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吉川英治『新・平家物語』感想 平重衡の落ち着き

 平重衡は『新・平家物語』によれば清盛の5番目の息子です。私は東大寺を焼いた人としか認識しておらず、全く関心はありませんでした。

『新・平家物語』の重衡

奈良炎上…仏敵重衡

 寺院の力が強かった平安時代。平清盛も寺院との対立に頭を悩ませていました。源頼朝が旗挙げして富士川の合戦で平家が負けると、寺院の平家への反対勢力が活発に動き出しました。

 重衡が総大将となり奈良に鎮圧に赴きますが、その時の出火で東大寺と興福寺が焼けてしまいます。大仏殿も焼け落ちてたくさんの人たちが亡くなりました。

一の谷の合戦

 清盛が亡くなり平家は源氏に都を追われます。 

 一の谷の合戦では重衡とともに敗走していた家臣が先に逃げてしまい、重衡は源氏軍に捕縛されました。そして都へ送られました。

 都では牛車に乗せられひきまわされた重衡ですが、仏敵として石を投げつけられたり罵られたりしました。重衡はそれらに動ずること無く、静かにじっと耐えていました。
 
 重衡の召使いであった友時が重衡に会いにきました。一の谷で家臣に見捨てられたのに、召使いの身分でも自分に会いに来てくれたと重衡は感激します。友時は重衡が都にいる間、ずっと付き添って身の回りの世話をします。

 後白河法皇は、平家に重衡と三種の神器の交換を持ちかけますが平家から拒絶されます。

 その後、頼朝は重衡を鎌倉で預かると申し出ます。重衡は鎌倉に向かう前に法然上人に会いたいと希望し、その希望はかなえられました。

 友時のこと、法然上人のことで分かるように、鎌倉方の重衡に対する扱いは破格のものでした。

鎌倉の生活

 鎌倉では重衡の斬罪を急がず優遇して利用する方針を決めていました。重衡が鎌倉に到着すると御家人に預け、身の回りの世話などのために千手の前という白拍子をそばにおきます。管弦の宴などを催し、客を接待するように重衡をもてなします。

 都で重衡の世話をしていた友時が僧の姿で現れ、千手の前を通して重衡に文を渡します。友時は法然上人の下男になっていましたが、出家する前に重衡の最期を見届けようと鎌倉までやってきたのでした。

 友時からの文で都の様子や平家のことを知る重衡でした。

 また千手の前は、自分が頼朝方から重衡を監視して重衡の様子などをなどを報告するために遣わされたことを打ち明けます。

 重衡にとってそれは察していたことであり、千手の前が打ち明けたことにより二人の距離はぐっと近くなりました。

奈良へ…そして最期

 奈良の東大寺や興福寺では、平重衡が罰せられることなく鎌倉で生きていることが許せません。頼朝に重衡を引き渡す要求を出しました。

 寺院を敵にまわすと厄介だと判断した頼朝方は重衡を奈良の寺院勢力にひきわたします。友時と千手の前は重衡の最期を見届けようと、密かに重衡の護送についていきます。

 奈良に行く途中で重衡は斬られました。千手の前はその場で自殺し、友時は彼女の髪を切り取りその場から去りました。

重衡のように

どうすれば重衡のように振る舞えるのだろう

 ほとんど知らなかった平重衡ですから、一の谷で捕まってから亡くなるまでの様子を読んで、しばしぼんやりとしていました。そして、私も死を迎えるときは重衡のように静かでありたいと思いました。

 ではどうすれば重衡のように振る舞えるのでしょうか?

現実を受け入れる強さ

 源氏軍に捕まった重衡は、御家人土肥実平の監視下に置かれます。頼朝から重衡を丁重に扱うように指示されていましたが、身だしなみを整え穏やかに振る舞う重衡に対して、粗略にならないように気をつけるようになります。

 都を引きまわすときに、彼に罵声を浴びせたり小石を投げつける者がいればその者たちを制し、重衡がけがをしないように気を配ります。

 土肥実平が重衡がつらい思いをしただろうと声をかけると、重衡は
「自分の犯した罪や平家の罪が、自分が都を引きまわされ辱めを受けたことで償いになると思っている」
と答えています。

 重衡は自分や平家が戦でたくさんの人を殺し、不幸にしてしまったことを認めていました。この現実を受け入れたことで重衡は自分がどうすべきかということを考えたのでしょう。甘んじて辱めを受けることが自分には必要だと結論づけたのだろうと思います。

 気持ちの強い人でなければできないことです。

法然上人との出会い

 さらに法然上人と会い話せたことは彼の自信に繋がったはずです。

 法然上人に重衡は心まで落ちぶれたくない、と気持ちを打ち明けます。覚悟を決めているものの煩悩に悩むとも話します。

 法然上人の答えは
「しょせん死ぬまで離れぬ煩悩とそう取っ組んで闘うことはいらぬ」
でした。

 法然上人は引きまわされる重衡の姿を見ていました。その姿に仏陀の姿が重なったと重衡に話します。

 重衡は心が軽くなり、法然上人とともに読経するのでした。

 法然上人は重衡の髪にカミソリをあてる真似をして、これで授戒はすんだとしました。

 授戒とは仏門に入る者に師僧が仏の定めた戒律を授けること(明鏡国語辞典)で、出家はかなわないものの、重衡が仏門に入ったことを認めたことになります。

 重衡は法然上人に出会えて本当に良かった、と思いました。心に寄り添う、人に寄り添うとはこの場合の法然上人をいうのでしょう。

重衡の性格

 重衡は、もともと人を小馬鹿にしない、おごることのない人だったのだろうと思います。だから、友時のように重衡の役にたちたいと身分は低いながらも名乗り出る人がいるのでしょう。敵方である東国の武将たちも彼に対して礼儀をもって接するのは、重衡自身の気品ある振る舞いのおかげなのだろうと考えます。

 平和な時代に生まれていれば、どんな人生を送ったことかと思います。

 ところで『新・平家物語』では千手の前が重衡の後を追って死んでしまいますが、重衡の菩提を弔ったという伝説もあります。

 私は千手の前には生きていてほしいですね。重衡も生きられるだけ生きたのですから。

強い心を持つこと

 重衡のように静かに死を迎えることだけではなく、現実をしっかり受け止めいくことは心が強くないとできないことです。『新・平家物語』の重衡のところで強く感じました。

 強い心を持つにはどうしたらよいか?

 それはまず先人に学ぶことからはじめればいいのかもしれません。哲学書を読むとか。私に宿題ができました。

画像は『新・平家物語11』の装丁画 平重衡と千手の前

 

 
 

 


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