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囚われの…

ダイアログ・イン・ザダークは、エンタメと福祉⁈が絶妙な感じの素敵なプログラム

本日はリアル対話ゲームII「囚われのキミは」に家族と参加してきた。
この学校の名前はない、校訓は「囚われない」

大切な人と行ってきてねというメッセージを受けて

大切な人と行きたい!
そのメッセージを尊敬している方から聞いたとき、「うん そうだ」と心から思った。
自分にとって大切な人とは?誰だろうとこのプログラムを知ってから3ヶ月間問い続けていました。なのでぎりぎりプログラム終了前日にようやく参加できた。
その答えを出すのは簡単なことかと思われるかもしない。
しかし、型にはまって生きてきたと思われる私自身にはここ数年で自分の人生を振り返り、「原点回帰」している今、ゆっくり考える時間が必要だったのだ。



やっぱり家族と行かなきゃ

ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」のプログラムに参加するのは3回目。1回目は1号がお付き合いしてくれ、ついでに2号にもチケットを送り彼女と体験してもらっていた。2回目は尊敬している方のオフ会でメンバーの皆さんとワイワイ参加。1回目は神宮外苑、2回目は竹芝での異なるプログラムだった。
1号と参加したプログラムの時、一番感じたことは、「優しさ」。
まずは、我が子1号の大人の気遣いができるようになった成長と私への労りという愛情に感激した。いつの間にか自然と言葉かけや心遣いができるひとになっていた。一緒に参加していた人たちも、暗闇の中で助け合い、声を掛け合い、語り合うことができる空間に、本当の「優しい」空気と居心地の良さを感じていた。
2回のプログラムを経て、自分のEQへの理解度や他者への想いが変化したことを改めて受け止め、この居心地の良さは我が家にもあるかな?と心が揺さぶられたのだ。そうだ! 勇気を出して、誘いに全く乗らなかった夫と3号にも行ってもらうのだと。

我が家の今は

最近の3号は… お決まりのように夏の課題テスト(彼曰く、校内模試とかいう意味不明な名前)は体調不良で2日間欠席した。前日までしっかり遊び食べ休養も取れているのにも関わらず、発熱をするという、身体は心をきちんと表していた。
次の日からは、元気に夏休みのお土産をもって登校できた。私たちにとっては、謎多き心身の変化なのだけれど、「まあいいか、元気なら」と普段通りやり過ごしている。これは、我ら夫婦にとって、子供を理解しているという大きな成長なのか?または、甘やかしなのか?それ自体もわからないままする日々である。
夫はずっと自分のペースで、いつも主語は自分。元々人と深く関わることを得意としないのだけれど。有事の時にはかなり役に立つが、普段は空気のような存在である。私が仕事中心の生活となっていることもあり、家事は夕飯の買い出しと調理など好きなことをやってくれているのでとても助かっている。
私はといえば、子育ても終盤、人生も折り返し、新しいステップを踏み出そうと趣味や勉強を色濃くしている最中である。
そして、1号2号はすでに独り立ちしており3号は来年18歳となる。この3人家族は最後の1年であり、夫婦2人の生活が待っているのだ。

同級生と卒業記念撮影

未体験空間へようこそ

じわじわとプログラム閉幕の迫る中、前日の予約をエイっとポチる。夫は私のお願いに根負け、まあ3号はおまけ程度の気持ちで予約した。当日の朝も「行きたくないんですけど~」と言っていたが、「たまにはママのわがままを聞いてください!」と決め台詞が聞いたのか、いや~な顔のまま無言で車に乗ったのだった。
さて、会場へ到着。かなりの人が賑わっていて、声高らかにキャストさんが話をしている。私自身も、このプログラムは未経験で、想像ができない。会場の様子にちょっと引き気味であったが、心を落ち着けて大丈夫な顔をして、彼らをエスコートした。この2人は果たして知らない人と対話ができるのか?私自身も家族を気にせず自分を出せるのか?このキャストさんに押されちゃうのではないか(笑)?など…。
「まあなんとかなるでしょ」と遊園地のアトラクションに乗るよりもふわふわと少しうわついた気分で、「囚われのキミが」入る学校に入学したのだった。

囚われていたのは「誰」


ネタバレはいけないかと思うので、今回の私の一番の目的だった我がメンバーの囚われについて書いていく。
一緒のグループとなったみなさんとの対話の中で、私たちの囚われについて話す場面があって、それぞれ自分が抱えている自分自身の想いを、「囚われor夢中」で表現していった。私は、例えとして「お母さんとしてきちんとしている自分」を、3号は「みんなと同じにしなければという自分」、夫はというと、「あんまりないかな?強いていえば、週3、4回やっている剣道」と答えた。他の方は、自分の趣味を超えた領域の仕事についてや、自分らしく表現できているかどうかについて話をしていた。この方々只者ではない空気感を纏っていて、終始表現力豊かでとても素敵な方々であり、私たち一家とは違う世界観を持つ人々だった。「自分に許可を出せない」という方もいて、自由に考えるキッカケを探している人もいた。
あんなに嫌な顔をしていた3号だったのだけど、合間に見せる顔は不思議と馴染んでいて内心ほっとした。一番驚いたのは、夫がいちばん自然体だったことだったのだけれど。


卒業と現実の世界へ

この学校は2時間弱、本日は2教科と対話で卒業式を迎えた。
囚われていた自分とまた対峙できたこと、家族の想いが聞けたこと、新しい世界観を味わえたことなど、現実の学校とは全く違うその学校を体験できた。
この学校の名前はまだない、ただし、校訓は「囚われない」
扉を開けると、「卒業おめでとう」の優しい声・こえ・笑顔が待っていた。
さて、現実の家族ゲームに戻り、遅いランチをとりつつ帰路に着く。
家族と自分への気づきを胸に、私はほかほかした気持ちでいた。もっと家族をリスペクトできる余裕や、私自身を解放していく自由さも上げていきたいなと感じていた。
世の中には本当に様々な世界があって、多様性、インクルーシブ、個性などと括れないものごと、人々がいる。
言葉足らずなのだけれど、「みんなちがってみんないい」という言葉は、名言だなと思うとなんだかおかしくなった。
一番面白かったのは、夫が「別に感想はない」と言い切ったこと。
「世の中には、物事を深く考察して思いを巡らす人ばかりではない」と悟ったことであった。

富士山はいつも優しい






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