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「べき」の功罪

世の中には、「べき」で溢れている。

男は奢るべき、学校にいくべき、大学を卒業したら働くべき、日本人は時間厳守であるべき‥。

べきだらけだ。

頭の中の「べき」に支配されている人々は、ナゾの義務感にかられている。その義務感は幻想にすぎないのに。

「べき」に当てはまらないと自己嫌悪に陥り、他人に「べき」を押し付けたりもする。

こうして「べき」はインフルエンザウイルスのように瞬く間に広がっていくのである。

べき論者は自ら「べき」という鎖で、自分を縛りつけていることに気付いていない。そうして、いつのまにか縄はどんどん頑丈なものになっていく。べきの世界にはまってしまうと、なかなか抜け出せない。まるで底なし沼かのように。

誰がべきの世界に引き込んでいくのか。親である。

親にこうするべき、ああするべきと、幼少期にべきを押し付けられる。そして、気付かないうちに自分の頭の中はべきで侵されてしまっている。そして、友人や新しい家族にも受け継が継がれていくのだ。

ぼくは幸いにも「べき」とは無縁の家庭環境だった。たが、たまに周りの人からべきを押し付けられそうになる。

ある友人には、「友達なのになんで〇〇してくれなかったんだ‥。」

と言われた。彼の中では、友人は〇〇すべきという「べき」があったのだ。そして、そのべきをぼくに押し付けようとしてきた。僕は幻想に惑わされない。

「べき」に囚われている人は精神的に不自由だ。頭の中のべきをゴミ箱に捨てたら、心が楽になるだろう。

べき論は、何も個人間だけの小さな世界での話ではない。話を広げると、世界規模にも通ずる。

現に、世界中で様々な「べき」が淘汰されつつある。

性別はこうあるべき!は排除され、LGBTQに向けた思想や法整備が各国で進んでいるし、

女性はこうあるべき!は排除され、フェミニスト運動など女性の社会進出は進んでいる。

歴史をみても黒人はこうあるべき!やというべきは排除され、奴隷から解放された。

まずは個人レベルで「べき」を排除していくことが世界平和への第一歩なのかもしれない。

頭の中に溜まっている「べき」は、ゴミ箱に捨てよう。

べきは諸悪の根源だから。

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