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DONALD BYRD LIVE AT MONTREU

DONALD BYRD LIVE AT MONTREUX
ブルーノート
1973/7/5

我らがプロフェッサー、ドナルドバードが1973年にモントゥルー ジャズフェスティバルに出演した模様を収めたライブ盤が発掘された。ブルーノートが録音してたものの未発表に終わろうとしていたものが何者かによって発掘、発表されたみたいだ。2020年を迎えたあたりからかなり貴重で衝撃的な新発見録音が多数アナログで発表ており、こちらの懐(フトコロ)が日々ピンチ状態に陥れられているものの、こういう人はもはやジャズヒーローですよね。
このライブ盤はバードが1972年にブルーノートより発表してかなりのセールスを叩き上げたという『ブラックバード』の内容をフェスティバルで再演したものの様だ。実際とびきりイカしたブラックバードでスタートしている。聞いた話によると『ブラックバード』は当時大学の教授になったバードが教え子らと作りあげたもので、日本のジャズ喫茶などでジャズとしては完全に否定されたファンクミュージックを演奏したものだ。ファンクといえば我々日本のファンなら真っ先に思い浮かぶのはジェームズブラウンとその一党達、そして本書では頻繁に登場する60年代から70年代にプレスティッジよりレコードを発表した人達だろう。しかしどうしてもジャズミュージシャンの印象の方が強いドナルドバードが作りあげたこの音楽は、間違いなく半世紀経った現在を先取りしたもので、正直当時の評論家や日本では多大な影響力を持っていたジャズ喫茶の親父らがもう少し先入観なしに聴いて評価していてくれれば、ファンクはバードが創造した音楽として世に通っていたかも知れない。そのくらい斬新なのだ。
ちなみにブルーノートとはいえ、レコードのセンターレーベルはお馴染みのブルーと白のではなく、あのどんよりと暗いダークブルーのリバティーのものが使用されている上、リリースはGERMANYである。ブルーノートは日本では最悪な音質のレコードをリリースし続けてファンをガッカリさせた東芝EMIがポシャった様に現在はその権利関係がどないなってるのやらさっぱりわからない状況であるのだけど、90年代にメシオパーカーやピーウィー エリスの良作を発表していたのはドイツのMinor Musicというレーベルだった。ドイツとファンク、何か特別な関係でもあるのでしょうか。


それにしてもドナルドバードに関するネットの記事を読んでいたら、バードが安易に大学の教授になってジャズを教えたとトクトクと書いている日本人が多いのは残念なことだ。


バードが最初に大学の先生になったのは1966年、アイビーリーグの1つでニューヨークにあるコロンビア大学でだ。そこでキング牧師が現役だった頃にアフロアメリカンの歴史と公民権運動を教えた。コロンビア大学は1968年アメリカで最初の学生運動がおこった大学で、映画「いちご白書」はこの事件をヒントに作られた。僕はけっこう好きな映画でまた来たら授業を抜け出して二人で観に行きたいと思っている。卒業生には多数のノーベル賞やピューリッツア賞受賞者にアレン ギンズバーグ、アート ガーファンクル、バラク オバマなどがおり全米のリベラルな人を育成し続けた功績のある名門私立大学だ。そんなところでまだ南部では差別が公だった時代に黒人史と公民権運動を教えたバードはいったいどのくらいアメリカと世の中の良心に貢献したのか想像もつかない。
続いて71年には黒人教育で有名なワシントンDCのハワード大学に移行する。ここは黒人のハーバード大学と称されるところで、古くはビリー エクスタインやあの1954年に最高裁から全米での公立学校における人種分離は違憲という判決を勝ち取った偉大なサーグッド マーシャル、そしてその本人を演じて早逝した名俳優、チャドウィック ボーズマンを輩出したところだ。
調べてみると確かにこの大学では音楽を教えたとある。だから1972年発表のブラックバードが生徒と作りあげたアルバムだというのは間違いではないだろうけど、バード教授が日本のお習い事みたいなことを教えていたかとなると疑問がつきまとう。ちなみにアメリカ建国の地であり首都として威厳を持っているワシントンDCだが、実はかなりの黒人ゲットーが面積を占めている街としても知られており、このバードが産み出したファンクミュージックがバードの育ったデトロイトとともに重要な拠点としてDCがあげられるのも納得がいく。一体バードはどこまでこの音楽を世に知らしめたのか?そして日本で言われている通り楽器が上手いハードバッパーだけで終わらせていいのか?それは本文を読んでくれた若者に判断してもらうしかない。
こんな2校でアフロアメリカンの名誉を教えたバードと彼の残した音楽のことを思うと言葉には表せない感情がこみあげて来る。どこまで偉大なのだろうか。
それだけに、アフロアメリカンのジャズミュージシャンが名前が通っているからとか楽器が上手いからとか作曲が出来るからとかで安易にジャズの先生になったというのはとんでもない早トチリで、ましてや公民権運動たけなわの時代を生きたミュージシャンに楽器が上手くなりたいだけの理由で教えを乞うなんてとんでもない間違いだ。バードは2013年2月に80歳でこの世を去ったので特に危惧する必要はないが、こういうのはあの人達のプライドを否定することになりかねないし、日本の恥を晒すことになるうえ、ジャズを今以上に習う音楽に堕としかねないいので、注意しなくてはならないと思う。バードが就いたのは音楽の先生ではなく、社会の先生である。ハワード大学で音楽を受け持ったとしてもナンタラナンタラスケールがどーのこーの、アンブシュアがどーのこーのという阿呆みたいな理屈ではなく、音楽を志す若い黒人にアフロアメリカンとしての自覚と意識を植え付けるのを目指していたのではないか?このレコードが時代を先取りしているにもかかわらず全てが黒人音楽のルーツに根ざしている点からして想像がつく。そして黒人意識を高らかに歌いあげているし、一切昔に戻ろうなどという気配もない。このファンクビートに身を委ねていれば昔のジャズなんて奴隷時代の産物だと言い切っているようだ。だから偉大なのだ。これを理解していないとアメリカではかなりちんぷんかんぷんな馬鹿と見なされても仕方がない。本作に参加した学生メンバーのほとんどは今では音楽界で名前を聞くことはない。だけどそんなバード教授に教えられたのだから、恐らく現在はアフロアメリカンの生活や地位向上のために貢献している人物になっている可能性は高いと思う。
なのに日本のジャズ評論家やアコースティック楽器でバップやモードやスタンダードを守るのが正義だと盲信してしまったジャズ喫茶の親父とその信奉者達は60年代以降のバードを否定したままである。そもそも、フュエゴやア ニューパースペクティブやスロードラッグやブラックバードを聴いてバードがどういうことをジャズで訴えようとしていたか、そしてそれにどれくらい命をかけたのかをを少しでも考えたらこんな勘違いはしないですんだはず。なにせ差別を否定する歌や発言をした黒人は白人に命を狙われた時代に名門大学の教授としてこれを創造したのだから。
しかしそれらのレコードは当時の日本では聴く価値もないとされたものばかり。理由は当時に普通に懐メロとしてのジャズを演ってりゃいいのに黒人のルーツ音楽を取り入れたものや4ビート以外はコマーシャルに流れたものであり、『演らされている』というのが日本ではまっとうなジャズを守る正義だと信じられているから。どうやらバードはハードバップを演っている時だけがジャズミュージシャンとして立派だと言いたい様である。そしてそれ以降は間違った方向に流れた、もっとひどいのは気が狂ってしまったという考えを持たれている始末だ。これらは元町Doodlin’でバードのレコードを尊敬心を持って流した時に老人らからかなり忠告された。みんな教えといてやるというスタンスだった。言っておくがロス暴動から30年以上経った現在でだ。ぼくはそんな客がうっとうしくて仕方がなく馬鹿にしていた(る?)が、ことバードに関しては今だにそういう考えの方の方が多い。

そんなバード評を鵜呑みにした若いジャズミュージシャンが修行と称してニューヨークのハーレムへ行ってあの時代を生きた人々にそんな価値をペラペラと話してしまう。本人はジャズ喫茶の幽霊に教えられた通りの正義を口に出したつもりだけど、あの殺伐とした時代に命をかけて差別と闘った人達がこのバードのやってきた事を否定されていい気分になるだろうか、日本のジャズファンは金は使うが何もブラックミュージック(我々)のことなんか解っていないレイシストばかりだと思われないだろうか?金を持って解っていないレイシスト!世界でここまで恥ずかしい人種はいるのか?僕はこれが心配だ。なにせ相手はヒップホップのスター、GURUと作品を作り世界を廻った人物なのだ。そのヒップホップも旧ジャズ喫茶ではジャズではないからと今だに見下しているのが日本の現状だ。

若いジャズミュージシャンに旧ジャズ喫茶でジャズを覚えた人の言うことは全て間違いだと思えと言っている理由はそこだ。

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