ついに3種の痔をコンプリートした話〜他人の変わった体験談が好きな人に向けて〜

どうも、伊藤です。突然ですがこの度、痔ろうに罹患してしまい、手術を受けてきました。

その体験談を赤裸々に語っていきます。

※あくまで個人の体験談につき、医学的に誤った表現、不適切な言い回しなどあるかもしれません。どうかご了承ください。


序章

の種類は3種類あるとされていますが
ぼく自身の経験としては今回でコンプリートしたと言えるでしょう。

・きれ痔(多分子供の頃から、自然治癒レベル)
・いぼ痔(2013年、手術レベル)
・痔ろう(2024年、これになった時点で手術確定)

そう、上記の通り実は肛門の手術は人生で2回目です。

1回目は11年前に遡るのですが、当時の知人やmixiで繋がっていた方の記憶にはもしかしたら残っているかもしれません。
(それについては余談をご覧ください)


さて、痔ろうとはなんぞや?

痔ろうとは、肛門の中から外側の皮膚につながるトンネルのような管ができた状態のことです。

痔ろうは、肛門と直腸の間にあるくぼみから細菌が入り込んで肛門腺に炎症が広がり、膿(うみ)がたまった状態の“肛門周囲膿瘍(こうもんしゅういのうよう)”がきっかけで発症します。肛門周囲膿瘍が進行し、自然に膿がはじけ出て膿の通り道ができた状態が“痔ろう”です。
痔ろうの根本的な原因である肛門周囲膿瘍は、下痢や便秘、お酒の飲み過ぎなどをきっかけに発症します。

Google

痔ろうになってしまった心当たりは2つあるので、そちらから時系列で振り返っていきます。


第1章〜痛みの始まり〜

痔ろうになってしまった心当たりの1つ目は
1月中旬頃、強烈な便秘が起こった結果

「あ、今完全に切れたわ」

という尻応えがあったこと。

2つ目は2月中旬頃、突然の下痢。

その下痢の後の数日間、排便回数の増加により肛門に負担がかかっているのを実感していた。

痔に関しては自分なりの自然治癒法は身につけていたので、またいつもの対応で治るだろうと見込んで過ごしていた。


しかし2月21日の夜
いよいよ尋常じゃないくらいお尻が痛い。

今すぐ病院に行きたいと思うくらいには痛い。

鏡を使って患部を確認したところ、見た目はなんともない。

しかし、触れてみると激痛を発しているのは肛門ではない。

肛門の左斜め前が熱を持って固く腫れている。

この時点では心当たりの1つ目のこと

切れ痔からばい菌が入って腫れたのではないかと予測した。

翌日22日は確定申告に行きたく、それを済ませたら病院に行こうと決めた。


第2章〜病院、その後の迷い〜

しかし朝起きたときには「病院が先だ」と気が変わるくらいには痛みが増していた。

自宅から一駅隣にある肛門内科を受診した。
こちらをA病院としよう。

A病院では

「あ〜かなり軽い痔ですね。お薬出しときますね。」

とのこと。

「えっ、周りが固く腫れてませんか?」

と言い返すものの

見た目は何ともないですよ。拭きすぎには注意してくださいね。」

と言われて診察は終わった。


11年前大変お世話になったポラザg軟膏を30日分手に入れ
早速塗ってみたが全く効いていないように感じた。

じりじりとする痛みに耐えながら何とか確定申告会場に辿り着き、無事に確定申告を終えた。


その後、診断に納得がいかない気持ちから
痔を得意としているという別の病院に徒歩で向かった。
そちらをB病院としよう。

しかし歩いているうちに痛みが馴染んできた。
B病院に着く少し前には診察を受けるか悩み始めていた。

A病院でお金がかかったし、もらった薬を続けていたら炎症は治るかもしれない。

しかしここで診察を受けない決定打となったのは
B病院の入り口に貼ってあった

「マスクを着用していない方は入ることはできません」

という内容の貼り紙。

その日マスクは持ち合わせていなかった。

自宅にマスクがたくさん余っているのに、病院近くでわざわざマスクを買って入るとなると些細なことだがケチな私にとってはハードルが上がった。

(大きい買い物は出来てもチリつもの出費が嫌い)

私はここでポラザg軟膏を信じて様子を見るという判断に至った。

そのことを後に激しく後悔することになるのだが…。

その日の晩は検索魔になり、情報を得るうちに
肛門周囲膿瘍ではないかと思い始めた。

切開すると楽になる…なるほど。

これが悪化すると痔ろうになるんだな、くらいに思っていた。


11年前、いぼ痔の痛みに苦しんだ初夜にも検索魔になり
「痔ろうだったらどうしよう〜、穴が空くとか怖すぎる〜」
と不安になり、夜な夜な枕を濡らしたことを思い出しながら眠りに就いた。


第3章〜結局違う病院にて切開〜

翌日、肉体労働に出たが患部が痛すぎて立っているのが辛い。

1日耐えられそうもない。やはり病院に行きたい。
切開できるならして欲しい。

しかしこの日、2月23日は祝日だ。祝日もやっている肛門科…

検索魔となったぼくは労働時間中トイレに逃げ込み、
内科だけではなく外科とも名を掲げている病院を選んだ。
こちらをC病院としよう。

LINEで予約出来るシステムであっという間に予約。便利すぎて驚いた。

東京だけど住まいのある神奈川寄り。
交通費のこととか、患部が痛すぎてこの際なんでもいい。
(前日のマスクによるケチ精神よ…)

肉体労働を2時間半でギブアップ、退散。

やっとの思いでC病院に到着した。

医師「あ〜痔ろうですね〜!痔ろうは根治するのに絶対に手術が必要。やるしかない。
まずは今、応急処置で切って膿を出しますけどいいですね?出すと楽になるから。」

ぼく「うわ〜痔ろうでしたか〜……お願いします」

医師「まずこの麻酔の注射が結構痛いんですよ。
痛いですけど、絶対動かないようにだけ頑張ってくださいね。叫んでもいいですから。チクッとしますよ〜」

グサッ

ぼく「いだだだだだだだだ!!!」

医師「切りますね」

ズシャ

ぼく「いっっっ!!!」

医師「はい、では膿出しますね、痛いけど頑張ってくださいね!」

ギューーーーーー(※患部を全力で押し絞られる)

ぼく「いだだだだだだだだ!!!!いだい!!!え、いだい!!!!」

医師「わかるよ〜、これはかなり痛い。痔ろうは痛みレベルかなり高いですからね〜、この膿を出し切るのがとても大事だからね〜」

ぼく「助けてーーーーーー!!!!うううううぅーーーー」

医師「今助けてるからね〜」


処置後は患部にガーゼを貼り、抗生剤と痛み止めを処方してもらい1週間後に再診となった。

絞り出された時の痛みを引きずりながら帰宅。

・痔ろうと診断されたこと
・手術が必要であること
・検査などで少し病院通いが続きそうなこと
・昨日の病院が時間とお金の無駄になったこと
・想像を絶する絞り出しの激痛


横浜に引っ越してから絶好調だったが
突然やってきた絶不調な出来事を私のキャパで全てを受け入れ
整理するには少し時間がかかった。

しかし痛み止めが効いてくるとそこそこ元気になった。


第4章〜次の診察までにもう一難〜

切開後は抗生剤や痛み止めを飲み、通常の生活を送った。

痛み止めを飲むと肉体労働の際に普段よりもバリバリ動けることに気がつく。

腰が痛くないからだ。
(※痔とは関係のない腰痛のこと)

しかし日々、腰痛を感じていたわけではない。
薬を飲んで痛くない状態を体感して、ああ、腰痛があったんだなと気が付いた。
(これ、11年前も痛み止めを飲んだ際に同じことを記録に残していた。)

しかし痛みを知らずに動き続けることに危険を感じたので痛み止めは早めにやめた。

切開した傷も綺麗にピッタリと塞がり、早い段階で痛みもなくなった。

しかし患部にまだ固さが残っているな…
と思っていたちょうど1週間後の診察の前々日の夜、再び腫れて痛くなってきた。

翌日もどんどん腫れてきて、痛み止めの服用を再開。

しかし殆ど効いていないんじゃないかという痛さだった。

診察前日の夜、鏡で患部を確認したところ
巨大ニキビのような白い点が確認できた。

皮膚が爆発寸前の状況を悟った。

いっそ爆発したら膿が出て楽になれるんじゃないかと思いながら眠りに就いた。


その1時間後、ふと目が覚めると張り詰めた痛みが消えていた。

ぬるりとした感覚が患部にあった。

こ、これは……

起きて再び鏡で観察すると、白い点から膿が放出されていた。

この膿は診察の時にまた絞り出されるだろう。

痛み止めも効いてる今のうちに自分で絞ってしまえ!!!

ということで、深夜に絞り出しを行った。


余談だが、一時期粉瘤を絞り出す動画を結構見ていて、膿を出す行為自体は結構好きだったので、ちょっと楽しかった。

痛みが激減したことにより、晴れ晴れとした気持ちで今度こそ眠りに就いた。


第5章〜トンネル開通、再び切開〜

翌朝、再び患部を確認。
まだ滲み出る膿を拭き取ると…

患部に穴があいている!!!

第2のシリアナが開通した!!!

こ、、これが別名あな痔の由縁か!!!



その日はC病院にて再診。

ぼく「あの後良くなってたんですけど、一昨日の夜から腫れてきて、本日深夜に爆発しました」

医師「あー、これ近いけど別の場所にできてるね!同じ場所なら切開した傷がまた開くってパターンがよくあるんですが傷はくっついてるね。
これは複雑痔ろうです。複雑痔ろうはかなり厄介なんですよ。これはまた切らなきゃいけない。

ぼく「え!?膿出たのにまた切るんですか!?うわーーーーーまじかーーーーーー

(また激痛コースか…しかも切開するとお金かかる〜)

医師「やるしかない。」

そして2度目の切開が行われたが
自分で膿を絞っていたこともあり一瞬で終わり
痛みレベルも下がっていたので良かった。



医師「痔ろうの厄介なところはね、ぶり返すことなんです。手術の日程が決まってもぶり返して悪化してまたイチからやりなおしっていうことがあるんですよ。また1週間後に来てください。」

こうして2度目の切開を終えた。

切開直後にも関わらず、この日は肉体労働に出た。
(本当は1日運動を控えなければならない)


第6章〜3度目の正直、そして絶望感〜

再診までの1週間は
腫れをぶり返さないよう神頼みをしながら過ごした。

1日置き程度に、肛門周りの筋肉がひきつるような痛みを感じていた。

そしてまたC病院で再診の日。

固いしこりのようなものは残っていたが痛みはなく
無事に切開することなく、大腸内視鏡検査に向けた採血レントゲン撮影をした。


痔ろうは、腸内のウイルスが原因となっている可能性があるので大腸内視鏡検査が必要とのこと。

しかしその内視鏡検査の説明を聞いて、私の心はまた絶望に襲われた。

腸内を空っぽにして撮影するために
3日前からの食事コントロール
検査6時間前から腸管洗浄液を飲み、トイレに入り浸るというスケジュール。

自宅で腸内のものを全て出し切ってから
1時間かけて移動しなければならない。

手術前に試練が待ち受けているような気分だ。

看護師さんから、検査の説明を受けている時に
レントゲンを見たお医者さんが飛び込んできた。

医者「え!?便秘なの??
(※痔ろうは下痢が原因なことが多いらしく)

ぼく「あ〜生理前なので便秘です。生理が来たらゆるくなります。あと、冬は便秘しやすく夏は下しやすいです」

医者「難しいお腹だね。もしかしたらこの腸内環境が原因かもしれないね。漢方あるけど1ヶ月分とか出しとく?」

ぼく「う〜ん。検査して原因がハッキリしてから考えたいです。」

(ケチ精神と、何かを飲まなきゃ解決しないという状況が嫌)



そしてその日の診察を終え、再び憂鬱な気持ちに浸った。

内視鏡検査っていくらするんだろう…

悪いものが見つかったらどうしよう…

大腸にポリープあったら切除することで同意したけど、なんかありそうだな…

(11年前は肛門ポリープの手術だったし、確か祖母も何らかのポリープを切除したことがあるので)

思っていたより手術に辿り着くのに時間がかかりそうだな…

憂鬱な気持ちに浸りながらも
3月22日に大腸内視鏡検査の予約をした。
本当に便利なシステムである。


第7章〜大腸内視鏡検査〜

検査の3日前から消化の良い食事の指定と
朝食後の便秘薬(モビコール)の服用が始まった。

消化の良い食事はほとんど炭水化物だったが
野菜を食べない日々にやや不安を感じながら過ごした。

検査3日前からのおすすめメニュー


検査前日は病院から渡された
検査専用のレトルト食のみを3食分。

おかゆ、肉じゃが、クリームシチュー
どれも柔らかくて味はなかなか美味しかった。

検査専用のレトルト食品


検査当日は朝8:00から2時間〜3時間かけて
2リットル分の水に溶解した腸内洗浄薬(モビプレップ)と1リットルの水を飲み干した。

腸内洗浄薬と水


その間、何度もトイレに駆け込み
便が水状かつ透明になっていく過程を楽しんだ。

この、何度もトイレに行く行為自体が肛門への負担にならないかが不安だったが、体感的には大丈夫だった。

しかし、固形物はもう出るはずがないのに残便感があり
これは内部にいぼ痔があるということなのではないかと思った。


腸内が空っぽになったら
お腹周りがスッキリしたのではないかと期待し
お腹を出して鏡の前に立つものの

やはりこれは脂肪なんだな

という現実を突き付けられたただけであった。


片道1時間、電車に揺られ病院へ向かう。

ゆるくなったお腹のことが気がかりだったが
無事に病院に辿り着いた。

空腹感はややあったが、我慢できる程度だった。

検査着に着替え、最初に栄養補給の点滴。

その後睡眠薬の点滴を投与され、少し待ったら知らぬ間に寝ており
次にぱちっと目が覚めたら検査は終わっていて、ものすごく驚いた。

肛門から内視鏡を挿入されたらさすがに目が覚めるのではないかと思っていたが、全く覚えていない。

しかし起き上がったときのふらつきは凄いものだった。

内視鏡検査の結果としては

直腸にやや赤みがあるものの、今日の下剤の影響か内視鏡挿入の影響の可能性が高く

腸内は綺麗でポリープなどもなく

この後からは普通の食事をゆっくり食べていいのことだった。

ちなみに炎症はないものの、内痔核(いぼ痔)のようなものが2つ確認できた。

やはり残便感はそれか。

先日の血液検査も何の問題もないとのことで安心した。

今回の病理検査は2週間後に結果がわかるとのことで、再び予約をした。

手術までの道程が…長い。


第8章〜病理検査の結果そしてMRI検査〜

2週間後、再びC病院を訪れ検査の結果を聞いた。

大腸に特に問題はないとのことだった。

これでやっと手術の日程に話が移る!

と思ったら
痔ろうのトンネル、道がどのような形になっているかの検査のために

別の病院にて骨盤部のMRI検査を受け

その後日にお尻のエコーを撮影するとのことだった。

MRI検査の予約はすぐに取ってくださって
この2日後にMRI専門のクリニックにてMRI検査を受けた。

生まれて初めてのMRI検査だった。

寝たまま動かずに機械の中に20分間。

中は音がうるさいとのことでヘッドホンを装着させられる。

ヘッドホンからはピアノで、ジブリの音楽が流れていた。

これは安眠できると思った矢先
ヘッドホンの外側、機械内にて

ごおおおおおおおおおお

ピピピピピピピピピピピ

時折結構な爆音が鳴り響いた。

しかしうたた寝しながら検査を受けることができた。

途中、ヘッドホンの中から女性の声で指示が聞こえた。

「………〜〜〜ので、とめてくださ〜い

外の爆音と、寝ぼけていたのもあり全然聞き取れない。

わからないので黙っていた。

「はい、楽にしてくださいね〜」

もしかして、息を止めてくださいって言われたのかな?

そう思ってしばらくしたらまた何か指示する声が聞こえた。

やはり、何かをとめてくださいという指示だったので、わからなかったけれど息を止めた。

そうして検査は終了した。

帰り際に検査結果の入ったCDを渡され、C病院に持って行くように言われた。


第9章〜エコー検査、あの日の悔い〜

MRI検査の2日後、検査結果のCDを持ってC病院に行った。

この日はエコー検査もした。

エコー検査では、横向きに寝て肛門にゼリーを塗布され、肛門鏡を挿入された。

時折触れる痔ろうの穴(患部)が痛い。

その後は尻の谷間に機械のようなものを挟まれ、エコー撮影が行われた…と思われる。

振り返るとあっという間に終わったような気がする。

その後エコー検査の結果の説明を受けた。

エコー写真を見ながら説明されるものの
写真の見方が私にはさっぱりわからなかったのだが

肛門から見て12時と1時の方向に、痔ろうの道は2本走っていて、2本分の手術を行うことになります」

とのこと。

日帰りでの手術ではなく、入院での手術を勧められた。

住まいに近い場所だとB病院とのことで、紹介状を書いてもらうことになった。


そう
1番最初のA病院(軽い痔と言われ見逃されたところ)に行った日

確定申告の後に2件目の受診をするか悩みながら痔を得意とする病院の前まで行って

マスク購入をケチったことにより受診を見送った…
あのB病院である。


2ヶ月も前の自分の判断を一気に悔やんだ。

あのときマスクを買ってそのまま病院に入っていたら?

もっと早く、手術までの検査の段取りが進んだかもしれない。

交通費も安かった。

(強いて言うなら診療時間は少し通いづらかったかもしれないが。)

そして最初に痔ろうを見逃したA病院に対しても責めたくなる気持ちが湧いて来た。

そこで一度薬を処方されたから、もう少し様子を見ようとも思ったわけで。

次の日の朝になっても痛みが変わらないなんて、その日には思いたくもなかったわけで。

過去を悔いても仕方がないとはわかっていても悔やんでしまった。

今度は1週間後に紹介状をもらうために
C病院の受付まで行かなければならない。

ぶん殴られたようなメンタルのまま病院を後にした。

この日は夜にドラムパフォーマンスの船内ショーの本番があり、気持ちを切り替えて臨んだ。


第10章〜紹介状をもらいB病院へ〜

それから1週間経たないうちに自分の休日が来たので
C病院に電話で紹介状が出来ていることを確認し、紹介状を受け取りに行った。

すごく良い病院だったが、きっともう2度と来ることはないだろう…と思う。

紹介状を持ってすぐにB病院へと向かった。
この日はマスクを忘れていない。
大きくて建物が新しい病院だ。

再来受付が機械だったり、細かな受付が違う階に複数箇所あったり

混乱するお年寄りの患者さんと、スパッとした口調で案内する受付の方々の様子が散見された。

紹介状にはMRI、エコー写真、大腸内視鏡検査のデータが入ったCDが3枚入っていたようだ。

それらを受付に渡し、そこでまさかの信じ難いトラブル発生。

そのCDのうちの1枚大腸内視鏡検査のデータ名が私の名前ではなく、違う人物の名前になっていたため、データは開かなかったとのこと。

この誰のものかわからないCDの返却
正しい自分のデータを受け取るとなると
またC病院まで行かなければならないのではないか。
絶望感に襲われた。
前述、もう2度と行かないと思ったのに…

その運の悪さにショックを受けながら
1時間程待ち時間を過ごした。(予約なし初診のため)
診察室に通されると肛門の状態を診察され、お医者さんが驚くほど丁寧に時間をかけて状況を説明してくださった。

大腸内視鏡検査の結果は文面で届いているので
ぼくの正しいCDデータの写真は必要ないとのことだった。

(尚、誰のものかわからないCDをわざわざ返しに行くのはやめようと勝手に決めた)

まず最初に説明されたのが予想外に、いぼ痔の症状についてだった。

前の病院では何も言われなかったのに、皮膚のたるみを切除する手術が必要になるとのことだった。

排便習慣の改善、トイレでは1〜2分以上いきまないよう、排便の量は少なくても気にしないように言われた。

そして本題の痔ろうについて。

手術については8日間の入院、デスクワークの場合2週間休職、力仕事は3週間の休職、運動は最低3週間控えるように言われた。

思ったより長く、日常生活に対するダメージは大きかった。

しかもトンネルが2箇所あるうちの一つは
今も膿が溜まっているので
この日応急処置で切開して出す必要があるとのこと
(痛みはないのにまたかよ…)

更に、この日のうちにエコー検査をして、本当にトンネルが2つ通っているのか診るとのことだった。

「先日C病院で撮ったばかりですが、また撮らなきゃならないんですか?」
と聞くと、そうなんです、とのこと。

そしてまた1時間程の待ち時間の後エコー検査を受けた。

エコー検査は以前の病院よりずっと楽だった。
肛門に器具を挿入している時間は長かったが、じっくり見てもらえているという感覚である。

エコー写真を見ながらの解説は少しわかりやすかった。

その後、膿を出す処置を受けるにあたり
説明書きを読んだ上で同意書にサインした。

C病院ではそんなものはなかった。

しかも、1週間運動を控えるようにと書いてあり
翌日から肉体労働もあるし、切開は後日にしようかと悩んだが
C病院のときは切開当日から肉体労働をしていたので…

内緒にしてりゃ大丈夫だろう!!

と鷹を括って同意書にサインをした。

膿を出す処置をしてくださったのは女性の先生で、前の病院よりも大きく切って膿をしっかり出しますとの説明を受けた。

(だから運動しちゃいけないのか〜、でももうぼくは肛門を先生に向けている。ここまで来てやっぱやめますとか、言いたくないw)

以前の病院同様に局所麻酔がすごく痛いことの説明もあった。

しかし、もう痛み耐性がついていたのか、普通の注射より少し痛いかな、という程度の痛みだった。

麻酔を受けながら「本当に症状がやばかった時より痛くないですね〜」なんて話してしまうくらいだった。

そして以前と全然違うのは、麻酔がしっかりと効いたこと。
麻酔後の切開の痛みは殆ど感じずに済んだ。

その後止血のために20分間椅子に座って圧迫するという時間を設けられた。
(前の病院とえらく違うな)

その間看護師さんに普段の排便に関する事情聴取をされ、丁寧にアドバイスをもらった。

20分経過後に切開した箇所を確認され
その後に入院に関する説明を詳しく受けた。

病院と自分のスケジュールをすり合わせて
6月11日入院、12日に手術で予約をした。

13:00に病院に行ったが
全てが終わったのは18:00を過ぎていた…

C病院はやけに時間効率が良くて、予約時間から30分程度で会計までサクサク終わる病院だったので待ち時間はギャップに苦しんだ。

しかし時間がかかる分、アドバイスの内容、一人一人への対応、B病院はすごく丁寧だった。

約2ヶ月前のあの日に、マスクなんかケチらずにこの病院で診察を受けていたら…

もっと早い展開で手術などに臨めたのではないかと思うとやはり悔やまれる。


第11章〜切開傷の確認、手術前の検査〜

前回切開してから1週間と少し過ぎた休日に、傷の確認のため再診。

本当に切開翌日から肉体労働には出ていたものの
炎症も治まり、予定通りに進むとのことだった。

そしてその更に3週間後の5月16日には
手術前の検査のためB病院に行った。

まずは肛門内圧検査という、肛門の圧力を測定する検査を受けた。

長さ5センチほどの、水が出る器具を5分間肛門に挿入し、測定。

その間、水に刺激されて患部に痛みを感じた。

その後少しいきんだ状態ものすごくお尻を締めた状態での圧力も測定した。

お尻を締めた状態のとき、締めるのが下手だったようで3回やり直して正常の数値になった。

ゆるゆるか。


その後診察があり、最近の痔ろうの傷の状況を伝えた。
(この頃、度々滲む程度の出血があったため)

すごく炎症が起きているわけではないが、少しくすぶっているので、この日もエコー検査をしますとのことだった。

先に胸部、腰部のレントゲン、採血、身長体重測定、心電図検査を受けた。

身長体重は気になっていたが、病院側にデータをとられただけで
聞かなかったからか、教えてもらえるわけではなかった。笑

そして最後にエコーにて、痔ろうの膿の溜まり具合を確認。

前回より炎症がおさまっていて、痔ろうのトンネルの形状がしっかり見え

実際には2本トンネルがあるのではなく1本から分岐しているように見える

とのことが判明した。

尚、この日また切開して膿を出すか否かについては
手術日までに現状維持できるのならば問題ないが
もし悪化した場合は手術日当日になって出来ない、膿を出すだけの処置でおわる可能性もあるとのこと。

選択肢は3つ
①念のためこの日切開しておく
手術2週間前に予約しておきその際に経過を見て判断
③手術前にもしも腫れるようなことがあればすぐに来て切開

悩んだが①を選択した。

②でも良かったような気もしたが
先延ばしの選択肢での判断ミスはもうしたくない。

しかしいざ切開となると、この度の麻酔の注射はややハードモードだった。

針を刺してから痛い時間が少し長く
その後何回にも分けて注射をされた。
(前回の麻酔は2本だと明確にわかったのに)

2回目からはほとんど痛みを感じなかったが
不意にやってくる深みと重さのある痛みがあった。
切開もピリッと痛かった。

やっとの思いで切開を終え、前回同様、20分間椅子に座ることで止血をした。

9:00からの病院、全て終わったら11:40だった。

その1週間後にまた切開後の傷の経過を診てもらった際には問題はなく

次回はいよいよ入院となった。


第12章〜手術・入院生活〜

●入院1日目

6月11日(火)10:00入院

手術には保証人を付けていないため前払いで手術・入院費用の支払いなどをし
問診や入院期間の過ごし方の説明、医師の診察などを受けた。

2日目に手術となるため、昼食や夕食は消化に良いメニューだったが、驚くほど美味しかった。

食物繊維がほぼ無い手術前日の昼食

腸内を空にするため夕食後に下剤を飲む。

効くまで時間がかかったが、朝までに6回もトイレに駆け込むことになり、これがややハードだった。

1日目は隙間時間にたくさんSwitchで遊んだ。(最近やっとティアキン始めたところで)

●入院2日目(手術日)

朝6:30、坐薬を投与され腸内に残っているものをしっかりと出し切る。

それから手術着に着替え、点滴を受ける。

腕のやや甲側から針を刺されたが、その血管を探すのに一苦労のようだった。

それからしばらく待ち時間があり、ついに手術となった。10:15頃だっただろうか。

まずは下半身に麻酔をかけていく。

背中を丸めた状態で背中に局所麻酔を打ち、その後硬膜外麻酔というものを打っていく。
麻酔を打つ、麻酔が注入される痛みもあったが
何よりも手術に対する恐怖心が募っていった。

次はうつ伏せの体制になり、麻酔が効いてきているのと同時進行で、尻を広げた状態でテープか何らかの方法で固定された。

まだやんわりと感覚が残っていたことにより、急激な恐怖感に襲われた。

看護師さん(?)に大丈夫?と声をかけられ、
いい歳こいて「大丈夫です」と言いながら泣いてしまった。

手術室の中の方々の声掛けが優しくて優して、むしろ涙腺に追い討ちをかけられた。

手術が始まった頃にはもう下半身に感覚はほぼなく、しかし長時間正座した直後の脚の痺れの感覚にも似ていて
ちゃんと血通ってる?壊死しない?とも思える感覚だった。

手術中は下腹部の内臓を圧迫されるような感覚があった。

電気メスの焦げ臭いにおい。

お医者さん2人の「ここがこうなってる〜」という類の内容の、よく聞き取れない会話。

痔ろうは、患部を実際に見ながら手術を進めていくものとのことで、前以てどのくらい切るかなどはぼくは知らない。

いぼ痔も取ってくださったとのことで、思ったよりも時間の経過を長く感じていた。

終盤は頭側にいてくれた看護師さん(?)と会話をしながら過ごした。

手術自体は30分。麻酔から含めると40分程経過していたとのことだった。

手術後、切り取ったものを見せていただいたが
痔ろうは想像していたよりも小さく、すごく短い管のようなものが切り取られていた。
いぼ痔2つ、少し白っぽい肉片だった。

その後寝たままで病室のベッドに移された。
そして麻酔が効いているうちに病室で尿道カテーテルを取り付けられた。

11:00過ぎに病室に戻ったのだが、なんと

翌日の朝まで起き上がり禁止!!!
(麻酔の関連で頭痛の恐れがあるなどの理由で)

いらすとやさんがじわる。

徐々に下半身の感覚が戻っていき15:00過ぎに患部がじわじわと痛いような気がしてきた。

ロキソニンを飲んでひたすら寝たきりの時間。

Switchを側に置き、寝たきり

Switchをしたりスマホゲームをして過ごしたが、患部がズキズキと痛くなってきた。

18:00頃に痛み止めの点滴もしてもらい少し和らいだが、痛いもんは痛い。

夕食はゼリーのみ。

空腹に少しの癒し。

ゲームに飽きたら少し眠って時間を潰したりしながら過ごした。

しかしどんどん、起き上がれないことによる腰痛が増していき
管を入れられた尿道の違和感も気になってきた。
一方、睡眠はもう要らないくらい眠ってしまったので
朝までこのまま色々な痛みや違和感と闘わなければならないのかと、20:00以降、心理的に追い詰められていった。

起床が6:30なのでそれまでの辛抱…
眠れない夜の時間というのはすごく長くて、まさに生き地獄だった。

将来もし年老いて寝たきりになったとき、もしくは大病を患ったときなど、私はこの腰痛に耐えることができるのだろうか。
もう絶対病気しないようにしなきゃ…そして逝くときはポックリのほうがいいかもしれない…

深夜0:35頃、もうスマホ画面なんか見たくなかったがテトリスをしながら気を紛らわす。

どのくらい時間が経ったかと思い確認すると0:42…10分も経っていない絶望…

こんなのを6:30まで……絶対に無理だ。

ナースコールで看護師さんを呼び、ヒソヒソ声で色々痛くしんどいことを訴えると
別の種類の痛み止めの点滴をしてくださった。

点滴が効いてくるのを待っていたら、ものすごい睡魔がやってきた。
看護師さんが様子を見にきてくれて、うすら起きたが横になっているのにクラクラする。

看護師さんに眠っていいんだよと言われたので眠った。

(痛み止め+睡眠薬入りの点滴だったらしい)

●入院3日目の朝〜退院まで

そして次に目が覚めたら5:00台…心が一気に軽くなった。

後少し頑張れば上体を起こせる!

朝ごはんも食べられる!


しかし絶妙な眠気が持続している中、痛み止めは切れていてもう一眠りとはいけなかった。

6:00過ぎ頃に看護師さんが来てくださって、尿道カテーテルを引っこ抜いてもらい、ロキソニンを飲み、ベッドの背中部分を起こしていくところから始めたが
起こして間もなく急激な吐き気に襲われた。

ものすごい冷や汗。

少しベッドの角度を浅くして落ち着くのを待った。

落ち着いた後に次の段階、ベッドに腰をかける形になった。

しかしまたもクラクラしてきて吐き気に襲われた。

血圧が低下
しているとのこと。

そういえば大怪我して入院した友人が言ってたな…久々にベッドから起きる時が大変だったって…

本当はこのまま立って歩く予定だったのだが
朝食後に立つことになり、先に朝食をいただいたが、すごく美味しかった。

お腹が空いたことによる吐き気だったのかもしれない。
しっかり食べ切ることができた。

術後最初の食事


4日目(術後2日目)からようやくお風呂に入ることができたが
3日もお風呂に入らないと髪の毛がベッタベタになるということが判明した。笑


その後入院中に患部は痛み止めが切れると痛むものの、少しずつ回復していき
基本的に元気に過ごすことができた。

病院のご飯はすごく美味しくて毎回完食。

特にテンションが上がったメニューたち


1日1回、医師による診察があったり

座浴といって、1日に4回〜6回
便器に専用のトレイをセットしてお湯を溜め
そこに座って患部を洗ったり

は食事とは別に1日1.5ℓ以上飲むと言うノルマがあったりはしたが

基本的には退屈で、暇つぶしのスマホ、スイッチ、ペーパークラフト、刺繍など、やりたいことをたっぷりできた。

未完成のブーケ刺繍とペーパークラフトのスネアドラム

退院後も安静期間が2週間あるにも関わらず
退院が近付くに連れて憂鬱な気持ちになり
退院前日には退院が嫌になっていた。

いつだって清潔な室内で
ただ好きなことをしながらぼんやりと過ごしていても
3食バランスの取れた食事が出てくる環境にひたひたに浸ってしまった。

そして退院当日
傷口の回復は順調との診断を受けた。
久々に履いた外靴がとても重く感じた。

大雨に見舞われ、傘で庇いきれない足下が
ずぶ濡れの状態で帰宅することとなった。

●執刀医の説明

術後3日目に執刀医が手術中の写真を見せながら、説明をしてくださった。

(手術中の肛門は器具によって驚くほど広げられていた…)

痔ろうの手術法は検索すると複数出てくるが
ぼくの場合は痔ろうのトンネル部分をくり抜くように取り出す、くり抜き法というものだったようだ。

肛門括約筋を極力傷付けずに処置してくださったとのこと。

ここで改めて、痔ろうの原因は患部の状態から分かるものなのかを質問してみた。

しかし患部の様子からはそれはわからないものだと言う。

結論、例えば睡眠不足過労ストレス抵抗力が落ちている時に
肛門からばい菌が侵入すると負けてしまう
痔ろうは肛門の風邪のようなもの
とのことだった。

日々の体調管理、肛門に負担のない排便習慣が大切
ということに落ち着いた。


第13章〜退院後の生活〜

coming soon…


余談〜11年前の肛門手術当時の記録〜

11年前、2013年に一度肛門を手術した件について
当時のmixi日記が残っているので一部スクリーンショットしたものを公開する。

GWに開催されていたマーチングの県大会に向けて練習していた時期に強烈ないぼ痔発症、
その後肛門にポリープがあることも発覚し
6月に手術をしたという内容である。

まずは日記のタイトル一覧をご覧ください
痔の痛みに限界を感じて
初めて救急に駆け込んだ日の記録

その後日に専門医に診てもらい、手術をうけることになった。

手術当日の記録


若い頃のぼくは、文面の様子としては現在より飄々としていたようだ。健康意識も低い。
手術前日に深夜までカラオケをしており
若さの馬鹿さを発揮している。

(今回も手術直前に旅行に行ったので
実はあまり変わっていないのかもしれない)

おわりに

痔の話をすると多くの方が「自分もこういうことがあってさ」という反応をくれるので
軽い痔ならば本当に多くの方が経験したことがあるんだろうなと思います。

病院行くなんて恥ずかしい

とか言ってられないくらい痛くなることって、あるんですよ。

痔の経験談なら何でも聞いて。
エキスパートになったから。

便器が血だらけになる経験だけはないんですけどね。

皆さん、良きトイレ習慣を。🚽

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