見出し画像

イングリッシュブルーベルのうみ 第参話

黒髪が、とても綺麗で。好きと嫌いを怖がらず躊躇わず恐れずに、はっきりと主張し。それでも、誰かの、大切と認識した誰かの為ならば自己犠牲を厭わない。

−ね、朝はちゃんと君の所にも届くわ−

あんなに綺麗だった黒髪なのに、振り乱して掻き乱して、意味も無く、毟って毟って引き抜いて。

「ー」

背後で聞こえた、鈍い音。上から下に、何かが落ちて潰れる音。風が無いのに鼻腔をくすぐった、あの臭い。でも、振り返られない。裏切ったのは、自分自身だから。

−お願い、教えて…お願い、聞かせて…−

懇願か意地か、女は何時も其処が分からない。愛という前提があるからと意固地すれば、それは只の愛に成れる。愛を残酷に便利に器用に使い分けるのは、やはり、何時も女だ。

「死んだよ、あの女は」
「!!」
「女の事、考えていたんだろ?お前は何時も分かりやすい…何を考え、何処を見、何を思うのか」

てっきり、視線が此方に向いているのかと思った。が、眼の前の、向かい合って座る人間?は此方を見ていなかった。何時も通り、真っ白な便箋に鉛筆を走らせていた。ゆっくり、時々、早く、また、ゆっくり。再び、何かに急かされる様に。

「ー」
「−ソニア−、俺達には他者との無用な馴れ合いは不要だ…俺とお前、お前と俺…昔も今も、これからも、二人だけで…ずっと」
「ー」
「ま、この押し問答も何回目やら、な話だけどな」
「…−シズク−…」
「そうやって、憂いた顔で俺の名を呟いて子犬の様な眼差しで俺を見つめる…そして、俺は只只、不必要な苛立ちを感じ始める」
言いながら、シズクは手を止めると徐ろに紙を破き始め、列車の窓を少し開けるとそっと握り締めた右手を外に出し、小指から一本ずつ開き、それと共に千切れ去った紙の破片を合っているのか合っていないかの焦点で見送った。ソニアは横目で千切れ去って居なくなる紙達を見送った。
「過去を振り返っても仕方がない、俺達には未来しかない」
「ー」
「しかし、正直な話、俺自身も今回の−手紙−については驚かされた…まさか、二通も存在するとは」
「二人、居るという事か?」
「有り得ない、−人魚−は始まりも終わりも唯一人…希望も絶望も与えるは其の人、唯一無二の唯一人」
「可能性も疑問も果ても終わりもなく、浮かんでは沈む…それで、その場所は?」
その言葉を予期していたかの様に、シズクは左手に小型の映像再生機、右手に紙束をソニアに差出した。言葉よりも文字と映像があれば、信憑性はより増す。ソニアは紙束と再生機をゆっくりと掴み、再生機を傍らに置き、紙束を一枚捲った。其処には、新聞や週刊誌の切り抜き、紙束の作成者の文字か手書きの人物相関図や地図の様の図柄、駅舎の文字が並んでいた。
「作成者は、一週間前に死んだ」
「自殺か?」
「いや、単純な老衰」
「…そうか…良かった…」
「…始まりは、次女の行方不明だそうだ」
「行方不明?」
「大学進学を機に家を出た次女が二十歳の時に下宿先に帰らず、大家が実家に連絡し、警察にも通報したが、次女はそのまま行方知れず」
「…それが、四十年前…」
ソニアの指先は丁度、四十年前の黄ばみ、薄汚れた小さな新聞の切れ端に辿り着いていた。「ー大学二年生ー行方知れず、昨夜下宿先、戻らずー」
「当然ながら、父親は次女の行方不明を受け入れられず、警察の当てにもならない経過報告も聞き流し、独自に自身で次女の捜索を始めた」
「次女、という事は、長女は?」
「三歳年上の姉が居たが、次女が十五歳の時、姉は十八歳で死亡している…事故らしい」
「…らしい、という事は?」
「長女とはとある一因が起因で、両親共に彼女を否定したらしい…一応の世間体で、高校卒業までは養い…卒業と同時に家を追い出される…だが、その期日を翌年に控える、前年の十一月に彼女は家を出たそうだ」
「何処で発見されたんだ?」
「海岸」
「それは事故ではなく、自殺では?」
「俺もそれは当人に説明したが、頑なに否定された…命尽き果てる、その間際でも彼は世間体が大事で其処にしか縋れない哀れな末路だな」
「四十年近くも…生死の認識が出来ていないからとはいえ、執念を通り越しての妄執だな…寒気を感じる」
「全くだ、母親も長女の葬儀では泣き喚き散らかしたそうだが、家族の歪さは周囲に駄々漏れだったらしい…次女の失踪後に夫婦は夜逃げ同然に自宅から姿を消して、父親は文書で勤め先を退職した様だ」
「よく調べが付いたな、生き証人でも居たのか?」
「過疎化が著しい地域だったが、幸いにも三軒斜め向かいに住む人間が人間関係の拗れ捻じれ捩れ解れが大好きで、ご丁寧にも日記にまで書き留めていた」
「日記の存在を他に知る者は?」
「警察は勿論、それ等を飯のタネにしている輩も知らない…あくまで個人の趣味らしい、その時までは」
「その時?」
「定年退職した旦那、家を出た途端に他人同然で何もかも見返り無しの子供、重ねれば重ねる程に増していく無意味な薬物接種」
「金か?」
「正解、全く何時の循環でも人間は人間で造成した幻想に天国を夢見て地獄で眠る」
「警察でも報道でも、況してや、週刊誌でもないなら誰に日記を売ったんだ?」
シズクは言葉ではなく、空になった右手で一枚の紙をソニアの眼前に突き出した。突き出されたのが至近距離だった為、ソニアは首だけ距離を取り、左指先でそれを掴み、凝視しながら紙の表裏を眺めた。だが、あまりにも理解が働かず、ソニアはシズクを見返す事しか出来なかった。
「名刺、という事は理解したが…こんな、ふざけた名前は…流石に…本名ではないよな…?」
「世間では、まだ其処まで蔓延っては居ないが映像で主義主張を吹聴する先駆者?らしい…後、十年…遅くとも、二十年後には自分達はこれのお陰で億万長者に成るとか宣言していたな…」
「こいつは第三者なのか?まさか、遠戚?」
「全くの部外者だ…どうやって、四十年も前の出来事に触れ、此処にまで辿り着いたのか…父親の書き物にも一切書かれていない」
「確かに、細部まで読んでいないから何ともだが新聞、週刊誌も数ヶ月で途切れ、殆どが父親の…独白的な文章と、想像を四割占めている様な勝手気ままな人物相関図を描いている…」
紙束を置き、映像の再生機を掴むとソニアは再生ボタンをゆっくりと押した。

「ども!!この映像をご覧頂きあざいます!!」
「さて、映像をご覧頂いてる、其処のあなた…−この絵−をご存知ですかぁ?」
「これは真密やかに囁かれている、新たな都市伝説…政府の裏陰謀や、海外の裏工作、はたまた地球外生物の密かな干渉…いや!いやいやいやのいや!!これはそんな小難しく面倒ではない!!」
「もっと簡単で、しかして、もっと複雑!!」
「果たして、誰が最初にこの真実を発掘する事が出来るか!?それが、我々!!ー」

「さて、前回の投稿から半年経過しましたが、我々はついに!!ついに!!発見しました!!」
「これは、当時高校一年生の女子生徒が描いた作品、惜しくも佳作だったが為に学級新聞止まりでしたがついに見付けました!!よく!よく!!よぉぉぉく見て下さい!!この右端に描かれているこの絵!!!」
「そして、この女子高生の足跡を探すと何と!!十七歳で家出!!十八歳の誕生日を迎えて四日後に海岸で遺体で見つかったらしいんです!!!」
「更に更に更に!!妹も二十歳の時に行方不明!!奇怪な運命に巻き込まれた家族は夜逃げ同然に忽然と姿を晦ましました!!さて、長女の家出と海岸での遺体発見、次女の不可解な失踪…果たして、これは何の因果か運命か因縁か…答えはそう!!彼女達の実家にあるのです!!」

「さて…深夜なので…此処からは最小限の会話のみでお送りします…皆さん、より現実味が増してきますよぉ…」
「此処が先日お伝えした、姉妹の実家です…かれこれ三十年以上放置されている為に…こんな感じです…あぁ、凄い雑草が…先程から小雨が…臭いも何か…近所の方の話によると、取り壊しを希望している様ですが…何せ、姉妹の両親とは連絡が付かず…着きました、それ程、広い庭じゃない筈なのに…玄関は…当然閉まってますね…裏に回りましょう」
「今…裏に…台所?…勝手口…かな…開いてました!奇跡です!もしかしなくとも、姉妹の無念の思いが我々を導いたのでしょうか…とにかく、中へ入ります!」
「臭いが特に…此処は…もしかしたら、食料もそのままか…うへぇ…皆さん、もしかしたら、あれやこれやらなんじゃこらな何かまで現れるかもしれませんので…うへ…映像を止めたい方は止めて大丈夫です…うひゃあぁ…」
「今、一階の探索を終えて、二階に上がりました…扉は四つ…意を決し…一番奥から…はぁぁ、怖いなぁ…よし!行きます!!」
「…嘘だろ…えー…まじか…え、こんなに…えぇ…はぁ…此処まであると…まぁ…うへぇ…えー…」

「えー、皆さん、今、帰りの車中です…正直迷っています、皆さんに真実をお伝えしたい…それが我々の役割だと思います…只、これ以上を追い掛けた先が想像以上のとんでもない事になりそうな予感がします…しかし、我々の判断だけではどうにも出来ません…其処で!!一万人!!皆さんの真実の追求を求む声が集まり次第、我々は長女の
部屋で見付けた、この絵と共に書かれた場所へ向かおうと思います!!!!」

「ー」
「これが、十二年前の映像…そして、一万人の名も無き、真実追求の署名は二週間と十日で一万人を軽く越えた」
「この投稿者は?」
「動画作成者の仲間数人と共に消えた」
「…まさか…」
「乗り捨てられていた車中に音声録音だけが、唯一残っていたらしい」

−え?映像機動かない!?嘘だろ!?映像なきゃ、誰も見てくれないって!!勘弁してくれよ…止めよ!!帰ろう!!どうせ、同じ奴が面白半分に何回も押したんだろ!!分からないままで濁した方が視聴者だって…!!あ、どうもぉ、いえ、此処が映像を撮るのに…はい?え?…−

「途切れた」
「痕跡は一欠片も無く、通り一遍の捜索を終えた後に失踪宣告が下り、現在に至る」
「家族は?まさか、あの家族と一緒の末路か?」
「歯痒い思いは在る様だが、理由が理由だからな…軽犯罪を犯した身内を庇える程に強固で強靭な家族は存在しない…他人より少し距離が近い、それだけだ」
「…何なんだろうな、家族って…」
「さぁな、俺達が永遠に解き明かしてはならない謎なのかもな」
「ー」
「そして、父親の元同僚の子供が動画を偶然にも発見し、何となしに話題を持ち掛けて、元同僚が慌てて連絡したらしい」
「連絡が取れる他人が居たのか?」
「詳しい経緯は不明だが、連絡が取れたらしい…その後、父親は数十年振りの自宅へと密かに戻ると何時の間にか自宅の在りと汎ゆる所に隠れていたコレを回収した様だ…数十年前も空き家から半狂乱の叫び声がすると警察に通報が入る程に、父親は喚き散らかしていたそうだ」
「警察には?」
「近くの交番で軽い事情確認はされた様だが何せ家主だからな、口頭注意だけで即日解放」
「あまりにも事象が複雑化し過ぎている、後戻りは勿論だが修正も是正も出来ない…それでも、人魚は居るのか?」
「居るからこそに手紙が届いた…二通の謎掛けは到着してからだな、趣旨替えと笑って済めればこれ以上簡単な話はないんだが…」
「ー」



初めて、娘が描いた絵は妻でも私でも無かった。

身内には居なかった、それが余計に薄気味悪さを増長させた。絵本でもテレビでも、何処にもソレは無かった。薄気味悪さだけが、色と形を音も無く形取る。

娘に問うても、間抜けで阿呆な笑顔と嬉し声で誤魔化されるだけ。この時点から、私の娘に対する愛情は尽き果てた。

紙を与えなかった、破り捨てる暇が惜しいから。

鉛筆を与えなかった、描き始めの音を聞いた瞬間から叫びだしたくなる程に不快になるから。

娘は只管に−車椅子と扉−の絵を描き続け、十七歳の秋に行方不明となり、十八歳の春に海岸で死んでいた。−車椅子と扉−の絵を握り締めたまま。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?