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まやかしの崩壊 帝国ジャニーズ

昨今賑わしているこの問題、会見の場で語った内容で最も印象的だったのが、東山が代表取締役社長に就任することに関して、「これは自身の運命で、命をかけて取り組む」と言ったことだ。

現状どれを聞いても皆一様に掌返しで、故人を叩いて、どこか他人事で宙に浮いた責任の矛先を決めなければ気が済まない。

仮にこの問題を夫婦の関係に置き換えてみるとする。
これまでの結婚という制度は、ある意味、男は女を性的奴隷にして、子を産ませ、幸せな家庭を築く。
果たしてその家庭は必ずしも幸せだろうか。
あるいは「まやかし」だろうか。
仮に子も育ち、一応の社会的責任を果たした場合、夫婦関係をまやかす目的を失った熟年の男女は、お互いを褒め称え合えるだろうか?あるいは全てを罵しり合えるだろうか?
代償としてこの世に送り出した愛する我が子を、まやかしの産物と言い切れるだろうか?

会見における東山の言い分は、「喜多川氏」を否定し「ジャニーズ」を存続させたいと。
というのは、ジャニー喜多川が性的に搾取して創り上げたスターや作品はジャニーの子供達であることは疑いようがない。
それを「妻」としてあるいは「母」として受け入れ、「子」としての誕生を否定するということは、半世紀に渡る彼らの芸能人生そのものを否定することに他ならない。
デビュー組で比較的成功しているタレントから告発者が出ないのはそのためだ。
彼らは一様にまやかしのショービジネスが魅せる魔力に取り憑かれている。
つまり通過儀礼として受け入れ、封印することに決めた。
墓場まで持っていくとはこの事だ。
東山も今は子を持つ父親であって分別ある大人を演じてはいるが、会見の一言一句を聞くに、彼も被害者の一人であったことは容易に推察できる。
だったらそれを正直に話せばいいって?
これをどう説明するのよ?
昨今の表向きの聖人君子・清廉潔白を求められるデタラメな限界資本主義社会において、果たしてどんな方便を尽くしても揚げ足は取られる。
もともと芸能の世界ってのは「まやかし」以外の何ものでもなく、芸能や表現という抽象物の創作において、清廉潔白で理路整然と解釈できる作品など誰が感動できるのだろうか。

この話どこまで伝わるだろうか??
ファンだとしても盲信とも捉えることもできるし、時代の急激な変化に対応できない頑固者ですかね。
知っていてダンマリ決め込んだマスコミも共犯だって?
少なくともこう言った不可解なバランスの上に成り立ったまやかしの世界を、非日常を、皆見たかったんでしょう?
現に半世紀にも渡って我々も消費してきたではないか。

ジャニー喜多川の動機は一体どちらにあったのだろうか?
つまり少年愛欲を満たすことが先なのか、それとも美少年のショービジネスを創ることが先なのか。
あるいは、上記を同列に考えていて、一方の贖罪の為に一方の苦難を乗り越えてきたのだろうか。
ずっと感じていることだが、なぜこの世界はお天道様に顔向けできない悪人が、そのエネルギーをさらに増幅できるような構造になっているのだろうか。
どうもペドフィリアの天才プロデューサーを擁護しているようで歯痒いが、もはやジャニーズ事務所の存続はないだろうなと思う次第で。
元来、2019年にジャニーが亡くなり、2022年に追うようにメリーも亡くなった時点で、藤島ジュリーにはそのまやかしを維持する能力は皆無であったことは明白で、店仕舞いをすべきではなかったんだろうか。
それが最も潔い贖罪だったのではなかろうか。
果たして私は自分の毒親の踏み絵を世間に見せられるだろうか。
いや見せる必要があるのだろうか。
藤島ジュリーのどこか他人事のようなポカンとした表情からそれが伺える。
そして東山の覚悟なるものとは、父親の罪を償いたいのだろうか。
東山はジャニーへの愛情はほとんどないと語っていたが、愛情無くしてこの汚れ役を買う理由は他にあるまい。

それにしても喜多川姉弟って一代でこれだけの帝国を築くに至った創業時の背景や経緯ってどんなものだったのだろうか。
やはり何かしらの協力な後ろ盾があったのだろうか。
一説にはメリーの夫、藤島泰輔なる作家であり新聞記者が、事務所の資金繰りや人脈面においてバックアップしたとも言われているが、彼にそれほどのパワーや動機があったとは到底思えない。
父親の喜多川諦道、この男もなかなか興味深い。
8歳で出家した高野山の僧侶であり、26歳でアメリカに渡って高野山米国別院の主監として活動する傍らボーイスカウトを結成したりと、どうもペドフィリアの臭いがプンプンする。10年後にはアメリカを追われるように日本に帰国しており、高野山には戻らず、プロ野球チームの関連で仕事をしていたようだが、それだけでどうやって生計を立てていたのかは謎だ。
ジャニー自身もアメリカ人として朝鮮戦争に従軍したり、帰国後はアメリカ大使館に勤めるなど、どうやら在日米軍の宣撫工作と諜報活動としてのジャニーズの創業がうまく噛み合ったのではなかろうか。
ジャニーやメリーには、生前にその贖罪として、この不可解なからくりについて明かして欲しかった。
6畳一間ではじめた小さな作品創りが、気が付いたらとても手に負えない巨大企業になってしまったというのが姉弟の本音ではあるまいか。
昨今でこんな御伽噺のような昔で言うアメリカンドリームの実現ってまぁあり得ないでしょう。
逆に言うと面白い時代だったなと、きっと笑いが止まらなかっただろうに。
そして、喜多川姉弟以外にこれに関係している人々がまだのうのうと仮面を被って生きていることを忘れてはならない。

本来はジョニーと発音するのが正しいミドルネームを本人はジャニーと聞こえたんだろうか、半世紀前に日本人にとって新鮮な横文字を冠した『ジャニーズ事務所』というハイカラなネーミングセンス、たのきんトリオや少年隊って私自身も子供心に強烈な魔力にまやかされていたことは間違いなく、諸行無常、色即是空、私も歳を取るのだなと…


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