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にゃむ❤️の『看護まがじ〜ん』

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30年以上、自分のスタイルでやりたい看護を自由にのびのびとさせて頂いています。緩和ケアや認知症に関する記事が主になるかなぁと思います。
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#医師

きっかけは、2人のドクター

<はじめに>私が、彼らのことを職業的な「ドクター」としてというよりも1人の「人」として見るようになったきっかけがあった。 多分、2人のドクターがあの瞬間、生身の姿を見せてくれたおかげだと思っている。 そのきっかけをもらってから私の看護師人生の中でのドクターの見方は、人とはちょっと違ってきたのかもしれない。 元々、職業のプロフェッショナルな部分にはとても興味があるけど、職業的なカテゴリーにはあまり関心がなく、むしろその職業という殻の内側に興味津々の私だった。 ドクターに

真夜中の緊急コール はこんな感じ/医療・看護

<夜間緊急コールを固定電話にかけていた時代>まだ携帯電話が普及していない時代の病棟夜勤をふと思い出した。 当時勤務していたのは外科系の病棟が多かったので術後の急変など度々だった。 スマホが普及している今では、考えられないけど当時は夜勤で何かあれば、ドクターのご自宅の固定電話に電話をしていた時代だ。 多くのドクターの場合、奥様が電話口に出てくれていた。 このドクターの奥様に夜間電話するのは、いつも機嫌が悪いから電話するのは気が重いなぁと思う時もあった。 一方、恐妻家のドクタ

苦しいときの「希望」とは

もし、明日から体が動かなくなったらどうだろう。 とても辛い質問。 辛い質問なんだけど脊髄損傷のように事故でこのような現実と直面している人がいるのも事実。ある日を境に突然生活が大きく変わってしまう。 脊髄損傷だけではなく、事故で脳挫傷の後遺症でご自分では動けなくなったかたもいらっしゃる。 以前、50歳代男性の脊損(脊髄損傷)の患者さんに衝撃的なことを言われた。 「あの頃は死ぬことばかり考えていた。だからリハビリは、自殺をするためにやっていた。包丁が握れなかったんだよ。僕た

人の痛み・辛さを知る

「痰が出なくて息苦しいみたい」とYさんの奥様からの緊急電話が鳴った。 救急車要請は恐らく必要ないだろうと判断した。とりあえず私が到着するまでいつもの酸素量より少しだけ上げて待って頂くよう説明した。 こんな時は、本当に救急車をすぐに呼ばなくていいのかを咄嗟に判断しないといけないのでいつも緊張する。 病院に勤務している時には、すぐに医師を呼べたのでその点で言うなら看護師への重責は幾分ましだった。 丁度、その時、近くのお客様を訪問していた私は、救急車モードで自転車を走らせた。 ・