マガジンのカバー画像

修辞的、あまりに修辞的な

3
運営しているクリエイター

記事一覧

アチャラカこもんせんす②

かつて、日本には〈批評〉という非常に特殊な表現活動が存在した。それは、〈いま・ここ〉に軸足を置きながら、そことはまだ別の抽象的な世界を構築せしめようとする、分裂した表現活動であった。
しかし、今はその様な形での批評は存在しない。〈批評〉を成立されるのは、〈いま・ここ〉という現実の視点を〈夢〉という己の可能性としか捉えられぬものに思考を膨らますことであり、この二律背反の「ヒリヒリとした緊張感」が無け

もっとみる

デスマスク百景〜修辞的、あまりに修辞的な〜

あらゆる人間の死顔は安らかではない。

息を引き取った骸の顔は安らかであろう。しかしそれは人間ではない。人間、もっといえば生命というのは運動をする存在である。運動は単なる持続ではなく、持続が切断を呼びうるものとして運動は存在する。植物でさえもその点で、運動しているのである。生とは運動のことだ。死とは静止のことだ。静止は無常につながる。無常を知ったものは生きながらえて、骸になってしまった存在に近い。

もっとみる

修辞的、あまりに修辞的な

氾濫する客観的立場、今日に於ける論理過剰の時代は、プラトンが批判したソフィストのそれではない。むしろの論理過剰を是とする者共の方こそがソフィスト的な詭弁を使い、退廃している。ソフィストは、価値判断の尺度の検討ではなく、他者を論破することのみのためにレトリックを使用した。そして現代に於ける詭弁家たちもまた論理を論破の道具として使用しているのだ。そして、かの詭弁家どもは論理性なき代物をいっさい認めよう

もっとみる