マガジンのカバー画像

💕にゃむ💕の『看護まがじ〜ん』

62
30年以上、自分のスタイルでやりたい看護を自由にのびのびとさせて頂いています。緩和ケアや認知症に関する記事が主になるかなぁと思います。
運営しているクリエイター

#看取り

妻を看る人たち

最近のお看取りは、たまたまなのだけど・・・ 奥様がお亡くなりになるというお看取りが続いていた。 お亡くなりにはなっていないけど現在進行形で奥様の介護をされている方も何人かいらっしゃる。 たまたまなのだけどそのご主人たちは共通してとっても優しい方が多い。 そして、奥様の方は、サバサバっとしていて潔さのようなものも感じられる方々で 「先にいってあっちで待っとくね」サバサバ!みたいな感じだった。 これまた、たまたまなのだけど、 ご主人が若い頃、奥様にぞっこんだった方々でもあっ

ナースが逝く

ルミさんは、「このワゴンを片付ける仕事があってよかった!」と言われた。 このワゴンというのは、彼女の部屋にある医療的処置をする為のガーゼやテープ、点滴などの物品が整理されているワゴンだった。 この聖域は、自分にしか管理できないということを周りに主張しているようにも見えた。毎回、なぜか微妙に位置が変わっており、「ガーゼはどこにありますかねぇ?」と伺うとちょっと嬉しそうに「ガーゼはね、ここよ」と教えてくれた。 後にご主人から「ちょっとせん妄状態みたいで夜になるとずっとワゴンの整

いのちの時間は未定

数日でお看取りになるかもしれないと言われていたおじぃちゃん(かなめさん)が退院してきた。ご家族もそれを充分承知の上での退院だった。 初日は、確かに数日ということも有り得るかもしれないと思った。 ずっと痰が絡み続けてゴロゴロいっていた。 喉でうがいしているくらいのレベルで・・・ ご家族も吸引は指導を受けて帰っていていたけど、なかなかうまく吸引できないようだった。 初日は、吸引をする時もとても嫌がって手を持って行こうとしたり 吸引チューブをぎゅーっと噛んで噛みちぎられるんじゃな

黄色い蝶々になる 〜看取り〜

その彼は いつも気さくで 優しい気遣いの人。 楽しい会話で笑いが絶えない。 部下からも おばさまたちからも 慕われて 人気者だったと 奥様は言われていた。 いやぁ〜、絶対人気者だと思う。 部下にも こんな風にニコニコしながら フレンドリーに声を 掛けられていたのだろうなと思う。 こんなに普通なんだけど その彼・・・ハタさんは 大きな大きなお腹を抱えて ベッドに横たわっていた。 退院後に初めてお会いした。 本当にハタさんは 1ヶ月くらいしたら この場所から 居なくな

「桜、咲いてますよ」〜看取り〜

今日は、珍しく平日のお休み。 雨が続いていたので今年はあまりゆっくり桜が見れないかなと思っていたけど。 井の頭公園は、平日なのに沢山の人が 待ってましたーとばかりに桜を見にきていた。 ✳︎       ✳︎ 桜の季節になるといつも思い出す。 緩和ケア病棟に勤務していた時のこと。 奥様の希望もあり、末期がんの60歳代の男性と奥様と一緒にちょっと離れたところにある公園に桜を見に行く計画を立てた。 ご本人は、医療用麻薬の持続皮下注射をしながら声を掛ければ目は開けられるくらいだ

一晩だけ

神さまは 一晩だけ 家族の待つ家に 彼女を 帰らせてあげるねと言った そして ニ晩目を迎える前に 約束の日だね・・・って 天使たちが迎えに来た 最期に 地球の空気を 小さく吸い込んで 動きを止め やわらかな光を放った ……⭐︎ 働き者で 元気いっぱいの楽しい彼女のまわりには 沢山の親族が囲んでいた この人たちにとって どれだけ大切な人だったのか お元気な頃を知らない私たちも 容易に想像ができた 意識もかなり薄れている状態で ようやく瞬きでYe

あっけない

「今月いっぱい生きれるかなぁ」 すっかり頬がこけた80歳代の男性が 布団から顔を出して力ない声で言った。 「もう生きれないかなぁって感じがするんですか?」と私が聞く。 「いや、そうなことはないけど。でもどう思う?」 「今月はこの調子ならきっと大丈夫。何ヶ月も大丈夫かってきかれたらそれはわからない…。」と答えた。 「いやさ〜、今月みたいな寒い時じゃなくて、もうちょっと暖かくなってからがいいなぁって思ったんだよね〜」と 乾いた唇で語った。 「寒い時はやめとこ。暖かくなって

最期のとき 〜セデーション(鎮静)前のできごと〜

以前、この記事の中で、お客さま(沙羅さん)が天使になって旅立たれたお話を書かせて頂いた。 全力は尽くしたつもりだったのだけど、一つ大きな大きな後悔があった。 沙羅さんは、いつも凛としていて毅然としていた。 がんは、美しい沙羅さんの体を容赦なく覆い尽くしていた。 この為、がんによる苦痛を取り除く為にセデーション(鎮静)が必要な状況になった。 その寸前のことだった。 写真が見たいとお願いしたら、最近のはあまりないのよねと言いながらもご家族が持ってきてくださった写真の中に

看取り / あなたの言葉をちゃんとご家族に伝えますね

「小さい頃はね・・・可愛すぎてねー、いつも家まで女の子がついてきてたのよ。本当に可愛かったの」と 80歳のご婦人は涙ぐんだ目で仰った。 マスクをしていても目鼻立ちの整ったご婦人だと分かった。 あー、彼はお母さんに似ていたんやなぁと思った。    * その可愛いすぎた小さなマコトさんは、40歳半ばになっていた。 マコトさんと出会ったのは、その1ヶ月くらい前。まだその頃は、ベッドのところに1時間座って話すことができていたけど、食事量は、かなり減っていた。 沢山の辛い治療

本当のことなんて誰もわからない

何の不自由もない暮らしをして おしゃれな家に住む 素敵な家族が まさか 深い悲しみに暮れてることなんて あの窓の光を見ただけじゃ 誰も気付かない… まさか大好きなママが 誰からも愛されてたママが 天使になってしまったなんて… 外から見ただけじゃわからない 本当のことなんて誰もわからない ……    ✳︎ ……  ✳︎   ……  ✳︎   …… 美しい天使になっていったお客様の家 少しまわり道をして通りかかってみた 他の家と同じように幾つかの部屋

コ・ウ・カ・イ(後悔) / あの時が最初で最期になるなんて・・・

“1時間半”・・・。 彼と一緒に居たこの1時間半が、最初で最期になるとは思わずあの時間を過ごしていた。 彼は、50歳代の独身男性の剛(つよし)さん。 薄暗い部屋の中でも彼の中肉中背の体が黄色く(黄疸)見えた。 そして異様なほどの大きなお腹(腹水)をみれば、“がん”が、彼の意思に反して体を占領していることが一目でわかった。 受診した時には、既にエンドステージの状態だった。 ついこの間までバリバリとサラリーマンをしていた彼が、この短い期間の中でこれだけの体の変化を簡単に受け入

届け!海の向こうの家族に 〜コロナ禍での看取り 第2弾〜

<はじめに>コロナ禍の看取りの第2弾となる。第1弾の記事はこちら。 前回の記事にも書いたように感染予防という観点で、家族の人生の最期なのに逢えないというケースもよく伺う。当たり前のように諦めなくてはいけないことになりつつある。最期の瞬間を見届けることも辛いことではあるけれど、逢えないことは、もっと辛い。今回は、海外在住のご家族がいるかたのお話をしようと思う。 国内でも中々、家族に逢えない状況の中、海外に住むご家族にとっては、大きな苦しみではないだろうか。 <アキラさんのこ

命がのびたコゲさん

コゲさんの選択余命1年の宣告を受けたのに2年もおまけの人生を貰っているコゲさん。 がんになってっもタバコを吸いまくって焦げ跡だらけなので命名コゲさん。 水分を失った痩せたコゲさんのカラダにタバコの煙がへばりついた。 ご本人にとっては、不本意なネーミングだろうけど。 火がついているだけで安心するのだという。 安心が形になった焦げ跡。 その焦げ跡を笑っていられる奥様も最高。(火事は怖いけど!) コゲさんは、お金には何も不自由がない人生。 お金に不自由だらけの私からは羨ましい。