はからずもワンテーマ、と思いきや〜 #79

遅くなりました!ちゃーはんです!

ずっと書こうと思っていたことは、くみちゃんに貸していただいた國分先生の本のなかで「運がいいっていうのはどういうことか」について語っている部分があって、それについて暫く考えていたこと。

確か「運がいい人っていうのは、日常の中で行う無意識かつ無数の選択を『ほとんど先天的に』上手く行える人、無意識に普通の人より多くの情報処理ができている人」というような内容だったと思う。家にあるので参照すればいいんですが、あえて頑張って思い出してみた。笑

ここが妙に心に残っていて、果たして自分はどうなのか?それって結局環境要因でサイクルだよね、みたいなよくある格差言説に取り込まれたりはしないのか(取り込まれてしまうなら急に話がつまらなくなるのでそうじゃないと仮定したい)とか色々考えてて面白い。

「運がいい」を使う場面って想像すると意外と限られているように思って、一つは本当に取るに足らない日常の出来事。たとえば空いてるラーメン屋に入ったらその直後からめっちゃ混み始めた、とか、今日食べたいな〜と思っていた食べ物が夕食に出てきた、とか。これに関しては後者はともかく前者のラーメンの例は、たしかに直観的な情報処理の成果とも考えられるなぁと思った。パッと見たラーメン屋が「悪くないかどうか」「今入るべきかどうか」を判断することが、他者の評価(=行列)無しでもできるということは、何らかの情報処理を判断直前にしているわけだよねぇ。

で、二つ目は運でしか説明のつけようがない抽選結果。ライブ当たった、とか。これは基本的に説明のしようがないから、判断能力の話とは関連しない。あとギャンブルのことはよく分からないのでここかな、と思うけどよく知ってる人からするとあれもギリギリのなかでの判断能力を酷使したゲームなのかもねぇ。

で、上記二つ以外で、もう少し「広い意味での」運がいい、を使う場面を考えると最終的にかならず「人に恵まれてる」って話になる、というかそれ以外で広めの意味での「運がいい」って私は思いつかなくて。仕事があるとき急に振ってきたんです、とかそういうのも結局は人だし。そうすると結局「運がいい人=人に恵まれている(と自分で思っている)人」ってことになるから、あらゆる過去の経験や情報を駆使して付き合う相手を選択できる人が「運がいい人」ってことになるのかなぁ、など。

考えながら書いたので散乱しましたが、外から見てても明らかに運が異常にいい人っているよね。笑  でもやっぱり揃って人格者というか、とにかく愛されている人間であることが大前提にある気がする。

かくいう私も運は明らかにいい方だと思うんだけど。まぁ別にすごい強運を感じたことはないし、ミスチルのチケットは普通に外れるけども、一方で運悪すぎ!な記憶がそんなに無いからなんだろうな。就活失敗と同時に振られたのは何で同時に来るんだよ!と運のなさを呪ったりもしたけど冷静に考えたらそれは運の問題ではないのでした。人格、人間性……の不足……。そのあたりも運のせいにして生きていった方が楽かもなぁ。

話は変わりますが先日友人が「世の中みんなめっちゃ口軽くない?」と豪語していて、笑 皆さんどう思います?

友人は(よくある話になってしまうんだけど)コミュニティ内でまぁ恋愛というか行きずりというか、そういうことがあった時、自分は秘密主義だから当然誰にも明かさないわけで、もちろん君もそうだよね?うんうん!(暗黙)と思ってたら気付けばコミュニティ全員知ってるんだが!?みたいな事項が何度も発生しすぎてもう全然信用していない。コミュニティ内はもちろんだけど外でも変なとこで繋がって「何でお前が知ってんねん」になってしまうから本当に怖いよ、と言っていた。

私は暗黙の了解、を信じ続ける世界線にいる幸せ野郎なんだけども、まぁ守られてない可能性も全然あるわけだよね。しかも言われてみて色々思い出してみたら(一線越えたとかではなくて、単にちょっと好きでカマかけて終了した相手とか。でも恥ずかしいじゃん)よく考えたらあの人もあの人も全部知ってて私と付き合ってるんか!?みたいな事案が数々思い起こされて、自分の幸せバカ具合に少々呆れてきている。

どうなんだろう?みんな意外と自分の話も他人の話もガンガンするんかな。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?