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『番外編』僕が人生で3回死にかけた話

こんにちは、郁哉です。
今回は僕が死にかけた3つのお話です。
本意だか、不本意だか。。


さて質問です。たいそうな意味はございません。
皆様は、死にかけた経験がありますか?

はい、ないですか?
そうですよね。ははは。

あって生きてるから笑い話になんてしている次第でございますが、
私が言えるのは、自分の命は大切にしてください。周りが悲しむもんで。

そんな僕が死にかけた3つのエピソードです。

1雪山遭難編

これは大学生の頃、11月の群馬県の話ですな。
山頂には雪が見え、肌寒くなってくる季節であります。
友人と綺麗な沢を見に行きました。
気がついたら、遭難していました。だいぶ素っ頓狂なお話ですが、詳細を省いていますゆえ、ご承知ください。
そこには、水や食料もなく、電気も、防寒着も、宿も火もなかった。

もう死ぬんかな。そんなことを思いながら、空を見上げると、
無数の星たち。高い標高と、澄んだ空気でとても綺麗に輝いてた。
あれは人生で一番綺麗な星空だった。
そんなのを見てたら、元気が出た。真っ暗な中、山頂めがけて歩き、
奇跡的に山小屋を見つけた。なんとか生きながらえた。

雪山なめてっと、死ぬぞ。
山の壮大さを理解した。
死の間際になると世界が輝くんではないですかね。
普段当たり前のように見てる景色も、最後だと思うと愛着のような感情が生まれるんですかね。不思議な体験です。

2タイでぶっ倒れ編

大学4年の最後、東南アジアを1ヶ月間バックパックした。
その最初の国タイのバンコクでの話だ。
初めての東南アジア、ひとり旅でワクワクしていた。
右も左もわからなかった。
入国3日目、ホテルにチェックイン、係りの者に案内され、部屋の場所、ウォーターサーバーの使い方等を説明してもらった。
そのウォーターサーバーの水を飲んだ時、胃に重たいものが入ってくる感覚がした。
「なにこれ、気持ちわる。」程度の感覚だった。

翌朝5時頃、気分が急激な吐き気で起きた。トイレに駆け込んだ。
吐きまくった。なんだこれ。
今度は下からもきた。上と下から両方出しまくった。
そしてその場で1時間ほど気絶した。
この瞬間、死ぬのかな。と不意に思った。ここで一人で?
さすがにきちーよ。寂しいなあ。なんて考えながら。

その日はチェックアウトで、バスに乗ってカンボジアに国境ごえする日だった。
バスも予約したし、向かわねば。という気持ちで一杯だった。
なんとか起き上がって、チェックアウトをした瞬間、また発作のごとく気持ち悪くなった。ロビーでぶっ倒れた。
この時、ホテルの人は、一切助ける気がなかった。
「こいつら、死んだら呪ってやるからな」なんて思いながら、
30分ほどまた気絶した。

いやー、生きててよかった。なんとかカンボジアに行って、
現地で一番強い胃薬もらって速攻回復しました!
誰も信じるな。己のみを信ぜよ。

2回目の体験は寂しさと恨みでしたねえ。
孤独死の気分でしたなあ。
死ぬのか。寂しいなあ。苦しいなあ。
そんな感情でした。
ホテルのフロントで倒れた時は、助けてくれなかったフロントを呪ってやる!
そんな気持ちでいっぱいでした。死んでたら確実に悪霊でしたねえ。
悪霊になる人の気持ちがわかりました。
そして、人は他人に対して無関心であるということも察しました。
他人に親切にできる人は素晴らしい人ですね。
そう思わされました。

3インドネシアクリフジャンプ編

インドネシアでクリフジャンプをした。
綺麗な海だ。水の色が全然違う。最高だ。
そこは、岩場で整備はされていない。
波はそこそこ。打ち上げられるように上陸しなくてなならない。
まあいけんべ。って感覚で13mの崖から飛び込んだ。

俺が飛んでから急に波が荒れた。上陸ポイントに向かえない。
どんどん流される。
え、波高くね?
波に飲まれては海に沈み、浮き上がっては次の引き潮に飲まれ、の繰り返し。
パニックとあいまって、呼吸が苦しくなった。
「やばい、流されてる。苦しい。。」
「俺、死ぬんかな」
「地球は雄大だなあ」「人なんて簡単に死ぬ」
「こいつらには敵わないわ」なんて感情が巡った。

振り返ると、岸にいる友達と目があった。
なぜだか分からんけど、お互いの意思が伝わった。
俺 「俺、もうダメだ。」
友人 「悪いけど、波がすごくて助けらんねえ」
てな感じに。
けど俺はまだ死ねない。生きるんだ俺。
なんとか別の岩に必死にしがみつき。陸に上がった。
身体中、切り傷だらけだったが。
久しぶりの陸はとても安心した。

あぁ。生きててよかった。

 なんで、あんなにも苦しかったのか?
それは、筋肉が緊張して、酸素を欲するらしい。
スポーツでも、緊張してると、いつもの倍疲れる。
平常心の方がいいパフォーマンスを出せる。
 サーファーが瞑想する理由の一つに、
「常に平常心を持つようにするため。」
という点があるそうだ。やはり、大波に挑んで行くのは、並の神経じゃいけないそうだ。
     瞑想かマリファナでハイにしてから行くそうだ。

この体験から学んだこと

『死ぬこと以外かすり傷』なんて本が出てるけど、まさにその通りだ。
執筆者は、セクハラ問題でツイッターで死にたい。なんてツイートしていますが、まあ死にかけた体験なんてしていなかった偽物なんじゃないですかね。
精神的に死にそうになることと、物理的に死にそうになるのでは、違いがあるのかもしれないですね。死とは何かとは興味深い議題でございますな。
まあ僕が死にかけた体験は、
生きてりゃ笑い話だ。どんどん失敗していける。
あとなんですかね、「変に肝がすわる。」っていうのですかね。
どうせ死なないべ。っていう
「なんとかなる精神」がつく。だから、大抵の問題は問題ですらない。
自分がそう感じるから、そう思うだけ。
ニーチェは、「真実など存在しない。ただ、解釈だけが存在する」
まさにそう。同じ文を読んでも解釈は人それぞれ。
自分の中にある問題も、自分で作り上げている。
悩みなんてのも最たる例。
そういったものへの執着が減る。
悪い意味なら、人間味を失う。
良い意味なら、達観している。

死の瞬間には、
自分の成功や後悔なんかより。他人への心配の方が勝る。
あいつは今後元気にやっていくかな?
自分の大切な人の今後。
そういったことを考える。

幸福という点で考えると、
自分のためというより、
誰かのために行動した方が、死ぬときの後悔は少ないのではないでしょうか。

自分自身の成功ももちろん大切だが、
その道が誰かをふみにじることになってはならないですな。


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