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絨毯屋のポロ弁当

 「飯は食ったのか?ポロがあるから食っていけ」
 ある時、絨毯屋の店主はそう言って私に手招きしました。言われるままに店に入り絨毯の上に座ると、部屋の一隅に風呂敷包みがありました。
 ここはカシュガル。何度も何度も通う間に知り合った馴染みの絨毯屋さんです。
 
 こんにちは。「グリシェンカフェ」のグリシェンです。今回も、ポロ(プロフ)にまつわる私の思い出話にお付き合いください。

 カシュガルにはたくさんの絨毯屋があります。絨毯など織物の産地としては南新疆のホータンが有名ですが、ホータン絨毯もカシュガル絨毯もそれぞれに味わい深く魅力的です。カシュガルはパキスタン国境に近いこともあり、パキスタンやアフガニスタンの絨毯もたくさん並んでいます。出入のパキスタン商人も交え、ここで談笑するのは私の旅の楽しみのひとつです。

 その絨毯屋の近くにあるウスタンボイ通り、そこには街路樹として合歓(ねむ)の木が植えられています。果物売りや野菜売り、歯磨き用品や香水などを扱う小売商が、木影を利用して商品を並べる空間。ある年の夏、私はそこに陶器売りを見つけました。
 緑色と黄色がベースの素朴な日用品としての陶器、見るからに割れやすそうな器は焼きも甘く、釉薬もすぐに剥がれてしまいそうです。過去に何度か、同じ陶器を買い求めたことがあり、その度に割らないように必死の思いで日本まで持ち帰ったことがあるにもかかわらず、また物欲が頭をもたげてくるのは困りもの。その時も、立ち止まってじーっと器を眺めていました。

 店番をしていたのは14,5歳の少年です。物欲まみれの私はといえば、しゃがみこんだり器を手に取ってみたり、立ち上がったかと思うとまたしゃがみこんで見入ったり。少年にとっては面倒くさい外国人客だったかもしれません。私が気になったのは、どの器にも残る傷のような三つの小さな跡(「目跡(めあと)」というそうです)。指で確認する私に少年が言い放ったのは、陶器を重ねて焼くため間に粘土で作った三又の台を置くから仕方ないんだ、という説明なんだか言い訳なんだか・・・。器は、少年の父親と祖父が焼いているようでした。
 少年とのやり取りの末、私は数枚の器を日本へ持ちかえることにしました。この器にポロを入れたらさぞ美味しいに違いない!この器で食べるラグメンはきっと最高だ!この器にコルダックを盛り、お客さんに出したら喜ばれること間違いなし!私の頭の中では妄想が始まっていました。

 これは後日談ですが、日本に戻ってその器をきれいに洗い、期待感いっぱいでスープ麺を作って食べてみました。スープを入れると器の底からポコポコと空気が上がってきます。・・・・・・、気泡?器の中にスープがどんどん滲みてゆく感じです(汗)💦器はもろく、釉薬はぺリぺリと剥がれてゆきます。スープを飲み干しながら、私は体内にカシュガルの泥がしみ込んでゆく錯覚を覚えました。

 泥といえば、カシュガル周辺の岩塩には泥を含んだものがたくさんあります。人間が生きる上で欠かせない塩。かつて、カシュガルのバザールや道端では岩塩がごろごろと積まれ売られていました。岩塩にも様々な種類があり、近年日本でもよく見るようになった硬いピンク岩塩もあれば、もろくすぐに崩れてしまう泥を含んだ岩塩もありました。
 泥を含んだ岩塩を使う場合は、まず水に浸して泥水を作り泥を沈殿させます。そして上澄みの塩水の部分をそのまま調味料として使用します。もちろんポロ作りにも使われます。精製された塩もスーパーなどに売られていますが、岩塩を用いた塩水はやはり味がいいと人気です。
 以前、馴染みの絨毯屋の自宅に招かれた折、その塩水を使って調理した肉野菜の炒めものを饗されたことがあります。その家の次男の嫁が作ってくれました。この家では、ポロやラグメンなど、おそらく全ての料理に岩塩水を使っているようでした。

(※泥の塊に見えるのが岩塩。中央は2005年当時販売されていた精製塩。)

 さて、前述の絨毯屋の話に戻りましょう。

 絨毯屋の店の一隅にあった風呂敷包み。その中にはどんぶりが入っていました。そのどんぶりは、地元で昔から焼かれ作られているあの器です。どんぶりにかぶせた蓋代わりの皿を取るとポロが現れました。しかも目玉焼き付きです。奥さんが夫のために栄養を考えて作り持たせたのでしょう。包みの中にはデザートの梨も入っていました。主はそのポロ弁当を私に食べろと言います。「これ、あなたのお昼ごはんでしょう?」と言うと「おまえの姿を見つけたから食べずに残しておいたんだ」とこたえて、「おまえは娘みたいなものだからな」と静かに笑いました。

 やがて客が入ってきました。主は、立ち上がろうとする私を制し「遠慮はいらん。ここで食べろ」と言うと、自らは客の求めに応じて絨毯を広げ始めました。客は欧米人や香港人、英語と漢語とウイグル語が飛び交います。ウイグル絨毯、アフガン絨毯、アンティークもあれば土産用の新しいものもあり、駆け引きが続いてゆきます。埃の舞う店の隅で、私は静かにポロを口に運びました。おそらくこのポロも、岩塩水を用いて調理したに違いないと思いながら味わいます。しかも目の前には美しい絨毯がどんどん広げられ、正に口福&眼福。

 ただ、少々複雑な気持ちになるのは、「おまえは娘みたいなものだ。ここで食べろ」と言った主の言葉。嬉しさもありますが、本当の娘なら客の前で食事をさせるなどありえないことも重々分かっていました。年齢もたいして違わないのに、主にとって私は娘同様まだまだ浮ついた幼き存在に見えたのかもしれません。(←実はこの時点でグリシェンはアラフォー💦)そんな私に、家族と同じものを私に食べさせてくれる主。少々切ない味の思い出です。

 
 夏、赤い花を付けた合歓の木を見るたびに思い出すのは、合歓の木の下の陶器売り。そして、埃の舞う絨毯屋。
 時々、無性に目玉焼きの乗ったポロ弁当を食べたくなります。肉がたくさん入っていたわけでもなく、レーズンが入っていたわけでもない、実にシンプルなポロ。決して同じ味にはならないと分かりながらも、私の足は自然にキッチンへと向いてしまうのでした。←(注)目玉焼きは両面焼きで!

「グリシェンカフェ」オーナー/グリシェン中川裕美

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