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間宮改衣 「ここはすべての夜明けまえ」レビュー(SFマガジン2月号)

https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015678/

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自分は倉敷に住んでいるのだが、SFマガジンはそこには置いてない。
なので金欠の中岡山市に行って、ようやく手に入れた。図書館で試し読みをして、それぐらいの小説だと感じたからだ。
なんというか、厚い、というのはよく判った。だけど、不可解さというか、何か自分の中では終盤にかけての方はシュールなギャグでもやってんじゃないか、という軽い薄っぺらさ、というのを自分には感じた。
つまり、この軽い「薄っぺらさ」は非人間性なのだ、と自分は感じている。つまり人でなしと人でなしが二人いて、含蓄から成る人間は独りもいないのでなんか歯に詰まった物足りなさ、というのをどこか感じたのだ。
何が言いたいかと云うと、ト--さんとの最後のやり取りあたりは完全に吹き出してしまった。これが感動できるか?と思ってしまったのだ。人間性がないのはどっちだ。
とはいえ作品の特色は「それ」であり、作者は何も間違ってはいないと思うのだ。只、彼女が最後に取った行動については「そうですね、まぁ無理だとも思うけど頑張ってください」という他人行儀になってしまった。
これは造意的な稚拙さがある、と自分は思っており、恐らく計算されて少し稚拙になっているのだろう、という事は理解できる。
ただ、恐らくこれを考察すると恐らく■■手術というのは、恐らく「人間としての精神の代謝が止まった」のだ。成長、というより人間としての孵化が止まった、逆版アルジャーノンとも解釈できる。
けれども周りの人達のやり取りはまぁなんか、どこか可笑しい、とも感じる。恐怖を感じた人もいるかもしれないが、恐らくそれは読んでいる自分が彼女らとは別の意味で「人間性がおかしい」からだからなのだろう、とも理解できる。

そういえば、結局彼女は■■手術を受けて以降、職業についている描写が一度もない。というか完全に「物」扱いされ始めているのが視えていた。
つまりこれは、「人形になった少女」の一生だったり、するのではないか。
そして人間に成ろうとするところで、物語は終わる。

僕は結構ボーカロイドとかが買われてロボットとして持ち主とともに過ごす系の漫画をよく読むのだが、何かというとそれに近い親和性を感じた。
そういう漫画では大体持ち主がいなくなったら廃棄される…という展開だが、「人間」としての戸籍と身分がある以上それもできない。
というわけで、元人間として機械が動き続けた先に何があるのか…?という思考の実験にこの作品は一定の解を示している、と思った。

これは僕にとっては感動できない作品だけど、傑作だった。
これを読んだ人がどう思うかは解らないし、ひょっとしたら感動した人たちと敵になってしまうかもしれない。だけれども「感動できない傑作」、これは初めての体験だったと思う。


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