「図」の由来やいちばん最初の「図」 - なぜ「図」と呼んでいるのか?
お久しぶりです。前回の自己紹介から4ヶ月以上が経過しました。
お恥ずかしながら、仕事や生活の変化によって制作がままならなくなっておりました。
さて、今回は「なぜ私が自分の作品を『図』と呼ぶのか?」というテーマで書こうと思います。
「図」と呼ぶ理由1:図示したものだったから
理由の1つ目は「図示したものだったから」です。
これは最近になって気づいたことなのですが、私はどうやら、言語による理解よりもイメージによる理解の方がし易いみたいです。
それを意識しないうちからやっていた中で生まれたのが、前回のnoteにも書いた「デザインくん」です。
一番最初の「図」はこちらでした。
デザインがコンセプトを離れて暴走していく図
楕円に足の生えたいきもの「デザインくん」が人間(わたし)の制御からはずれていく様子です。
正直、これが「デザインがコンセプトを離れて暴走していく」様子を図示できていたのか、今となっては謎ですが……。
当時デザインを学ぶ大学生の端くれだった私は、授業メモの端っこにこのような図を描いていました。
それをTwitterにあげたとき、初めて「図」が生まれました。「〜(の)図」というタイトルをそのまま自分の作品を表すものとしても使うようになりました。
これが一つめの理由です。
「図」と呼ぶ理由2:劣等感があったから
理由の2つ目は「劣等感があったから」です。
私の「図」は、いわゆる絵やイラストという部類のものでしょう。
しかし、私はどうしても「絵を描いています」「イラストを描きます」と言うことができませんでした。
私の中で、絵やイラストというのはすごくハイレベルなもの・時間のかかるもの・情熱をそそぐもの、だと思っていました。
デッサン力も低く、彩色も苦手で、作品にかける労力も少ないわたしが、絵やイラストを描いているなどとはとても言えなかったのです。
デザインで劣等感を感じるとき
「デザインくん」を描き始めたころの作品です。タイトルに「図」が入っていないことに初期の感じがありますね。
大きな「デザインくん」に乗っかっている人(他人)に比べ、小さなデザインくんにリードをつけている自分はなんだろう、という劣等感もりもりの図でした。
ともかくそんな感じで、絵やイラストとは名乗れないから、というのが「図」と呼んでいる理由の2つ目でした。
「図」と呼んで良かったこと
そんな成り行きと劣等感でつけられた「図」という名前ですが、案外良かったことがあります。
それは、自分の作品のアイデンティティを自覚できたこと、それから周りと競争する感覚が薄くなったことです。
「図」などという名前で作品を作る人はほぼいません(いないように見えました)。名前の付け方ひとつで、自分の作品に他との違いが生まれたのです。
違いというのは、本当にただ違うというだけのことでして、違うから良いとか悪いとかではないです。ないのですが、ただ違うということそのものに、これが自分の作品であるというアイデンティティというか、個性のようなものが持てた気がします。
そして、「図」は絵やイラストとは違うよという感覚(劣等感からきたものですが)が、その「絵やイラスト」たちと競争することから私を遠ざけてくれた気がします。落ち着いて、自分のペースで「図」を描いて、それにいいねがつかなくても自分の中でその「図」に込められた意味やストーリーが理解できていればOK。
「図」という名前がそう思わせてくれた気がします。
まぁそれでも、手っ取り早く説明するために #ゆるいイラスト って説明しちゃってはいるのですが。
でもやっぱり、描いているのは「図」です。
そこは自分の中で揺るがない部分になっています。
以上、「なぜ私が自分の作品を『図』と呼ぶのか?」についてでした。
全ての始まり……?
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