悲しみを人質に 〜心の周波数〜
昔、乙一という作家が大好きで、とてつもなくハマっていた。
その著書の中に「さみしさの周波数」というタイトルがあった。
感情には周波数があるという考え方がとても気に入っている。
寂しさ・悲しさというネガティブな感情にも、喜びや嬉しさといったポジティブな感情にも、きっと周波数があるのだろう。発信されたその感情は、空気中を伝って、他の人の心に届く。
私は、仕事で想定顧客などにいわゆるユーザーインタビューをよくする。インタビューする中で、心をよぎる疑念がある。私は、この人と周波数を合わせられたのだろうか。あるいは、周波数を合わせてもらったのだろうか。
インタビューという仕事は、とても面白いが、とても恐ろしい。こちらの問いかけの言葉一つで、相手をこちらの思惑に引きずり込めてしまう。相手の心のうちを知りたいのに、いつの間にか、こちらの思惑を汲み取ってもらって話されてしまっていないか。
まるで丁寧にツマミを回し、電波の入りやすい窓にそっとラジオを置いてチューニングをするように、慎重に言葉を選び、補足する。
ポジティブな感情は、その場にいる人間に受け入れられやすい。だから広まっていく。ネガティブな感情はどうだろう。相手に受け入れられるだろうか、などと躊躇っている間に場は流れ、自分の心に押し留めてしまうのではないか。
押し留めた悲しみは、どこにいくのだろう。
そう思ったのは、悲しみをずっと抱えた人の振る舞いを見た時だった。まるで、悲しみを人質にとったかのように。これが理解できないあなたは不要だと言わんばかりに。いかに悲しみが深いものかを力説された。
「この人は、悲しみを人質にしているのではないか」
そう思った瞬間、私はうまく次の行動がとれなかった。
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