私のモータリゼーション⑤

1973頃の話 スカGRの次に乗り換えて来たのはフェアレディZ240ZGでマルーン色でした。ロングノーズでとてもカッコ良かったでした。240ZGはオートマチックでしたがアクセルを踏み込むと200Kmhまで引っ張ってくれました。オートマチックでも2,4Lになるとスゴイんですねぇ。キャレターは3連のソレックスだったと思います。どおりで速い訳です。その次に乗り換えたのはアーリーキャッツの総長が乗っていたと言うフェアレディZ432でした。ロングノーズにして真っ白なボディに真っ赤なフロントバンパー 真っ赤な特大のオーバーフェンダーでした。12Jの14インチのホイールにスリックのレーシングタイヤをはいて.シャコタン 直菅のマフラー 芸術的な車でした。アーリーキャッツと言うのは東京で恐れられてたCRS連合と言う最強の暴走族でした。特に恐ろしいのはスペクターで特攻隊が多くいました。スペクターラインを入れた車はすぐにわかりました。ボンネットの中央からルーフ トランクまで帯のラインが入っていました。これがスペクターラインです。この車に遭遇したらおとなしくしてた方が賢明です。早速試乗をしました。エンジンをかけ1速、2速、3速にシフトアップしたときに回転が上がったまま下がらなくなってしまいました。びっくりして富○さんにアクセルが戻らないと助けを求めたら、自然に回転が落ちました。どおなっているのと訪ねると
フロアシフトのチェンジレバーの後方に手動のアクセルレバーとチョークレバーがあったのです。夜だったのでわかりませんでした。騙されました。ある日みんなで世田谷のカー用品店に出掛けて行きました。私はイタリア製のモモ モトリタと言うコンペハンドルを清水寺の舞台から飛び降りる覚悟で給料が2万円弱の時に1万8千円で買いました。春○さんはサバンナ用のタイヤをそれも24、5ー 5、5ー 13と言うスリックのレーシングタイヤでした。幅60㎝位い偏平率は5、5%だから3、5㎝位いでした。タイヤが一本9千円で10Jのド鉄のホイールが五千円でした。店の横にF6の15のホワイトレターのサイド面がカッターで切られたタイヤが有りました。どうしたのか聞いて見たらお客様のタイヤが何者かに切られたの事でした。棄てるのならもらって良いかと聞いたら持って言って良いと言うのでもらって来ました。まだ新品のタイヤなんですよ~切られた人も気の毒に。レーシングタイヤは後に郵送で送ってもらいました。もらったタイヤは何とか持って帰って来ました。ホワイトレターのタイヤは2本もらいテーブルになりました。レーシングタイヤは後に私が買う事になりました。協力会社の先輩の寿○さんの友達の原○さんからCB450K1を買わないかと話しがあったのでいくらかは忘れましたが買う事になりました。車検を取り乗り初めました。このバイクはとても乗りやすいバイクでした。ウイリーも簡単にできるしスピードもそこそこ出ました。サイドバックも付いていたので便利でした。このバイクは3月に実家に帰るので隆さんに譲りました。隆○さんは春○さんの友達で鋳物屋さんに弟と二人で住み込みで働いていました。よく隆○さんの所に遊びに出かけました。隆○さんの車はマツダファミリア1300クーペでした。たまに富士急スピードウェイにグラチャンを見に行きました。スカGTRとサバンナの戦いでした。サバンナのドライバーの片山よしみさんカッコ良かったですねー。一番の楽しみは駐車場の車を見物することなんです。レース場で走っている車より駐車で走っている車の方がカッコ良いんです。富士スピードウェイではFISCO会員てのがありまして年会費1万円でコースを走れた時が有りました。1回コースを走った事が有りました。楽しかったでしたでした。春○さんと二人でホンダN360を
買いました。おもしろかったでした。4速から3速にシフトダウンして2速にシフトダウンした時にバックのギアに入ってしまうのです。びっくりしますよ。壊れませんでした。楽しい車でした。そろそろ年期の1年が終わりになります。春○さんはC市の営業所に配属になります。私はN市に配属になります。ありがとうございました🙇

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