社民党は消えてしまうのかNHK.NPO法に関するPDF記事.民主党政権の新しい公共の記事PDF魚拓



「あなたが先輩方の築いた遺産を食い潰した!」
分裂が決まった社民党の党大会は、飛び交う怒号で包まれていた。
そして、かつては政権も担ったあの社民党の国会議員がわずかになってしまった。
社民党はこのまま消えてしまうのか。関係者へのインタビューで迫る。
(宮川友理子、並木幸一、佐久間慶介)

最後の1人?

「『えっ、1人』っていう感じはある。でもあまり暗い顔をしていても人も寄ってこないしね…」
党大会に先立つ10月下旬。すでに社民党内は分裂が避けられない情勢だった。
福島が、淡々と語っていたのが印象に残る。

自民党の対抗勢力として

社民党の前身は、旧社会党だ。
終戦直後、労働運動に携わっていた人たちを中心に結成された。格差の解消、平和主義や護憲などを掲げ、保守勢力の自民党と、革新勢力が拮抗するいわゆる「55年体制」でもう一方の主役を務めてきた。
関係者は、功績をこう語る。
「医療や年金などで『保守勢力』による政策の偏りを食い止めてきた」
「自民党が国会で3分の2の勢力を確保するのを阻止し、憲法を守ってきた」

女性たちが山を動かした
1986年には、土井たか子が女性初の党首として委員長に就任した。
3年後の参議院選挙では「ダメなものはダメ」というスローガンで「消費税反対」を掲げ、女性候補を次々と擁立して「マドンナ旋風」を巻き起こし、自民党を過半数割れに追い込んだ。
このとき土井が述べた「山が動いた」は、いまも語り継がれる。

総理大臣も輩出

1993年には「非自民連立政権」の細川内閣で政権党に躍進した。
その後の自民党、新党さきがけとの「自社さ連立政権」では、ついに党首の村山富市が総理大臣に就任する。
先の大戦について、当時の日本政府の責任を明確に認める「村山談話」を発表したほか、被爆者援護法の制定など、“社会党首班”の政権を印象づける政策を実現させた。
しかし、これが下り坂への分岐点にもなった。

政策転換、そして分裂



保守勢力との連立政権で、村山総理が、自衛隊を合憲と認めるなど、旧社会党の政策を転換させたことで党内の求心力が急速に低下したのだ。
1996年の村山総理辞任後、旧社会党から社民党に改称され立て直しを図ろうとしたが、結局、党が分裂する事態となった。
2009年の政権交代では民主党政権の一翼を担ったが、党を支える労働組合の組合員の減少なども相まって、衰退の一途を辿った。
所属する国会議員はついに4人にまで減っていた。

今も繰り返される分裂

そんな社民党が、立憲民主党から合流を打診されたのは去年12月だった。
しかし、党内がまとまらず、党全体での合流は断念することになる。
11月14日の党大会では、社民党は残す一方で、合流のために離党することも認める議案が諮られたのだった。
その結果、賛成84、反対75で可決。
事実上の党分裂の流れが決した。

党が消えると市民運動が…

福島は、合流協議をこう振り返った。
「みんな悩み、考え、対立もあった。正直、大変だったなと思う。ただ、良かったことがあるとすれば、政党とは何かを考えた。私は社民党の良さを感じたということかな」

社民党の良さとは?
それが党に残る理由だろうと尋ねると、それは支持者の声だと返ってきた。
「日本に宝物があるとすれば、全国の平和や脱原発などの市民運動だと思っているんです。地位や名誉などを目的とせず何十年と携わってきた人たち。社民党はその運動とつながり、社会を動かしてきた。その人たちから、『合流するなら運動をやめる』という声が多く届いた。党が消えることで運動が終わるのは、すごく残念じゃないですか」

社民党は、国会議員こそ少ないが、自治体議員も含めた地方党員は、およそ1万2000人いるとされる。この党員らも、今後、残留組と合流組に分裂することになる。

「もったいないですよ。まだ、1万人を超える党員の地方組織があるわけです。歴史的なものですよね。このまま社民党で頑張っていきたいという人がいる以上、一緒にやっていくということです」

市民運動と全国の党員とのつながりを強調する福島。しかし、いずれも高齢化などもあって、現状は厳しい。
「もう社民党は“泥船”だ」という辛辣な声も飛び交う。
政策が近い立憲民主党に移り、社民党の理念をさらに発展させていく道はとりえないのか。
福島は、立憲民主党とは根本的な部分で一緒にやれないと強く反論する。

「『健全な日米同盟を』と言っているが、これは、『かつての民主党政権と違い、穏健で、政権交代してもアメリカをリスペクトしますよ』というアピールです。枝野代表自身はリベラルなはずなんですけど、無理して保守路線を演じているように見えます」

さらに、靖国神社の参拝問題や核兵器禁止条約へのスタンスを例にあげながら、社民党を残す意義を語った。

「戦前戦後のさまざまな運動や思いを切り捨てているんです。切り捨てずに、憲法9条や、平和を守る社民党が、やっぱりあったほうがいいんです」

もう立ち行かない

一方、合流協議を主導してきた党幹部はどう受け止めているのか。
合流協議を打診された際、幹事長を務めていた吉川元(現・副党首)が振り返った。
「去年の参議院選挙後、もう立ち行かないと思った。だから、ある意味、いいきっかけだった。合流して立憲民主党内で社会民主主義を広げる道もあるとする人。あくまで社民党としてやっていくべきだという人。それぞれに一理ある。それなら両方の選択を認めようと。本当につらかったが、そういう選択をせざるを得なかった」

どうしても党を残したいと思う人たちの声をどう思うのか。
「喜んで合流しようという人はいない。苦渋の選択だ。党の存亡の危機を前に、社民党が掲げてきた社会民主主義を残していくには、この道を選ぶしかないということで決断していくんだと考えている」

一方、合流に向けて離党すると見られている吉川。この時点では、自身の身の振り方について、「地元・大分の県連と話し合ったうえで明らかにしたい」と言及を避けた。

少数でも正論を言い続ける価値がある

かつての同志たちは、いまの社民党をどう見ているのか。
東京・世田谷区長の保坂展人。
社民党の衆議院議員を3期務めたあと、2011年、世田谷区長選挙に立候補する際に、党を離れた。
保坂は、合流を目指す側にも一定の理解を示している一方で、1996年の「社民党分裂」を振り返り、どんな小政党でも、担う役割は必ずあると指摘する。
「あの分裂時、『10人やそこらが残っても消滅するよね』と言われた。でもこの20年間、決して無意味ではなかった。連立政権の一翼を担い、NPO法や情報公開法など、市民的な権利をしっかり刻印するような立法を主導するなど、それなりの役割は果たしてきた」

社民党に残る福島や党員には、新しいニーズをしっかりつかみ、存在感を取り戻して欲しいとエールを送る。
「政治は、たとえ少数でも正論を言い続ける価値がある。ここまで小さくなったからこそ、思い切った対応ができるようになる側面もある。福島さんは、1人になるかもしれないが、社会の流れの中で、わっと吹き出してくる転機を見逃さず、つかむことが必要だ。変化を恐れずにやっていくしかない」

党名でなく価値を残すべき

異なる見方をする“元同志”もいる。
立憲民主党の副代表、辻元清美だ。
民主党との連立政権時、沖縄のアメリカ軍普天間基地問題をめぐって民主党と社民党が対立した。県外移設にこだわった福島率いる社民党は、政権を離脱。このとき、辻元は、社民党を離党して袂をわかった。
当時を振り返りながら、こう語る。
「せっかくつかんだ政権を、そんなに早く手放してもいいのかという思いがあり、とても悩んだ。つらかったですよ。社民党は、故郷みたいなもの。離党のときも、必ずいつかまた一緒になり、さらに大きな勢力を作りたいと願い離れた。だから立憲民主党ができて、ようやく同じ軌道で走れると思ったんです」

そんな辻元は、古巣の現状を複雑な思いで見つめる。
「長い歴史がある党の火を消して欲しくない思いもある。でもいまの政治状況を見ると、野党勢力を大きくしなきゃいけない。政治は『私はこうありたい』と言っていればいいってもんじゃない。実際に力を持ち、社会を変えなければいけない。党の名前ではなく価値を残し、さらに大きくするため、1つの政治勢力になったほうがいい」

立て直しに必要なこと

一方、辻元に、より小さくなる社民党の立て直しには、何が必要なのか尋ねてみた。
「社民党が弱体化した要因は、比例区でしか勝てなくなってしまったところ。全国で広く薄く票をとればいいというような。土井たか子さんのときは、党首として先頭を切って選挙区で勝負していた。選挙区の方が、地域に根を張れる。でも、比例中心だと根が無くなる。そうなると党は弱体化する」

福島は、これまで4回、すべて比例代表で当選してきた。
党首として、選挙区で勝負すべきだという声はたびたびあがってきた。
いまの社民党には酷かもしれないが、起死回生、次の衆議院選挙で小選挙区から勝負することはないか、福島に聞いてみた。「それは、みんなでよく話し合ってみます。でも衆議院選挙に出て、もし落ちたら社民党の国会議員がいなくなる。その瞬間に国政政党としての要件がなくなるから、やっぱり、ちょっとリスクだと思いますね」

築いた遺産を食い潰した

こうした福島に対する批判は、社民党内に根強く残っている。
怒号が飛び交い、異様な空気に包まれた党大会で口火を切ったのは衆議院議員の照屋寛徳だった。
壇上の福島を険しい目で凝視し、声を震わせながら、こう非難した。
「2003年にあなたが党首になって以降、先輩方が築いた遺産を食い潰した」

発言の真意を照屋はこう語った。
「参議院選挙でも衆議院選挙でもどちらでもいい。福島自身が一定の知名度があるというなら、選挙区で勝負すればいい。そうすれば、比例代表に新たな人材を迎え入れることができる。それが党勢拡大っていうものだ。でも、比例代表にしがみついて、勝負をしてこなかった」

風前の灯火、衰退の責任は

公職選挙法上の国政政党要件は、国会議員5人以上か、直近の選挙で、有効投票総数の2%以上を得ていることだ。
社民党は、国会議員の数では届かないものの、前回の参議院選挙で、2%余りを確保し、かろうじて国政政党の立場を維持している。次は、国会議員が福島1人となると、2%はおぼつかない。
社民党は風前の灯火だ。

衰退期に長く党首を務めてきたのは福島だ。そもそもその責任を福島はどう感じているのか。
「私が党を引っ張ってきた間、党勢が回復できなかったのはその通りで、本当に責任はあると思うし、残念です。まさにゼロから出発するぐらいの気持ちでやっていきたい」

ゼロからの出発。
では、どう立て直していくつもりなのか。
「党勢は厳しいけど、地方に目を転じれば、新たに党に入ってくれる若い世代や女性も出てきています。若さと『ジェンダー平等』などを旗印に『新生・社民党』をつくりたい。試行錯誤で、いろいろなことをわくわくしながらやっていくしかない」

「たとえ少数でも正論を言い続ける価値がある」
かつての同志、保坂が語ったことばだ。確かに、少数政党の存在意義の1つと言える。
果たして、社民党は光明を見いだすことはできるだろうか。

(文中敬称略)

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/48247.html
社民党は消えてしまうのか

https://www.jstage.jst.go.jp/article/janpora/17/2/17_77/_pdf


市民活動促進法案の衆議院提出まで(1996 年 1
月~ 12 月)
1996 年 2 月に与党 3 党が「与党 NPO 確認事項」を
合意するが,同年 4 月に自民党が提示した修正案は合
意事項を「後退」させる内容であり,社民党とさきが
けが強く反発,NPO プロジェクトチームは行き詰っ
た.こうした状況に変化を与えたのが,1996 年秋の
衆議院解散・総選挙と民主党結成である.自民党は,
「①近づく総選挙を前に,野党に有利な争点を残した
くない.②総選挙後の連立政権のために実績を作って
おく」という理由から社会党・さきがけに譲歩するよ
うになり(小島 2003: 123),与党政策調査会議にて合意
に至り,総選挙後の臨時国会で,市民活動促進法案が
衆議院に提出された.1997 年 1 月からの通常国会で
は,与党 3 党と民主党の協議がおこなわれ,6 月に合
意に至り,「市民活動推進法」として衆議院を通過した.
この時期には市民団体の要望活動が活発化したが,
それを主導したのが,シーズ,PAN と,「市民・連合
ボランティアネットワーク」(以下,VN)である.こ
こで VN とは,日本労働組合総連合会(連合)が阪神・
淡路大直後の救援活動に関わったことを契機に,「被
災者への自立支援とボランティア団体の育成」を目的
として 1995 年 4 月に発足したものであり,連合の鷲
尾悦也事務局長,福祉系団体の WAC アクティブクラ
ブの高畑敬一会長,さわやか福祉財団の堀田力理事長
が共同代表を務めた.その調整をした WAC の田中尚
輝氏は次のように述べている.
連合から 1 億 3 千万ぐらいお金もらったのかな.
そのお金で現地にボランティアをつくるっていうの
を主軸に一生懸命やったんですよ.(中略)僕とし
ては法制化運動っていうより連合,社会的にいうと
労働組合をこちらへ巻き込もうということと,それ
から市民に,年間予算 20 ~ 30 万というボランティ
ア活動がその時のまだまだ主流だから,そういうん
じゃなくて事業型のボランティア活動をやんなく
ちゃいけないということで.(中略)
(筆者「当時,どちらかというと福祉系よりも市
民・連合ボランティアネットワークとして,集会を
96 年から定期的に開催されていたみたいなんです
が.」)
うん,そうだよ.というのは,(運動母体が)な
かったんだよ.いろいろボランティア団体がちょく
ちょく集まってね,勉強会とか意見交換したんだけ
れど,全国組織はつくってなかったから.それから,
連合をできるだけこっちへ持って来ようとしてたか
ら 14.
1996 年 2 月 10 日 に VN を 中 心 と す る ア ピ ー ル
「『NPO 法』 を 早 期 に 実 現 し よ う」, 同 年 3 月 6 日 に
PAN を中心とする「非営利法人制度のための芸術文
化の集い」の開催と国会請願,同年 6 月 10 日に連絡
会有志 77 名から各党への「市民活動団体等への法人
格付与に関する法案(NPO 法案)についての要望」が
提出されている.ここで,これらの呼びかけ人を確認
すると,重複しているのはわずか 1 名である 15.先述
のように,連絡会を通じて紐帯が築かれており,連携
の可能性が開かれていたにもかかわらず,実際の署名
では連携したわけではない.このように,3 つの連携
が拮抗する形で立法運動が展開していたのである.
こ の 時 期 の 市 民 団 体 間 の 要 望 書 を 比 較 す る と,
シーズは条文の規定に関する「幅広い議論」を求めて
いるのに対し,VN は「今国会において成立」を求め,
PAN は「税制上の優遇措置」を求めている.なぜこ
の時期に,このような差異が顕在化したのか.まず,
この時期には,与党 3 党案では税制の議論を切り離す
ことが確定路線となっていた.1995 年 12 月に与党 3
党プロジェクトチームが作成した「骨子試案」には税
制優遇に関する規定が含まれ,1996 年 6 月時点でも
「市民活動促進法案と税制優遇措置の法案は同時に提
出する」とされていたが,1996 年 9 月に与党 3 党政策
調整会議が合意した「法案の要旨(案)」からは税制
優遇の規定がなくなっている.これに対して危機感
を覚えたのが,芸術・文化系の団体であった.PAN
の高比良正司氏は,税制について次のように述べて
いる.
事業性が非常に高いというのが特徴なんです,芸
術文化分野は.そこが市民団体と言われる分野と基
本的に違う.しかし,非営利組織なんです,NPO
なんです.(中略)税制について,松原君たち(シー
ズ)は段階論をやっていったんです.まずは法人格
を取って,税制はその次と言って.僕らはそれを駄
目だと言ったの.なんでかと言うと,それに何百回
だまされてきたか,芸術文化は.いつも附帯決議を
して,決めたことが守られなかった.(中略)要す
るに附帯決議というのは,国会議員の気持ち次第で
どうにでもなるというのが,附帯決議の非常に怖い
ところだというのはわれわれ知っていましたから.
(中略)その段階論に対する意見の違いなんです 16.
他方で,介護保険制度の議論が進む中で,福祉系の
団体は税制優遇の必要性を認めつつも法人格の確保が
喫緊の課題となっていた.WAC の田中尚輝氏は次の
ように述べている.
法人格以外に税制まで踏み込むと,当時の大蔵省
に,完全に NPO 法つぶされるから.だから,自民
党巻き込み,大蔵省巻き込まなくちゃいけないんだ
から,法人格だけでまずスタートして,それから税
制のことやるべきだというのが僕の意見で.
(筆者「福祉団体の間でも,やはり税制よりまず法
人格という声が大きかったですか?」)
そう,そう.それはもう 1 つの要素があって,介
護保険法ができるっていう流れがずっとあって,つ
まり介護保険上の事業者になるためには法人格が必
要なんだよ.我々ボランティアでやってきてるもの
が,株式会社つくるわけにいかないから.(中略)
NPO 法で法人格を確保するんだっていうのは特殊
福祉系の団体にはあったよな.介護回りの事業やっ
てるところ 17.
このように,各分野における運動の歴史や,法人
格・税制優遇の必要性,政治的な戦略などがあわさっ
て,別々の運動を展開していたのである.
4.3. 市民活動促進法案の衆議院通過まで(1997 年 1
月~ 6 月)
この時期には,1996 年 12 月に与党法案が衆議院に
提出されたことを受けて,3 つのグループは独自の要
望も提出しながら,与党案を修正する方向で 3 つのグ
ループの主張が歩み寄っていく.1997 年 2 月にはシー
ズと PAN が別々に要望書を提出しているが,1997 年
4 月 15 日に PAN,VN,連合などが与党 3 党と新進党
に提出した共同緊急提案や,同年 5 月 25 日にシーズ
と VN 関係者が提出した 713 人の署名は,3 つのグルー
プの関係者が初めて一堂に揃っている.
それでは,なぜこの時期に,連携が部分的に拡大し
たのか.必ずしも 3 つのグループが完全に一致して署
名活動を実施していなかった要因と,それでも 3 つの
グループが一致できた要因を明らかにしたい.まず
市民活動促進法案は衆議院通過時に,「法律の施行の
日から起算して三年以内に検討を加え,その結果に基
づいて必要な措置が講ぜられるものとする」という附
則と,「税制等を含めた見直し等について,その活動
の実態等を踏まえつつ,この法律の施行の日から起算
して三年以内に検討し結論を得るものとする」という
附帯決議が加えられた.これによって,芸術・文化団
体も連携する道筋が開かれていく.PAN の高比良正
司氏は,次のように述べている.
「三年以内に結論を得る」という,こういうこと
はありませんでしたから,附帯決議.「検討する」
ということはあったけど,「結論を得る」という附
帯決議は初めてです.だからこれ読んで「やったな」
と思ったんです.で,賛成になったんです 18.
ただし,会員制度を採用している芸術・文化団体が
多く所属する PAN からは,この時期の与党案におけ
る「不特定かつ多数のものの利益」や「公益」などの
条件の規定に対する修正や,税制措置の附帯決議への
明記などが要望として出されている.これは,会員制
度を採用していた芸術・文化団体にとって,会員制度
であることが「不特定かつ多数のものの利益」に反す
ると解釈されないように主張する必要があったからで
ある.PAN の高比良正司氏は,税制について次のよ
うに述べている.
例えば子ども劇場のミッションは創立のとき以来
一貫して変わらないんだけど,「会員の子どものた
めに」というのは一言もないんです.「さまざまな
会員の活動を通じて,すべての子どもの成長を図
る」.「すべての子ども」というのは「会員」であるは
ずがない.ということは,もう目的が公益なんです.
(中略)言い換えると,共益を通じて公益を目指し
ます.だからそこですっきり区分すれば分かりやす
いですね.共益と公益の区分.会員制があるかない
かが公益の区分ではなくて,その団体の持つミッ
ションですっきりさせれば,誰にも文句言えない 19.
こうした個々の論点も踏まえながら,与党案・新進
党案の双方に修正要望を出す方向で,徐々に 3 つのグ
ループが連携を強めていった.
この象徴が,1997 年 6 月に東京と大阪で開催された
衆議院内閣委員会公聴会である.当時の内閣委員会が
6 党から構成されていたため,各政党の推薦にもとづ
き,大阪・東京とも公述人は 6 名ずつ計 12 名でおこ
なわれた.このうち,与党 3 党と民主党の修正案を支
持したのは鎌田裕十朗(アジア医師連絡協議会),中
村順子(コミュニティサボートセンター神戸),早瀬
昇(大阪ボランテイア協会),村上良雄(たんぽぽの
家),山本正(日本国際交流センター),松原明(シー
ズ),中西正司(ヒューマンケア協会)の各氏,共産
党案を支持したのは本田忠勝氏(劇作家),特にどの
法案を支持するとしなかったのが三好康夫(大阪文化
団体連合会),高比良正司(PAN),横川功(劇団東演),
伊藤裕夫(電通総研)の各氏で,新進党法案を支持し
た人はいなかった.全体としては,与党案の修正案を
ベースに早期成立を望む団体が多かった 20.ここでは,
シーズ・PAN・VN の 3 グループの関係者が多く登壇
しているだけでなく,政党間の対立に持ち込まない方
向で議論が収斂していったことが指摘できる.
このように,与党案の不備に関する修正を求めなが
らも,NPO 法を成立させる方向でシーズと PAN,市
民・連合 VN が連携を深めていったのが,この時期で
あった
特定非営利活動促進法の成立まで(1997 年 7 月~
1998 年 3 月)
衆議院を通過した「市民活動推進法案」を待ち受け
ていたのは,参議院自民党の抵抗であった.参議院与
党 3 党での協議は,1997 年 12 月,法律名称を「特定
非営利活動促進法」と変更する等の合意に至る.その
後も,平成会(参議院新進党と公明党)による抵抗や,
新進党解党などの政局の流動化にも直面しながら,
1998 年 1 月からの通常国会で審議が進められていく.
この時期には市民団体間も,与党案を軸に,① NPO
法案の法人制度部分の早期成立,②税制優遇措置への
道筋の担保,で一致していくことになる(小島 2003:
183).1998 年 2 月には,PAN の呼びかけにより,2,821
市民団体が以下のような「『NPO 法案』に関する緊急
提案」を各党に申し入れている.
この「NPO 法案」は,特別法としての制約の中で
検討されている以上,一定の限界は避けられないと
考えております.
しかし,その中でも,可能な限り NPO 活動を支
援するにふさわしい法律として実現することは,21
世紀社会に向けて極めて大きな意義をもっておりま
す.国会史上初めてといわれる与野党から提出され
た 3 法案をもとに,徹底した審議をして頂き,よい
所をとり入れあって,超党派議員立法として早期に
成立するようご尽力頂きたく,ここに緊急提案致し
ます 21.
この緊急提案について,シーズの松原明氏は次の
ように述べている.
98 年の夏に参議院選挙があるので,自社さの連
立は解消するだろうと言われていて,98 年 3 月ま
でに通さないといけなかった.(中略)通すために
は,市民側の一致が必要だということになって,緊
急集会を何回も開いた.前年の 12 月に田中尚輝さ
んと高比良さんと僕で集まって,手打ち式をしまし
た.それで一致して 12 月から 1 月にかけて市民団
体の署名を集めた.2 月 5 日に集めた署名をつけ
て,申し入れをしたんですけど,それが大きかった.
(中略)その結果,民友連も折れたし,公明党も折
れ た.PAN は 共 産 党 に 強 か っ た の で, 共 産 党 も
オーケーしてくれた.新進党は 12 月末に解党して,
衆議院は民友連がメインになったんですが,基本的
に乗ってくれました.自由党は抵抗したけれども,
最終的には 98 年 3 月 4 日に参議院で可決するとき
にはオーケーしてくれた.それが,3 月 19 日のシー
ズと PAN の声明発表につながる 22.
このように,NPO 法の法案通過が目前に迫りつつ
も,それがまた無に帰するかもしれないという脅威が
発生した際に,それぞれの理念を調整し,「一定の限
界」を譲歩した上での「早期に成立」を目指す方向で,
3 つのグループの組織間連携が形成されたのである.
その後,2 月に与党 3 党と民友連・公明党が修正案
に合意し,自由党と共産党も法案に賛成した.1998
年 3 月,「特定非営利活動促進法」が参議院を通過し,
衆議院でも可決され,成立に至った.
4.5. 阪神・淡路大震災以降の連携の種類とその要因
以上をもとに,国会で NPO 法が議論された時期に
おける,連携の種類とその連携を分析したい.
まず,この時期の連携の種類としては,前段階で結
成されたフォーマルな連携同士を繋ぐ,インフォーマ
ルな連携であった.このうち,連絡会は約 1 年間かけ
て集会開催・情報交換をおこない,インフォーマル・
長期の「持続的なネットワーク」として位置付けられ
る.他方で,与党第一次合意以降は,各グループが独
自に要望をおこなっており,その要望を介して連携を
おこなう,インフォーマル・短期の「イベントへの共
同参加」として位置付けられる.
次に,連携の要因として,前章で述べたような各分
野におけるネットワーク組織の形成を,同様に「先行
する社会的紐帯」として指摘できる.この時期には,
阪神・淡路大震災以前に準備をしていた,国際協力系
を母体とするシーズと,文化・芸術系,福祉系,とい
う 3 つの系列が,引き続き運動を展開していた.ただ
し,争点をめぐって分野間の連携には障壁があり,そ
れぞれが独自の運動を展開していた.この障壁を越え
て連携が可能になったのは,「理念の共有」と「政治
的機会・脅威」という別の要因が働いたからである.
まず,インフォーマル・長期の連携が可能になった
要因として,阪神・淡路大震災の発生に伴う「政治的
機会・脅威」を挙げられる.震災は日本社会に危機を
もたらしたが,ボランティア活動の展開は NPO 法立
法に向けた追い風となり,福祉系では VN が結成され
る,「機会」となった.他方で,当初は省庁連絡会議
の主導で「ボランティア支援立法」が制定されようと
したことは,NPO 法立法を目指す諸団体にとっての
「脅威」であった.
続いて,インフォーマル・短期の連携において,分
野ごとに NPO 法案に対する期待が異なっており,こ
うした争点に一定の妥協ができるまで法案が修正され
たときに,「理念の共有」がなされ,連携が徐々に広
がっていた.その過程で,各分野が抱いている法人制
度への要求や「公益」「非営利」をめぐる理念の相互
理解が図られていったと言える.さらに,衆議院での
法案通過という「機会」,そして参議院での法案通過
を前にした連立政権の解消という「脅威」が存在した
ときに,大きな連携が形成された.
このような要因のもと,NPO 法の制定過程そのも
のが市民団体間の連携を拡大させる契機となってお
り,各分野・各団体の理念に小異はあっても,「法案
成立」という大同に向けて理念の相互理解が進み,広
範囲な連携が形成されたことが分かる.
結 論
本稿では,NPO 法制定過程における立法運動の組
織間連携の要因を分析し,NPO 法制定以前は異なる
分野や団体形態で活動していた市民団体が,なぜ法
制定に向けて連携できたのかを明らかにした.まず,
阪神・淡路大震災以前は「先行する社会的紐帯」とし
ての 1980 年代からの分野内・分野間の連携経験と,
アメリカ視察等を通した「理念の共有」が,連携を容
易にする要因となっていた.法案が国会で議論される
ようになると,争点をめぐって分野間の連携に障壁が
あり,それぞれが独自の運動を展開したが,争点に妥
協ができるまで法案が修正されるとともに,衆議院で
の法案通過という政治的機会,そして参議院での法案
通過を前にした連立政権の解消という危機が存在し
たときに,大きな連携が形成されたことが明らかに
なった.
最後に,本稿から示唆される論点を 3 点まとめたい.
第一に,これまで一枚岩に描かれてきた NPO 法立
法運動について,市民団体の分野間連携という視点か
ら,その多様な側面を描くことができた.また,社会
運動論における市民活動と NPO の関係性に関する議
論に対して,本稿で明らかになったのは,1980 年代
以前からの市民活動が,法人格と税制優遇制度を求め
て運動を展開し,政治過程と運動間連携を経て NPO
法に帰着したものであるという,動態的な連続性で
あった.この視点から,NPO 法が日本の市民社会に
どのような影響を及ぼしたのか,考察を深めていく必
要があるだろう.
第二に,本事例における社会運動の連携は,フォー
マルな連携とインフォーマルな連携という二段階で進
展しており,いずれも 3 つの条件が影響を与えていた
が,前者においては特に先行する「社会的紐帯」が前
提となり,後者においては「政治的機会・脅威」の発
生と「理念の共有」に向けた相互理解が大きな要因
なっていた.これらの知見は,他の事例にも示唆を与
えていると思われる.
第三に,NPO 法は,分野ごとに求める NPO 法案へ
の期待が,「早期成立」に向けて合意形成をおこなっ
たものであり,結果として 5 万団体が法人格を持って
活動できる素地を作った.ただし,各分野の連携が可
能になったのは,「3 年以内に税制優遇を盛り込む」
という担保があったからであった.税制優遇について
は 2001 年に認定 NPO 法人制度が制定されるが,認定
基準のハードルが高く,2011 年の抜本改正に至るま
で 10 年がかりの立法運動が展開することとなった(原
田 2016).この間に,当初の理念と,現実に形成され
た NPO セクターでどのような一致と乖離が起きたの
かは,今一度検証していく必要があるだろう.
謝 辞
本稿は,JSPS 科研費(26885091,17K13858)による
成果の一部であり,日本 NPO 学会第 17 回年次大会報
告原稿および東京大学大学院人文社会系研究科提出の
博士論文(未公刊)の第 4 章を大幅に加筆修正したも
のである.最後に,調査協力者の方々,資料利用を許
可してくださった「NPO 法制度の制定過程の記録保
存と編纂」関係者の方々に御礼を申し上げます.
Final version accepted September 7, 2017
参考文献
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https://www.jstage.jst.go.jp/article/janpora/17/2/17_77/_pdf
17_77.pdf
NPO 法制定過程における立法運動の組織間連携
―分野内/分野間の連携に着目して―
原田 峻 1)
1) 立教大学コミュニティ福祉学部


「新しい公共」の考え方

(所信表明演説・新成長戦略・財政運営戦略などにおける「新しい公共」に関する主な記載)

<第177回国会における菅内閣総理大臣施政方針演説>(抜粋)(平成23年1月24日)

(「新しい公共」の推進) こうした「最少不幸社会の実現」の担い手として「新しい公共」の推進が欠かせません。苦しいときに支え合うから、喜びも分かち合える。日本社会は、この精神を今日まで培ってきました。そう実感できる活動が最近も広がっています。我々永田町や霞が関の住人こそ、公共の範囲を狭く解釈してきた姿勢を改め、こうした活動を積極的に応援すべきではないでしょうか。そこで来年度、認定NPO法人など「新しい公共」の担い手に寄附した場合、これを税額控除の対象とする画期的な制度を導入します。併せて、対象となる認定NPO法人の要件を大幅に緩和します。



<第176回国会における菅内閣総理大臣所信表明演説>(抜粋)(平成22年10月1日)

二 経済成長の実現―経済対策と新成長戦略の推進
(成長と雇用による国づくり) まず最初の課題は、経済成長です。国内消費を取り巻く状況には、厳しいものがあります。需要が不足する中、供給側がいくらコスト削減に努めても、値下げ競争になるばかりで、ますますデフレが進んでしまいます。これでは景気は回復しません。供給者本位から消費者目線に転換することが必要です。消費も投資も力強さを欠く今、経済の歯車を回すのは雇用です。政府が先頭に立って雇用を増やします。医療・介護・子育てサービス、そして環境分野。需要のある仕事はまだまだあります。これらの分野をターゲットに雇用を増やす。そうすれば、国民全体の雇用不安も、デフレ圧力も軽減されます。消費が刺激され、所得も増えます。その結果、需要が回復し、経済が活性化すれば、さらに雇用が創造されます。失業や不安定な雇用が減り、「新しい公共」の取組なども通じて社会の安定が増せば、誰もが「居場所」と「出番」を実感することができます。こうした成長と雇用に重点を置いた国づくりを、新設した「新成長戦略実現会議」で強力に推進します。



<第174回国会における菅内閣総理大臣所信表明演説>(抜粋)(平成22年6月11日)

三 閉塞状況の打破―経済・財政・社会保障の一体的建て直し
(「一人ひとりを包摂する社会」の実現) 私は、湯浅さんたちが提唱する「パーソナル・サポート」という考え方に深く共感しています。様々な要因で困窮している方々に対し、専門家であるパーソナル・サポーターが随時相談に応じ、制度や仕組みの「縦割り」を超え、必要な支援を個別的・継続的に提供するものです。役所の窓口を物理的に一カ所に集めるワンストップ・サービスは、今後も行う必要がありますが、時間や場所などに限界があります。「寄添い・伴走型支援」であるパーソナル・サポートは、「人によるワンストップ・サービス」としてこの限界を乗り越えることができます。こうした取組により、雇用に加え、障がい者や高齢者などの福祉、人権擁護、さらに年間三万人を超える自殺対策の分野で、様々な関係機関や社会資源を結びつけ、支え合いのネットワークから誰一人として排除されることのない社会、すなわち、「一人ひとりを包摂する社会」の実現を目指します。鳩山前総理が、最も力を入れられた「新しい公共」の取組も、こうした活動の可能性を支援するものです。公共的な活動を行う機能は、従来の行政機関、公務員だけが担う訳ではありません。地域の住民が、教育や子育て、まちづくり、防犯・防災、医療・福祉、消費者保護などに共助の精神で参加する活動を応援します。



<新成長戦略>(抜粋)(平成22年6月18日閣議決定)

【第2章 新たな成長戦略の基本方針-経済・財政・社会保障の一体的建て直し
-「新成長戦略」のマクロ経済目標】 上記のような経済財政運営の下、「新成長戦略」においては、2020年度までの平均で、名目3%、実質2%を上回る成長を目指す。特に、景気回復の継続が予想されるフェーズⅠにおいては、実質成長率を3%に近づけるべく取組を行う。物価については、デフレを終わらせ、GDPデフレータでみて1%程度の適度で安定的な上昇を目指す。失業率については、できるだけ早期に3%台に低下させる。過去10年の低成長等を考慮すれば、これらの目標の達成には困難を伴うと考えられるが、政策努力の目標と位置付け、全力で取り組む。
国民の満足度や幸福度には、所得などの経済的要素だけではなく家族や社会との関わり合いなどの要素も大きな影響を持つ。「新しい公共」の考え方の下、全ての国民に「居場所」と「出番」が確保され、市民や企業、NPOなど様々な主体が「公(おおやけ)」に参画する社会を再構築することは重要な課題である。政府は、マクロ経済目標の実現に向け全力を尽くすとともに、官では行うことが困難な、国民の多様なニーズにきめ細かく応えるサービスを無駄のない形で市民、企業、NPO等が提供できる社会の構築に向け、国民各層による取組を支える。
【第3章 7つの戦略分野の基本方針と目標とする成果】】
(国民参加と「新しい公共」の支援) 国民すべてが意欲と能力に応じ労働市場やさまざまな社会活動に参加できる社会(「出番」と「居場所」)を実現し、成長力を高めていくことに基本を置く。
このため、国民各層の就業率向上のために政策を総動員し、労働力人口の減少を跳ね返す。すなわち、若者・女性・高齢者・障がい者の就業率向上のための政策目標を設定し、そのために、就労阻害要因となっている制度・慣行の是正、保育サービスなど就労環境の整備等に2年間で集中的に取り組む。
また、官だけでなく、市民、NPO、企業などが積極的に公共的な財・サービスの提供主体となり、教育や子育て、まちづくり、介護や福祉などの身近な分野において、共助の精神で活動する「新しい公共」を支援する。
【21世紀の日本の復活に向けた21の国家戦略プロジェクト】 「新しい公共」が目指すのは、一人ひとりに居場所と出番があり、人に役立つ幸せを大切にする社会である。そこでは、国民の多様なニーズにきめ細かく応えるサービスを、市民、企業、NPO等がムダのない形で提供することで、活発な経済活動が展開され、その果実が社会や生活に還元される。「新しい公共」を通じて、このような新しい成長を可能にする。政府は、大胆な制度改革や仕組みの見直し等を通じ、これまで官が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開く。このため、「「新しい公共」円卓会議」や「社会的責任に関する円卓会議」の提案等を踏まえ、市民公益税制の具体的制度設計やNPO等を支える小規模金融制度の見直し等、国民が支える公共の構築に向けた取組を着実に実施・推進する。また、新しい成長および幸福度について調査研究を推進する。
【第4章 新しい成長と政策実現の確保】 「新成長戦略」は、「強い経済」の実現により、できる限り早期に3%台の失業率を実現し、失業のリスクを減らす。加えて、長期失業や非正規就業で生活上の困難に直面している「孤立化」した人々を、個別的・継続的・制度横断的に支える「パーソナル・サポート」制度を導入する。
また、こうした活動の可能性を支援する「新しい公共」すなわち、従来の行政機関ではなく、地域の住民が、教育や子育て、まちづくり、防犯・防災、医療・福祉、消費者保護などに共助の精神で参加する公共的な活動を、応援する。
世界各国が、世界同時不況を一つの契機に、より公正で持続可能な資本主義と成長の在り方についての本質的な検討を深めている。日本政府としては、幸福度に直結する、経済・環境・社会が相互に高め合う、世界の範となる次世代の社会システムを構築し、それを深め、検証し、発信すべく、各国政府および国際機関と連携して、新しい成長および幸福度(well-being)について調査研究を推進し、関連指標の統計の整備と充実を図る。このことにより、新しい成長、新しい環境政策、新しい公共を、一体的に推進するための基盤を構築する。 新成長戦略 成長戦略実行計画(工程表)
VI 雇用・人材戦略~「新しい公共」-支えあいと活気のある社会の構築~(抜粋)(PDF形式:373KB)

<財政運営戦略>(抜粋)(平成22年6月22日閣議決定)
6.新政権の財政運営戦略-国民の安心と希望のために-(抄) 我が国の財政の効率性を高めていくためには、徹底した無駄の削減と予算の使い途の大胆な見直しは当然行わなければならない。思い切った歳出改革を行い、徹底的に歳出を見直して必要な財源を確保していくことが、まず何よりも必要である。また、「新しい公共」の下、国民のためのサービスを市民、企業、NPO等が提供していくことは、国民の満足度、幸福度を高めることになるとともに、結果として歳出の削減にもつながりうる。
<第174回国会における鳩山内閣総理大臣施政方針演説>(抜粋)(平成22年1月29日)
二 目指すべき日本のあり方(「新しい公共」によって支えられる日本) 人の幸福や地域の豊かさは、企業による社会的な貢献や政治の力だけで実現できるものではありません。今、市民やNPOが、教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決するために活躍しています。昨年の所信表明演説でご紹介したチョーク工場の事例が多くの方々の共感を呼んだように、人を支えること、人の役に立つことは、それ自体が歓びとなり、生きがいともなります。こうした人々の力を、私たちは「新しい公共」と呼び、この力を支援することによって、自立と共生を基本とする人間らしい社会を築き、地域の絆を再生するとともに、肥大化した「官」をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。一昨日、「新しい公共」円卓会議の初会合を開催しました。この会合を通じて、「新しい公共」の考え方をより多くの方と共有するための対話を深めます。こうした活動を担う組織のあり方や活動を支援するための寄付税制の拡充を含め、これまで「官」が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開き、「新しい公共」の担い手を拡大する社会制度のあり方について、5月を目途に具体的な提案をまとめてまいります。

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「新しい公共」
「新しい公共」の考え方

https://www5.cao.go.jp/npc/pdf/koutei-hyou.pdf

https://www.npo-homepage.go.jp/uploads/20120906_atarashii.pdf

https://www5.cao.go.jp/npc/shiryou/22n8kai/pdf/4.pdf