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プレイズ プリティー ジャスト フォー ユー/ジミー スミス


プレイズ プリティー ジャスト フォー ユー/ジミー スミス
ブルーノート 1563
1957/5/8

世界の音楽界に衝撃を与え、後のファンクミュージックを生んだ天才オルガンプレイヤー、ジミー スミスのブルーノート デビューから10作目は、意外にもバラード集である。そして非常に落ち着いている。
しかし、本作は、たとえバラードでもこれまでの1500番台の作品で聴ける全身にガラス片が突きささった様な破壊力も強烈なジャズ精神もほとんど聴き取ることが出来ない。これは1500番台のジミースミスをことさら愛しているファンには少し物足りない作品であるのではないか?と思う。実際に人気のあるジミーのブルーノート作品の中でも本作が話題になったり名盤として紹介されたものは今まで見たことはない。
では本作はジミーの作品の中では魅力の少ない平凡作のままでいいのか?

僕はそれは違うと思う。なぜなら僕は本作を聴いていて、そのサウンドが何か聞き覚えがある懐かしい響を持っているという点から、その真相に気付いてしまったからだ。

シアターオルガンというのをご存知だろうか?アメリカではかつて劇場、デパート、野球場、遊園地などにオルガンが常設されて音楽を提供していた。僕の好きな映画ビリー ワイルダー監督作品「フロントページ」には映画館の休憩時間にオルガン奏者に扮した若き日のスーザン サランドンがこれを弾き、観客がスクリーンに映し出された歌詞を観て一緒に歌うシーンがあったが、それこそがシアター オルガンというものらしい。その映画館では名作「西部戦線異常なし」が封切り上映されていたので1930年頃の時代設定だ。
関西でオルガンといえば、のYS社長、故山本修氏によると、そのオルガンはれっきとしたパイプオルガンであるらしい。ジャズオルガンにはうるさい僕だが、本当のオルガンの歴史には誠に静かなので、よくわからないのだけれど、巨大な教会の巨大なパイプオルガンでもない、そういう所に運搬出来るものが当時には作られていたのだろう。ジャズオルガン好きとしてはそういう歴史も調べてみたいと思う。
ただ、これだけは言えるのだが、パイプオルガンの音色は電気的増音がされていない分、何か控えめで、もの寂しい。これはシアターオルガンでも同じ印象だ。

アメリカではそんなシアターオルガンは全国で家族が楽しむ様な行楽施設に設置されていたので、文化としてオルガンが根付いているという。映画以外でも今はドジャーズの大谷翔平のニュースが毎日洪水の様に流れてくるので、大リーグの中継をテレビで観る人が増えたのだが、古い球場ではいまだにイニング終了時にオルガンの調べが聞こえてくるのに気づいている人はおられるのではないか。

球場でオルガンといえば、僕の世代ならば今は横浜DNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムだ。僕が子供の頃、毎日毎日食い入る様にサンテレビの阪神タイガース戦の中継を見ていた頃は大洋ホエールズだった。なので横浜での大洋戦といえば自然とオルガンの音色が耳に入って来た。特に1978年のシーズンは後藤次男監督の元、阪神タイガースは大洋ホエールズに5勝19負でボコボコにやられ最下位に終わり、オフには田淵と古澤がトレードで出て行ったという年で、あの頃は平松がエースで田代に屋敷に高木なんかがいて面白い球団だったなあ。なのでこの年は横浜スタジアムといえば大体が暗いムードの中で、あの何か寂しい、楽しいのか楽しくないのか、刺激があるのかないのかよくわからないオルガンの音色を聴いていた記憶が蘇る。

アメリカではそんなシアターオルガンは今でも各都市の色々な所でノスタルジックな響をかもし出しているというが、ここ日本でも球場では横浜だけではなく、パイプオルガンに限定せずエレクトーンでも導入している球場は多い。東京日本橋の三越百貨店には日本最古のシアターオルガンが残っているという。一度聴いて見たい。

ジミー スミスの「プレイズ プリティー ジャスト フォー ユー」は僕が勝手に判断するに、ジミーがB3オルガンを使ってそんなシアターオルガンに回帰した作品なのではないか?この作品はまず大変ノスタルジックな、まるでパイプオルガンの様な響きのニアネス オブ ユーで始まる。他にもイースト オブ ザ サン、オータム イン ニューヨーク、ベリー ソウト オブ ユー、言い出しかねてなどのアメリカ白人が好きな小唄が収録されているが、唯一ジャズ的なアクセントで演奏されるラストのオールドデヴィルムーン以外はみんなこのパイプオルガン的なしっとりムードで演奏されているのだ。そして極め付けは自身もシアターオルガンを弾いて生計を立てていたという都会的ジャズの巨匠、ファッツ ワーラー作のジッターバグ ワルツで、これを聞けばこのジミーがファッツを通してシアターオルガンに回帰したのではないかと勝手に想像する。そしてそんなしっとりムードの中でも、1500番台の他の作品ほどではないが、しっかりといいさじ加減で強烈なアプローチを聴かせてくれるところが、ブルーノートとジミーののらしさを発揮した聴きどころである。

さらに、ブルーノートといえばフランシス ウルフの写真にリード マイルスのデザインしたグラフィックデザインの手本の様なアルバムカバーであるが、本作はジミーの男前ぶりは確認できるものの、主役一人の大写しに文字を入れただけの全くブルーノートらしくない古めかしいデザインで、まるで40年代か50年代初頭の白人ポップス奏者の、主役さえ写って入ればいいやというつまらないものである。でもジミーがB3オルガンで革命を起こす前からシアターオルガン的なオルガン奏者のレコードはカクテルピアノのものと一緒で家庭で聴くムード音楽としてけっこう発売されていたというし、それらはおそらくデザイン性の無いこの様なカバーのものだったのではないだろうか。本作のカバーは裏面のクレジットを見ればウルフの写真に、トム ハンナンという人がデザインを担当しているが、このハンナンさんもシアターオルガンに回帰したレコードというテーマで、わざとこういう時代遅れなムーディーなものを制作したのかも知れない。ただ裏面のレナード フェザーのライナーノートにはこの作品がシアターオルガンに回帰しているとは一行も書いていないので、これらは全て推測なのだけれど。

そう考えて聴くとこのジミーの「プレイズ プリティー ジャスト フォー ユー」はアメリカの古き良き時代を彷彿させられるノスタルジーなムードに覆われている上に、しっかりとジミー スミスしているわ、ブルーノートしているわで、実は面白い作品であると言える。聴きどころは多い良作だ。

我々ジャズを生んだ国で生まれ育っていない国のジャズファンは黒人でオルガンといえば即座に知った気になって教会とゴスペルに絡めて考えてしまう。しかし、それだとこの作品はジミーのバラード集というステレオタイプな見解でしか聴くことができなくなり、作品の面白味を逃してしまう。ジミーは確かに黒人でる。しかもアメリカ黒人のスーパースターだ。しかし黒人であっても彼は1925年、ペンシルバニア州ノリスタウンで生まれたアメリカ人だ。そんなアメリカ人がB3オルガンでジャズに嵐を巻き起こしたが、先にどんどん進んで行ってしまう前に、子供時代に慣れ親しんだシアターオルガンと、それを演奏したファッツワーラーやカウント ベイシーに敬意を表したかった。それはオルガン奏者として大事な文化は大事にしているという事だろう。
アフロアメリカンが創造した音楽でもそれはアメリカ音楽である。僕らはそれをしっかりと認識してこの素晴らしい音楽を次の世代に継承していかなければいけないと思う。
まずオルガンを聴いて大洋ホエールズにボコボコにやられた記憶が蘇らなければ僕も気づかなかったんだけどもねー。

小倉慎吾(chachai)
1966年神戸市生まれ。1986年甲南堂印刷株式会社入社。1993年から1998年にかけて関西限定のジャズフリーペーパー「月刊Preacher」編集長をへて2011年退社。2012年神戸元町でハードバップとソウルジャズに特化した Bar Doodlin'を開業。2022年コロナ禍に負けて閉店。関西で最もDeepで厳しいと言われた波止場ジャズフェスティバルを10年間に渡り主催。他にジャズミュージシャンのライブフライヤー専門のデザイナーとしても活動。著作の電子書籍「炎のファンキージャズ(万象堂)」は各電子書籍サイトから購入可能880円。
現在はアルバイト生活をしながらDoodlin’再建と「炎のファンキージャズ」の紙媒体での書籍化をもくろむ日々。


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