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片親の弊害について

これは日記でも今記でもなく、今朝の友人との会話で何となく納得できる答えを見つけた故の、半分愚痴みたいなお気持ち表明です。

なので、これを読んで不快に思う人が殆どだと思いますので見る際はご注意下さい。


してこのタイトルですが、片親と一口に言っても今から書くことが当てはまる人はほぼ居ないと思います。

更に言うと、(タイトルで主語を大きくして置いて難ですが)私、そして今朝話した友人に共通した所謂「片親あるある」をつらつらと語るだけであり、もしそれがこれを読んでいる貴方と意見や考え方が違っていても、

それは単に片親でも親や環境が違っただけであり、決め付けを行なっている訳では全く無いのでご了承下さい。

まず片親についてですが、これは片親になった経緯は関係なく、その片親が母親だった場合の事と定義します。

そして片親の弊害ですが、これは単に経済的な面では無く(原因の一つでも有るかも知れないが)、片親を持つ子供の精神的な弊害を指します。
故に片親の職業はあまり関係なく、単純に親と子供との関係性に有ると思います。

そしてその弊害は、反抗期とはまた別の親への不信感であり嫌悪感だと思います。

一般的に反抗期とは、子供の自己確立の為に行われる親へのある種攻撃的な抵抗であり、
そしてそれは自分の頭の中での親への抵抗「親に言われた事に従わない」が表にでた物であり、結果どういう思想になるかは別として、自己が「親と離れる事が出来た」と結論付けられる事で終了します。

つまり自己(が持つ親のイメージ)との決別であり、それは子供個人の中で完結します。

しかし私がこれから書く「弊害」はそれとは別で、事実存在する親への嫌悪感なのです。

それは片親である事で起こり易く(親が両方いても起こり得る)、それは簡単に言ってしまえば「親の過干渉」が原因であり、それ故に本来必要無い程に親の思考が読み取れてしまうのです。
それは子にとっての「理想の大人像である親」の人間味が(多分)必要以上に出てしまっていて、今まで子に振る舞ってきた親とは全く別の物に思えてきてしまい、そのギャップに嫌悪感を感じるのだと思います。

しかしそれは、片親で無くても(遅かれ早かれ)誰しも抱える問題であるとも私は思っています。

勿論親も人間で、それはつまり子がもつ理想とは全くかけ離れた存在です。

しかし片親の場合、親はいつも以上に子供の為を思い気丈に振る舞うしか無く、それが子供の「理想の親像」を現実味のある物にしてしまい、いざ自己の確立を終え他人の気持ちを理解するに至った時、親の思考が汲み取れてしまうが故に

「高い理想」となった親との差に嫌悪感を(両親をもつ子より多く)抱いてしまう物だと思います。

しかしそれは、片親が片親であるが故でもあります。

つまり、本来は親同士で得られる筈の充足感や
孤独感からの解放を感じる事が出来ず、それを
子に求めた結果でも有ると思うのです。


変に纏めてしまうと、これはどうしようも無い事であり、親も人であるという事を理解する為には子の考え方の変化が必須です。

それを無しにこの弊害を克服する事は不可能であり、ある種親を許す事が子の成長に繋がります。


以上が、友人との会話で得た自分なりの考えであり、これが何かの役に立てばと思います。


では。



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