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エキセントリックガール楽奈を通じて考える《一生》の読解【BanG Dream! It's MyGO!!!!!】


※ヘッダー画像は『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』4話より引用

はじめに

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の放送もいよいよ13話の最終回を残すところになりました。私は大変恥ずかしながらバンドリにそれほど触れたことがなく、アニメ1期(+OVA)を見た程度で、正直このタイミングで自分がバンドリのコンテンツに首根っこを掴まれるとは露ほども思っていなかったのですが、何が起こるかわからないものです。

本作を見ていて思うのはどこか群像劇的というか、いろんなことを考えている人がバラバラに頑張っているのだな、ということです。
もし仮にこのアニメの主人公を一人挙げてみようと言われればそれは燈になるでしょう。しかし、燈はもちろん、バンドを形にしようと頑張っている立希も、自身の逃げ癖を克服しようとしている愛音も、失った居場所を追い求めながら彷徨い続けたそよも、それぞれにそれぞれのドラマがあり、1クールかけて戦い抜いた結果があります。
しかし、今回私が一つ、感想文を書いてみたいと思うのは、そんな人々が織りなすドラマの中でもひときわ掴みどころがない、MyGO!!!!!メンバーの中でも随一の不思議ちゃん、楽奈のことです。

楽奈という少女の背景

「野良猫」と評され、まさに好きな時に食べ・寝て・鳴く(鳴らす)猫の如く自由奔放に見えた楽奈。彼女はMyGO!!!!!というバンド(に、いずれなるグループ)においてもなお浮いているように見える不思議なエキセントリックガールでした。
元々、MyGO!!!!!は前身であるCRYCHICがバラバラになったことに後悔のある面々が(燈・立希・そよ)中心です。そして、そんな彼女らの前にまた別の過去のわだかまりを抱えた愛音が現れたことで、傷口に絆創膏を貼るかの如く互いに寄り添いながら、また時には傷口に塩を塗り込むように衝突しながら形になっていったバンドでした。ともかく、ここで共通点になっているのは彼女らにそれぞれ”傷”があったことなのですが、そんなある種の身内バンドめいた空気感の彼女たちの元へと、ふらりと外から現れていつの間にか居付いたのが、楽奈でした。

燈たちのスタジオに突如乱入する楽奈
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』4話より

風のように現れた楽奈は、中学3年生とは思えない堂に入ったギタープレイでMyGO!!!!!の音楽面のクオリティを確かに支えています。
7話のライブシーンで彼女の弾く『春日影』のフレーズから曲の演奏が始まったり、10話では一人で”詩”を歌う燈の傍らでギターを演奏し、燈の語りを「音楽」に変化させたりと、彼女の行動はまだMyGO!!!!!という名前すらない名もなき集団を、音楽を奏でるバンドへと導き続けているように思えました。そんな様子でしたので、私は最初彼女のことを「迷える子羊たちの元に現れた、音楽の女神の化身かなにかではないのか」などと半ば本気で考えていました。

印象が大きく変わったのは11話。普段「バンドやる?」「ライブやる?」「抹茶パフェ」のような言葉しか発さない彼女が、ふとしたきっかけから珍しく彼女の心境を吐露するシーンがありました。

愛音「ギターどんだけ使ったらそんなになるの?」
楽奈「おばあちゃんの」
愛音「おばあちゃんって、ピックくれたときも言ってたね」
楽奈「ミラキュラスカーレット」
愛音「みらきゅ……何?」
楽奈「ライブハウスやってた、SPACE。一生あるって思ってた、なくなったけど。でも、居場所って、また誰かが作るんだって」

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』11話より

「一生あるって思ってた、なくなったけど」彼女らしい簡素な言葉ながらも、普段はあまり見せない、楽奈の抱える愛着のある居場所を失ったことの寂しさが垣間見えるシーンだなと思います。結局「SPACE」閉店後の楽奈は、バンドに所属することもなく「RiNG」のような馴染みのあるライブハウスにふらりと現れてはギターを弾いたりスタッフから可愛がられていたようです。ここだ、という居場所を見つけられないままに。
このシーンを見てからというものの、私はそれまで「自分のいるところこそが自分の居場所」とでも言うかのように自由気まま・威風堂々としたボス猫のような印象だった楽奈のことを、居場所を見つけられないままふらついている迷い猫だと感じるようになりました。
そう、彼女もまた、燈たちと同じく絶賛迷子中の一人の少女だったのです。

愛音にピックを差し出す楽奈
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』11話より

ちなみに、「SPACE」はバンドリ1期に登場し、閉店したライブハウスです。1期13話では「SPACE」を閉店することを受け、オーナーであった楽奈の祖母・詩船が「きっとまた誰かが作る、居場所ってのはそういうもんだ」と語っているため、楽奈の「居場所って、また誰かが作るんだって」という発言はそれを受けてのものでしょう(もちろん1期13話のその場に楽奈は居ませんが、恐らく詩船オーナーが孫にもそう語っていたのでしょう)

11話では、「SPACE」跡地の駐車場(PARKING SPACE)から立希の呼び出しを受けて移動する楽奈の姿も描かれています。「SPACE」という元の居場所から、MyGO!!!!!という新たな場所へと向かう彼女の状況の変化が、ここでは示唆されているのだと思われます。

「おもしれー女」と《一生》

ところで、楽奈といえば(配布うちわの裏面のセリフにもなった)印象的なセリフがありますね。
そう、楽奈が燈を評した「おもしれー女」逆に「つまんねー女」という言葉です。派生として「つまんねー女の子」「おもしれー女の子」もあるわけですが、この「つまんねー/おもしれー」というのはどういう判断基準なのか、言葉足らずのこのセリフからはいまいちわかりません。楽奈の登場シーンで何度か登場するこのセリフを順に辿っていくことで、言葉を発した楽奈の真意と、その変化を追っていきましょう。

まず、楽奈が重視していること、あるいはMyGO!!!!!という新たな居場所に求めていることはなんなのか、ということを考えてみます。先のSPACEの話を踏まえると、楽奈が追い求めているのは次の「一生あるって思える」ような場所です。「SPACE」を失った楽奈は、そこに変わって末永く所属できる居場所を求めています。

この情報を元に4話のシーンを振り返ってみると、ここで楽奈が反応しているのは《一生》というワードのように思えます。

燈「一生、やろう」
そよ「一生?」
燈「うん。……もう、イヤだから」
立希「誓う。燈とだったら一生でもいい」
そよ「うん、私も誓うね」
愛音「えっ!? ちょちょちょ、一生だよ!? 一生」
(中略)
愛音「う~ん、一生……」

楽奈「フフッ」

(中略)
燈「じゃ……初ライブまでは絶対」
愛音「いちいち重いんだよな~」
立希「はぁ?」
愛音「あっ、ウソウソ! 頑張るから」
立希「一生は一生なんだけど。ホントに入れんの? こいつ」
愛音「こいつじゃないです、愛音です~」

楽奈「……おもしれー女」

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』4話より

横の席で面々のやり取りを聞いていた楽奈は、不敵に笑みを浮かべ、恐らく燈に「おもしれー女」判定を出しています。ここでの燈たちの話題はまさに「一生やるかどうか」です。楽奈にとって、やはり《一生》ということは関心の高い話題であることが伺えます。中でも燈は他の面々とは明らかに違う熱意を持って「一生(バンド)やろう」と強気ですから、楽奈にとって「おもしれー女」であることにも頷けます。

燈たちを見つめる楽奈
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』4話より

そして同4話にて、後日スタジオで練習する燈たちの元に楽奈が突如として乱入し「やらないの?」と言い放ちます。一同、困惑。

更に続く5話で、楽奈は燈たちへのバンドへの加入(?)を宣言します。

楽奈「バンドやる」
(中略)
そよ「どうして……私たちなのかな? それだけ上手だったら、他からも誘われてるよね?」
楽奈「つまんねー女ばっかだった。けど……(燈を見る)」
立希「ちょ……何!?」
楽奈「おもしれー女」

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』5話より

ちなみに、ここで「つまんねー女」に思わず愛音はどきりと反応してしまっているのですが、彼女は4話では一番《一生》に難色を示していましたね。当然、楽奈は別に愛音に「つまんねー」と言い放ったわけではなく、愛音の過敏さも特にその《一生》に直接関わって来るものではありませんが、アニメ的にはここは一連の《一生》をめぐるシーンと解釈できるのではないかな、と考えています。

さて、そんな楽奈のことを「それだけ上手あったら、他からも誘われてるよね?」と尋ねるのはそよ。直接描かれていないため実際のところはわかりませんが、客観的に見ても楽奈の音楽的技能というのは秀でています。であれば、その技術を欲しがる他のバンドがいてもおかしくない、というのは自然な推測でしょう。しかしながら、恐らく他のバンドは楽奈にとって「つまんねー女ばっかだった」ということらしく。
技術的には優れていても、正直言って人間的にはそこそこ癖のある楽奈を誘うとしたら、お友達バンドというよりは、向上心のあるバイタリティに溢れるタイプの方向性のバンドだと思われます。それこそ、12話で「最短でメジャーデビュー」との展望を語った祥子のように。楽奈を誘った人たちも、きっと実力もあり、意志の強さだって燈に負けないような人も大勢居たのではないでしょうか。
にもかからわず、楽奈が燈にだけ興味を示しているのは、やはりこの《一生》が絡んで来ているからではないかと思うのです。

少し飛んで8話。思い出の大切な曲である『春日影』の演奏に激昂したそよが連絡を絶ってしまい、再びCRYCHICと同じ轍を踏んでしまうのでは、と燈もすっかり参ってしまいます。
そよを連れ戻すのか、それとも別のベースを入れるなど他の形でバンドを存続させるのか。メンバー間でも意見の対立が出てしまいます。そんな中、楽奈は「バンドやる」とメンバーをスタジオに呼びつけますが、やはりなかなか話はまとまりません。

燈「うん、そよちゃんもいたほうが……」
楽奈「ン~……(燈を見る)」
愛音「ほら~、燈ちゃんも同じだって」
燈「あっ、でも……練習も大事だし……」
楽奈「うん?(目を細める)」
愛音「えっ、どっち?」
立希「あ……燈?」

楽奈「つまんねー女の子」

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』8話より

ここで楽奈、自分から呼び出しておいて燈に「つまんねー女の子」判定を出して去ってしまいます。再び、唖然とする燈たち。
ここでの燈はそよが再び去ってしまったことに動揺し、かつてあった意志の強さも感じられません。すなわち「一生やろう」と語ったバンドへの信念も、ここでは折れてしまっているのです。9話では燈は「バンドやらないほうがよかったのかな」なんて言うぐらい落ち込んでいるので、この段階では続けていく強さがなく、すなわち楽奈がかつて感じた「おもしれー女」感はなかったのでしょう。

ですが燈も折れてばかりではありません。一人でステージに立ち、詩を読み上げるという形でなんとか踏ん張る燈。そんな彼女の元に真っ先に現れたのは、意外にも楽奈。燈の語りをたっぷりとギターの音色で彩って、一言、楽奈はこう言うのでした。

楽奈「おもしれー女……の子!」

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』10話より
燈のステージに参加する楽奈
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』10話より

こうして、再び「バンド」をやろうとした燈に寄り添った楽奈。復活した燈の力強い様子には、楽奈も満足そうです。そして、さらりと帰ってしまった前とは一転してバンド存続のためにぐいぐい動いていきます。ここで再びMyGO!!!!!は、楽奈が「一生あるって思える」ような居場所になり得る兆しを再び見せているということなのでしょう。

ところで、他にも10話では、楽奈が意外と燈以外の他メンバーに愛着があることが描かれています。率先して立希を引っ張ってステージまで連れてきていますし、愛音が再び加わったときには「やっと来た」と声をかけ、そよがステージまで腕を引かれてきたときには喜々としてベースを渡します。
つまるつまらないの話で言えば、例えば愛音に燈のような《一生》という気概が少なくとも4話段階ではなかったのは明白なわけですが、楽奈が愛音を邪険にしている様子はないですし、MyGOメンバーに「つまんねー」を使ったのは燈への「つまんねー女の子」だけです。意外と人懐っこいところがあるのが楽奈の愛嬌であり、たしかに「RiNG」スタッフから可愛がられていることにも納得感があるな……と思います。

楽奈的にはかなりバッサリとした燈への「つまんねー女の子」という言葉ですが、恐らくあの時の楽奈の心境というのは外部からの「面白いか/つまらないか」のジャッジではなくあくまで所属メンバーとしての失望だったのでしょう。新たな居場所足り得ると期待したバンド、それ先導する船長の如く感じていた燈が、見る影もなく意気消沈していたのが大きかったのだと思います。

10話の演奏シーンでは楽奈以外の皆涙を流しているのがとても印象的で、そこで一人笑顔な楽奈は浮いているなぁと思ったものです。
しかし、改めて振り返ってみると、もしかするとこのもうすぐMyGO!!!!!になる名もなき集団を最も「バンドという共同体」と捉え、そしてそこに真っ先に居場所を見出していたのは他でもない楽奈だったのではないかな、なんて思ってしまいます。

『超絆詩』を笑顔で演奏する楽奈
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』10話より

《一生》とは《永遠》なのか?

続いては、楽奈にとっても重要な《一生》続けるということについて考えてみたいと思います。
燈たちは今中学~高校生。つまり、額面通り「一生バンドやる」としたら70~80年とかバンドやることになります。50年もバンドやってたら半ば伝説級のバンドになってると思うので、相当ですね。先に体がついていかないと思います。
「平均寿命知ってる? 私達がおばあちゃんになる頃には90歳とか言われてるんだよ? おばあちゃんになってもドラム叩くの?」とは4話の愛音の談。これも至極真っ当な突っ込みでしょう。

額面通りに受け取った《一生》は、あくまで人の寿命の範疇ですが言わば《永遠》であり、そこから感じ取れるのは《不変》のものと言えます。そんなことが実際に可能なのでしょうか?
他でもないこのアニメに、それを実際にやろうとして、そして残念なことにまるでうまくいかなかった人がいました。CRYCHICに徹底的に固執していた、そよです。

美しき思い出のCRYCHICの写真
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』9話より

止まった思い出の「あの頃」にただただ回帰しようと、愛音や楽奈が加わった今のバンドには目もくれずに過去へと戻りたがっているのがそよでした。
彼女の望んでいたことは「永遠にCRYCHICを続ける」だったのだと思います。しかしこの世に《永遠》はなく、無常にも流れる時間の中で状況は刻一刻と変わっていきます。祥子も睦も決定的にバンドを去り、美しき思い出を歌ったCRYCHICの『春日影』は、7話のライブで歌われたときには過去との決別の歌へとどうしようもなく変化していました。時間芸術であるライブはまさにその名の通り生命が生きているようなもので、あらゆる状況を反映しながらその姿を変えていきます。
7話、10話、12話など『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』はライブをやる回が何度かありますが、楽屋やステージの長回しのカットをたっぷり用いて、今ここには時間が流れているのだ、ということを強く意識させる作りになっていると感じます。そのように流れる時間の元で、《不変》や《永遠》というのは、きっと成立しません。

そう考えると、燈が言う「一生バンドやる」を額面通りに《永遠》への望みとして受け取るならば、待っている未来はCRYCHICに縋りつこうとしたそよの二の舞いなのでしょう。
では「一生バンドやる」を掲げた燈はこのことをどう思っているのでしょう。11話、楽奈の「一生あると思ってた。なくなったけど」という言葉を受け、燈が《一生》について考える一幕があります。

燈「一生……一生って難しい、すごく。
私、傷つくのが怖くて、一生バンド、やりたかった。
だけど、傷つかずに一生は、無理。
傷だらけ、泥だらけになって、いっぱいもがかなきゃ。
それでも、みんなと一生、バンドやりたい。
何回転んでも、迷っても……」

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』11話より

振り返ると、4話での「一生(バンド)やろう」というのは、ある種逃げとしての《一生》だったのだと思います。燈に同調した元CRYCHICの面々も、そうなのでしょう。傷つくのが怖いので、そうならない《不変》の、《永遠》に変わらないという意味での《一生》
けれど、そんな風に「一生やろう」と始めた今のバンドすらも瓦解しかけたことで、燈たちの心境に変化が生じています。ずっと今のまま変わらず、痛みもない、傷つかない、そんな《永遠》はないことを知ります。しかし燈は「それでも、みんなと一生、バンドやりたい」と語ります。「一生やろう」ではなく「一生やりたい」という言葉。この僅かなニュアンスの違いに、私は燈の中に生まれた未来への希望を見出します。
《不変》を求め変わることを忌避するのではなく、変化の中で時に傷ついても、それでもみんなと一緒にいたいという気持ち。美しき《永遠》の思い出に浸るのではなく、これは今この瞬間の、《一生》というどこまでも続く人生への気持ちを掲げた、”生きている”言葉です。

「今」を切り取る不出来な写真
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』11話より

しかしそれでもきっと《永遠》のように《一生》続くことというのは、実現しないのでしょう。燈たちが大人になって、各々の人生への向き合い方だってきっと変わってきます。目の前だけを真っ直ぐに見ていた、無邪気な子供のままではいつまでもいられるわけではありません。きっと、MyGO!!!!!もいつかは歩みを止める日が来るのだと私は思っています。
それならば、《一生》続くものを追い求めるのは叶わない夢を追う行為なのでしょうか? 私は、そうとは限らないと考えています。

再び楽奈の発言に帰りますが「居場所って、また誰かが作るんだって」という言葉があります。枯れた大地にも再び草木が芽吹くように、生と死というのは輪廻の中に存在しており、それはライブ(生)の中で生きているバンドという存在も、生と死を繰り返しながら存在しているということです。

”輪”を冠するライブハウス『RiNG』
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』7話より

現に私たちはすでにこの作中でその営みを目の当たりにしているはずです――CRYCHICの”死”と、そしてMyGO!!!!!の”誕生”を。

MyGO!!!!!の誕生は、CRYCHICを弔うことなくしては成し得ませんでした。そうでなければ燈と立希とそよは知り合うことがありませんでしたし、愛音と燈の出会いからこの面々を巻き込んだバンドへと発展することはなかったでしょう。そして燈が《一生》へのこだわりを口にするようなこともなく、楽奈も燈が「おもしれー女……の子」だと気づくことがなかったかもしれません。

つまり、一度死んだCRYCHICはMyGO!!!!!の誕生によって形を変えて再生しているのです。ここに、《一生》という言葉と結びつく、ある種の《永遠》があると見出すことができないでしょうか。

CRYCHIC唯一の楽曲である『春日影』は、MyGO!!!!!の結成なくしては再び日の目を見ることはありませんでした。つまり、MyGO!!!!!によって『春日影』もまた再生しているのです。
もちろん、再び花開いた『春日影』は以前と同じ姿ではいられません。異なる演奏者、異なる状況の中で、この曲はMyGO!!!!!の『春日影』として新たな姿を披露しています。CRYCHICの象徴たる『春日影』の変化は、MyGO!!!!!の決定的な決裂をもたらしながらも、次の真の和解の礎となりました。

・CRYCHIC結成(生)
→CRYCHIC解散(死)
→愛音登場による新バンド結成(生)
→新バンド春日影の演奏によるCRYCHIC春日陰の終焉(死)
→同時に新バンド(MyGO!!!!!)春日影の誕生(生)
→そよ激昂によるバンド分裂(死)
→『詩超絆』での和解。MyGO!!!!!結成(生)

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の時系列における生と死の繰り返し

また、楽奈の中ではまずSPACEの死があったのですが、MyGO!!!!!への楽奈加入もまた、SPACEの死なくしては実現しませんでした。そう思うと、何かが失われた”死”の出来事は、いつだって次の”生”に繋がっているのですね。

しかし当然、この新たな誕生というものは、そこに先に進もうという意志がなければ実現しません。燈や愛音が何も動かず、新たなバンドが生まれなかったとしたら、そして二度と『春日影』が演奏されることがなかったとしたら。それはCRYCHICの《永遠》の死です。その時CRYCHICは《不変》のものとして、穏やかな思い出の中で変わらずにいられたかもしれません。
しかし私は傷ついても進もうとせんとする、この迸る生命力のことを好ましく思います。悲しみを礎とし、たとえ変わったとしても何かを受け継ごうとする、その力強い意志こそが《一生》を追い求めるということなのでしょう。

故に、たとえMyGO!!!!!がMyGO!!!!!でなくなったとしても、またMyGO!!!!!を受け継ぐ新たな何かが芽生えた時、それは《一生》続けるということが達成できるのだと思います。

再び、締めの言葉として、以下の楽奈の言葉を引用したいと思います。

楽奈「ライブハウスやってた、SPACE。一生あるって思ってた、なくなったけど。でも、居場所って、また誰かが作るんだって」

『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』11話より
祖母のギターを弾く楽奈
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』11話より

おわりに

繰り返しになりますが、MyGO!!!!!結成秘話であるところの『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の物語はCRYCHIECの悲劇的な解散を起点としており、元メンバーの燈、立希、そよという3人の中に愛音という別の後ろ暗さを抱えた人間を投入し、そこで生まれるドラマを軸に進んできました。そう思うと、途中からふらりと現れた楽奈というのは、バンド内に居ながらある意味では蚊帳の外とでも言えるような、しばらくこの人間模様に関わってこない独特の立ち位置のキャラクターでした。
しかし、彼女のバックボーンが明らかになり、発言を掘り下げていくと、作品における彼女の役割が見えてきた気がします。それは「一生バンドをやる」ということがなんなのかということ。このテーマに深く関わっている人物こそが、楽奈なのだと思います。

思えば、『BanG Dream! 1期』において、楽奈の祖母・詩船はライブハウスのオーナーという少し上の目線から「やりきったかい」というセリフとともに、『BanG Dream! 1期』というアニメのテーマを一身に表現しているような存在でした。
そう思うと、『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』にて楽奈がテーマのための役割を担っていることには「継承」という構図が見い出せます。新たな世代のバンドであるMyGO!!!!!の物語において、詩船の意志を楽奈が受け継ぎ伝えていることこそ、ここに継承による一つの存続があるのです。知らず識らずのうちに、楽奈もまた「なくなったものを再生させる」という営みの中にいるのでしょう。
12話のMyGO!!!!!のライブシーンには、詩船も観客として登場します。祖母のギター共々、過去を受け継ぎ新たなガールズバンド時代を担っていくホープになっていく楽奈のことを、詩船が優しく見守っているのが印象的でした。

さて……今回はテーマを掘り下げるという試みで《不変》もなく、《永遠》とは再生の元成立する、そして《一生》を追い求めることはそれを実現しようとする意志なのだ、と私は語りました。故にMyGO!!!!!もけして《不変》ではなく、いずれ変わっていくものなのでしょう。そうは言っても、個人的にはこの楽奈がようやく得た居場所であるMyGO!!!!!というバンドが、少しでも末永く続いてくれたらいいな、という気持ちでいっぱいです。少なくとも今はまだ変化の時ではないでしょうから。
11話以降、MyGO!!!!!の中で楽奈が幸せそうな表情を浮かべているのを見ると、よかったね、心地よい居場所ができて……なんて柄にもなく思ってしまうのです。

和気藹々と? 衣装を作るMyGO!!!!!メンバー
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』11話より

ところで……『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』において忘れてはいけないバンドがMyGO!!!!!とは別にもう一組ありますね。そう、Ave Mujicaです。MyGO!!!!!の燈が「一生やりたい」と言っている裏で、CRYCHICの元メンバーであり恐らくAve Mujicaの中心メンバーであろう祥子は「残りの人生私にくださいませんか?」という勧誘の文句を口にしているのですが……見事にMyGO!!!!!とAve Mujicaの《一生》への向き合い方を言い表したセリフだなと思います。今の時を起点とし、脈々と受け継がれていくことを決して手放さないという決意が「一生やりたい」であるならば、今のために今後続く全てを犠牲に開花せんとするのが「残りの人生私にくださいませんか」でしょう。短い中にここまで鮮烈に両者の対比を示してみるのは、本当に痺れますね。
残す第13話の放送、ここでまたAve Mujicaはひと悶着ありそうですが……楽しみにしています。

にゃむを勧誘する祥子「残りの人生私にくださいませんか?」
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』12話より

追記:13話「一瞬一瞬をたくさん重ねたら一生」について

MyGO最終回でこの作品なりの《一生》の解が一つ提示されました。すなわち「一瞬一瞬をたくさん重ねたら一生」……うむ! 似た内容はすでに『迷路日々』の歌詞からも受け取れるのですが、改めて簡潔ながらもわかりやすく、不変としての過去に囚われた《一生》から、変化し続ける未来に向かう《一生》へと、燈の意識がそれこそ”変化””したことが伺えます。
あまりにもスマートで、それでもって12話を見た後のこのNoteを書いた直後に見たものですから、正直やられた! と思いました(私が勝てるわけも当然ないのですが……!)

とはいえ、改めて12話までの内容から書いた《一生》についても、そこまで的外れなことは書いてなかったかな、とも思いました。
一瞬の気持ちというのは、いつしか薄れていくものです。「みんなといて楽しい」そんな気持ちは《永遠》には続かないものでしょう。それでも一瞬一瞬の「楽しい」という気持ちをずっと積み上げ続けていけるなら……そこには確かな「《一生》続くもの」があるようにも思えます。そしてここでも気持ちというものは、失われては生まれ変わることを繰り返しており、常に最新の今で上書きされ続けています。すなわち、生と死の再生を繰り返すという意味においても「一瞬一瞬をたくさん重ねたら一生」は概念をスマートに一言で表した言葉であると捉えることができるのですね。こういう言葉をスッと出せるようになりたいものですね……。

ちなみに、この燈が「一瞬一瞬をたくさん重ねたら一生」を語るシーンで、楽奈が真っ先に「そだね」と反応してるのが印象的でした。やっぱり楽奈は《一生》について理解がかなりあるんですよ!
アニメの内容をベースにしたガルパのMyGOのシナリオでも、楽奈が「おもしれー女」の前に「一生」という言葉に反応していたりと、彼女の《一生》へのこだわりが更にわかりやすく見えるようになっていましたね。

それにしても、『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』は1クールで随分と人物の変化を見せてきたアニメだったのではないかと思います。個人的には楽奈の印象が10話を境にかなり変わったことは最初に書いた通りですが、他の人物についても多かれ少なかれそういうところがあったのではないでしょうか。
例えば、最初はどうしようもなく弱々しく感じられた燈にどんどん芯の強さがあることを感じたこと。あるいは涼しげに周囲をコントロールする策士のように思われたそよが、その実水面下でもがき続けていることが伝わってきたこと。
少しずつ放送されるというテレビアニメ(初回は1~3話までの放送でしたけどね)という形式だからこそ、30分という一瞬一瞬によっても目まぐるしく変化していく人間模様というものが『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』では感じられたと思っています。実際に私たちが3ヶ月間一緒に付き合うことも含めて、テレビアニメという形式の映画とは違う面白いところというのは、この時間の積み重ねの表現が一つあると思っています。

ところで余談になりますが、この前MyGO!!!!! 目当てでガルパを始めてみました。そこではアニメの11話であった、気のおけない仲間たちでゆるりと過ごす穏やかな時間の流れみたいなものが、ガルパのエリアトークでいくつも見つけられて、ああ、アニメの先のMyGO!!!!!のみんなが過ごす楽しい”一瞬一瞬の日々”はここにあったんだなぁと、なんだか感激してしまいました。

私の今のこのMyGO!!!!!への愛着も、もしかすると《永遠》のものではないのかもしれませんが……それでも今は、これからも「ちいさな一瞬」をずっと重ねていければいいな、なんて思うわけです。それこそ、できるならば《一生》続くように。

※当記事の画像は全てブシロード公式noteにて配布されたものを使用しています。


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