『グレイテスト・ショーマン』(2018/2/27於イオンシネマ松本)

元々ミュージカル映画が好きなのだけど、この作品はエンターテイメント業界が舞台で、しかも混沌と祝祭の象徴であるサーカスを起こす物語とくれば、そんなモチーフが好みのワタシには、見る前から大好物の予感でした。

楽曲がね、とにかく素晴らしい。
ミュージカルパートで、歌唱力や群舞に熱狂させられ、構図やライティングで圧倒させられ、映像美で感極まってしまうという。で、それが何度も押し寄せるものだから、終わるころには感極まりっぱなしすぎて頭痛がするほど。特に、トリッキーな酒場のシーンと、妖艶で切ない空中ブランコのシーン、そしてフリークスたちの『THIS IS ME』は圧巻だった。

正直途中途中モヤモヤしたところはありましたよ。マイノリティの扱い方とか、ストーリー展開の不自然さとか、主人公の人間性を描ききれていないというか(そもそも描こうにも彼は所詮成功者コンプレックスの嫁バカファンタジー野郎でしかなさそうだし)。社会性とかヒューマニティとか大切にしたい人には、全く感情移入できないであろうことは想像に難くない。

ていうか、感情移入要る?

目の前に豪華なショーが繰り広げられているのに、いちいち感情移入要る?
ミュージカルだもん、音楽に浸ればいいじゃない?
しかもこの作品って、映画を観ている自分と、ショーのオーディエンスがシンクロしちゃわない?!
よってもって感情移入させられるのはこのすばらしい楽曲と大衆じゃない?!
気づいたら熱狂の渦にいるじゃない?!
お得でしかない!さいこうー!!

とまぁ、些細な燻りが生じても、次の楽曲の熱量に一瞬にして燃やし尽くされるわけです。

エンターテイメントが成就していくためには、“熱狂と喝采を得ること”と“人を幸せにすること”が交錯し、ショービジネスとアートが交錯する。その絡み合いのなかで、大きな錯誤や解離が起こった時には悲哀や批判が生まれ、一致したときには幸福や富や名声が生まれるということを現実味を持って描いていたと思う。

終盤、“誰かの私利私欲で始まった興行だったとしても、自分がつかんだ居場所、自分が過ごす場所になった、だから、やめない、降りない・・・”というフリークスの姿があった。誰かに言われてやることじゃない、誰かの期待に応えるためでもない、自分たるために、自分を守るために。

興行を起こす動機づけなんて、一個人のほんとひとつの欲望。理想の世界観を具現化したい、お金儲けしたい、名声がほしい、誰かを驚かせたい、誰かを幸せにしたい・・・。私欲がエンターテイメントの原初であることがあたりまえに描かれていて、決して崇高でないところはリアリティ。そしてそれが馬鹿馬鹿しく滑稽でも、そのひたむきさとアイデア・センスは確かに人の心を打つ。

さらにそれが興行となって続いていくうちには、様々な人の思惑や自己実現が次々と内包されていって、ひとつの船のようになって進んでいく。エンターテイメントにはその多様性を抱えながらそれぞれの目的を叶える力があって、船が走り出したらもうショウマストゴーオンなわけ。ショーがショーたるためのエネルギーは、取り巻く人々の目的や意義の多様な熱量であり、それは時として混沌ですらあるけれど、成功のために進む。そうチカラワザで描いて肯定している。ショウビジネス・エンターテイメントの全肯定。そこに熱狂させられる一員でしかない、ワタシも。

最後に言い残したい印象的なシーンは、バーナムがチャリティを迎えにいく再生の時。淡いオレンジ色の残照にたなびく青みを残した雲、そこにチャリティの水色のショールも、雲と水平線と重なり合って風にたなびいて・・・エモい!エモすぎる!(←語彙力)。パワフルな歌と踊り、強いライティングや鮮やかな色彩で見せてきたと思いきや、こんな感傷的な見せ方をされて、もう参りました。

結果的にワタシの嗜好には完全にマッチしていたわけだけど、先から述べているようにエンターテイメント興行を打つことと、それを取り巻く人々の生き様が主題なので、ひとつひとつのミュージカルパートは、非日常的な枠づけがあるショーとして楽しめます。ミュージカルにありがちな何気ない日常会話を歌い上げちゃう不自然さ、みたいなのが少なく、ミュージカルが苦手な人にも大変見やすくなっております!オススメ!

20180304追記:作品中レベッカ・ファーガソンの独唱シーンがあるんだけど、この歌ってどこぞの歌手の方が吹き替えてるんだそうで!レベッカ・ファーガソン上手すぎか!と驚嘆しつつ感動していたよ。その一方で、空中ブランコのアンを演じたゼンデイヤは、エアリアルのシーンも歌もゼンデイヤ自身が演じているそう。「本物を見せたい」と言ってやっていた興行に吹き替えを使って、「低俗な偽物」と評されたショーはホンモノで挑む。このカラクリに気づいたとき、まんまと一杯食わされたような気がした。もちろんどっちも素晴らしかった。本物だろうが偽物だろうが、観客が満足すればそれはエンターテイメトとして成功しているんだというバーナム(作り手)の自負を見せつけられたようで、ちょっと悔しいけれど、でもますますこの作品が好きになったのでした。