見出し画像

吉川英治『新・平家物語』感想 義経の心情

 私の義経のイメージは絵本と大河ドラマで出来上がりました。

『新・平家物語』を読む前の義経のイメージ

牛若丸と弁慶の話

 小さいころ、牛若丸と弁慶の五条の大橋での闘いの話を絵本で読みました。弁慶のなぎなたをひらりひらりとかわす牛若丸。童謡も歌いましたね。「京の五条の橋の上…」とはじまる歌でした。

NHK大河ドラマの義経

 NHK大河ドラマには何度も義経が登場していますが、優等生の悲劇のヒーローという印象を持っています。

 2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のの義経は勝負事の感が優れているけど手段も選ばないし、周囲へ気遣うことがない、あるいはできないといったタイプの青年でした。 この義経はそれまでの優等生義経とは全く違う義経で衝撃的でした。

『新・平家物語』の義経

諸国を巡る義経

 吉川英治の『新・平家物語』では、わ鞍馬山から脱出した義経(牛若丸)は気の強い少年で、簡単には大人の言う事をききません。脱出に手を貸した金売り吉次も手を焼く少年で、新鮮な牛若丸・義経像でした。

 なんと、素直に奥州平泉に行かず、ひそかに源氏に味方する坂東の若武者たちと過ごします。馬に乗って関東平野を駆け巡る義経はのびやかで、楽しい描写でした。

 1年ほど経ってからようやく奥州平泉に向かうのですが、すぐに平泉を飛び出してしまいます。熊野に行ったり、大胆にも京に行ったり。行く先々で後に一緒に戦う人たちと巡り合ったり、熊野の水軍で船の構造などを学んだりと、平家との戦いの伏線が随所にみられます。

 この義経漫遊の部分は作者吉川英治氏の創作です。15、16歳の牛若を書くのはとても楽しかったと『随筆 新平家』に書いてありました。

兄と弟

 兄、頼朝の挙兵を知って兄のもとへ駆けつけ、富士川の戦い後に兄と面会します。この時は頼朝も涙を流し喜びます。

 しかし、その後の頼朝は義経に対してそっけない態度を取ります。頼朝としては坂東武者たちのまとめるうえで弟を特別扱いできないから、という理由がありますが、他の御家人たちに対してもはじめはものすごく親しみを感じさせ、その後はそっけなくなるようで、ひとつの癖なのかなあとは思います。

 義経としては数少ない肉親として心から兄を慕っているから兄に親しく接してほしいと思っているので、大きなすれ違いが生まれます。

 一応、義経は兄の立場がわかるから頼朝に気遣いながら、頼朝の機嫌を損ねないように振る舞います。それは、義仲追討のときも平家追討のときも、ずっと同じです。こんなに気を遣う義経は初めてです。諸国を巡っているときの義経とは別人で、身を縮めて生活しているようでした。

 自分を監視する軍監奉行梶原景時とけんかすることはあっても、頼朝配下の御家人たちが手柄をたてられるように自分の家臣たちに我慢をさせたりするのです。読んでいる私の胃がキリキリしてきました。

 義仲追討、一の谷、屋島、壇の浦と戦いが進み、義経はいずれも勝利します。ひよどり越えの坂落としや八艘飛びといった伝説的な派手な描写はありません。地道な義経です。

 が、鎌倉の頼朝は思いの外早い勝利に義経の怖さを感じました。頼朝の側近たちも。

壇の浦の戦いの後

 壇の浦のと戦いで平宗盛父子を捕らえ、鎌倉まで護送した義経でしたが、鎌倉へ入ることを許されません。腰越で頼朝に手紙を書くのですが、結局鎌倉に入らぬまま京に戻ります。

 反頼朝の勢力が彼に近づいてきます。叔父の源行家や後白河法皇です。しかし、義経は頼朝とは戦おうとしません。

 とにかく頼朝から逃げます。身を潜めて助けてくれる人々を頼り、奥州平泉まで逃げます。

 『新・平家物語』では義経の逃避行の部分がかなり占めています。義経自身が逃げている様子も描かれていますが、義経を探す側の様子を描くことで、懸命に身を隠して逃げていることがひしひしと伝わってきました。小説家吉川英治の上手さを感じた部分です。

 奥州平泉に到着した義経は、後から平泉にやってきた正室、河越氏(新・平家物語では百合野)とともにささやかな暮らしを営みます。畑を耕しながら子どもを育て、穏やかな日々を送ります。

 残念ながら藤原泰衡に攻められ、彼は妻や子とともに自害しました。伝説「弁慶の立往生」は描かれず、静かな最期の描写でした。

義経の気持ちを考えてみる

なぜ兄に対抗しなかったのか

 『随筆 新平家』には吉川英治の感想として、義経は壇の浦の戦いの前後で人が変わったようだと感想を述べています。

 どんなに反頼朝派から誘いを受けても断固兄には挑まない、という義経が描かれています。そして逃げる、逃げる、逃げるのです。

 反頼朝派をまとめれば勝てたかもしれない、というのが吉川英治氏の感想です。

 どんなに頑張っても兄に気に入ってもらえない苦しさと、戦に対する嫌気が義経の身体から漏れ出しているような描写が繰り返され、端的には「心が折れた」義経、という印象を受けます。頼朝に対抗したくない、というよりは何もしたくなくなってしまったのかもしれないなぁ、と思います。

孤独な義経

 彼と彼の家臣たちは非常に密接な関係…頼朝と御家人たちの関係よりずっと親しい関係にあります。そのずっとついてきてくれている弁慶をはじめとする家臣たちに、義経は本心を打ち明けたのでしょうか? 

 そもそも、義経が彼らに自分の気持ちを話すシーンはありません。気持ちをそのまま話せる人がいると楽になれるのに、と思います。平重衡が法然上人に自分のことを話したときのように。

 自分で心の壁を築いているというのが私の感想です。義経は自由奔放に振舞っていた10代の頃からあまり自分の気持ちを誰かに話すことはなく(『新・平家物語』では)、自分の気持ちを言葉にすることが苦手だったのかもしれません。あるいは他人に心を開くこともあまりなかったのかもしれません。

 静御前に対しても自分の本心を話していた描写がなくて、やっぱり心の壁があるように思えました。

平穏なひととき

 平泉に落ち着いたころ、実家に預けていた正室(河越氏)がやってきます。婚礼当初は自分を監視しにきたと遠ざけていた正室ですが、平泉では仲良く過ごし子どもも生まれます。この平穏さが幸せと、義経は噛み締めていたに違いありません。

 この家族の温かさを実感したときに、はじめて弁慶などの家臣たちに自分の本心を話せたかもしれないとも思います。

 残念ながら秀衡死去後に彼は秀衡の息子(藤原泰衡)に攻められ落命します。妻と子とともに。

逃げる義経を読むのは疲れました

『新・平家物語』における義経の部分のボリューム

 『随筆 新平家』で作者吉川英治氏は、『新・平家物語』は当初、壇の浦の戦いの後の話を書こうと考えていたそうです。
 
 『新・平家物語』の前、昭和15年ごろに『源頼朝』を書いていますが、あの作品をもっと充実させたかったのかなあと私は想像しています。

 『源頼朝』を読んで感じたのは、主人公が途中から義経になった印象が強いことです。

 吉川英治氏は義経を、義経の逃避行を描きたかったのでしょうか。

 『新・平家物語』はたくさんの人たちが登場する群像劇ですが、それにしても義経に関する部分が大きいのです。それも壇の浦後の逃避行です。

抵抗せず逃げるだけは、読者としても疲れました

 義経が頼朝に対抗しようとはせず、とにかく逃げる、逃げる、逃げる。ハラハラさせられるし何よりもみじめさを感じて、読んでいて辛かったところです。一緒に逃げている感じもして、とにかく疲れました。

 作者吉川英治氏はヒーロー義経ではなく、戦乱のなかに生まれて家庭の温かさを知らずに育ち、軍神のように目覚ましく働き、自分のような不幸な子どもたちを生み出してしまったひとりの青年を描きました。

 孤独を感じながら、たくさんの人たちを不幸にしてしまった後悔を、義経は心のなかで何度もつぶやいていました。

 たくさんの不幸な人たちを産む戦争。昔からのヒーロー義経の惨めさを描くことで、戦争の残酷さや愚かさを作者吉川英治氏は訴えたかったのでしょう。

画像は『新・平家物語5』の装丁画 牛若丸と常盤御前と平清盛 講談社Book倶楽部より

 



 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?