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宵崎奏と『M八七』


遥か空の星が 酷く輝いて見えたから
僕は震えながら その光を追いかけた
割れた鏡の中 いつかの自分を見つめていた
強くなりたかった 何もかもに憧れていた

M八七 -米津玄師

『M八七』という歌がある。

勿論この曲は映画の為に作られた曲であるし、僕がこれから紹介するプロセカの曲と関連性は全く無いに等しい。
だけど、「プロジェクトセカイ」の「25時、ナイトコードで。」のストーリーを見て、自分はこの曲が、どのSEKAI ALBAMの曲よりも「宵咲奏」の曲だと思ってしまうのだ。

勿論これは妄言かもしれないし、解釈は読み手にのみ委ねられる。
だけど、それでも僕は言いたいのだ。
彼女は「痛みを知る只一人」なのだと。

吐き出さずにはいられなかった。それくらい感情がどうしようもなかった。



まずこの記事が何だか解らない、という人の為に簡単な説明をさせて貰おう。
「宵咲奏」とは、ゲーム「プロジェクトセカイ」に登場するキャラクターの一人で、自身の音楽家としての才能が開花したのをきっかけに、それが作曲家の父親を苦しめたという過去を持つ子だ。
「25時、ナイトコードで。」のストーリーはその地点から始まり、そこから彼女は「お父さんを苦しめた自分は、誰かを救える曲を創り続けなければならない」という幻想に執着することになる。
そこから物語は無自覚に死への願望を持つ「朝比奈 まふゆ」と彼女は出逢い、物語はまふゆがなぜ消えたいと思うのか、そしてそれを取り囲む環境の話とシフトしていく…というのが大まかなストーリーだ。

自分の話をすると、何も出来ないヘボ文章書きで、ある機会があって「プロセカ」をプレイするに至った新参だ。ただ、過去に余り良い思い出があるタイプではないので、「25時、ナイトコードで。」のストーリーはかなり共感できた方だと思う。


物語の中で、奏はしきりに「自分の曲で誰かを救いたい」という思いを口にする。だけど、画面の外の我々は知っているはずだとも思う。「人を救う」ということは、自分も破滅するかもしれないリスクを負い、自らを壊すほど辛い行為になるかもしれない、恐ろしい現実を。



実際、奏は物語の中でさらに傷ついていくし、彼女が救いたいと願うまふゆも数々の選択の中で何が最善なのか、何も分からない状況に陥っていく。

ただ、この物語の中で、この画面の外にいる私だけは、『それでも』と傷ついても何度でも立ち上がり、人を守ろうと闘った光の人を識っていた。
ただの、それだけだった。

それならば、私の命を彼にあげて地球を去りたい

こんなことを考えるのは私だけだろうという事も解っていた。
実際、「ニーゴ」のストーリーや我々の住む人間社会は単純な勧善懲悪には括れないほど複雑で、「怪獣を倒して終わり」という簡単な話ではない事も痛いほど解っている。

只、私は思うのだ。
奏の「人を救いたい」と思うそれは――余りにもこの歌詞のそれと酷似しすぎている、と。
これは私の持論なのだが、人にはそれぞれ個別の世界がある。
対峙する要因が何であれ、人は常に、何かと闘っている。

ただ、その中で自分の世界を疎かにしても尚、「誰かを救いたい」と思うそれは……「誰かの世界で闘う戦士」なのだ。
それは決して英雄などではないと、自分は思う。実際彼女も自分を「ヒーロー」などとは思っていない、と文脈を通して勝手に思っている。
ただ、「人は誰でも光になれる」。そんな言葉を思い出すほど、彼女は現代のどうしようもない暗闇の中で光になろうとしているのではないか。
それは一人の人間には、重すぎるほどに。

君の手が触れた それは引き合う孤独の力なら
誰がどうして奪えるものか

これはただの感想だし、勿論、これを読んでいる貴方は書いている私を妄言に取りつかれた可笑しい人だと嗤うこともできる。

ただ、誰に如何言われようとも私はこの可能性を信じている。
彼女はもしかしたら本当の意味で『人間を好き』になるかもしれないという可能性に。

本当に譲りたくないものは絶対に明け渡すな、ということですね。本当に譲りたくないものは、一切譲る必要がない。

「M八七」インタビュー

『光』とは何か、その答えを残念だが私は持っていない。
ただ、この物語の終わりに彼女が「微かに笑える」ようになるのか、これを書いた以上、それを見届ける義務があると思っている。以上だ。


そんなに人間が、好きになったのか

これはただのフィクションにすぎない。
だけど、その「空想」が誰かの光となって、宵咲奏の生きた証が、誰かにとってその光を借りる時が来られる事を祈っている。

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