優生学について

 この前、優生学についてのYouTube動画を見たのでそれについて私の意見をここに記すことにする。優生学とは、人類の才能の差を遺伝的なものと考え、優れた人間、ひいては人種のみを残し、劣ったものを淘汰するという考えである。第二次世界大戦までは移民政策などとして頻繁にこの考えが利用され、特にドイツでは大量虐殺に繋がったことは言うまでもない。戦後は、個人の才能はその個人の置かれた環境によるものだということが明らかにされ、優生学は見受けられなくなった。

 しかし、世の中には頭の良い人もいれば、悪い人もいる。これには主に二つの理由が考えられる。まず、先程書いたように、個人の置かれた環境の差である。例えば、親に育児放棄をされたり、学校に行けないほどの貧困者であれば、知識が身に付くことはないだろう。しかし、これは後者と比較すればの話であるが、簡単に改善できることは間違いない。例えば、地域で町内の関係を強めたり、政府の役人が家庭調査をすることによって問題となる家庭を洗い出し、児童保護施設などに入れれば環境は改善されるだろう。ただ問題なのは二つ目の理由で、これは、生活に余裕があるにも関わらず、親が学習や知識を増やすことに重点を置いていなかったり、子供がそれに興味を示さなかったり、重要性に気付かなかったりするからである。こちらの方がはるかに重大な問題である。

 なぜ世の中には知識を身に付けるようとしない人がいるのだろうか、私にはよくわからない。世の中に出ていって多くの人と関わる以上、多くの知識を身に付け、複数の視点で物事を見る能力をつけることは必須であると思うのだが。何も専門的なことを学べと言っているわけではない、広く浅くで良いのだ。それこそ、クイズ番組で問われるような知識程度で良いと考える。そもそも、私は知識欲のない人とは関わりたくないし、会話しても埒が明かない。私の言葉が通じないからである。知識欲のない人とは、知識量が少ない人という意味ではない、もしそうであっても学習意欲があれば読書や会話によって知識を増やしていくことは可能だからである。このような意味で、私も人間という種に優劣を付けているのかもしれないが、科学や社会学などを発展させていくためには、学習意欲のある人のみによって構成されていた集団の方が圧倒的に有利であることは間違いない。

 「バカはすぐ子供産むから迷惑です。バカがバカ産んでバカが育てたバカはもっとバカだから(以下略)」という言葉(ネット発祥?)があるが、まさしくその通りで、頭の悪い人はそもそも学習の重要性をわかっていないので、その子供も頭が悪いという状況が生まれる。また、人権云々の話を持ちだすのであれば、そもそも人類全員の知能を上げる必要がある。もし技術の発展こそが人類の発展と定義されるのであれば、種の発展において頭の悪い人の存在価値はないに等しいからだ。ただ単に個体数を増やすだけで良いというのならば、子孫を作ることは第一に推奨されなくてはならない。しかし、そうすれば人類は他の動物を変わらない存在となってしまい、この発達した文明も不必要なものとなってしまう。この文明を築き上げたのは、人間の知識欲あってこそなのである。ゆえに、この文明を維持するためにも、知識欲のある人を優先することはある意味間違ってはいないのではなかろうか。

 ここまで物議を醸しそうな文章を書いてきたわけではあるが(自分でもこれは危ないと思った)、どうすれば知識欲がある人を増やせるのだろうか。私の知る限り、知識欲がない人は自分の世界なるものに浸かってしまって、そこから出ようとしない、多くの人の意見を取り入れたり、知らない分野を知ろうとしないのが問題なのである。それゆえに、知識人がどれだけ教育を施そうとしても徒労に終わる可能性が高い。これは非常に悲しき現状である。教える時間が無駄になるからである。また、こんなやつに関わるべきではなかった、と失意の念に駆られることだろう。教えるという行為は、その人が学んできたことを要約してわかりやすく伝え、それによって学習者が他の既存の知識と組み合わせることによって新たな分野を切り開く可能性を生み出すものであると考えている。ここから導かれることとは、人に聞いてばかりで全く自分の知識として身に付けていない人は、知識欲がないのと同じことであるということである。特に、インターネットで調べる前に人に調べるという行為は非常に悪質である。インターネットで調べてわかった部分を自分の中で理解し、その上でわからない部分を人に聞くべきである。また、これは明らかなことだが、知識人の持っている知識は、一朝一夕で身につくものではない。これを知らずに、知識人の学習を妨げる行為は、断じて許されるべきではないと考える。それすら理解できない人間は、もう情けの言葉すらかける余地もないであろう。

 知識欲とは、何も受験勉強に限った話ではない。受験界隈ではFランク大学とされている大学の出身者でも、重要なポストに就いている人はもちろん存在する。重要なのは、大学を単なる人生における通過儀礼と考えていないかということである。ある私大学生の一週間のスケジュール例というものを見たことがあるが、遊びやバイトで占められていて、大学の課題や自主学習の時間がないことに非常に驚愕した。これでは大学に行っている意味がない。すぐにでも働くべきである。社会人になって受験勉強をし出して旧帝大に合格する人がいる、働いていない学生ならなおさら知識を増やす時間はあるだろう。別に遊ぶなとは言わないし、私も遊ぶ時間は作りたいが、それでも学習によって知識の幅を広げることはこの上なく重要であると言わざるを得ない。

 最後に、もし私が頭の悪い人間と定義されたとして、それが原因で迫害を受けたとしても、私は全て受け入れるつもりでいる。そうならないようにするためにもさらなる知識を蓄えようと考えているのだが。

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