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裏切られてもええやんか?

Twitterで、誰かがRTしてRTして、私の目に届いた。

全く私は知らない、ある心理カウンセラーと言う方の言葉。いちいち、考えてみた。取りとめもない話で、ものすごい長文なので途中でしんどくなると思います。

カウンセラーはこうツイートしてた。

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いざという時に裏切る人の特徴

・長いものに巻かれる

・他人の幸せを喜べない

・損得感情だけで人と付き合う

・飽きっぽい

・見栄っ張り

・自分に自信がない

・自己主張が強い

周りにこんな人がいたら

裏切られないように要注意!

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へ~、そうなんだ、と思い、裏切るより何より、これが全部揃った人は、あんまり魅力のない人だから、自然と仲良くならないだろうなと思った。

まず、私は「別に、裏切られてもいいや」と思ってる。理由は、はっきりした態度や言動は、今後のこちらの行動を決めやすいから。

こういうこと、言うじゃん。

「悪気はなかった」

「悪気がないから、たち悪いねん。悪気があった方が、こっちもどつけるやろ?」

みたいな。。。

(どついたらあかんけど、まぁ、どつきたくなるようなことを言われた/された場合、そう言う風に言うだけ、ね)

だから、裏切られたらショックかもしれないけど、怖くはない。わかりやすい。その裏切りをきっかけにして、その後、その人とのつながりを切りやすいから。

私はもともと、はっきり言う人の方が怖くない。言う内容が「こいつ、あかんわ」とか「嫌や」と思えば、近寄らねばいいだけ。

会社の上司とか、避けようがない人がそうなら、今は「なんとかハラ」と言う、パワハラとか、セクハラ、とか言う言葉が色々あって、会社のもっと上の人に相談できるのでは?

で、世の中、本当にブーメラン。原因と結果だから、あんまりクヨクヨせず、でも恨まず、自分は自分のこと一生懸命やっていたら、その人は自然と遠のいて解決するよ。

(人間は、同じ周波数の人同士が共鳴してしまう。素晴らしい人と共鳴したいなら、自分も、素晴らしい周波数を出す人になろう。)

面倒なのは、中途半端に仲良くしてるふりして、ちょっと誉め殺しみたいな感じで、実はいろいろ利用してくる、搾取してくる、陰では違うこと言ってる、という人かな。

このカウンセラーがあげてる項目の根本は全て「自分で決められない」「自分がどう感じるかがない」ということだと思った。まぁ、いわゆる一つの依存心。日本人、これ厄介ですよ。

確かに、自分ではわからないことは人に相談した方がいい。
そこには年上・年下関係ない。男女も関係ないし、その人がどこの国の人であっても、その人が知ってるなら、教わる。

私はポン酢と酢醤油の違いを、アメリカから来たマーティー・ブレイシーに教わった。「二重母音」という日本語と概念を、やはりアメリカから来たスティーヴ・サックスに教わった。

そういうまぁ呑気というか、めちゃ深刻ではないことから、もっとシリアスなものまで、わからなければ、わかる人に相談する、尋ねることですね。これ、物によっては「年下には聞けない」とか、ってこだわる人、いるよ。

で、人生相談なら、この人!と思う人だけに相談することかな?誰彼かまわず相談してたら良いことないよ。

また、自分では直せない/治せない物事はできる人に頼まねばならない。機械類の故障、また病気、怪我、などは、レベルにもよるが私は最初からプロに任せます。お父さんの中途半端な日曜大工みたいな感じで、さらに面倒になることって結構あるでしょ?

健康上のことは、もっと大変だ。症状によっては素人考えで薬飲んで、ますます体調悪くなることもある。あなたも私も気をつけなきゃね。

だけど、自分がどう生きていくか?いざという時、何をどう選択するか?の基準を、常に、他人とか流行とか体裁とか、移ろいやすい世間に定めると、不安で仕方ないでしょう。

「いいことをしよう」とするより「悪いことが起きないように、ただ祈ろう」と言う生き方は、なんかつまんないし、守ろうとしすぎると、守ってるつもりで実は不安も募っていくからね。

で、人の幸せを喜ぶ、というのは実はすごく大切。これ、どうやら、難しいようだ。

私がメジャーデビューした時「CHAKAが遠い人になっていくんだね」と言った、友達と思っていた人達。全員、多かれ少なかれ疎遠になりました。全く離れてしまった人もいる。「遠くなって行ってるのはあなたの心だよね」と思ったが、仕方がない。

友達と思ってた人が私のデビューを別に喜んでくれなかったり、そうでもないと思ってた人が応援の言葉をくれたりした。

友達とまでは行かないミュージシャンの知人が「悔しいけど、すごいなぁと思うわ。頑張りや。私も頑張るし。みんなCHAKAが羨ましいねんで。前からほんまに歌うまいと思てたわ」と言ってくれたり。

もちろん、その人とはもともと仲良しというほどではないから、デビュー以前と同じように疎遠は疎遠なんだけど、どちらが私の心に希望の種を植えてくれたか?と言う話です。

特に、塩谷博之さん(ニックネーム:ヨンちゃん)という、素晴らしいサックス奏者の言葉が私を常に常に支えてくれました。ヨンちゃんありがとう。塩谷さんとはなかなか会えないけど、ずっと心でつながってる仲間と私は思ってます。

人の幸せを喜ぶ人に、必ず(これは必ずです、方程式!)次にその人にチャンスが来ます。私も自分で何度か経験していて驚いています。びっくりするからね。超お薦め!

そして、自分に自信がないと言うやつ。これは、今も昔も、多くの人から相談もされる。その人たちには、CHAKAはすごく自信があるように見えるらしい。

私は歌うことに対して、自信など考えたことがない。大学1年生の頃にチャンスをもらったプロ歌手としての初仕事の時から、今まで。

それよりも「歌いたい、プロ歌手になりたい、もっと上手になりたい」と言う想いが頭の中のほとんどを占めてた。当時は、自分がそうだから、人もそうだろうと思う甘ちゃんでもあった。

そのうち、私は敬遠されたり、または責められるようにもなっていったよ。バンド活動していても:例えばAFRIKAというバンドね:長いこと練習してるのに、曲も歌詞も覚えてこないコーラスの子がいたりする。自分からバンドに入りたいと言ってきたのに。

いくらアマチュアでも仕事はあるのだから
「ちゃんとしてくれな困るやん?」と伝えても、反発してくる子もいた。そういう時だけ、歌う時より元気で声が大きい。

「みんな、CHAKAみたいに自信たっぷりでやってるわけじゃないねん!」とか「そら、あんたはすごいよね!!」等、言われたりもした。「どないせえっちゅうねん?」と思ったが、メンバー皆まだまだ青二才の集まりで、女同士が口論になると、しょんぼりしてる方、泣いてる方、見た目が弱そうな方の味方をするものなのだなぁと学んだ。

多くの人は自信がないまま歌っているのか、とか、人は自信がないから練習してこないのか、ということも知った。

その反面、なんでちゃんと覚えてきた人間が、いっこも覚えへんモンに責められなあかんねん?と言う心理にもなった。

メンバーの中で最も、悪い意味で純粋すぎて青すぎた私は言った。
「そんなこと私に言うても知らんやん?代わりに練習してやることは出来へんでしょ?自分でちゃんとしてよ。練習せえへんから自信ないんちゃうの!?」などど。

30代に入った頃からは、思っても言わないようになって、きつさはマシになったが、ずるい大人になりました。

自信ってなんだろ?って、今も、あんまりよくわからない。自信がなくても歌えばいいじゃん?自信のない人間が歌ってはいけないと言う法律はないし、自信あっても、実際に音程はずれてたら、しゃーないし。

その頃、こんなことも考えた。世の中に女性が1人しかいなくなったら、その女性は化粧もお洒落もやめるだろうと。

やめはしなくても、その化粧やお洒落の基準は男性に受けるかどうかではなくなるだろう?と。

だって、女性は1人なんだから、男性選び放題。そこに、男性受けを考える必要はないからだ。調査したわけじゃないから本当のところはわからないけど、私が行ってた女子大の、派手な学生たちは、自分の楽しみで化粧やお洒落をしてるのではなく、男性を惹きつけたくてやってるな~と。(それを悪いこととは思わない。着物の振袖、って言うやん?あれは未婚女性が着るもの。結婚相手を探して袖を振るからや。そして、できるならば、結婚して子供を産んで種を存続させるのはいいことだから)

話戻って、女性がこの世に1人になったら、女性としての自信とか関係ないんちゃうか?と考えた。自信なくても、必ずカップルになってくれる男性が、いわゆる引く手あまたな訳だ。またはアナタハン島の事件のように男性たちが殴り合って、殺し合って、その女性を求めることもあるかもしれない。

でも実際、この世界には女性はものすごいたくさんいる。人としても女性としても歌手としても会社員としても、ある意味、競争しながら生きているのかもなぁ、という言い方もできる。

自信がある/ない、と言う基準は、誰かと比べて、自分以外の人間の感じ方に基準を合わせるから生まれることなのではないか?と、その当時のCHAKAは思った。

今のCHAKAにはわからない。今も昔も、自信がある/ない、には興味がなく、それより、歌うか/歌わないか、しかない。歌に関してはね。

だから、例えば、私は普段自分の見た目のことあんまり考えないんだけど、美人とかブスとか、隠キャとか陽キャとか、派手とか地味とか言われても、それが私の罪ですか?と感じる。だって、私はこう生まれたんですもの。

舞台に立つ時は、まぁそれなりに失礼に当たらない格好をしようとはしてるつもり。

カルーセル麻紀さんがおっしゃってた。「手入れしない女をブスと言うのよ」って。それは、確かにそうだなとは思う。手入れには、内面も外面もあると思う。

だから、どう生まれてきたか?に囚われていないで、自分を、いろんな意味で少しでもよくすることが、人間の魅力につながるのかな?って。

話それて、人に対して地味と言う言葉を使ってマウント取れると思ってる人は、頭が悪く想像力がない。派手と地味は、価値が高い低いとは、全くと言っていいほど関係のない尺度だ。

それに、地味や派手は相対的なものであって、地味でもすごく魅力的な人はいるし、派手を極めるとナンセンスやグロテスクや、ある種のカーニバル、見せ物になって行きませんか?だから、そんな言葉に振り回されないでね。


さて、今ここでの話題は自信。

1:世の多くの男性たちが恋愛対象の女性に対して言う「可愛い」と
2:親が子に思う「可愛い」と
3:その人そのものが人間として「可愛い」と

この3つは、それぞれに違う。

でも、大勢の女性は、その1番目の「可愛い」と言う言葉や、状態に影響されて、自分がその可愛さに該当しなければコンプレックスを持たされてしまう。(まぁ、男性もそうだろうが、男性の場合は、生まれ持った外見より、後天的に努力で何とかできる可能性がある財力や人間性みたいなものでカバーできると、一般的にはそうなってるよね。)

昔「マスク」と言う映画を見た。病気で顔が異常に大きくなっちゃった男の子の話。アメリカの映画だけど、アメリカは日本よりも、外から見てわかるタイプの障害を、隠さない傾向がずっと強いと思う。

周囲からの奇異な目に対して、その男の子のお母さん(シェールが演じてた)は、ジロジロ見る人や悪く言う人に対してはっきり言ってた。

「あんた!バルタン星人、見たことないの!?」と。字幕を見たので英語ではなんて言ってるか覚えていない。

私、その時、このお母さんいいなと思った。ブスでも、美人でも、隠キャでも、陽キャでも、どれだけ人に希望を与えたか?どう生きたか?どれだけ楽しんで幸せになったか?の方がずっとずっと大事だ。

それに、人の外見のことを言うやつも、まぁ、大きく分けたら、そんなに大した外見ではない、と思いませんか?

そこにはまた、複雑な人間のあれこれがあって、本気で綺麗な人が、他人の容姿をあれこれ言うとすごく角が立って嫌われることを、綺麗な人たちは多分、知っているから言わないに違いない。または人間性が、元々良い。

人は、何らかのコンプレックスがあって性格が悪くなる人もいるだろうし、コンプレックスがあるからこそ優しくなる人もいる。

美貌だってそうだ。美しく生まれたから、特別扱いされて何も学ばない自己中な人になる場合もあれば、美しさゆえに周囲に恵まれ、優しい素直な人になる場合もある。

要は、どんな条件でも、そこから未来へ、良い方向へと切り開ける知恵と勇気と力を自分の中に持つことと、その根本になる人間性が大事と言うことだと思う。

つまり、外見だろうが自分の中に持っている能力だろうが、他人の意見という、自分がコントロールできないものによって作られてしまう自信の有無の尺度は、まぁ、ええやんか?と言うこと。自信について、長々と書いた。ここまで読んでくれただけで、本当に感謝です。ありがとうございます。

で、この心理カウンセラーがあげた項目は、日本の国の教育にも関係があると思う。日本の教育とは、うまく風に乗るグライダーを作るような教育で、自ら飛べる飛行機のような人を作らない。

そして、アインシュタイン先生が言ったこと。今の教育はおかしいと。まるで、ライオンにも、金魚にも、猿にも、ペンギンにも、一斉に「はい、今日はこれからテストをします。皆さん、あの木に登ってください」と言うような教育をしている、と。

それで一律すべての人を試験していたら、そら、コンプレックスも生まれるわなぁ。

私が一体何を書きたくて、書き始めたのか?それは、裏切られないように、悪いことが起きないようにと言う生き方をしていると、しんどいですよ、みたいなことのような気がしてきた。

裏切るなら、裏切ったで、別にいいよってこと。

20歳の時、バイトしてた道頓堀の家庭料理のお店で、ある時、小汚い30歳ぐらいの小柄な男性が来て、すごい勢いで食べ始めた。ママも、全く知らない人みたいだった。

常連のお客さんで成り立っているような家庭的なお店で、普通は料理を2~3品、ビールやお酒を2~3本で皆帰っていくような小さなお店。なのに、その男性は、10品ぐらい食べ続けた。私は「おかしいなこの人」と思い始めた。

ママも「あんた大丈夫?もう、10品ぐらい食べとるよ」と、優しい徳島弁で言った。結局、その男性は無銭飲食をした。

カウンターに、一つ席を置いて、その人の隣に座ってた奈良医大のSさんと言う、私が当時、ちょっとだけ好きだなと思っていた大柄な男性が怒った。
「あいつ、無銭飲食やないか!ママ、俺、捕まえてきたる!」と言って、荒っぽく席を立ったけど、ママはその医大生を止めた。

「大丈夫、大丈夫。放っておき!もう2度と来られへんやろ?」と。ママも、長年、道頓堀で1人で店やってるだけあって、肝が座ってるなと思った。

そう。私は、誰かに裏切られた時、あのママみたいな気持ちになるのだ。

自分から私との関係を切ってくれたんやん。もうええやん、と。だから、ショックではあるだろうけど、その場に立ち止まらず、人生、前へ前へ歩いていけば、切ってくれてよかったんやと思える日が来ると思うし、私の場合は実際そうだから。

長々と書いてきました。読んでくれた方は、ありがとうございました。

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