見出し画像

また逢ふ日には、みんなでポロを!

 「あなたは、ポロ、食べたいですか?」
 ひょんなことで知り合ったタタール人女性。彼女は、北京市内に暮らす大学生でした。
 1996年夏、彼女の故郷であるグルジャ(中国語でイーニン)を訪問、彼女の家に泊めてもらったことがあります。ウルムチから北へ約700キロ、カザフスタン国境に近いその街には、ウイグル、カザフ、タタール、ロシア、漢、シベなど、たくさんの民族が暮らしていました。
 彼女の家は閑静な住宅街にあり、ポプラ並木に囲まれた家々は美しい装飾で彩られていました。父親はタタール人、母親はウイグル人。5人の兄弟がいる家の中ではウイグル語が使われていました。サモワールが置かれた部屋でお茶を愉しみ、葡萄棚に囲まれた中庭で朝ごはんをいただく。なんと心地よい時空でしょう。

 日本語を勉強し始めたばかりの彼女は、「あなたは、ポロ、食べたいですか?」と、拙い日本語で話しかけてきます。ポロ作りに用いるのは、分厚くて重い大きな鍋。ナイフのような包丁と、切り株のような丸い大きなまな板。彼女はせっせと人参を切り、ポロの用意をしてくれました。

 庭には、葡萄、リンゴ、ナツメ、桃、いちじく、梨、杏など様々な果樹が植えられ、山羊も飼われていました。そして、眩しい陽射しの中に立葵(タチアオイ)がすっくと立っていました。

(左:ブルーの壁に飾られたウイグル絨毯。右:室内に置かれたサモワール)

 1年後、私は北京で彼女に再会しました。
 「あなたは、ポロ、食べたいですか?」
 大学宿舎の狭い共同台所を知っていた私は、面倒をかけてしまうと思い固辞しようとしました。第一、ポロを作るための重い大鍋はあるの?火加減も難しいはずだし、手を煩わせるのは申し訳ないという思いもありました。
 「大丈夫!もうできましたよー!」
 彼女が共同台所から抱え持ってきたのは、なんと炊飯器!!え?炊飯器?ポロじゃないの?彼女は炊飯器から肉の塊を取り出すと、まな板の上で切り分け、手際よく皿に盛りつけてゆきます。炊飯器を覗くと、そこには人参たっぷりの黄金色のポロ!匂いも間違いなくポロ!・・・・衝撃!初めての炊飯器ポロです!
 今でこそ、ポロを炊飯器で手軽に作るのは周知されていますが、20年以上前ではまだまだ画期的な作り方でした。(←少なくとも、私にとっては初体験)。
 故郷グルジャとは異なる、湿度の高い北京の夏。扇風機の回る暑く狭い宿舎の中で、彼女の友人も一緒に皆で食べるポロ。顔をニキビでいっぱいにした彼女が作ってくれたポロは、遥か遠きグルジャを思い出させる味でした。

 海外志向の強かった彼女は、その後、努力を重ねて海外へ出るチャンスをつかみました。風のうわさで結婚したと聞きましたが、今はどこの空の下にいることやら。ピンク色の立葵を見るたび、彼女のことを思い出します。

 (初めての炊飯器ポロin Beijing(北京) 炊飯器もレトロ♡)

 立葵は、私が初めてウイグルを訪問した1991年、カシュガルのホテルの中庭で最初に見つけた花です。元ロシア領事が置かれたそのホテルの中庭に咲いていた立葵。その後、何度もカシュガルを訪れるうち、私の定宿は元イギリス領事の置かれたホテルに変わりましたが、こちらのホテルにも立葵が植えられていました。

 今から約100年前、ここに暮らしたマカートニ夫人(英国外交官夫人)の記録によると、立葵は染料としても用いられたようです。そして彼女は、カシュガル郊外の町で食べたポロについての記述も残しています。
 「出された料理は、(略)大きな皿に盛ったピラフでした。すなわち、脂肪で炒めた米と揚げた鳥肉とを混ぜたもので、この米の中に種なし干しぶどう、干しスモモ、棗ヤシの実、それにピスタチオの実が入っています。これは本当に豪華な料理でした。というのもこれは良質で新鮮な脂肪で作られていたからでした。(略)。私たちはみな床の上に、仕立屋のように座り、ナイフもフォークも銘々のお皿もなく、現地風に指で大皿から各々が手でとって食べたにもかかわらず、出されたすばらしい夕飯にたっぷり堪能しました。」(『カシュガール滞在記』マカートニ夫人/金子民雄訳)

 この脂肪というのが羊のお尻の脂肪なのか、あるいは他の動物の脂肪なのか分かりませんが、ドライフルーツたっぷりでピスタチオまで入っているとなれば、それは美味しいに違いありません。ポロを手で口に運びながら舌鼓を打つ夫人を思わず想像してしまいます。

 (立葵を手に、調子に乗るグリシェン←若気の至り💦)

 ある年の夏、滞在していたカシュガルで雨が三日も続き、息苦しいほどだった暑さが肌寒さに変わったことがあります。
 「カシュガルでは恵みの雨だよ。」
 持っていた全ての衣類を着こみ肩をすぼめる私に、地元の友人が上着を掛けてくれました。何度も私を自宅に招いてポロなどをご馳走してくれた20年来の友人です。
 その時、道端に咲いていたのも立葵。雨で砂埃も洗い流され、鮮やかなピンク色がひときわ目につきました。粉糠雨に立葵、まるで日本の梅雨の光景です。立葵の原産は、小アジア・中央アジア・中国諸説あり、アオイ科の野生種は新疆ウイグル自治区にも多く見られます。
 「日本では、葵(あふひ)は『逢う日』と掛け言葉にもなっていて、立葵の花が上端まで咲きあがれば梅雨があけるのよ。」などと友人に語ったところで、友人の反応は「ふうん。」とそっけないもの。考えてみれば梅雨など無い地域の原産で、後世日本へ伝わった花に日本人が勝手に意味づけをしてはしゃいでいるに過ぎないのです。

 そんな彼も、後に日本留学を果たし、慣れない自炊生活の中で炊飯器を使ってポロを炊いていました。故郷を離れ、異郷で食べるポロの味は、彼らにとってどんなものなのでしょう。カシュガルから日本まで約7500キロ、グルジャから北京までは約4500キロ、言葉も生活習慣も気候も異なる土地で故郷の味を求める彼ら。大皿に盛ったポロを、分かち合いながら皆で食べる。ポロは、人との繋がりを感じさせてくれる料理なのかもしれません。

 20年来の友人である彼とは、今は自由に連絡を取ることができなくなりました。現在、中国政府の政策の影響で、音信の途絶えた友人たちがたくさんいます。逢えなくなった彼らとまた「逢う日」はくるのでしょうか。

 「あなたは、ポロ、食べたいですか?」
 タタールの彼女の声がよみがえります。
 食べたいです。ポロ、食べたいです。みんなと食べたいです。あなたと食べたいです。そして、あなたに逢いたいです。再び逢いたいです。あなたにも、彼にも、そして、アメリカやカナダ、オーストラリアに移住していった友人たち、逢えなくなった全ての友人たちに逢いたいです。

 立葵の花を愛で、みんなと大皿のポロを囲む日。私はいつも目を閉じて空想します。また逢う日には、みんなでポロを!

 逢えなくなった彼らとまた「逢ふ日」を夢見ながら、グリシェンの話は終わりとします。全4話、お付き合いくださり本当にありがとうございました。


グリシェンカフェオーナー/グリシェン中川裕美

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?