立場から、六八年八月~九月、宮本顕治書記長を団長とする五人の代表団を北朝鮮に送り、「南進」の企ての危険性と有害性を率直に指摘、金日成指導部の対外政策の誤りを正す努力をつくしたのです。

 この時、金日成は、両党会談で、北朝鮮には「南進」の意図はないことを言明し、それ以後、韓国での「遊撃隊」活動も下火になって、問題は一応解決されました。しかし、この時期以後、北朝鮮の国際舞台での活動には、異常な問題が目立つようになりました。その一つが、七〇年代の初頭に始まった、金日成個人崇拝を国際的に押しつけようとする企てでした。日本共産党は、金日成個人崇拝の押しつけに反対したのをはじめ、八〇年代に入ってからのラングーン爆弾テロ事件、公海上の日本漁船銃撃事件、大韓航空機爆破テロ事件など、北朝鮮のかかわった国際的な無法行為にたいして、きびしい批判をくわえてきました。そのために、日本共産党と北朝鮮の関係は、八三年から今日まで、断絶したままです。

 拉致事件も、この時期に起きたことでした。北朝鮮とのかかわりは最初の段階では明らかでありませんでしたが、日本共産党国会議員団は、一九八八年、大韓航空機爆破事件に関連して拉致被害者の存在が問題になってきたことを契機に、各地での行方不明事件そのものの調査をおこない、北朝鮮による拉致事件という疑惑があることを明らかにして、国会で取り上げ、政府にその疑惑を認めさせました。

 このように、日本共産党は、自主独立の立場にたって、北朝鮮にたいしても、共同すべき道理のあるときには共同の態度をとり、間違いをおかせば堂々とそれを批判し、無法行為にたいしてはこれを追及する、こういう活動をすすめてきたのです。

公明党--

金日成個人崇拝に迎合
無法行為の批判も回避

 これにたいして公明党は、北朝鮮が金日成崇拝を顕著につよめた七〇年代以降、北朝鮮との関係をつよめ、無法行為への批判もできるだけ回避する態度をとってきました。

 その出発点となったのが、竹入委員長を団長とする一九七二年の公明党訪朝団です。このときの北朝鮮との共同声明では、「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」と、金日成個人崇拝体制を礼賛しました。この共同声明はその後の公明党と北朝鮮との関係の基調となりました。

 八〇年代のラングーン爆弾テロ事件や大韓機爆破テロ事件では、事件からほぼ一年や二年たってから「批判」を口にしたり、北朝鮮の犯行をやっと認めたりといった回避ぶりです。日本漁船銃撃事件では事実上北朝鮮の立場を弁護する国会質問をおこなっています。

 拉致問題でも、公明党は日本共産党の橋本議員の質問で拉致実行犯容疑者であることが明らかになっている辛光洙をふくむ韓国大統領あて釈放要望書に公明党議員六人が署名するなど、拉致疑惑追及に逆行することまでおこなっています。

 このように公明党は、一九七二年から金日成個人崇拝に迎合し、無法行為への批判も回避してきたのです。

公明党の日本共産党非難のこっけいさ

在日朝鮮人の帰国事業への支援は「犯罪」だったか

 公明党が持ち出している日本共産党非難は、こっけいきわまるものです。

 それは、日本共産党が在日朝鮮人の「帰国事業」に協力し、北朝鮮の「犯罪」を擁護した、というものです。これほど、ばかげた非難はありません。

赤十字国際委員会の勧告で始まった帰国事業

 第一に、在日朝鮮人の帰国問題は、一九五六年に赤十字国際委員会が日本、北朝鮮、韓国の赤十字と政府に送ったよびかけの覚書から始まったもので、基本的人権と人道にかかわる問題です。

 もともと在日朝鮮人の多くは、戦前の日本の植民地時代に強制的に朝鮮半島から日本に連れてこられた人たちです。日本の敗戦によって朝鮮半島は三十八度線を境に南北に分断され、在日朝鮮人は韓国とは往来ができても、北朝鮮には行くことができませんでした。当時、韓国は軍事独裁政権下でひどい経済的混乱と圧制にあり、在日朝鮮人は帰国を見送ることを余儀なくされていました。

 朝鮮戦争後、日本政府の北朝鮮敵視政策によって、帰国がますます困難となるなかで、一九五六年には、赤十字国際委員会の帰国事業についての勧告があり、一九五八年八月には、在日朝鮮人の間で、北朝鮮への帰国運動が展開されるようになりました。九月には北朝鮮政府も受け入れを表明しました。

 日本国民も世界人権宣言の「自国に帰る権利」を支持する立場から超党派で在日朝鮮人帰国協力会を十一月十七日に結成。この会には、岩本信行・自民党衆院議員、小泉純也・自民党衆院議員(小泉首相の実父)、山本熊一・日朝協会会長、鳩山一郎元首相、浅沼稲次郎・社会党委員長、宮本顕治・日本共産党書記長なども参加していました。日本共産党も在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業を「人道上の立場」(一九五八年十一月二十三日第三回中央委員会総会での「在日朝鮮人の帰国を支持する決議」)からその実現を支援。

 こうした運動の前に、帰国事業は五九年十二月から、日本政府の了解のもと、日朝両国の赤十字が主体となって実施の運びとなったのです。

 公明党は、この帰国事業の支援活動にくわわったということで、日本共産党を「犯罪」者よばわりしようというのです。いったい、帰国事業を最初に呼びかけた赤十字国際委員会も、帰国事業の主体となった日本赤十字社も、在日朝鮮人帰国協力会に参加した、自民党の鳩山一郎氏、小泉純也氏ら多くの保守政治家なども在日朝鮮人を「凍土の地獄」へ送った“主役”だというのでしょうか。

 第二にこっけいなことは、公明新聞が、公明党や創価学会自身が、この帰国事業の賛成者であった事実を、どう説明するのでしょうか。

創価学会、公明党の帰国事業賛成をどう説明

 帰国事業が最初に問題になった一九五〇年代には、公明党はまだ生まれていませんでしたが、創価学会の幹部は、東京都議会に参加していました。そして、五八年十二月に都議会が決議した「在日朝鮮人帰国促進に関する意見書」では、当時、創価学会理事長だった小泉隆都議も提出者の一人となっていました。

 また、帰国事業がいったん打ち切られ、その再開が問題になった一九七〇年には、国会で、公明党議員が「人道的立場」から帰国事業の促進を要請する質問をおこなっています(沖本泰幸衆院議員、七〇年四月十三日、衆院運輸委、内閣委、地方行政委、法務委連合審査会)。

 公明党の言い分によれば、一九五八年に都議会で創価学会がとった行動も、一九七〇年に国会で公明党がとった行動も、すべて北朝鮮の「犯罪」に加担して、在日朝鮮人を「凍土の地獄」に送りこむ行動だということになるではありませんか。ありもしない「罪」を日本共産党になすりつけようとして、帰国事業への協力を「犯罪」呼ばわりした結果、自分で自分をぶんなぐるというこっけいなことになってしまったのです。

 今の北朝鮮と一九六〇年代の北朝鮮を同じ状態に見立てて、人道的な事業を「犯罪」扱いするようなばかげたことは、もうやめたらどうでしょうか。



金日成個人崇拝への迎合が出発点(72年)



1972年に訪朝した公明党代表団と北朝鮮の対外文化連絡協会との共同声明を報じる公明新聞72年6月7日付

 北朝鮮では、一九七〇年代にはいると、金日成個人崇拝が顕著に強められました。それと同時に、元北朝鮮外交官・高英煥氏の証言(九二年)で明らかにされたように、七〇年代はじめごろから、金日成の指示によって“日本共産党は、マルクス・レーニン主義の道からはずれ、時代の流れに反する、国際的に受け入れられない組織になった。今後は、日本共産党との関係を清算して、日本社会党との提携に転換しなければならない”という外交方針を採用しました。

 公明党の北朝鮮訪問は、金日成個人崇拝の強まりのなかで、それに迎合しない日本共産党を排除して、社会党などをとりこもうという動きにそうかたちでおこなわれたのです。

訪問団を派遣

 公明党は七二年五~六月、北朝鮮訪問団(団長・竹入義勝委員長)をはじめて派遣しましたが、この訪問自体が金日成礼賛への迎合を一貫した基調としたものでした。

歓迎集会で

 七二年六月二日、平壌でおこなわれた「公明党訪朝団歓迎市民集会」では、竹入委員長があいさつ。「私たちは昨夜、この国を解放し、この国を本当に廃虚の中から革命思想によって立ち上がらせた、皆さまの敬愛する金日成首相にお目にかかり、対日友好にあふれた雰囲気の中で親しく懇談することができました」とのべました(公明新聞七二年六月四日付)。

共同声明で

 さらに七二年六月六日、公明党代表団が北朝鮮の「朝鮮対外文化連絡協会」とむすんだ「共同声明」には「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」と、はっきり書かれています(七二年六月七日付)。

 公明新聞は最近の特集(十月二十九日付)で、「だいたい、公明党が『金日成の個人崇拝に迎合する共同声明』など、出すわけがない」「『朝鮮人民が敬愛する金日成首相』と、あくまでも『朝鮮人民が』とことわっている」などといっていますが、言い訳にもなっていません。金日成に「朝鮮人民が敬愛する」というまくら言葉をつけたこと自体、金日成個人崇拝への迎合そのものです。しかも「チュチェ思想」とは、金日成の言動を唯一絶対のものとし、それへの無条件服従を人民に強要する思想体系です。それを持ち上げた「共同声明」が、金日成個人崇拝への迎合以外のなにものでもないことは明白です。

 これにたいして日本共産党は、北朝鮮が金日成個人崇拝を他国に押しつける動きを顕著に強めた七二年当時、いち早く相手国の指導者の崇拝運動、指導者の誕生日などにかんする行事への協賛や礼賛などの日本へのもちこみを批判していました。



ラングーン事件(83年)
日本漁船銃撃事件(84年)にたいして

 一九八〇年代にはいると、北朝鮮は国際的な無法行為を相次いでひきおこしました。

ラングーン

 八三年十月九日、ビルマの首都ラングーンで韓国全斗煥大統領一行が爆弾テロにあい、韓国とビルマの高官二十一人が死亡しました。ビルマ政府は十一月四日、テロが北朝鮮の工作員三名のしわざだと発表。日本共産党は、その日のうちに「テロは断じて共産主義運動の態度ではない」(宮本顕治議長)と批判し、以後、一連の見解を発表しました。

 これにたいして在日本朝鮮人総連合会傘下の日本語新聞「朝鮮時報」(十一月二十八日付)は、「謀略に同調する行為」だとして日本共産党に非難をくわえました。党は、論文「『朝鮮時報』の日本共産党非難に反論する」(「赤旗」十二月八日付)を発表し、北朝鮮の司令官や参事官の氏名まで具体的にあげた供述調書を「噴飯もの」とする「朝鮮時報」の主張をきびしく批判しました。この事件以降、日本共産党と朝鮮労働党との関係は断絶しました。

「不幸な事件」というだけ(公明党委員長)

 一方、公明党は、公明新聞八三年十月十六日付「主張」で「ビルマ政府は…犯人の国籍については朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)であるか否かも含め、明確にしていない」「事件の真相は、まだ今後の捜査を待つしかないであろう」とのべていました。

 しかしその後、ラングーン地方裁判所は十二月九日、実行犯である北朝鮮の二人の軍人に死刑判決を言い渡しましたが、公明党は「不幸な事件」(八四年一月二十五日、竹入委員長)とよぶだけでした。

 事件からほぼ一年たって、公明新聞は「われわれもこれを、平和統一を妨害する有害なものとして批判したことはいうまでもない」(八四年十月二十一日付)とか「国際的な政治犯罪に対してはわれわれも強い批判を加えてきた」(八四年十一月三日付)と最初から批判していたかのようです。



漁船銃撃

 八四年七月二十八日、公海上で操業していた石川県のイカ釣り漁船「第36八千代丸」が北朝鮮警備艇の銃撃をうけて拿捕(だほ)され、船長が死亡しました。これは、北朝鮮が国際法を無視して一方的に設定した「軍事境界線」内に漁船が侵入したとして、銃撃・拿捕したものでした。

 日本共産党は八月三日、立木洋国際部長が「朝鮮の漁船銃撃事件は国際法上も不法行為である」と題する党見解を発表して北朝鮮を批判、「軍事境界線」の不当性を指摘しました。これにたいして朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は、日本共産党の見解を「不当ないいがかり」「内政干渉」などと中傷し、日本漁船銃撃を当然視する態度をとりました。党は、論文「人道も国際法も無視する立場の自己暴露―『労働新聞』の日本共産党攻撃にたいして」(「赤旗」八月十六日付)、「『労働新聞』の乱暴な覇権主義の論法」(同九月二十七日付)で、北朝鮮側の主張を全面的に論破しました。

国会でも日本の責任だけを追及

 一方、公明党・国民会議の和田教美参院議員は、国会質問で「(北朝鮮の)経済水域ですけれども、……現在は漁業協定が失効しておりますから、当然法律的に見ると向こうの方に分があるといいますか、そういうことだろうというふうに言われておる」とのべ、北朝鮮の無法を事実上弁護しました(八四年七月三十一日、参院外務委)。

 武田一夫衆院議員も、日朝民間漁業協定の失効後、北朝鮮当局による拿捕・銃撃事件が増えていると指摘したうえで、「軍事境界線」は不問に付したまま、「民間協定が失効している、その間の対応について、私はやはり関係漁船あるいは組合等々にしかるべききちっとした指導やあるいはまた監督、警戒の態勢を十分にやっておくべきでなかったのか」と、日本政府の責任だけを追及しています(八四年八月二日、衆院農水委)。

北朝鮮を「安定した発展」と(公明党副書記長)

 八七年十二月十五日、朝日友好促進親善協会の金寿萬書記長ら同協会代表団が公明党を訪問。公明党からは、塩出啓典副書記長(参院議員)、神崎武法副書記長・国際局長(衆院議員)らが出席して懇談しました。

 席上、塩出氏は、北朝鮮と公明党との友好関係を語った上で、「(北朝鮮が)安定した発展を遂げてきたことをうれしく思うとともに、朝鮮半島が平和的統一を果たすよう心から願っている」と強調しています(公明新聞八七年十二月十六日付)。

 公明党は、八〇年代後半、北朝鮮を「凍土の地獄」どころか、「安定した発展」と評価していたのです。



大韓航空機爆破事件(87年)
拉致問題・辛光洙事件(88・89年)にたいして



大韓機爆破事件は北朝鮮の犯行であることは明らかだと言明した宮本議長(当時)の発言(1月22日)を報じる1988年1月24日付の「赤旗」

 八七年十一月二十九日、韓国の大韓航空機がビルマ上空で、時限爆弾によって爆破されました。翌八八年一月十五日、韓国当局から、事件の実行犯は北朝鮮の秘密工作員だったという衝撃的な事実が発表され、記者会見に同席した北朝鮮工作員・金賢姫は、金正日の指示をうけて爆発物をしかけたことを具体的に証言しました。

 日本共産党の宮本顕治議長は、一月二十二日、韓国当局の発表や生き残った金賢姫の犯行告白などをふまえ、北朝鮮による犯行は明らかだときびしく批判しました。

政府の断定後も「重大疑惑」というだけ(公明党国際局長)

 日本政府も一月二十六日に北朝鮮の犯行と断定します。公明党も同じ日に神崎武法国際局長の談話を発表しますが、北朝鮮の犯行を「重大な疑惑」というだけでした(公明新聞一月二十七日付)。公明新聞が大韓機爆破事件を「北朝鮮工作員」の犯行と書くようになるのは、金賢姫証言から二年半もたってからでした(九〇年十月十二日付)。





「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する韓国大統領あて要望書の公明党議員6人の署名

六人の公明党議員が拉致実行者の釈放を要望

 北朝鮮による日本人拉致事件が問題になったのも、この時期のことです。

 八八年三月、日本共産党の橋本敦参院議員は、七八年に福井、新潟、鹿児島で相次いで発生した男女失踪事件を国会質問でとりあげ、大韓機爆破事件の実行犯の金賢姫証言などを示して追及。これにたいし梶山静六国家公安委員長は「一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」と答弁し、日本政府として初めて北朝鮮による拉致疑惑を公式に認めました。

 橋本質問では「辛光洙(シン・グァンス)事件」もとりあげました。これは、行方不明になった大阪の中華料理店員・原敕晁(はら・ただあき)さんになりすまして韓国に潜入した、北朝鮮の工作員・辛光洙が八五年に韓国政府に摘発された事件です。橋本質問に日本政府は「不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と認め、共犯者の金吉旭が「四十五歳から五十歳の独身日本人男性と二十歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮へ連れてくるようにという指示を受けていた」(同)と答弁。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判しました(八八年三月二十六日、参院予算委)。

 驚くべきことに、八九年七月、公明党・国民会議の国会議員六人は、来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出された「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する要望書に署名しています。その政治犯のなかには、辛光洙容疑者と金吉旭容疑者がふくまれていました。「辛光洙事件」が国会で問題になってわずか一年後に、公明党は、日本人拉致実行容疑者の釈放を「要望」していたことになります。署名した六人とは、鳥居一雄、小川新一郎、西中清(以上衆院議員)、猪熊重二、和田教美、塩出啓典(以上参院議員)の各氏です。

91年にも「両党関係を一層深める」ことを確認

 大韓機爆破事件や「辛光洙事件」への北朝鮮工作員の関与が明らかになった後も、公明党はこれらの問題を不問に付したまま、朝鮮労働党との友好をすすめます。

 八九年一月二十七日、朝鮮労働党代表団の金養建団長(党中央委副部長)ら一行が社会党の招待で来日したさい、公明党本部を表敬訪問。応対した大久保直彦書記長は、朝鮮労働党が「自主的、平和的な朝鮮統一に努力していることに深く敬意」を表明しましたが、大韓機爆破事件への言及はみられません(公明新聞八九年一月二十八日付)。

 九一年二月二十六日には、自民・社会両党の招へいで来日した朝鮮労働党代表団(代表・金容淳書記)が公明党を訪問し、石田幸四郎委員長(衆院議員)と会談。会談では「両党間の関係を一層深めていくことで一致した」と報じ、北朝鮮側は公明党代表団の訪朝を招請しました(九一年二月二十七日付)。

 会談直後の公明新聞の「主張」はこうのべています。「公明党と北朝鮮との関係は、十九年前の七二年(昭和四十七年)五月、竹入義勝委員長(当時)を団長とする代表団が初めて北朝鮮を訪問したことに始まる。訪朝団は金日成主席とも会談し、相互の人民の間の理解・友好関係を深めることに大きな役割を果たしたのである」(九一年三月二日付)。

 九四年七月八日、北朝鮮の金日成主席(朝鮮労働党総書記)が死去しました。公明党の石田幸四郎委員長は九日、金正日書記あてに次のような弔電を送りました。

 「金日成閣下の突然のご逝去の報に接し、深い悲しみに堪え難く存じます。日本国公明党を代表し金正日閣下をはじめ朝鮮民主主義人民共和国の全人民に衷心より深甚の哀悼の意をささげるものであります。私ならびに公明党は変わらぬ両国関係の発展を目指し微力を尽くす所存であります」(九四年七月十日付)



最近5年間でも同じ態度(97年以降)



公明新聞1997年10月10日付

 九七年二月、北朝鮮から亡命した元工作員・安明進(アン・ミョンジン)の証言から、七七年に新潟で失踪(しっそう)した女子中学生の横田めぐみさんは北朝鮮に拉致されたのではないか、とマスコミで大きく報道されました。これをきっかけに、三月二十五日に「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」が結成され、翌日の記者会見で公表されました。四月十五日には日本共産党をふくむ超党派国会議員による「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」が結成され、政府も北朝鮮に拉致された疑いのある日本人は「七件十人」(九七年五月一日、参院予算委)と発表するに至ります。

「金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄」と「公明」代表祝電

 北朝鮮による日本人拉致疑惑に国民の関心が高まるなか、公明党は北朝鮮との友好関係をいっそう強めていきます。

 九七年十月九日、金正日の朝鮮労働党総書記就任にあたっては、「公明」の藤井富雄代表(現・公明党常任顧問)が次のような祝電を送りました。

 「建国の父、故金日成閣下の《を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」(公明新聞九七年十月十日付)。

 公明新聞は、最近この藤井代表の祝電について「個人崇拝でも何でもない」(二〇〇二年十一月十四日付)などといっていますが、肝心の「建国の父、故金日成閣下の《を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご」までの部分は引用せずに、「(北朝鮮の)繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」と改ざんしたうえでいっていることです。

 北朝鮮が金日成時代の一九七〇年代から異常な個人崇拝の「指導体制」下にあり、金正日総書記就任はまさにその個人崇拝の「指導体制」を継承したものです。それでもあえて「金正日閣下の指導体制」とうたったこの祝電が就任祝いの「儀礼」をもこえて、金正日個人崇拝の「指導体制」をたたえたものであることは明白です。

00年8月「公式訪問団を派遣したい」と神崎代表

 二〇〇〇年八月には、東順治衆院議員(現・国会対策委員長)を団長とする「公明党有志訪朝団」が北朝鮮を訪問しました。この時の福岡県議の北原氏の手記には、「十一日、平壌の人民文化宮殿で行われた会談の席上、東団長が『近い将来、公明党の公式訪問団を派遣したい』とする神崎武法代表の伝言を伝えたところ、宋会長は即座に反応した。『公明党の公式訪問を心から歓迎する。訪朝はいつになるのか』」と記されています(二〇〇〇年八月十八日付)。

 ことし八月三十日、小泉首相の北朝鮮訪問決定について、神崎武法代表は、「首相の訪朝を歓迎したい。公明党は独自の訪朝団(二〇〇〇年八月)を派遣して、(国交正常化に向けた)環境づくりに努めてきたので大変うれしく思っている」と評価しました(八月三十一日付)。

三十年間一貫する北朝鮮への迎合姿勢

 公明新聞の特集記事は、「共産党は……公明党としては公式のたった一度の72年訪朝団が北朝鮮と交わした共同声明を鬼の首でもとったように取り上げ」と非難しています。しかし、これまで見てきたように公明党は七二年の訪朝団いらい三十年間にわたり、北朝鮮の個人崇拝体制に一貫して迎合してきたのが実際です。

 そして公明党は、日朝首脳会談の直前までは、二〇〇〇年の「独自の訪朝団」派遣などの同党と北朝鮮との関係を、国交正常化に向けた「環境づくり」として“手柄話”にしようとしていたことがわかります。

 ところが、九月十七日の日朝首脳会談で拉致事件の衝撃的な事実が明らかになると、公明党は、手のひらを返したように北朝鮮を「凍土の地獄」とよびだし、帰国事業や拉致事件を利用して党略的な日本共産党攻撃をくりひろげはじめたのです。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-11-23/14_0401.html
北朝鮮問題

「反省」すべきは公明党ではないのか



 北朝鮮の核兵器開発問題や日本人拉致事件など、北朝鮮をめぐる問題は、日本外交の重要課題の一つです。五月の小泉首相の再訪朝による日朝首脳会談につづき、核問題をめぐる六カ国協議も近く開かれる運びで、事態の新たな進展もみられます。北朝鮮問題で日本共産党がどう行動し、解決のためにどんな役割を果たしてきたのかをふりかえってみます。

北東アジアの平和と安定に不可欠の課題

 朝鮮半島をめぐる情勢は、核兵器問題を焦点としつつ、依然として複雑で緊迫した動きをみせています。北朝鮮が核兵器開発に向けた動きをすすめ、“核カード”をもてあそぶ瀬戸際外交をつづけるならば、アメリカに先制攻撃の絶好の口実をあたえ、数十万人の犠牲者が予想される戦争に発展しかねません。

 戦争の火種をなくし、軍事的衝突の危険をとりのぞくことがいまなによりも求められています。

 北朝鮮問題の解決は、北東アジアの平和と安定に不可欠の課題です。そのためにも、北朝鮮が国際社会との安定した外交関係を打ち立てることが必要ですが、それにはこれまで北朝鮮が犯してきた数々の国際的な無法行為―日本人拉致事件や、ビルマ(現在のミャンマー)・ラングーンでの爆破テロ事件(一九八三年)、日本漁船銃撃事件(八四年)、大韓航空機爆破事件(八七年)などをきっぱりと清算することが、どうしても避けてとおることができません。

 日本共産党は、日本の安全と国民の生命を最優先とする立場から、これらの北朝鮮問題を重視し、その平和的な解決に努力してきました。拉致問題もその重要な課題の一つです。






88年3月26日の参院予算委で拉致問題で質問する橋本敦議員(当時)

拉致問題 国の大問題にしたのは日本共産党です

 北朝鮮による日本人拉致事件は、この間、二度にわたる日朝首脳会談を経て、拉致被害者五人と家族五人が帰国するなど、解決へ向け第一歩を踏み出しました。曽我ひとみさんの家族の問題をはじめ、安否不明者の再調査など、残された諸問題の解決へ、努力をいっそう強めなければなりません。

 当初、北朝鮮とのかかわりが明らかでなかったこの拉致事件を、国の政治のうえで最初にとりあげて、北朝鮮による犯行の疑いがあるとはっきり認めさせ、解決することを政府に約束させたのは、日本共産党でした。

 それは、一九八八年三月二十六日、参議院予算委員会で、日本共産党の橋本敦議員がおこなった質問でした。

 橋本質問は、大韓航空機事件の金賢姫(キム・ヒョンヒ)証言に始まり、新潟、福井、鹿児島で発生した一連の「アベック行方不明事件」に関して政府の見解をただしました。日本人に成りすまして韓国に潜入し逮捕された辛光洙(シン・グァンス)事件や、レバノン人女性誘拐事件、韓国の映画監督夫妻の拉致事件と、北朝鮮の関与について事実関係を一つひとつ検証。行方不明となった日本人三組の家族の筆舌につくせない心痛をのべ政府に迫りました。

 橋本議員の事実を積み上げたち密な質問と家族の思いを代弁した追及に、最初、北朝鮮との関係になかなかふれようとしなかった政府側も、ついにつぎのように答弁せざるをえなくなりました。

 橋本議員「捜査をあずかる国家公安委員長として、こういう家族の今の苦しみや思いをお聞きになりながらどんなふうにお考えでしょうか」

 梶山国家公安委員長「昭和五十三年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えております」

 北朝鮮による「拉致」の疑惑を、政府が国政の公の場で初めて認めた答弁でした。橋本質問は、拉致問題が日本と北朝鮮との間にあることを明確にし、国としてとりくむ足場を築くうえで重要な役割を果たしたのです。

 政府は最近も、公明党議員の質問に答えて、谷垣禎一国家公安委員長が、北朝鮮の犯行の疑いがあると答えたのは、日本共産党の橋本質問が最初だ、と答弁しています(別項参照)。



橋本質問が初めて

政府も国会答弁で確認

 山口那津男議員(公明)「国会の場で、言わば拉致に関する容疑というものが初めて指摘をされ、警察庁としてこの容疑の存在を認めたというのは一体いつごろになるんでしょうか」

 谷垣禎一国家公安委員長 「(八〇年三月に公明党の議員が質問したが)まだ当時はこれが北朝鮮の拉致に関するものであるかどうかということについてはご答弁ができない状況で、まだそういうご答弁はしておりません。その後、八年ほどたちまして……(橋本敦議員が質問した八八年の)三月二十六日の参議院予算委員会では、福井、新潟、鹿児島の各県下のアベック拉致容疑事案とそれから辛光洙事件ですね、これについてご質疑がありまして、それに対して、警察庁としてこれが北朝鮮による拉致の疑いがあるという答弁、そういう答弁ができたのはこのときが最初でございます」(二〇〇二年十一月五日、参議院内閣委員会)



北朝鮮の無法と厳しく対決してきた党だから

 橋本質問で拉致事件を取り上げるきっかけになったのは、前年の十一月に起きた大韓航空機爆破事件でした。日本共産党はいち早くこれは北朝鮮による無法なテロ行為であると厳しく批判していました。

 橋本氏は、当時を振り返って「そういう日本共産党だったから、私たちもこの拉致問題をとりあげ、北朝鮮による犯行の疑いが濃厚だとなったあとでも、さらにきびしくこれを追及することを党国会議員団の活動としてやれた……と思います」(本紙二〇〇二年十一月十八日付)と語ります。

 事実、日本共産党は、北朝鮮の国際的な無法行為のきざしが現れたときから、一貫して厳しく批判をし、日本国民にたいする権利侵害や主権侵害を許さないという立場を貫き通してきました。

 転機となったのは一九六八年でした。北朝鮮は、六七年の終わりごろから、北から南に武力介入する「南進」の危険な企てをつよめ、六八年一月には韓国の大統領官邸のある青瓦台を「武装遊撃隊」に襲撃させました。

 これにたいし、日本共産党は、六八年八月~九月に宮本顕治書記長を団長とする代表団を北朝鮮に送り、「南進」の企ての危険性と有害性を率直に指摘し、金日成指導部の対外政策の誤りをただす努力をしたのです。それ以後、韓国での「遊撃隊」の活動は収束に向かいました。

 七〇年代に入ると、北朝鮮は、金日成への個人崇拝を日本の民主運動に押しつける策動をつよめてきました。「金日成思想」が世界革命の指導思想だと宣言され、金日成の還暦祝い(七二年)に名を借りた「贈り物」運動を全国で組織しようとする事態などが次々と起こってきました。

 日本共産党は、七二年三月に発表した「赤旗」の論文などで、外国の指導者を神格化したり、その「思想」を絶対化したりすることは、国際友好・連帯運動の精神にそむくものであると、個人崇拝の押しつけをきびしく批判しました。

 これにたいし、他の諸政党は、北朝鮮の個人崇拝の押しつけに迎合的な態度をとりました。

国際的な無法行為を公然と批判してきた

日本共産党が先駆的に

 八〇年代になると、北朝鮮は無法行為をエスカレートさせます。もっとも激しい形で最初に現れたのが、八三年十月、ビルマの首都ラングーンで、訪問中の全斗煥韓国大統領の一行をねらった爆弾テロ事件でした。

 翌八四年には、日本海の公海上で操業していた日本のイカ釣り漁船が北朝鮮の警備艇の銃撃を受け、船長は死亡、漁船は拿捕(だほ)される、という事件が起きました。これも北朝鮮が公海上に「軍事境界線」なるものを勝手に線引きし、漁船がその線を越えたら、侵犯だといって銃撃を加えるという、国際法を無視した不法行為でした。

 さらに、八七年十一月には、韓国の大韓航空機が北朝鮮の工作員によってビルマ上空で爆破され乗員・乗客百十五人全員が死亡するという、悲惨な無差別テロ事件を引き起こしました。

 これらの無法行為にたいし、日本共産党が公然とその不法性を批判すると、北朝鮮側は、たとえばビルマの爆弾テロ事件では、朝鮮総連傘下の日本語新聞「朝鮮時報」が「謀略に同調する行為」だとして非難を加え、日本漁船銃撃事件では、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」が「内政干渉」だなどと日本共産党を中傷し、攻撃しました。

 日本共産党はこれらの攻撃にも「赤旗」紙上に論文を発表し、無法なテロ行為を正当化する北朝鮮側の主張を全面的に論破し、批判しました。

自民党や社会党は北朝鮮の「窓口」に

拉致問題を取り上げず

 北朝鮮の国際的な無法行為が広がり始めたとき、これを正面から批判する政党は日本共産党以外には、残念ながらありませんでした。政界で北朝鮮問題といえば、国交のない北朝鮮とのいわゆる「窓口外交」が盛んで、自民党や社会党が「窓口」になって北朝鮮側の意向を聞いてくるやりとりに終始していました。

 八四年の日本漁船への銃撃事件でも、事件の二カ月後に社会党の石橋委員長が北朝鮮を訪問しましたが、金日成から「あのような時は逃げなければ撃たない」といわれたことを“大成果”のように宣伝しただけでした。

 九〇年九月に、自民、社会の両党はそれぞれ訪朝団を派遣し、朝鮮労働党との間で国交樹立をうたった三党共同宣言に調印しましたが、拉致問題をとりあげることはありませんでした。

 当時、金丸訪朝団に随行した野中広務氏は、八八年の日本共産党の橋本議員の質問と梶山国家公安委員長の答弁を引用しつつ、著書でこう反省の弁を語っています。「私はといえば、この時点における北朝鮮に対する見方は、まだ非常に甘かったといえる。この金丸訪朝団における交渉では、拉致の問題はまったく取りあげられていない。……行方不明者は北朝鮮の拉致によるものではないかという指摘は、政府内でもあったのである。この問題に早期に触れることができなかったのは、残念である」(『老兵は死なず』)

 日本共産党は、北朝鮮が、一九六〇年代後半に危険な「南進」政策をとろうしたときも、一九七〇年代に当時の指導者・金日成の個人崇拝を押しつけてきたさいにも、一九八〇年代に入って顕著になった数々の国際的な無法行為にたいしても、先駆的にまたもっともきびしく批判してきました。そういう自主独立の党であるからこそ、北朝鮮による拉致事件にたいしても、これを正面から批判し追及することができたのです。






衆院本会議での不破委員長(当時)の代表質問=99年11月2日

交渉での解決 日本共産党の提案が政治を動かす

99年不破提案が扉開いた

 拉致問題を政府に認めさせただけでなく、北朝鮮問題をどう解決するかの提案をおこない、今日につながるレールを敷いたのは日本共産党でした。

 一九九八年。北朝鮮がテポドン・ミサイルを発射し、日本列島を飛び越える事件が起きると、日朝間が一挙に緊張しました。双方から“相手が先制的に攻撃してきたらどうするか”という軍事的対応ばかりが議論に出てくる状況でした。

 こうした状況を受けて、翌年(一九九九年)一月、日本共産党の不破哲三委員長(当時)は、衆院本会議代表質問で「対話と交渉の場をもたないまま、対立的な関係や雰囲気だけが拡大するという悪循環は早急に断ち切らなければならない」として、北朝鮮と正式の対話と交渉とのルートを開くよう提案しました。

 しかし、政府の側からは反応がありませんでした。この当時の状況を、米国務省の元北朝鮮担当の外交官ケネス・キノイ氏は次のように指摘しています。

 「米国、韓国を含め他の国々は、東アジアと朝鮮半島の変化する現実に応じて、北朝鮮に対する政策を調整している。…しかし、日本は米軍事力の盾の後ろに隠れて外交政策も米国の外交政策に追随するという、過去五十年来の古い政策にしがみついている」(『北朝鮮 米国務省担当官の交渉秘録』)

 米国や韓国が北朝鮮との間で核問題などの懸案を外交交渉で解決しようという機運が高まっている状況を踏まえ、不破氏は同年十一月、二度目の質問をおこないます。(別項参照)

二度目の質問に反響 その質問で不破氏は、日朝間には「拉致問題などいくつかの紛争問題」があることを指摘。それらを解決しないと交渉はできないという態度ではなく、無条件で交渉ルートを開き、交渉によって解決すべきだと主張したのです。



 不破氏の二度目の提案は、米国や韓国の外交筋などから国際的な反響も呼びました(別項「緒方証言」)。

 水面下で、こうした動きが起こる中で、不破質問から二週間後、社民党の村山富市元首相から超党派の「政党代表訪朝団」に日本共産党も参加するよう要請があったのでした。北朝鮮訪問団への参加要請が、日本共産党にあったのははじめてのことでした。

「不破提案は大事」

 このとき村山元首相は「不破さんの提案は大事なことだと思う」とのべ、無条件で交渉ルートを開くという提案を訪朝団全体の方針とする姿勢を示唆しました。

 実際、訪朝団の出発前の階段で、村山団長から、無条件・無前提にすべての問題を話し合うという提案があり、団の方針として確認されたのでした。

 九九年十二月、日本共産党から穀田恵二国対委員長、緒方靖夫国際局長が参加した超党派訪朝団は、北朝鮮代表団と会談。前提なしに日朝政府間交渉を早期に開くことで合意し、日朝交渉の扉を開いていったのです。

 この直後に赤十字間の交渉が始まり、翌二〇〇〇年四月には、政府間交渉が七年半ぶりに再開されました。これが〇二年九月の小泉首相の訪朝による日朝首脳会談へとつながっていくのです。



99年不破提案

 日本共産党の不破哲三委員長が九九年十一月の衆院本会議でおこなった代表質問から。

 日本自身、北朝鮮との間には、ミサイル問題、拉致問題などいくつかの紛争問題をもっていますが、それは交渉によって解決すべき交渉の主題であって、その解決を交渉ルートをひらく前提条件としたり、すべてを他の国の外交交渉におまかせするといった態度では、問題は解決できません。

 また北朝鮮は、戦前の侵略戦争と植民地支配によって日本が被害をあたえた国ぐにのなかで、その清算がまったく未解決のまま残っているただ一つの国です。そのことの解決をふくめ、北朝鮮との国交の問題などにとりくむ日本自身の責任ある立場をしめす必要があります。

 この点で、外交の目標と政策を明確にもち、その努力をつくしてこそ、日本は、アジアと世界の多くの国民が心配している朝鮮半島の情勢の改善と、この地域に平和的な枠組みをつくる事業において積極的な役割をはたしうるでしょう。

国際的な反響

 日本共産党の緒方靖夫・国際局長の証言

 「二回目の不破質問から、村山申し入れのあいだには、政府にたいして二つの方面からの国際的働きかけがあったんだ、と聞きました。韓国の外交通商部とアメリカの国務省の方から、日本共産党の代表が国会でこういう問題提起をしているのに、日本政府はどうして何もしないのか、と詰められた、というのです」(パンフレット『どう考える北朝鮮問題』)



きぜんとした対応

金日成廟でおじぎ拒否

 外交において「きぜんとした態度」とはなにか。このことを示したのが、一九九九年の超党派政党訪朝団での日本共産党の代表がとった態度でした。

 北朝鮮訪問では、金日成廟(びょう)や生家など四カ所を「お参り」する日程が組みこまれていました。穀田・緒方両氏は「北朝鮮の金日成個人崇拝体制を拒否してきた自主独立の日本共産党として、民主主義と相いれない『個人崇拝』を国民に押しつけた人物にたいし、“儀礼”だとしても、頭を下げることはできない」と相談。代表団の行動には参加するが、一番後ろにいて、頭を下げず、記帳もしない態度をとることにし、他党の代表がおじぎをし、金日成をたたえる記帳をする中、きぜんとした態度を貫きました。この“儀式”を日本側として打ち破ったのは日本共産党代表がはじめてでした。

 北朝鮮側は、こうした日本共産党の態度は承知していましたが、同じ日に行われた会談では、日本共産党代表の発言を「いい発言をしてもらいました」(代表団長の金容淳書記)と評価する態度をみせました。武力でも圧力でもなく、きぜんとした態度があればきちんとした外交交渉ができることを実証したのでした。

解決への「行程表」

平壌宣言は前進の一歩

 二〇〇二年九月十七日、小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日国防委員長との日朝首脳会談で、「国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」として、日朝国交正常化交渉の早期再開で合意し、平壌宣言が結ばれました。

 核・ミサイル問題は「問題解決を図る」こととし、「北東アジア地域の平和と安定を維持、強化する」ための協力も確認されました。

 拉致問題も、会談で金国防委員長が事実を認めて謝罪。平壌宣言で「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」という形でとりあげられ、過去の植民地支配の問題を含めて「国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意」が表明されました。

 こうした内容を盛り込んだ平壌宣言は、北朝鮮問題の解決に向けての段取りを定めた「ロードマップ(行程表)」という意味をもっています。だからこそ、日本共産党は「重要な前進の一歩」と歓迎したのでした。

 日本共産党は同時に、拉致問題は北朝鮮側が事実を認めたというだけではすまされないとして、拉致犯罪の全面的な真相解明、責任者の厳正な処罰、被害者への謝罪と補償などを要求。さらに、拉致被害者の家族の帰国も人道問題として早期実現を求めました。

国交正常化交渉へ

再訪朝での前進を歓迎

 二〇〇二年九月の日朝首脳会談後、拉致問題をめぐるトラブルで交渉は中断。今回の小泉再訪朝まで一年七カ月もの空白となりました。

 この間、日本共産党は、交渉の全過程を知る立場にないことを考慮して外交問題への評価を自制。同時に、北朝鮮問題でとるべき三つの目標(別項)を提起してきました。

 今回の再訪朝では、「日朝平壌宣言が日朝関係の基礎である」ことを確認。拉致被害者家族八人のうち五人の帰国が実現し、曽我ひとみさんの家族については第三国で再会できるよう調整をはかることとなりました。また、安否不明者、行方不明者については北朝鮮側が「白紙」からの再調査を約束。小泉首相は、北朝鮮が平壌宣言を順守すれば制裁を発動しないことを表明したのでした。

 いわば平壌宣言のレールのうえで交渉が動き出せるようになったのです。そのため、日本共産党は「国交正常化交渉への前進の方向が確認されたことを歓迎する」と評価したのでした。

 平壌宣言には、日本共産党が提起した三つの目標すべて含まれているだけでなく、もともと不破提案から流れがつくられてきた交渉による問題解決のレールのうえに結ばれたものでしたから、「歓迎」の表明は当然でした。

三つの目標

 ▽朝鮮半島に、戦争も動乱も絶対に起こさせないこと

 ▽拉致問題を全面的に解決すること

 ▽日本が“過去の遺産”を清算すること

解決すれば北東アジアにどんな未来が

 北朝鮮問題が解決すれば、北東アジアにどんな未来が開けるでしょうか。

 一九六〇年の日米安保条約改定以来、北朝鮮の動きは、日本の軍備強化と海外派兵体制づくりの発火点になってきました。六〇年代の「三矢作戦」、七〇年代から八〇年代の旧ガイドライン(日米軍事協力の指針)と日米共同作戦づくり、九〇年代の新ガイドラインと海外派兵、有事法制の動きも、「朝鮮有事」が常に口実にされました。

 北朝鮮問題が解決し、北東アジアに安定した国際関係が確立したら、日本をめぐる国際環境、安全保障環境が激変することは確実です。

 また、北朝鮮の核問題を協議している六カ国協議(北朝鮮、韓国、日本、中国、ロシア、アメリカ)にも前向きの変化を与えることは間違いありません。六カ国協議は、北東アジアの平和と安定にかかわるすべての国が参加しており、この協議を通じて問題の解決が図られれば、北東アジアの平和と安定の新しい枠組みを生み出す可能性をもっています。

 さらには、米国の先制攻撃戦略も、その目標の大きな部分をなくしてしまうことになります。

 北東アジアで平和の国際関係を築くという目標は、東南アジアの平和への流れとも合流し、アジアと世界の情勢に大きな前向きの変化をもたらすのです。日本共産党は、そうした展望にたって、北朝鮮問題の解決に全力をつくしています。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-06-16/26_01.html
北朝鮮問題

日本共産党は道理ある解決へ

こんな役割を果たしてきました