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昨日誕生日だった。

中年と呼ばれる年代に入って、年々自分の誕生日がどうでもよくなってきている。適当になっているのは誕生日だけでなく、年齢も咄嗟にわからなくなっている。幼い頃母親に年齢を聞いた時、ごまかす風でもふざけてる感じでもなく「えーっと…〇〇年やから…えー今何年や?…7、8…39歳。…かな?」などと答えられた時には「いや、自分の歳やろ!なんで迷う!?」と心の中で盛大にツッコんでいたものだが、今では母のその感じ、よくわかる。毎日の雑多なこと、子供達のあれやこれやに追いかけられるように生活していると、自分の年齢や誕生日なんて記憶の引き出しの一番底に埋もれてしまっていて、なかなか出てこないのだ。

今年の誕生日は晴れていた。雨からは程遠く、私のテンションも上がらないままダラダラと過ごしてしまった。私の生まれた日が雨だったかどうかは知らないが、私は誕生日が荒天であればあるほど嬉しい。6月30日。それは梅雨のど真ん中。万人が嫌うレイニーシーズン。昨日も雨。今日も雨。明日も明後日も、週間天気予報全部青色!といった鬱陶しさ全開の時に皆から祝福される感じがなんだか心地よいのだ。幼い頃、誕生日は特別で嬉しい日だったので「雨だけど今日はサイコー!」という感じがあったのかもしれない。他の人は憂鬱そうだけど自分だけは幸せといった特別感が際立っていたのだろうか。30年ほど昔は今ほど温暖化も異常気象も進んでおらず、梅雨と言えば一ヵ月の間本当に晴れ間なく、来る日も来る日もじめじめグズグズし続けたものだった。最近は梅雨と言っても晴れ間も多く、雨もお愛想程度にしか降らない。たまに本気を出したかと思えば各地に災害級の被害をもたらしたりして、「本当に最近の梅雨は加減を知らんな!先代がきちんと教育しとけよ!」と梅雨に悪態の一つもつきたくなる有様だ。

幼い頃の誕生日ケーキは、近所の洋菓子屋さんのフルーツタルトだった。サクサクのタルトに薄くチョコレートがコーティングされており、その上にたっぷりのカスタードクリームと色とりどりのフルーツがこんもりと乗っていた。あらかじめ注文しておいたケーキを母が雨の中取りに行ってくれたのだろう。ケーキの箱には雨の跡が少し残っている。持ち手を立ち上げた透明のセロファンのところから中を見て、(やった!あのケーキや!)と確認する。勿論ホールケーキ。今夜食べて、明日の朝も食べられる!と喜ぶのだが、近所に住む伯母が毎年律義に誕生日当日にお祝いのお小遣いを持ってきてくれるので、伯母がやって来た時点でケーキが我が家にある場合は、お礼に…と母がケーキを半分切って伯母に持たせていた。(おいおいおいおい)とは思ったが、(実際、楽しみにしていたケーキが目の前で半分になるのを見て不機嫌になったこともあった)伯母からのお小遣いもまたありがたかったので、やるせない気持ちで見守るしかなかった。あのやるせない気持ちの時も外は雨が降っていて、湿気はムンムンで家族の誰かの「クーラーつけようか」という声でその年初めてのクーラーがつけられたりして、嬉しいんだか切ないんだか楽しいんだか…とにかくふわふわと気持ちが弾んでいたことだけは覚えている。

今年は日中に一人で美味しいケーキでも食べるか!と画策していたのだが、前述した通り天気が晴れで気分も乗らなかったので、まあいいか…と計画倒れとなっていた。ところが夜近くになって突然大雨が降りだし、私のテンションは俄然上がった。「誕生日なのにケーキが無いだとぉ!?今からいっちょフルーツタルト買いに行ってくっか!」と、やたら威勢のいい自分が出てきてしまい、ちょうどその時、夫から「ケーキ買って帰る」の連絡があったので事なきを得たが、危うく土砂降りの中ケーキを買いに行くところであった。

毎年母は一番乗りでお誕生日おめでとうメールをくれるのだが、今年はさらにプレゼントを買ってくれるという。母のお気に入りの皮製品のブランドのバッグを買ってあげるから好きなものを選ぶように言われた。素直な私は母の言いつけに従ってすぐさまホームページを見る。値段は気にせず好きなものを選べという。これまた素直に従う。あれも素敵これも素敵。こっちもいいな、いやこっちか。何分か真剣に吟味していたのだが、急に冷静な自分が出てきて「それ持ってどこ出かけるの?」「仕事に行くわけでもないのに?」「ていうかバッグに釣り合う服持ってんの?」と矢継ぎ早に問いかけてくる。私は静かにそのサイトを閉じて、「良いバッグ買ってもらっても持って出かける場所が無いから今はいいわ」と母に返信した。母は「そんなこと言わずに」と言ってくれたのだが、これこそが私が今抱えている一番の荷物であって、この荷物を入れるバッグは誰かに買ってもらうわけにはいかないのだ。自分で探して自分で見つけて、苦労してヒリヒリして心を躍らせて、たとえそれが1000円のバッグであったとしても自分で手に入れなければならない。そして次こそ、「死ぬまでこのバッグを持つ」と思いたいのだ。誰のせいにもせず、自分をかけて。

…どうしたどうした。急に抽象的な話になってしまった。いかんいかん。

母の申し出を断った後、今度は大阪市からプレゼントが届いていた。新型コロナウイルスワクチン接種券だ。旅行も外食も控えている今、”ワクチン接種挑戦権”は今一番嬉しいかもしれない。しかし偶然とはいえ、誕生日に届くとは。いいぞ。なんだか幸先が良いんじゃないか。良い一年になるんじゃないの!

そんなわけで無事一つ歳を取りました。

どんな一年になるのだろう。またこの何年かと同じような、時間を無為に過ごしてしまったという罪悪感に苛まれる年になるかもしれない。「なるかもしれない」という危機感があるから今年は変えられるかもしれない。いや、変える!変えてみせる‼

好きな人と誕生月が一緒なのより、月はずれてるのに星座が一緒っていう方が嬉しく感じるのはなぜだろう?同じ12分の1なのに。確率は一緒なのに。一回はずれと思わせて実は縁がありましたっていうサプライズ感?運命感?バイオリズム一緒という運命共同体感!?…なんにしても嬉しいものなのです。シソンヌのじろうさんが同じかに座だということが…ふっふっふ。

最後は何の脈絡もなく今ハマりにハマっているシソンヌじろうさんの話をして終わり。

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