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残念な お と な

現実世界でも、インターネットの世界でも、時に残念な方に出会うことがあります。
ここ、noteでも。

先日、私が翻訳した新聞記事の投稿についてとある方より意見をいただきました。

あの・・後半『○○』という個人ブログからの転載ですよね?
タイトルもほぼそのままですし。
どういうつもりか分かりませんが、ちゃんと書いた方が良いと思います。

と、Aさんよりご指摘をうけました。
しかし、私は過去にも、個人ブログからの転載をしたことがありませんでしたので、どの部分が転載と捉えているのか説明を求めましたが、全く返信はありませんでした。

そこで○○というブログを探し出し、私の記事が掲載された2月28日以降のブログを探したところ、○○というブログ内にて私の記事の一部が転載されていることが分かりました。
転載されたのは3月1日のことでした。

恐らくAさんにしてみたら、○○というブログの方を先に読まれたのだと思います。その後、私のnoteに行きついたのでは無いかと…

そこで、○○というブログ内容を、私が転載したのだと。

調べた事実についてAさんへ返信をしましたが、一切の連絡がありませんでした。

おとなとして、何か間違えた行動を取った場合は、謝罪をするというのは社会常識であると思うのですが、残念ながら、謝罪も出来ない人もいるものだと、とても残念に思いました。

事実確認をすることなく、思い込みによって誰かに意見を言う。
取り方によっては、誹謗中傷にあたることもあります。
自らの浅はかな行動を顧みて、反省をする。
反省したことを表明する為に、謝罪をする。
これって、顔の見えないインターネットの世界だからこそ、余計に必要なのではないかとおもいました。

インターネットの匿名性のある世界であるから、好き勝手やっていい。
という風潮はどこかへ消えて行って欲しいとも思います。
顔の見えない世界だからこそ、夫々の境遇が分かりにくい。
実社会よりも気遣う場所になれればいいのにと思った出来事でもありました。

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