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最高の平凡で変わらない日常

年末年始にかけて色んな話を聞いた。

たまにしか連絡を取り合わない学生時代の友達のグループライン

40過ぎて結婚した友達は約5年の結婚生活を終わらせてシングルに戻っていた。

ある友達は成人した子供さんがケガで車椅子生活となり介護のために地元に引っ越していた。

義母の知り合いの方は
お孫さんを亡くしたのだそう。

そのお孫さんとは赤ちゃんの頃一度だけ会ったことがある。

当時、義母の知り合いの方のお孫さんが私の子どもと同じ頃に産まれたということで義母が「知り合いの方からうちに会いに行きたいと言われたから行ってもいい?」と、産後の私も家もぐちゃぐちゃの状態の時
義母が義母の知り合いの方と娘さんと赤ちゃんを連れてうちに来られたことがあったのでとても記憶に残っている。

会ったのはたったその一度だけだけど
その時に子ども2人を並べて寝かせて
写真を撮った。
その写真を後日ハガキにして送って下さったので少しの間飾っていたしよく見ていたように思う。
そのハガキもまだどこかにあるだろう。

その赤ちゃんだったお孫さんが
高校生になってからの話。

電車との接触事故で亡くなったそう。

自分の子どもと同じ年齢の子ども
しかも赤ちゃんの頃ではあるが
あったことのある子どもが。

これを聞いた時
かわいそうとか、大変とか
そういう感情よりも
あぁ、これはもしかしたら私だったかもしれないとズーンとくるような感覚があり
すごく近くを通り過ぎた様な気持ちになった。

うちの子どもはメンタルが不安定な時があり親子で散々悩み苦しんできた。
今もなお。
もうどうなってもいいと自分も投げやりになりそうな気持ちになったこともある。
だから余計に感情が動いたのかもしれない。

友達の話もそう。
私だってそうだったかもしれない。
なにかのきっかけで
たまたまそうならなかっただけだ。

被災地で大変な生活をされている方たち
大切な家族や家を失った方たちと
日常生活を送れている私達も
少し場所が違っただけ。
たまたま自分がそうならなかっただけ。

平凡な日常は
当たり前ではなく
何かが少し違うだけでなくなってしまう
文字通り有り難い事なんだと
突きつけられたような年末年始だった。

影を見ることでしか光を感じられないというのでは人としてなんとも情けない。

日常の小さくてもほのかでも
照らしてくれている光を
感じられる様に生きていきたい。


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