血圧計が二度動く

少し前の話、と書いておかないと、この時期あとあと面倒そうなので。

診察券を提出したら、血圧を測ってお待ちくださいと言われた。指示された先にあったのは、よくある血圧計。筒に腕を入れて、開始ボタンを押したら測定が始まる。終わったらレシート状の結果が印刷されて、自動で画面が消える。「病院の血圧計」と言われて、おそらく多くの人がイメージするだろう、あれだ。
さっさと測定を済ませ、受付に結果を渡して、待合室の長椅子に座った。

こういうやつ。

長すぎる待ち時間の間、血圧計を使う人たちの姿をぼんやり眺めていたら、気づいたことがあった。
測定が終わって、腕を抜いた後。去り際にもう一度、測定を開始するボタンを押す人があまりにも多いのだ。もちろんそこに腕はないので、何もない虚空の測定を開始して、当然のようにエラーを吐いて終わる。ボタンを押した人は押すなり去ってしまっているので、その一部始終を見届けるのは暇な私以外にはいない。
一人か二人なら「そういう操作ミスってあるよね」で終わるのだろうけど、とてもそんなレベルの話ではない。きちんと数えたわけではないけれども、感覚的には実に半数以上の人が、透明人間に血圧を測らせていた。特に高齢に見える人ほど、その傾向が強かったように思う。

これはいったい何なのだろう。

人が途切れたあたりでもう一度血圧計をよく見てみると、筐体にほぼ唯一あるボタンには[開始/停止]と書かれていた。
なるほど。つまり、去り際にもう一度ボタンを押していた人は、測定が終わった後で、この血圧計の動作を明示的に停止するさせる必要があると考えていたのだ。しかし実際には、結果が出力された時点で動作は停止しているので、このボタンは[開始]として機能してしまい、結果として無人の測定が始まったのだろう。
なお、本来の[停止]は、測定中に気分が悪くなった時などに、測定を中止するためのものであるという。

理屈は分かった。だけど、これはつまり、何の問題なのだろう。
私は最初、機器が停止している、つまり追加の操作を要しないことを機器の状態から認識できない、認知の問題なのだと思った。あるいは「機械が自動で停止する」という概念を、目の前の機器に投影できないことか。二度押しをする人に高齢者が多かったことも、その感覚と一致する。
もしくは、正常に測定が終了した場合に、再度ボタンを押す必要がないことが明示されない、この血圧計のインターフェースの問題。停止と書いてある以上、押さなければ終われないと考えるのは、ある意味では自然な見方なのかもしれない。

ここまで考えたところで、ふと気付いた。では私はどうして「このボタンを再度押す必要がない」と認識したのだろうか。結果を印字するレシートが出力されるときも、画面上にも測定結果は表示されたままになっていた。腕の締め付けは解かれていたとはいえ、改めて停止する必要性を判断するための情報は本当に提供されていたか。そもそも、さっき自分が押したそのボタンに[停止]と書いてあったことさえも、改めて見返すまでは気づいていなかったのではなかったか。

たとえば、PCで初見のアプリケーションをなんとなく操作していると「なんで(使い方が)分かるの?」と聞かれたりする。それはだいたい、過去に似たようなアプリケーションを触った経験か、あるいはPCでこのインターフェースであれば、ここを触ればこう動くだろう、といった勘が働くからなのだけど、結果的にこの血圧計の使い方を理解していたのも、そういう理由だったからだろうか。
そうであるなら、属人的な認識で主語の大きい話をしようとしている、いまこの話そのものが適切ではないのではないか。

考えているうちに分からなくなってきた。本当に自分は正しいのか?この状況なら押して帰るのが自然なのか?ここで考えていることも本当は全部、自分の歪んだ認識を押しつけているだけなのか?こんなことであれこれ思考を巡らせて、いったい何の意味があるんだ?

結局、ただの風邪だったので、4日分の薬を処方されて帰った。

【追記】
Twitterで「そのままにしておくと自分の血圧が表示されたままになっているから、表示を消すため意図的に再測定しているのではないか」というコメントをいただいた。確かにあの血圧計は、結果を印字した後も、しばらく画面に測定結果が出続けていたので、その線は考えられるかもしれない。ただ少なくとも、あの時私が見た全員がその意図でやっていたようには見えなかった。し、そうであるなら、再測定開始後にすぐ停止しないのは単純に迷惑なのでやめてほしいと思った。次の人が何で動いているのか分からなくて困惑していた姿も見ているので。