こっそり

大好きなうさぴーへ

こっそりひっそり始めた私のnoteに小さな鍵穴を開けてくれた人があって、ちょっとずつ、それが貫通した穴になりました。だからこそ。知っている人に読んでもらう可能性が高くなったからこそ、私は私のために書くということをもう一度、自分に言い聞かせたいと思うのです。やっぱり誰かに届けたいと思って書く部分はどうしてもあるのだけれど、それでも、です。だからくどいとかしつこいとか考えずに、頭にあることを素直に書いてみたい。前回の最後と同じことで始めます。

狐笛のかなた。ちょっと普通と違う読書感想文をしてみたいと思います。型にはまった読書感想文がどうしても好きになれなかったというのは半分以上言い訳ですが、リピーターにしか書けない、時間を要する読書感想文を。今覚えていることを書き出して、また読んでから読み直す、それだけです。広義の極みを取るならばネタバレが含まれますので、ご了承ください。

1回目に読んだのは、中学生の時だったと思います。読み終わってすぐにもう一度読み返すという、私にしては珍しいことをしたのは覚えています。ただ内容についての記憶は本当に断片的で、狐笛のかなたという本から派生したのだと知らなければ繋がりが見えないような、連想を逆にたどることはできないような断片たちです。そういえば大学数学で、英語からの翻訳なのでしょうか、数や行列などの数学の名詞に「たち」をつけて呼ぶことがしばしばあって、とても気に入っています。

人の心の色が見えるので人混みが極端に苦手な少女小夜と、狐の野火、そして少年小春丸。小春丸についてはほとんど覚えていませんが、なんとなく小太りのイメージがあります。小夜と小春丸が一緒にたべる、くるみ餅。これに憧れて、私はくるみゆべしを初めて食べて、すごく好きになりました。そして食べながら小夜が「けちんぼ」という言葉を使って、小春丸がこの響きを気に入って繰り返す場面。あれ、たしか小春丸でしたよねきっと。小夜のあたたかい喜びとともに鮮明に覚えているシーンです。小夜が小春丸の家の垣根の破れ目を見つけて足しげく通っていたこと。小説の最初の、桜舞う草原で疾風の如く走る赤い狐と、最後の方にたしか森の中を小夜と走る野火も、印象的です。それから小夜が、木組みの(これは私の勝手な想像かもしれません)倉庫のようなところで、誰かに怒られる場面。その誰かは、なんだか信頼できる女の人だった気がします。そうだ、初めの方に、小夜が1人で市場から帰る長い山道を歩く場面もありました。

改めて書き出してみると、大筋は何も覚えていないんですね。記憶に残っていることが果たして正しいのか、読むのが楽しみです。間違っていたら記憶のねじ曲がり方がわかっておもしろいですし、正しければ物語の中に私が持っていたピースをはめ込んで、ちょっと目を離して眺める遊びをします。

本当に冗談抜きに何年かぶりに、小説を買いました。メルカリで、届くのを待っているところです。参考書や実用書は買っても、小説は図書館ばかりだったので。

この記事も、外でスマホで書きました。スマホとパソコン、道具が変われば文体も多少変わると信じてやまない人種でございます。居心地のよい空間に3人、ゲームと音楽と日記と、全然違うことをしながらぽつぽつ話す、みたらしのようなとろりとした時間です。1人が素敵なギターを弾いてくれてとろみが増しましたし、こっそりゲーム音楽を消して後からイアホンを耳に突っ込んでいたもう1人のささやかな優しさに、1人で幸せになりました。

2022/06/17

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