私のモータリゼーション⑦

1973年頃の話会社の同僚5~6人でしたかね~A級ライセンスを取る事になり 最初にB級を取る事になりました。JAFに行って講習をした後にJAF主催のラリーでもジムカーナでも良いのですが1回完走すればB級ライセンスを取れると言うので富士スピードウェイに行ってジムカーナの競技をする事になりました。長○さんは新型ルーチェロータリークーペ。大○○さんは何で出たんでしたかね。私は宇○さんのマツダサバンナをお借りして改造クラスで出る事になりました。ただ決められたコースを時間内で走ってくれば合格なのです。皆さん完走してB級ライセンスを取る事が出来ました。A級ライセンスを取るにはお金も時間もかかるし挑戦する人はいませんでした。O市からの富士スピードウェイは近かったのですがN市から富士スピードウェイだと遠いですね~
だから富士には行かなくなりました。それから仲間でレーシングチームを作ろうとステッカーを業者に依頼して作りました。イタ○○レーシングチームと言う名前でした。色んな事を考えましたが計画倒れが多く有りました。
ある夜バイパスで車を走らせていたら族のバイクが追い越しをして行きました。次の瞬間着座していたのが立ち上がったらバイクの下部から火花が出て来ました。火花の後には赤いラインがきれいに2本見えました。どうしたのかと考えたらどうもメインスタンドを足で道路に押し付けて火花を出した
のだとわかりました。びっくりしましたね~何秒位だったか忘れましたが多分足の裏が熱かったと思います。後にそのバイクに人に会ってバイクを見たらメインスタンドの鉄の足が無くなっていてメインスタンドでは駐車出来なくなっていました。
ある日東京の族がけK町の方に来ると言うのでみんなで私の車に乗り中Kのスケート場の駐車場に着きました。そこには族らしい車が5台位いいました。良く見たらみんな知り合いでした。東京の族じゃ無くて良かったね~駐車場の中でギャンギャンと走っていたら遠くの方から赤色灯がいっぱい駐車場の方に来るではありませんか。何事かと思ったら駐車場を取り囲んで無駄な抵抗はやめて手を上げて車から出て来なさいとの事でした。手を上げて出て行くと警察官が車のナンバーを見てなんだNナンバーじゃないかと言って私達は東京の族の取り締まりで忙しいんだ早く帰って寝ろと言われました。捕まりはしませんでしたがお説教されました。バトカー10台白バイ10台位いでした。改造して有る所を指摘され直すように言われました。もう時効だから書きますがその時車の燃料はブルーガソリン(農耕油)と言う燃料を使っていました。ブルーガソリンは農耕用なので税金がかかって無いので捕まると脱税の罪になります。排気ガスの匂いが普通のガソリンとは少し違うので内心びくびくでした。近隣の人が通報したんだなぁと思いました。帰る時、菅有料道路が有りました。現在はありません。料金所は24時間やっていて有料道路の中央あたりに有りました。遠くからライトを消しスピード落として
料金所の手前でフルスロットルで通過しました。良い子は絶対真似をしないようにね。
私も身を固める事にしました。車の道楽もやめカペラを手放して金の掛からない軽自動車でホンダZ360を竹○和○さんから譲り受けました。もう車検も無く車検を取って乗る事になりました。車検整備をしたのでしたがリアのホーシングと言う部品がぶつけてあって変形している為中古品で交換する事になりました。車検も合格して車の色も240ZGと同じマルーン
色にしました。ホンダZは空冷で夏は暑いのを我慢すれば良いのですが冬場での暖房はまったく効かず最悪の車でした。
私も一身上の都合で会社を辞める事になりこれから家業の建設関係の仕事で頑張って行く事になりました。結婚資金を貯めて結婚する事になりました。ホンダZも車検切れになり廃車になりました。次の私の足は家業で余っていたマツダファミリア1300トラックになりました。初めは五階建ての団地住まいからです。向かいの五階建てには川○さんと言う先輩が住んでいてよく遊びに出掛けて行きました。

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