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イングリッシュブルーベルのうみ 第陸.壱話

ここに、大きな家がありました。
ここに、小さな人間がいました。
ここに、海がないのに人魚がいました。

「まさか、残っていたのか」
「元冷環家所有の土地だからな、此処までの土地整理をするには相当な時間が掛かるだろう」
「悪い、其処ら辺が補完出来ていないのだが…俺等にも空白の期間が出来てしまう程に、酷かったのか?第二次世界大戦は?」
その問い掛けに、シズクは歩みを止めた。不意の立ち止まりではあったが、早目に気付けたのでソニアも距離を取りつつ、立ち止まった。
「酷いなんて言葉で済めばいいものだが、言葉では言い表せない世界が其処には確かにあった…俺は慣れているが、只の人間で耐え切れる人間は誰一人居ない」
「ー」
「気にするな、循環の理に俺が首を横に振った罰の果てに俺は此処に居て此処に居る…お前が産まれるのも死ぬのも俺には観測出来ない、だから、当て所無くお前を探し求めて彷徨う…永遠に」
「…定型の俺なら、−見付けてくれて、ありがとう−と言っているだろうけど…すまない、まだ言葉が言い表せない」
振り返り、シズクは笑った。悲しく、只、悲しく。ソニアは視線を逸らしたくなかったが本能は視線を逸らす事を当然選んだ、簡単に掌握出来る行動選択に悲しく笑っていた筈なのに一瞬目を丸くし、笑みは既に苦笑に変わり、シズクは再び歩み始めた。
「あの当時、冷環は絶対的な権力と土地を所有し、人間も相当な数を抱えていた…だが、ある時を境に冷環の権力は転げ落ち、無意味に彼方此方で仕掛けては繰り返していた戦争も全て敗北した」
「ある時って?」
「−北への到達−」
「北?この先の?」
「あぁ、だが、この件に関して冷環は関与はしていない」
「関与していない?」
「そう、全ては此処…」

二人が辿り着いた場所、林の先の先、森の奥深く、森と森に囲まれた作り人知らずの道の果て、不意に差し込まない筈の太陽光が一気に差し込んだ。その眩しさに自然と目が眩み、ソニアは慌てて掌で影を作り、ゆっくりと瞬きし、視界を慣らさせた。光に慣れた視界の先、其処には平屋造りの大きな大きな家屋が在った。時がその瞬間に止まったかの様に、鬱蒼と生い茂っていた筈の雑木林は一流の剪定師が整えた様に、咲き誇る花々は一流の庭師が整えたかの様に。財を成し権力を掌握した者にしか成せない、ありとあらゆる全てが、栄華を開花させ、形の無い永遠を具現かしたかの様な勘違いを引き起こし兼ねない程の。

「冷環に傅き、彼等は名を与えられた、与えられた名は−白乃(シラノ)−」
「…シラノ…」
「此処を捨て、主である冷環の静止を無視してまでも北へと歩を進めた理由…」
「中に入るのか?」
「何か問題でも?俺達には此処の常識や倫理に観念は何も通じないが?」
「いや、手紙には具体的な期日は記されていなかった…だからこそに事態が急加速している可能性もある、急いだ方が…」
「状況確認だけだ、時が静止したかの様に視える程に溜まりに溜まりきった思念と欲望の残像…長時間留まれば、嫌でも巻き込まれる…そんなのは、真っ平ごめんだ」
「ー」

開きっ放しの玄関から土足で入り、長い長い廊下、豪奢な家具がそのままの洋間、貼り替えたばかりの様に芳しいい草の香りがそのままの和室、居る筈もない子供達の無邪気な遊び声が響いたかの様な幾多数多の遊具に砂場が広がる庭、他愛もない会話と取り留めのない会話が幾つ折り重なったかの食卓、ありとあらゆる部屋が次々と姿を現した。

「…一体、どれだけの人間が此処に…」
「白乃、だけではなさそうだな」
「え?」
「憶えているか?駅近くの通学路に立ち寄った時に聞いた女学生達の流行り悪戯の話」
「あ、あぁ…珍しく、君から話し掛けに行ったなとは思ったが此処と何の関係が?」
「流行り悪戯は流行り悪戯のまま、風化しつつも確かに存在をし、今も此処に在る…」
言いながら、シズクは懐からソレをソニアに差し出した。小首を傾げながら、受け取り、丁寧に折り畳まれた紙をゆっくり開き、其処に画かれたモノに小さく目を見開き、凝視した。
「…有り得ない…」
「この辺りの子供達の間で密やかに−コレを一週間描き続けると、未来の自分に出逢える−という流行り悪戯が流行しているそうだ」
「そんな!!…悪い、大きな声を…」
「気にするな、俺だって、叫んで良ければ叫んでいるさ」
「…こんな…下らない…そんな事の為にこの絵は存在しているんじゃない…」
「ちなみに、この絵を描いた女学生は描いて八日目に自殺」
「ー」
「統括管理を任されていた家の代表が、血眼になって自殺との因果関係を調査した後に緘口令まで強いた…そんなものに屈する筈もない子供にまでだ…だが、従わずに描いていた子供達が十日程前に見つかり、捕縛…」
「殺したのか?」
「いや、一家丸ごと周辺地域からの追い出しの命が下ったそうだ…しかも、保証書無しの」
「事実上の死刑宣告だな…これは、その自殺した女学生のか?」
「あぁ、自殺して二日後辺りに友人宅の郵便受けに投函されていた様だ…自宅は二軒跨いでの近くだから、直接渡せばいいものを…未だに友人は其処が解き明かせずに居たらしい…だが、何時までもコレを隠し持つ訳にはいかず、奇跡的な巡り合わせをこれ幸いにと俺に託した」
「ー」
「ー」
「…わたしはであえました…」

わたしはであえました
わたしはしあわせです
わたしもしあわせです
わたしがしあわせです
なかよしこよし
いつまでもいっしょ
いつまでもずっと

「…何か、何処ぞのお目出度い奴等を思い出すな…」
「敢えて、名を明かさないつもりか?」
「言わずもがな」
「ー」
「だろ?」
「全く…しかし、彼女はどうだったか余計に分からなくなった…自死を選択しているという事は現状からの回避が目的の究極な選択で、必ずしもこの言葉の様に現状を迎合している訳ではない」
「子供だから、という言い訳は?」
「だとしたら、精神年齢を持たない産まれたての赤ん坊だ…あの年代ならば取捨選択に因ってもたらさせる結末は大凡想像が出来る年代な筈…何故、自殺を…」
「真面目だな」
「茶化すな、死を軽く扱う事を俺は許さないし、腹ただしいと感じる…それだけだ」
「…そうか」

何時の間にか不意に、地下に通じる階段が二人の前に現れた。薄暗く、物音一つしない、完璧な暗闇が降りる前から目視で認識が出来た。

「ー」
「あまり、一人にしたくはないが…まだ踏み出せないなら、お前は此処で待っていろ」
「いや、一緒に行く…自分自身で全てを認識したい…が、悪い…」
「ん?」
「…を…って…ないか?」
「え?」
「手を、握ってくれないか?帰り道に迷子にならない様に、誰かの体温があれば迷わずに帰れる」
「ー」
「…気が…する…」
茶化す事無く、笑う事無く、シズクはソニアの右手を掴み、指と指を絡め、強く強く握った。赤面し、俯いたままでシズクの無言の返答を受け取ったソニアも指を絡め返し、強く強く握った。

その目の前の、懐中電灯で途切れ途切れにしか確認出来ない光景をどう言葉にすればよいのか。流石に、瞬時に言葉は見付からず、より絡め合う指と指の力が強まっただけだった。

血痕の痕だと瞬時に判断出来る天井と床と壁、至る所に拡がる無数の染み。器用に設けられた座敷牢の木枠の格子が左に五つ。右に六つ。そのどれにも残る幾千の引っかき傷、そして、時が果て様が褪せもしない誰かの歯型。格子を開き、中に入ると惨状はより色濃く残っていた。何を用いたか分からない、遺せたか分からない、それでも誰かに向けた救いを求める言葉、後悔の言葉、恨みの言葉が無数に連なっていた。

「…此処まで堕ちるとは…」
「ー」
踏み入れた瞬間には分からなかったが、靴裏が何かを踏み締めている感触がした。虫でも鼠でも骨でもない、紙を踏む感触だ。シズクはその場に立ち止まり、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出し、五秒ほど目を閉じた。
「シズク?」
「ソニア、背を向けてくれないか?」
「え?」
「お前だと、瞬間で向側に連れて行かれるからな…確かめるのは、俺だけでいい」
その視線が本気だと感じたソニアは何かを言い掛けながらも一瞬、手を離し、シズクに背を向けると手を繋ぎ直した。背を向けたと分かり、シズクはゆっくりと閉じていた瞼を開き、其処に向けて光を当てた。懐中電灯で照らした先、其処は一面に−車椅子と扉−が描かれた紙が散らばっていた。描いた人間の性別も年代も褪せ具合も筆圧の強弱も一つとして同じのは無かった。ソレと目を合わせた事に因り何かが引き起こされるかと懸念していたが自然な時の経過のお陰か、ソレは只の誰かが描いた絵に成り果てていた。
「アレか?」
「あぁ、アレだ」
「…生きているか?…」
「いや、あまりにも時間が経ち過ぎて只の絵に成り果てている…可能性がある絵もあったかもしれないが、誰も迎えには来ていないな」
「つまり、迎えが来ない事に痺れを切らして自ら歩を進めた?だが、何故、北に?東西南の可能性もあるかもしれないのに?」
「逸話だが、白乃の始祖に当たる者達が北に到達した話が残っている…それが、事実だという事が決定的になるな」
「其処で、何らかの確証を得た?だが、得たのであれば其処に居続ければ良かったのに白乃は其処を離れた…離れなければならない何かがあった…」
「流石に、始祖代の出来事まで遡る気はないが…ん?」
言いながら、シズクは絵と絵の合間に何かが挟まっているのを見付け、無意識に絡めていた指を解くと膝を折り、絵を除けながらソレを掴んだ。
「ー」
「何かあったか?振り返ってもいいか?」
「単なる物質だから、問題ないか…あぁ、問題はなさそうだ」
ゆっくりと振り返り、なるべく絵が視界に入らない様に俯き加減になりながら、ソニアも膝を折り、シズクと目線の位置を合わせた。
「コレは…あの動画を配信していた…これは何だ?身分証明書か何かか?」
「あぁ、他にも仲間か友人か、それとも只の連れ合いのか…」
「有り得ない、仮にも十二年前に行方不明なった人間達がそれよりも前に消失した家屋に…況してや…可能性があるとすれば…」
「…−通り目−を扱える者、或いは周知している者…」
「…何て事を…」
「お前の言う通りだったな」
「え?」
「どうやら、事態を引き起こした張本人が張り巡らせた仕掛けを軽く飛び越えて、最悪に転げ落ちている…結末は確定した、俺達は其処に向けて歩を進める」
「ー」

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