見出し画像

長男との旅-4月2日

日本で生活をしていた時、温泉に行っても入るのは夜だけだった私。
星空を見ながらの温泉も良かったのですが、朝が明ける様子を見ながら温泉に入りたいと思い、朝一で温泉に行ってきました。
長男は、寝ている方が欲望として先に立ったようでしたので、そのまま寝かせたまま、私一人誰も居ない露天風呂に入り、夜が明けていく様子を堪能させていただきました。

朝食のビュッフェもしっかりといただく。
シラス、ヒジキ、高野豆腐、温泉卵などなど、朝食から唸っている長男。
朝からこれだけの品数が用意されているって本当にありがたいです。
北米の食事では、なかなかこれだけの品数を食べることが出来ないので、改めて日本食のすばらしさを感じました。

カナダの生活では、朝食を一切食べない私と長男でしたが、日本の豊富な種類が用意されたビュッフェ朝食では、ごはんをお替りし、温泉で炊いたおかゆさえも食べていましたね。


朝8時にこの場所にきました。

かつて熊野本宮大社があった場所、大斎原へ向かう鳥居
さくらも綺麗に咲いていました。


かつてここには橋はなく、熊野本宮大社を参拝する方々は川を渡ったようで、身を清めてからの参拝であったようです。


神が降り立った場所ともされるこの地は森に囲まれ、一部は写真撮影が許されていない場所。
かつて神を祀る社があったのでしょう。

森を抜けると、大斎原大鳥居が。
この鳥居の大きさに長男は唖然。
「スゲー」を連発していました。
ここの桜もとっても綺麗でした。

川辺の一本桜も綺麗でした。

この日の最初の目的地
熊野本宮大社
熊野速玉大社、熊野那智大社のような煌びやかな感じは無く、落ち着いた雰囲気でもあり、ドーンと構えた感じがありながら、人を寄せ付けないのではなく、大きな懐で誰でも包み込んでくれるような、暖かさを感じる場所でした。

長男はビデオで手の洗い方などを録画していました。

大斎原の鳥居がここから見ることが出来るのも良かったです。

私の父親の生まれ育った場所
奈良県、十津川村
十津川村でも最も北に位置する場所なので、もっとも南に位置するといってもいい果無集落とは雰囲気は全く異なりました。

コンビニやスーパーが無くても、春が訪れ日々の営みが行われている。
こんな暮らしもあるということ。

私がカナダに来た時には、殆ど日本食などは手に入らず、皆工夫していた。
無ければ作る。
無ければ工夫する。

今はカナダでもかなりの日本食が手に入る時代。
お金があれば、スーパーがあれば、コンビニがあれば…

近くに病院がなくとも、人々は健康に暮らしている。
便利さの影に何を置いてきてしまったのだろうかとも思う。

この乗り物は野猿
むかし、谷を渡るのに橋を架けるほど資金が無かった時、一人乗りの人力ロープウェイを作り、谷を渡った。
昔の人の苦労を、ITが当たり前の世代が体験する。
最初は嫌がるかな?と思ったけど、結構ノリノリで楽しんでいてよかった。

十津川村の名物の一つ、谷瀬の吊り橋
地元民はカブでこの橋を渡る。
地元民以外の者が二輪車で通行することを禁じる看板もある。

この薄っぺらい橋をみて、長男は
「おれは絶対に信じない。こんな橋渡れるはずがない。」
そういいつつも、親父の後ろからちゃんとついてきた。

小学生の頃、走って渡ったことを覚えている。
良い年のおじさんとなった今、歩いて渡るのも精一杯だった。

ハイテクばかりが注目される日本に、こんな橋が現役であるとは、長男も思わなかったみたいだ。

この日のお昼はこれ。
熊野本宮大社近くにある、三軒茶屋というお店で購入したお弁当。
さんまの姿ずし、目はりずし、お稲荷さんの3点セット
谷瀬の吊り橋を見ながらのんびりと頂きました。

ここはかつて祖母の家、私の父親の生家があった場所。
十津川村 長殿

グーグルマップでは、石段の痕跡があったが、道路の端に新しく舗装した部分で、その石段の痕跡が見えなくなっていた。
祖母の家へと降りる石段だったのだが…

夏休みに何度か長期滞在をしたことがある。
夕方には蜩がこだまするように鳴いていた。

従兄と泳いだ川。
その流れに変わりはないけれど、祖母の家は台風12号の土砂崩れで埋まってしまった。
土砂崩れを起こした小川の左側に、ご先祖のお墓があった。
祖母の家が土砂で埋まってしまったことから、お墓も奈良市内に移したようだ。

かつてお墓のあった場所に向かって手を合わせ、長男を連れてきたことを報告した。
私自身、35年ぶりだろうか。

長男は、この紀伊山地の山の中に、今でも人々の暮らしがあること。
長男の祖父が生まれ育った場所であること。
我が家のルーツがここにあること。
考え深げに景色を見渡していた。

音のしない世界にも感じる場所
静かで、川のせせらぎと、森を渡る風だけが聞こえて来る。
こんな場所で老後は過ごせたらとも思ったりもする。


この後、グーグルマップに翻弄されながらも、何とかこの日の宿泊地である高野山に到着。初めて車を運転しながら乗り物酔いをしました。
昔は十津川を走っても大丈夫でしたが、カナダのゆったりした道になれてしまった為、自らの運転で酔うという経験をしました。

高野山は仏教の地ですが、かつては神も仏も同じように信仰されており、高野山の中にも神社があります。
高野山の色合いと、この神社の色合い、熊野速玉神社、熊野那智大社の色合いも同じ。

主だった場所を参拝しながら、御朱印をいただきました。
また、この高野山のお寺で使われているお線香を購入する事が出来るお店でお線香を調達。
カナダでもお香として購入出来るものはあるのですが、その値段を考えたら、高野山のお線香はとっても安く感じました。

長男は、一つ一つの建物にとっても興味をもっていました。

ふと目をやると、実はかなり手の込んだ作りになっていることを発見し
『スゲー』を連発。
あのデカい屋根も同じようになっているのかと思うと、途方もない手間がかかっていることに言葉を失っていました。


ここから先は撮影不可
明るいうちに奥の院までお参りが出来ました。

この日の宿泊は宿坊
私自身も初めての宿坊泊
宿坊の由来などを長男に説明したところ、何か感じるものがあったのか、部屋をじっくり見渡していました。

宿坊での食事は、精進料理。
生き物の命を殺生しないよう、動物性のものは一切ない。
18歳の長男にとって、物足りない食事になるかもしれないと思っていましたが、見た目の美しさ、飽きない味つけ、様々に工夫された調理法に、長男も大満足でした。
私も初めての精進料理でしたが、これなら動物性の物が無くても、毎日でも問題ないと思いました。

お世話になった宿坊のお庭も綺麗で。
夜7時からの、お坊さんのお話を聞きながら奥の院をお参りするツアーにも参加しました。

お墓や供養塔が何十万とある奥の院への道。
かつて私が小学生の時に来た時もそうですが、一切怖いと感じることが無いのはとっても不思議でした。
夜の奥の院への道は初めてでしたが、やはり怖いという印象は一切ありませんでした。
お坊さんの話を聞きながら、この道をたどるのはとても勉強になりました。
灯籠の左右の穴の話。
五輪塔の意味などなど。
昼間には気が付かなかった事を改めて教えていただくのはとってもいい勉強いなりました。

にしても、日本語のツアーに参加したのは7名。
英語ツアーに参加したのは、恐らく50名以上。
もっと日本人も参加した方がいいのでは?と思いましたね。

長男も足が痛くなるまで歩き疲れてはいましたが、凄く楽しめたようでした。

お世話になった恵光院も夜はライトアップされて綺麗でした。

大浴場で温まったあと、ふかふかの布団で寝ました。
畳敷きの部屋と、和布団。
長男にとっては初めて体験でした。

リビングでもあり、ダイニングでもあり、寝室にもなる日本の昔ながらの暮らし方。
実際に目の当たりにして
「あぁ、こういうことか」
と改めて気づいていました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?