生霊に取り憑かれて肝入した半生

08 妄想と暴論

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反差別革新

 差別を無くすには?なんて永遠に言われている問題。机上の空論でしかないこの話題について書こうかなと、ね。  まず、前提としてあなた達には無意識の差別があることを理解してほしい。差別について否定的な人でもそう。結局、人間の根底には差別思考がありこれはしょうがないものだと思う。結論を言ってしまえば無意識の差別思考がある限り差別は永遠になくなることはないし現状も変わらないのが事実。 言いたいのはそんなことじゃなくて、私の妄想です。 "差別"ってなんで起こると思いますか? 障害

    • 隔絶

      【導入】 ため息が白い朝のあの思いもいつかは消えてしまう、あの時の気持ちをコピーしたいなと感じている今日この頃。さて、本題は「隔絶」ですね。 私の頭の中にはいつも何かから逃げてて気持ち忘れて解放されたいという思いがあってそれを表現していったまでです。 みなさん「感情」について考えてみて下さい 嬉しい、悲しいなどが汎用性の高い感情表現というところでしょうか?…。 さて、あなた達はなぜ「感情」を受動的に感じていると思いますか? それは他者が存在するからなんですよね。

      • 自分に甘く他人に厳しく生きる

        【自分に甘く他人に厳しく】恐らく、人間の無意識的に起こりやすい事象。 誰もがそうでないと否定したくなるが実際、誰もがこのような考えに陥っている。 私は別にそれが悪いことだとは思わない。 【自論】  人間が「自分に甘く他人に厳しく」なる原因の1つとして、他人に自分の無い部分を求めすぎている思考があるからだと考えられる。  端的に言うなら、自分ができない事でも「他の人ならやってくれるだろう」、なんて淡い期待を誰もが抱いているといったところだろうか。 その結果、他の人が自分の望

        • 信用×依存

          「信用」 他人を信用する。 当たり前のように使われているその言葉に疑問を持つ。 私は他の人を信用できているのだろうか? 人間が気持ち悪い、平然とした顔で思ってもない事を言ったり嘘をついたり人間関係は信用の元で成り立つなどと聞いたことが有るが、本当に人のことを信用できているのか不安。 そう考えるとやっぱり私は人間が嫌いみんなが嫌い。 誰も信用できないし自分に対して抱かれる感情は全て私を嫌ったもので誰も私のことが好きじゃないのだと察してしまう。そんなこと思っている自分にも厭悪して

          隔絶揚々気分

          「隔絶」私らしいのだろうか?前提として隔絶は悪い意味で使われがちだがみんな本心では何かから隔絶したいと思ってることを理解してほしい。 自分と他者を引き離して考えられたらどんなに楽かか一旦考えてみてくれ。  みなさんの悩みの全てが他者に関係したものではないのだろうか?例えば、恋愛でも感情の起伏があり、それらの原因は他者となる。そう考えるとそれらの悩みの原因は他者が起点となってるといえる。  人間というのは日々の一コマ一コマに何かしらの感情を抱き考え生きている。悩みがない人間はい

          人間不信と私の心

          「人間不信」  人間を信用すること自体間違ってるのかもしれない。私は意外にも友好関係は広いが全ての人間を切り捨てられる自信がある。たとえどんな に仲が良くてもそのくらい人を信用してない。というより私は自分以外の人間が嫌いだと思って生きてる。おかしいかもしれないけどこれが 私の真理。 私の考え方が美しいものだと受け取り言われるがままに生きている。そうしたら1周回ってみんな平等に接しられる。誰が嫌いとか好きとか考えないで嫌いかそれ以外で考えた 方が気持ち的には楽。誰かを信じす

          良い人の定義と展望

          「良い人」 みなさんが思う良い人ってどういう人ですか? 一つ自論があって、みなさんが今想像した「良い人」って自分にとって都合の良い人だと思うんですよ。人間自分の損得を考えて生きてるものだから無意識的にもそう思ってしまうんですよね。そう考えると良い人って気弱?な感じで悪く言うと人の言いなりになってばかりの人になるのではないのでしょうか?逆に性格の良い人ってどんな人ですか?性格が良いから良い人なんですか?それは少し違うような気がします。誰でも心にダークな気持ちを抱えて生きてい

          嫌われる勇気

          クラスで1人はみんなから嫌われるような存在は必要ですよね。男女の中立というか共通の敵を持つことで結束できる。社会ってそんなものなのかもしれない。 結局、みんな自分以外どうでも良くて他人の不幸が自分にとっては良いものだと感じる。「人の不幸は蜜の味」というように人の不幸をみて自分と比較し達観するんですかね? それが本来の姿なのかもしれません。私は綺麗事が嫌いです、可哀想だとか1番嫌いな言葉。思ってもないことを言いたくないし自分に正直でいたい。自分以外の人間全て不幸になれってい

          死期と向き合う

          「終わらせる勇気」 人間なんてものはいつか死期を向かえるもの。早かろうと遅かろうと「死」という概念は変わらない不思議さに包まれながら思案する今日此の頃。生きてて楽しいですか?頭の中にはいつも「生きててもしょうがない」とか「みんな死ねばいいとか」戯言1つ。「終わらせる勇気」。自分が不利になった状況だからこそすべて終わらせる。俺は綺麗事が1番嫌い、みんなそう思っているのに形で偽善者振りたくないし正直でいたい。 というか、誰も好きじゃない本当に死ねよ。俺が全てを変えてやる。終わらせ

          偽善×優しさ

          「優しさ」とは? 優しさ=偽善だと思っている自分がいる。そんなこと言ったら偽善に尽きはないと言われるのは重々承知。偽善って何ですか?なんて思案を巡らす。人の行為全てが偽善なんじゃないかって人間不信かよ?ど思うけど私はそんなこと考えて生きてるんですよ。私の中で「優しさ」は利己的思考に基づいた利他的行為だと思うんですよ。 ・利己的思考⇄自己の良い印象操作 ・利他的行為⇄相手の利益 その相互関係が成り立っているからこそあるもの。 だから、人間の本当の「優しさ」なんて、あって無いよう