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読書まとめ 『社会契約論』

読書まとめです。
インプット→アウトプットの練習で書いてます。いずれ有料化させます。
と言うのも、本を読むのが面倒、時間がない。とう言う方たちでも内容を要約して伝えられたら良いと感じたからです。

さて、今回はちくま新書 重田園江
より、ホッブス、ヒューム、ルソー、

まず、、、

社会契約論とは?

社会契約論とは、社会の起源を問う思想である
「社会」とは、人々が集まり、共同で生活する場、
その社会がどこから来て、どんな風に生まれたのか、
それを解き明かそうとする思想である。

だが、実際にあった歴史上の起源を、古文書をたどって発掘するのではない。
理屈として、原理として考えたなら、社会はこんな風に生まれたはずだと説明する。

第二に、社会契約論とは、社会が作られるために、そして維持されるために最低限必要なルールは何かと問う。

第三に、社会契約論は、人工物としての社会を誰がどうやって作り、その社会は何によって維持されるかを問う思想だ。


社会契約論についての要約は今回はできないので、心に残ったところをpicしていきます。


<ホッブス>

⚪︎万人の万人に対する闘争
⚪︎人は人に対して狼

運動の法則
人はもともと、ボールのようなもの秩序がなければぶつかり合う。
人間の感覚が運動のきっかけとなる。
マイネージョン(想像力)と記憶で蓄積され、定着すると「経験」になり「経験」を基に意志を持った行為をする。
「意志」は「情念」からくる。

情念...一部は生まれつきのもの、大部分はイマジネーションと記憶に基ずく経験
善悪、快苦、恐怖、希望、勇敢さ、愛、宗教、羨望

近づきたいという「欲求」
離れたいという「嫌悪」

『運動論的世界では、当事者は何が起きているのか先の見えない恐怖に翻弄される。
個人は運動の最小単位でなく個人そのものが外界との間で、次々に生じる異なった情念や欲求の間によってできる。』

個人のうちに起きていることが、欲求のぶつかり合いだとするなら、
欲求同士の比較に基づく暫定的結論にすぎない意志について「自ら」意志しただとか、「自由な」意志だと言っていいのだろうか。

自由とは何か?
自由だと思って選択した意思決定は、欲求によって決定しているのではないのか?

『熟考の結果なされる行為は、人が持つそれぞれの情念の強さや組み合わせによって自ずと決まる。』

自由なのか必然なのかという問い自体、自由と必然を2分する考えがあって成立する。

⚪︎意志論 

ショーペンハウエルに似ているらしい
個人から意志を切り離し、意志とは個人よりずっと根源的な生の原理として、個人そのものを動かす「人称を欠いた力」であるとした。
意志的運動や他者関係における権力の問題に結びつけているニーチェの世界像え繋がる。

ニーチェ...力を重視、力は運動であり、運動には向きがある。

⚪︎自己保存の自然権と自然状態
人間の欲求、欲望には限度がない
何かを得ても新たな欲望が現れる。

運動体としての自然(石が下に落ちるようなもの)
人間が死と苦痛を避けようとするのは自然なこと。
それは「自然権」

権利とは自分の判断でしようと決めた(意志)ことをする自由だ

『リヴァイアサン13章より』

土地は耕作されず、航海もないので、輸入品もない。手頃な建物もなく、重いものを動かす道具もない。
大地についての知識もなければ時計もなく、技芸も文芸も社交もない。
最悪なのは、暴力死への恐怖と危険が絶えないことだ。
ここでの一生は、孤独で貧しく、醜く、野蛮で、しかも短い。


ホッブスは自由と多様性を犠牲にしているとの批判を受けたそうだ。
彼自身がこう言っている
「平穏に慣れきった人間の言い草だ、戦争と抗争がもたらす悲惨を忘却した、ないものねだりだ。」と。
ホッブスが生きた時代が形成した理論である。

暴力死の恐怖より、約束を第三者に委ね、そこに力を持たせたのがリヴァイアサンの考え。
人が自由に結合することで社会を作り、維持するアソリエーション
約束だけが政治社会に力と秩序を与え続ける。


そこで、理性のジレンマ。
武器を捨てる→相手から身を守る術がなくなる
武器を捨てない→平和と安全のための選択を選べない
お互いに相手が平和に向けて努力するという保証をどこから得られるか。

約束だけが秩序の起源であり、共同体に参加する個人の自由意志による以上
約束の根拠づけの力は不安定である
約束しない自由、破棄する可能性が常に残されている。
一対一の信約が多数集まって生まれる秩序は、無数の繋がりと信頼と人々の間に働く引力からなるため頑強である。




<ヒューム>

エディンバラで育ったスコットランド人
制限君主制から立憲君主制に変わる時代に生まれた。

1,秩序の起源はどこにあるのか
原初契約について、社会契約論の批判
「One the original contract」

Original 
契約が現行の政治の起源であるか(史実に基づいて契約の事例があるか)
統治や支配の起源を約束(promis)や契約に求めることは原理的に妥当。

『人間世界の出来事にこうした合意が認められるはずはないし、合意らしきものさえ滅多に見られない。
むしろ、制服、簒奪、あからさまに言えば力が、古い統治を解体し、これまで世界に現れたほぼ全ての新しい統治の起源となった。』

『重力や抵抗の原理がなぜ妥当するのか、それはどこから来るのかは深く考えない。
それと同じようになぜ特定の主権者に服従するのかを深く追求しようとは思わない。』

我々は生まれながらにして契約される。日本で生まれたから日本人、
国民たる主権、天皇が国の象徴、法律。
そこには一切の合意はない。

契約の存在を事実として否定
人は約束によって政治秩序に拘束される。

『約束と統治は同じメカニズムで、同じ理由と必要によってではあるが、別々の回路でそれぞれ人間社会に導入される。
先後や因果の関係はなく、約束が統治を生むものではない。
両者は別々に生み出す、人間本性に根ざしたもっと根源的な秩序生成のメカニズムがある。』

『なぜ約束を守らねばならないのだろうか?』
商業や貿易を安心して行えない。

『約束が統治を生むのではなく、社会の一般的利益(general intereste)という根本的なものによって生み出される。』

『約束とはある行為を実行するよう拘束する一定のしるしを用いた言語表現』

人は何らかの社会にだけ生きれる。だが社会は、人間が自分だけの目先の利益にとらわれていれば存続できない。
むしろ個々人が目の前の利益を諦めてでも他者の利益と自分の利益を長期的に両立させる方法を探らなければならない。』

『人は長く続いていることについては、
正しさの理由を深く詮索しない。』


社会は互いの利益によって約束がまもられる。ということ



<ジャン・ジャック・ルソー>

スイスのジュネーブの時計職人の次男坊として生まれる。
フランス革命付近。

約束が一般意志を形作る

ルソーにとって強い、豊かな国とは、有徳な市民によって支えられた国

『政治体は、人間の身体と同様、出生が死への門出であって、自らのうちに破滅の原因を宿している。確かに人の命を延ばすことについて人間の力は及ばないが、国家の場合にはそれは人間次第である。
最良の体制を与えることによって、その命をできるだけ延ばすことができる。
最もよく構成された国家にも終末は訪れるだろう。
しかし、不測の事態によって寿命の尽きないうちに滅びさえしなければ、ほかの国家より長生きするだろう。』

『我々のおのおのは自分の身柄と全ての能力を共同のものとして、一般意志の最高の指揮のもとに置く、それに応じて我々は各構成員を一体で、全体の分割不可能な一部として受け入れる。』

各構成員は自分に対する権利を他社に譲り渡すが、それと同じ権利を他者から受け取らないような構成員は誰もいないのだから、人は失うもの全て等価のものを手に入れる。

人々は契約によって自由を得る
主権者によって契約当事者が抑圧される危険

結社行為は公衆と個々人との間の約束を含み、また各個々人は、いわば自分自身と契約している。そのため二重の関係で、すなわち主権者の成員としては、個々人に対して、国家の成員としては主権者に対し約束していることになる。

人間としての個人は市民として持っている、一般意志に反する、あるいはそれと異なる特殊意志を持つことになる。

特殊意志はその本性上、自己優先の方に
一般意志は平等の方へ傾く。

一般意志は過たない(間違えようがない)

社会を一般意志によって解釈。
一般意志の解釈がとても複雑。


そんな感じでとってもまとめてみたけど、内容が入ってこないというか、複雑すぎて、今回はここまでにします。
読書まとめシリーズの中で一番まとまらないです。
完全敗北感です。。


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