イングリッシュブルーベルのうみ 第玖話

「意地汚く貪っては、骨を喰わず肉だけを喰う者を連れて行けると本気で思っているのか?」

残酷な言葉、無慈悲な宣言、温度も感触もない、只繋げられた言葉と言葉。だが、それが、今この空間における最もな正解である事に異論も反論もないのが滑稽で仕方が無い。

「ー」
「だが、俺達は此処に来ただけだ…行く先々を選定し、未来を定めるのはお前達自身だ」
「自身達が選定したとし、辿り着いたと豪語してもそれが観測者に因って定められていたとしてもか?」
「言うね、だが、その通りだ…俺が今こうしてお前に言葉を述べているのも、足早に立ち去るお前を黙って見送らずに追い掛けたのも姿見せぬ在るのか無いのか居るのか居ないのか、形すら分からぬ観測者に仕組まれているからなのかもしれない」
「ー」
「そして、その観測者はお前等が形の無い愛と偽って魂までをも捧げている、ハギではないのは明白だ」


まだ、若干手が震えている。恐らく、いや、多分、確実に絶対に。先刻まで相対していた人間は見透かしている、歪さと脆さと美しさを偽り装った儚さを。だが、此処は私だけの私の為に造成された楽園。花は咲かなくとも花は咲く、枯れども花は咲く、犠牲に犠牲を重ね、犠牲の上に犠牲を積み重ねた犠牲という名の土を積み重ね続ければ、花は必ず咲く。これまでもこれからも、形なき永遠は此処に居て此処に居る。

「ハギ、入ってもいいか?」
何時もならば、応答無しに襖を開き、自身の元へ歩み寄る。だが、問うてきた。恐らく、体を繋げ始めてから幾月か久方振りに。
「…ど、どうぞ…」
襖を開いたレオはハギが怖がらない様に怯えない様、懸命に感情を落ち着かせ、一歩と共に一呼吸意識的に呼吸を繰り返した。
「今、見送って来た…また、次回と言っていたが明確な日付は提示して来なかった…恐らくは、直ぐではないと思うが」
「…どうして…なのかしら…」
「その前に、ハギ」
「ー」
「分かっているとは思うが、昼間の一件についてもう少し詳しく聞かせてくれないか?帰って来たら直ぐにこの騒ぎで始め頃しか聞けなかったからな」
「ー」
「何故、ワタルに逢いに行ったんだ?逢いたい理由を教えてくれないか?」
「…いるでしょ?」
「え?」
「もう、気付いているのでしょう?私が起こしていた奇跡は奇跡ではない事に」
「ハギ…」
「貴方はそれを信じたくなくて否定したくて、ワタルを痛め付けてた…初めから、私を断罪すればよかったのに…」
「唯一無二の君を断罪するのは、神を冒涜するに等しい…そんな事は出来ない、決して」
「だったら、ワタルを痛め付けないで…あの子を戒めの対象にしないで…」
「だが、ワタルの母親役の女は父親役の男を殺した、安寧と均衡の為にと与えられた大切な役を二人揃って放棄した…決して、許してはならない…だが、二人は既に此処に居ない何処にも居ない、それならば、二人の子の役を宛てがわれた…」
「私は、もう名前を見付けられないの!!!!」
「…ハギ…何を言って…」
「日に日に、名前を見付けられなくなっているの…救済の為には必要不可欠なのに…それなのに…それなのに…」
「ハギ…君が名前を見つけられないなんて事がある訳ない!!君は…」
言葉の代わりにソレを投げ付けた。微妙な駆け引きと取り繕いの偽装工作、彼は何処で気付くか?何処まで気付かないのか?何処か気付いても気付かない振りをするのか?宛てがわれた役に呪われた、哀れな子よ。半歩有利なのは、やはり、天秤に一枚の光り輝く鱗を乗せた人魚だ。
「…最近、ずっとこれを…気が付けば、これを描いているの…これ…何なの…私、どうしちゃったの…此処は…安全で…此処は永遠で…みんな、幸せで…笑顔で…」
「ー」


「おこんこんさ、いっちょあけてみぃや」

まさか、本当に足音も無く訪れるとは。日陰を歩く事を半ば強制的に強いられた筈にも関わらず、来訪を告げる声音は明るく弾んでいた。

「何故、我々の元へ?」
「君達は所詮、他人だ…他人に視線を送る必要も無い、他人を気掛かりにする必要も無い、他人は他人、何時かの何処かで関わりがあるとすれば話はまた別だけど、今の所は皆無」
「ー」
「と、我が主が申していたからね…だから、我々も君達を只の他人と認識する事にした」
「ウィスタリアの瞳を持つ、君の名は?」
「初めまして、−髙月 頼遥 (タカツキ ヨリハル)−と申します」
「僕達は他人だから、それは本名という事かな?」
「ご想像にお任せします」
一坂は横目で、三角を見たが当人は何と無しの予期が当たったのか然程興味は無さ気に煙草に火を付けながらも先に言葉を発した。
「髙月…いや、瑛未の目的はあれか?ワタルに逢いたいのか?」
「えぇ、この近くに住んでいるというのは把握しています…出来たら、早々に逢いたいのですが…如何せん、識別に必要な顔が分からないので」
「どちらだ?」
「何がでしょう?」
「−人魚−か?−車椅子と扉−か?どちらを目指している?ちなみに、俺が聞きたいのは髙月のではなく、瑛未が目指しているものだ」
「他人の貴方が此処まで関心を寄せるとは…幾多数多の通り目の一つ同士にしか過ぎないのに、逆にお伺いしても?」
「俺の質疑に応えたらな」
「応えは分かりません、瑛未からはこの絵を描く者を端から端まで探し出す様に命を受けたそれだけなので」
「…つまり、車椅子と扉か…」
「おや、その口振りからすると貴方の通り目は随分とコレに興味や関心が?通り目全体で?国で?個人で?団体で?」
「七人」
「七…人?」
「僕は三人、いや…この間ので…四人か」
「四人…?」
「俺達は互いの本名を知らない」
「はぁ」
「俺達の通り目は電子技術が著しく発展する事に成功した通り目で小さな端末一つで赤の他人と秒で接触する事が出来る不純な通り目だった」
「僕は小学生の時、彼は中学生の時にこの絵に出逢った…出逢いの形はそれぞれだった、僕は学校の帰り道に彼は課外授業の時、だったけ?」
「あぁ」
「僕はコレが初恋だと自負している…愛おしくて愛おしくて仕方が無い…朝も昼も夜も、ずっとずうっと…だけど、僕達の通り目ではコレは殆ど認識されず、寧ろ、物質的な何かに愛情を感じたり傾けたりする人間は軽蔑され、侮辱され、迫害された」
「哀れな通り目ですね」
「幾度かの内紛に大戦、戦争を経験しながらも、此処の様に完全に遮断はせず、敗北という名の傅きを選んだ通り目だからな…平和と豊かさを引き換えに何かを見失った、その何かを見つけ出せずに自傷を繰り返す…確かに、そんな…哀れな通り目立ったのかもな」
「だけど、貴方達は出逢えた…どれ程の規模の通り目か然程興味はありませんが、素敵な確率なのは、間違いないのでは?」
「僕はそう思っています、彼…三角はどう思っているのか分かりませんが」
「一坂と行き着きたい到達点が同じでなければ、俺もその確率は歓迎するがな」
「行き着きたい到達点…あぁ、それがコレなのですね…しかも、自身が描くモノではない第三者が描くモノか…それはそれは、厄介此処に極まり」
「それなりに愛したさ、描いてくれると信じていたから…何が悪かったんだろうな?未だに、答えが見つからない」
「愛された事が求められた事が只の一度も無い人間が、誰かを愛そうとするとどうしても結末は一つにしか辿り着けない」
「それでも、貴方達は一時的でも幸せだったのでは?結局は満たされないと分かっていても」
「否定はしない」
「左に同じく」
「三角と一坂、君達は何を代償にこの通り目に?」
「「命」」
「誘い者は?」
「「知らない」」
「知らないのに、ぶっ飛んだお誘いに齧り付いたのですか?ほへぇ」
「ある日、−恋を愛に挿げ替える魔法を教えてあげましょうか?−という手紙が届いた…俺達以外にも後二人、受け取った人間が居たが成功したのは俺達だけだった…一人は途中で、一人は辿り着いたと同時に…あれは、流石に引いたな」
「一瞬だけ、考えはしたけど…誘われたのは初めてだったし、もう既に修正も是正も叶わない人生だったからね…それよりも、僕達はワタルを見つけ出す事に成功した…今はその充足感で、取り敢えずは満たされているかな?」
「ー」
頼遥は目を閉じ、小首を傾げ、瞬間で言葉を纏め上げると嬉々とした満面の笑みを浮かべた。
「お二方の天国にしませんか?此処を」
「「は?」」
「先程、対面し、酷く違和感と苛立ちを感じたのです…あぁ、これはどうにかこうにか…でも、決定打がないな…瑛未に相談すべきか…否か…だが、よい解決法が此処にありました」
「他人の俺等を巻き込む気か?」
「巻き込むのではありません、提案です…貴方達の決して満たされない渇きが、満たされるかもしれない」
「その為に、ハギを殺せと?」
「瑛未は白乃に未来は無いと断言している、にも関わらず、こんな許されない箱庭を娘に遺している…いや」
「お前も気付いたか?」
「どういった経緯かは知りませんが、相当である事には間違いありません…だが、骨まで喰わずに肉だけを喰い続けた胎はやがて破裂する…綻びは、破断という朝を連れて来るでしょう」

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