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『第1章から第2章へ』

皆さん、こんにちは。

中院のキン肉マンこと宇津木脩人からご指名をいただきました、中央学院大学商学部4年、梅原聖嵐(静岡学園高校)です。
中央学院大学サッカー部をあともう少しで引退するタイミングで、ブログを書く機会を頂きました。拙い文章ではありますが、読んでいただけると幸いです。

このブログを書くにあたり、私は、これまでのサッカー人生を振り返ってみた。まずは、それについて書いていきたいと思う。

私がサッカーと出会ったのは、保育園の頃。友達がサッカーをやっているのを見て、自分もボールを蹴ってみたくなり、小学生になるタイミングで始めさせてもらった。最初は、近くの少年団に入ったが、少し物足りなくなり、アスルクラロ沼津というクラブチームに入った。それが小学校4年生の出来事だ。しかし、そこを1年でやめ、静岡の静岡市にあるサルファスORSというチームに入った。そこは、家から車で2時間かかる場所にある。毎日のようにおじいちゃんに送ってもらい、練習をして、夜10時くらいに家につく生活。それが日常だった。そこでは、チームメイトに恵まれたおかげか小学生最後の大会を優勝で終わることができた。シンプルに嬉しかった。そこから、サッカーに対して、「もっと上手くなりたい」という情熱が芽生え始めた。


その後、地元の人からの紹介があって静岡学園に入学することとなった。入学する前、その名前を聞いたときはあまりピンとこなかった。後々調べてみると、毎年サッカー選手を輩出している学校で驚きを隠せなかった。そんなところから始まり、中学・高校と静岡学園のサッカー部に所属し、今では、そのチームでサッカーをやれたことが誇りであると感じている。しかし、そのすべてが良いことばかりではない。高校2年生の冬、新人戦が終わり、最初の練習。悲劇が起きた。第5中足骨、骨折。頭が真っ白になった。人生で初めての骨折で、全治4か月の怪我。Bチームからのスタートとなってしまった。その後、再び、Aチームに上がるチャンスが来た。しかし、またそこでも怪我をしてしまった。次は、膝内側側副靭帯損傷。これは全治3か月。怪我をした時期も悪く、高校3年の秋だったので、最後、プレーすることなく高校サッカー引退となってしまった。「こういう運命なのか」そう考えたときもあった。サッカーをやめる選択肢もあったが「こんな終わり方はダサい」そう思い、大学でもサッカーを続ける道を選んだ。そして、今に至る。
振り返ると、サッカーをやってきた経験が、私の人生に大きな影響を与えてくれたことは紛れもない事実だ。そう考えると、今回、大学サッカー残り数か月という期限を前に、かなり気持ちは複雑だ。今まで、サッカーが生活の一部であったのに、それが急になくなってしまうというのは充実感と同時に寂しさを感じるものだ。しかし、今までの生活を「第1章」とすると、これからは、人生の「第2章」として次の段階に進む必要がある。将来的にサッカーという分野から離れるかもしれないが、サッカーというものが自分に与えてくれたことは忘れず、社会に少しでも貢献する。そのためには、学ぶ姿勢を忘れてはいけないし、努力を怠ってはいけない。これを第2章のモットーとして掲げていく。これから先、今まで以上にたくさんのことで苦しむと思う。でも、スポーツで培った精神力、チームワーク力を生かし、自分の新たな可能性を求め続けて歩んでいこうと思う。
最後に、学生生活を支えてくれた家族、今まで出会ったサッカー仲間、監督、先生そして応援してくださった方々に深く感謝を申し上げます。引退を迎えることは非常に残念ではありますが、今までの素晴らしい経験に感謝し、これからも誠心誠意頑張ります!


最後の最後に、3年生以下のみんなへ、サッカーをやるうえで、楽しいことがすべてじゃない。何なら苦しいことの方が多いかもしれない。そのときに大事になってくるのは、横の繋がりだ。好きじゃないやつがいるかもしれない。波長が合わないやつがいるかもしれない。でも、同期とは何でも話せる関係であった方がいい。いいライバルになるかもだから。最後に後悔なくサッカー部を引退できるように。生意気でナメてるやつらばかりだったけど、可愛い後輩ばかりだった。残り数か月、絶対に昇格しよう!
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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