足元を見る

昨日のバイト中、履いていたスリッパの中に虫が入った。
わたしは足の感覚が少し鈍い(のだと思う)。右足の薬指の感覚でなんとなく石ころを想像しながら素手で摘まみ上げると、その石ころは結構大きな甲虫だったので驚いて、そのまま床に投げつけてしまった。すこし申し訳ないことをした。

かなりの勢いで投げつけたせいで弱ってしまったのか、よたよたと前に進む焦げ茶色の甲虫を見ながら、ふと、
あ、いま、足元を見ている、と思った。

去年のわたしは、就職活動がうまくいかなかった。どうやら暗黙の了解であるらしいテンプレートに自分を押し込む活動が心底気に食わず、憂鬱で不愉快で大嫌いだった。エントリーシートの心からつまらない質問が、試すような目をしてくる面接官が、いやにはきはきと喋る他の就活生が、そしてなにより、そういうものとひとに囲まれた場で、気づけば一生懸命に心の内をあれこれ脚色しながら話してしまう自分が嫌で嫌で仕方なくて、ぐずぐずしていたらそこそこ手遅れになってしまった。許せなかった。ふだんから嘘ばかりついているのに、親しくない人間には絶対に踏み込ませないのに、なぜかそれが出来なかった。わたしがわたしを守ることができなかった秋。そこでわたしは、就職活動からきっぱり手を引いた。つまり、逃げた。
その結果、今も学生の身分のまま、こうしてくたびれたスリッパを履いて週に1、2回のバイトをしている。

将来を考えることはひどく傲慢なこと。
そう思うようになった。

就職活動でよくある質問に、「○○年後、あなたはどうなっていたいですか?」というものがある。足元が見えていない人間だけが聞き、足元が見えていない人間だけが答える質問だ。明日も明後日も1カ月後も、○○年後も生きているという驕り。それまでの毎日がごっそり抜けた未来のことを考えるなんて傲慢も傲慢、足元が見えていないからこそできるのだ。
そういう人間を見て、わたしだけは足元を見て生きると決めた。


スリッパの中で、足の指に力をこめる。バイトが終わるまで、あと30分。
焦げ茶色の甲虫は、ふと目を離した隙に見失ってしまった。


〈どうでもいい後日談〉
ふとあの虫が気になって、先生(Google)に「甲虫」がどんなのか聞いてみた。
先生が見せてくれたなんびきもの甲虫を見て気づく。違った、あいつは

もしかして:害虫

ゴキブリだったかも。急に、やつの行き先がどうでもよくなった。
きもちわるー!たまごとか(?)、産みつけられてませんように。
踏みつぶさなくて、本当によかった。

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