おは #106

昨日うちに前職同期などが5人来まして、とても楽しかったのだけど、大変疲れました……。働きまくってたのは細川さんなのでおれは座っていただけですが。人が来ると疲れるし、生活リズムが前倒しなタイプなので本音を言うと21時くらいまでには帰って欲しいんだよな……。今日は働く気力ゼロです。

3週間くらい前に久しぶりに自由が丘に買い物行って、照明買うなどしました。久々のモンサンクレールにぶちあがった細川さんがトシ・ヨロイヅカの悪口を激しく言いながら爆買いした結果、会計が9000円を超えてて思わず笑いました。

都議選は当然行きたかったんですが、住民票が実家にあるので結局行けず……。コロナじゃなかったら参議院選のときみたいにちゃんと取りに帰って投票したのだが……色々と悲しみが深い。やっぱ入れないと選挙番組の楽しさにも欠けるし、無理してでも帰ればよかったかなぁ。昨日うちに来てた子達はみんな投票行ってないらしく、(「自分の一票では何も変わらない」)選挙券家にちゃんと来るなら俺の分まで行って欲しかったという気持ちもあり、まぁそんな権利もないんですが悲しい気持ちになりましたとさ。

ウミネコちゃん紹介の漫画気になったー。時間あるときに読んでみまっす

大体子どもの問題は何かしら親に原因があるという話が続く。それ自体にはとても同意する一方ですべての親が完璧に「親らしく」やってけるかといえば、難しいだろうし、正解もないことだから、自分の一生懸命が最悪の手だったなんてことも多いと思う。

これは他人の深刻な問題に関しては同意する一方で、自分の欠陥に関しては当てはめたくないという気持ちめっちゃあるなー。基本的には愛されてすくすく育った中で、自分に生まれた欠陥は自分由来のものだと思いたい、親のせいにはしたくないという気持ちが結構強い。私の場合は生活に支障のある問題は今の所少なそうなわけだけど、そういう親擁護ってまじでしんどい状況な子供達も同じように持ってるんだろうなと思うと難しいよね。

たった一度の人生という同様の条件を持つ人間たちが、どこまで他人や社会のために生きられるか? これは最近のテーマです。

「誰かのために」な気持ちは大学生の頃に途上国支援を仕事にしようと思っていたのが頓挫してからだいぶ薄くなってしまったんだよなー。「誰かのために」が価値観の押しつけと表裏一体という難しさにぶつかってからあんまりシンプルに考えられなくなっちゃった。なので積極的に助けよう!な気持ちは薄いけど、他人を攻撃したり否定しない、みたいな消極的・間接的に他者の幸せを守ることはしていきたい、という気持ちは割とある。人から感謝されたりはしないし、消極的な姿勢ではあるけど案外重要なことじゃないかなとは思うのよねー。

将来どうなりたいのか、なんて聞かれても、どうなりたいのか探るために今色々やってみてるんですよ…と困り果てた

ほんとそれよねー。シンプルに嫌な質問だな!と思ってしまう笑

くみちゃんのインタビュー形式めっちゃすこでした。美しい家庭運営ですな……!




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