文アルコラボカバーはタレント本だったんじゃないか

(2018.08 pplog公開分に加筆修正)

2017年に行われた、新潮文庫とゲーム「文豪とアルケミスト」とのコラボ企画。

ゲーム中に登場する文豪の代表作が、ゲーム中のグラフィックを大きくあしらったスペシャルなカバーで蘇った。
上のURLでは6冊の発売が明記されているが、好評を博したらしく、翌年夏にはさらに追加で2冊が発売されている。これは、もはや文学史の事件である。

最初に見た時からずっと思っていたのだが、このコラボカバー、とても違和感がある。
違う、聞き飽きたオタクコンテンツ批判がしたいわけじゃない。ゲームという別の属性と掛け合わせたのだから、そこになにがしかの違和感が生まれるのは、むしろ当然といえば当然だろう。
でもなんだろう、この違和感はそれだけでは済まない気がする。なんとなれば文学作品ではない、別の種類の本のようにさえ見えるのだ。

なぜ「らしくない」と感じるのか。改めて理由を考えてみたら、以下の2点に思い当たった。

・著者の姿がセンターで大写しになっている
・書名より著者名のほうが目立つ

どちらの要素も、書名やその内容以上に「誰が書いたか」が重要視されている、言い換えれば、著者のタレント性に立脚した本であることを示している。

だから、これはタレント本の様式なのだ。ゲームの特性からすれば、このコラボがこうなるのはきっと正しい。そしてその文脈を持ち合わせない自分は、文学作品だと決めつけて見るから違和感がある、というのもきっと正しい。そういうことなんだろう。
というか、こういうタレント本を何度も見た記憶があったのだった。あるいはアスリート本か落合陽一。

例。

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